世田谷【2020.4.10の日記】
- 更新日: 2020/04/14
ソーシャルディスタンス自販機
しばらくの間、散歩者の生活と街の様子を日記として記録しています。
4/10
普通に仕事。社長の気まぐれで退勤時間が1時間早まる。謎。
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最近は電車に乗るのが億劫というか、深層意識に”怖い”という気持ちがあるのか、落ち着かない。
朝の通勤時は仕方なく利用するが、帰りは1時間くらいかけて家まで歩くことが増えた。
今日は金曜日なのでいつもより遠回りして帰ろう、と思う。退勤時間も早まって暇になったし。
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商店街を歩いていると、シャッターが閉まっている店が多くて悲しくなる。
「コロナで休みます」「臨時休業します」「ギリギリまで考えましたが、感染拡大の影響を考えてお休みします……。また笑顔でお会いしましょう!」などいろいろなパターンがある。何も書いてない店も多い。
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小学生時代によく来ていた児童館を見つけた。
”どうやってたどり着いたのかはよく覚えてないけど、友だちと一緒に自転車で走っていたら着く”という認識の児童館で、一人で来たことがない場所だった。
このあたりは同じような顔をした家と、細かい道路が多いのでわかんなかったんだろうなあ。今日もどうやって来たのかよく覚えてない。
やっぱりというかなんというか、閉館していた。
今まで見た閉館の案内の中でもっとも丁寧な表現な気がする張り紙。
「感染症が広がらないようにするため」。
ふりがなが振ってあるだけで優しい表現になる気がするからニュースとか全部そうしてほしい。
「かんせんかくだいぼうし」みたいな。いや、やっぱ嫌だな。
新旧の仕切弁
日々退勤散歩をしていると、世田谷は空き地が多いことに気づく。
売りに出されているわけでもなく、ただ何か失い、新しい何かを待っている土地。
そこには大抵、以前あった建物の名残や、今後できるであろう何かの予兆とかを感じることが多いんだけど、この仕切弁もそう。
こういう余韻を見るといろいろ考えちゃうな。似たようなアパートが並んでたけど1棟だけなくなったのかなとか。タイル似てるもんなあとか。そう見せかけて全然違う建物だったとかかな。
電灯の上で飯を食うカラス。
この近くにわりと大きな寺と墓地があって、路地から墓地に入ることができる。VIPルームみたいに囲いがある墓があったので、「有名人のお墓なのだろうか」と見てみると、「このお墓のことを知っている人は連絡ください」という立て看板が設置されていた。えー。なんか、特別っぽいのに、そっか、そんなことあるんだ。そっかー。
地元をたくさん散歩するようになって気づいたが、世田谷にある寺とか神社は、たいてい吉良氏が関係している。そのたび「また吉良か」と言ってしまう。この寺も、もちろん吉良氏が関係している。また吉良か。
ソーシャルディスタンス自販機。
遊歩道に入る。万葉集とコラボしてる系の道で、いたるところに和歌の立て看板があった。
そういえば、大阪に住んでいる人と下北沢あたりの遊歩道を歩いたときに「こういう景色を見ると東京を感じますね、整備された道と住宅街と」と言われたことがある。わたしはずっと東京に住んでいるので、全然その”東京っぽさ”がわからなくて、びっくりした。最近は「これが東京なんだなあ」と思いながら歩いている。でも、本当にこれが東京っぽさなんだろうか。やっぱり全然わからない。
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このあたりでお腹が空いてくる。プリン食べたい。家に焼きプリンがあった気がする。いや、金曜だしケーキ買って帰ろうかな。でも、ケーキ屋開いているのかな。焼きプリンでいいか。
こういう、瓦を埋めるアートみたいなのって、あまり好きじゃないんだけど、いい効果とかあるのかな。雑草が生えづらいとか? わりと生えてるけど?
最近よく見かけるようになったもの、道路のチョーク落書き。今日もあった。
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公園を見るとたいてい子どもたちが遊んでいるし、散歩するカップルも増えた。犬の散歩をする家族とか。
歩いているときはみんな楽しそうなので良いなと思う。
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住宅街を歩いていると、家にいる人が多いからか、生活音が聞こえてくることが多い。子どもの声とか。
そういうのを聞くたびに、大学入学時に友だちが言った「今、電車から見えている全部の家に人が住んでいるんだよ、すごいよね」という言葉をよく思い出す。”閑静な住宅街”と言っても、一つ一つに人が住み、家族があり、生活があり、物語がある。
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最寄駅に到着。街は思ったよりも人で溢れている。みんな家にいるからか、ラフな格好の人が多い。ちょっと買い出し、みたいな。
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家に帰る。恋人がすでに焼きプリンを食べていた。やっぱりケーキ買ってくればよかったな。