雑な店が好き
- 更新日: 2020/05/05
個人商店、それも特に雑な個人商店が好きだなあというコラムです。
この文章は、およそ10年前の記憶からはじまります。
無意識のうちに記憶が改編されているかもしれませんが、それはそれとして楽しんでいただければ幸いです。そんなわけで今日は僕の個人商店にまつわるお話。
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その中華屋、祥来は「高校ルート」をちょっと外れたところにある。
僕の通っていた学校は中高一貫で、6学年の全員が同じ通学路をつかって道が混んでしまうことを避けるために中学と高校で指定される通学路が違っていた。
もっと正確に言うなら通学路に階級があった。
中学生は八丁畷の交差点まで遠回りしないといけなかった。そういえばあの交差点にはキックボードで出勤しているオッサンがおった。元気かなあ。閑話休題。中学生は遠回りしないといけなくて、この兵役を修了し、高校に進学してはじめて最短ルートの使用を許される。なか卯の裏の横断歩道を渡ることができるのだ。説明が長くなったがこれが「高校ルート」だ。
察しの良い人はもう気付いているかもしれないが、中学生もオマセさんはコッソリ高校ルートを使ったりする。
男子校なのに髪にワックスを付けたり、スラックスの裾を折って七分丈っぽくしたり、夏だけど意地でも半袖には腕を通さず、長袖のカッターシャツを腕まくりしたり。
そういう奴が最終的に行きつく先は高校ルートだ。僕の中学のヤンチャ街道は、なか卯の裏の横断歩道に通じている。10年経った今でも、きっとそうに違いない。
いつしか僕も高校ルートを使うようになる。ヤンチャをしたのか、普通に高校にあがってからなのかは覚えていない。とにかく、なか卯の裏の横断歩道を使う年頃になった。
その中華屋、祥来は「高校ルート」をちょっと外れたところにある。
ようやく冒頭の一文に戻ってこれたわけだが、僕はいつしか友達とこの祥来に行くようになった。土曜日の授業(*)のあとは大抵祥来に行く「流行り」みたいなのがあったように思う。
理由は簡単。安く長居できるから。店内は適度な薄暗さで、席同士もほどよく離れている。座敷もあった。「ちょっと長居しすぎで悪いから、もう1杯くらいお茶を頼もう」みたいな気遣いをまだ知らない10代にも優しい。……というか、たぶん無関心なのだ。
この中華屋は中国人のお母さんらが何人かで回していて、海外特有の「雑さ」がある。というか日本の接客が過剰なんだよやっぱり。もちろん暖簾をくぐれば「いらっしゃい」くらいは言うし、道端で合えばニコッとしてくれる。揚げ物を頼むと「チョット待ッテネ」とか言ってくれていたかもしれない。
でも踏み込んで世間話をするようなことは無かった。まあ、そもそも言葉もあんまり通じないし。でもその距離感が心地よかった。
*土曜日の授業:僕はゆとりだけど、 私学だから土曜日にも学校があった……ように思う。正直あまりよく覚えていない。
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記憶の限り、この中華屋が僕の個人商店の原体験だったように思う。
「こういうお店がある」ということを知るきっかけになった。つまり入ったことのない飲食店に、入ってはいけないというルールはない、ということに気付いたのだ。すっかり大人になったいま、この規律を文字で書くとあまりに当たり前すぎて頭がくらくらするが、15歳はそんなことも知らない。いやむしろこの歳ならマセてる方なくらいかもしれない。
ファーストフードしか選択肢を持っていない同世代を斜め斜めに眺めていたのは別のお話。ちょっと軸がぶれるから今回は見送ろう。少しだけ補足しておくと、その頃はまだ山里亮太もオードリー若林もバカリズムも独身でかなり尖ってたし、そういうのが「アリ」な時代だった。
回想しながらものを書くと色んなことが滲んだり漏れたりしてくるね。閑話休題。
そんなわけで、いつしかお昼を一人で食べることが増え、阪急高槻市駅とJR高槻駅(*)に挟まれたエリアを中心に、歩いては気になるところに1人ではいった。書きながらいま思い出したけど、4席とか5席しかない定食屋がコロッケ屋の向かいにあった気がする。(あくまでも気がする)
* 高槻:大阪と京都のちょうど中間くらいにある。全国的には関ジャニの村上くんの出身だといえば「そんなことテレビで(というか月曜から夜更かしで)言ってたかもしれない」と納得してくれるのではないだろうか。ローカルに言えばシャンプーハットのこいちゃんの出身地。シャンプーはことし第55回上方漫才大賞を受賞した。おめでとう。
ひと通りお昼ご飯を食べて、最終的にアルプラの中の隅っこにある変な喫茶店とか、阪急の裏手にある絶妙にダサいカフェとか、そういうところに落ち着く。あ、JR高槻のあたりには丸福珈琲もある。丸福はチェーンだからちょっと話がぶれるけれど、ドトールとかスタバと違って出現率がレアだから嬉しい。大人になった今でも丸福は “はぐれメタル” みたいな感じに思っている。そういうところで青チャートを開いて、3秒くらいでやる気をなくして漫画を読む。いいじゃん別に。3秒ルールだよ。3秒以内なら最初から無かったこのにできるから。
土曜日の午後の時間はそんな感じで過ごしていた。
このあたり記憶が曖昧だ。
どうだったっけ。
そんなにソロプレイしていない気もするが、かといって毎週のように同じメンバーで同じ店に行ったような記憶もない。だから、けっきょく覚えているのは、薄暗い喫茶店で読んだ『バクマン。』だったりだったりする。そういえば新妻エイジの髪型に憧れていたなあ。
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それからというもの僕はずっとだらだらできるお店を探しては昼食をとり、だらだらして、ゆっくりできる喫茶店を探し、ゆっくりしてきた。思い返すとそういう店は大抵は個人が経営する飲食店だ。
気さくなおっちゃんと気さくな会話……とかそういうのはあんまりない。こういう読み物では温かなエピソードがつきものだけれど、僕はこの距離感こそが好きだった。
お店の人が見るためだけにカウンターの背中側にテレビを設置している牛丼屋とか、店内で僕以外の全員のオッサンが煙草片手に新聞を読んでいて誰に注文すればよいのかわからなかったりする喫茶店とか。そういう雑さが好きだ。「この定食の小鉢のポテトサラダ、きょうはもう無くなったのでキンピラになってしまうけど大丈夫ですか?」と事前に確認してくれるのは丁寧だし、それはそれで良い接客だけれど、個人的には「ポテサラないからキンピラね」と言われながら出される方が気楽でいい。蝶ネクタイ付けておフレンチなんてもってのほかだ。
これを書きながら僕は確信する。自分は「雑な店の居心地」を慈しんでいるのだと。
雑な中華屋、雑なカレー屋、雑なそば屋、雑な定食屋。チェーンだって一緒さ。王将は床が汚い方が美味しい気がするじゃない。
今やUber Eats やテイクアウトもあるけれど、コミュニケ―ションがゼロでは心もとない。あくまでも「雑」であることに意味がある。
雑な店、潰れんといて欲しいけどな。どうやろう。
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最近、馴染みの雑な洋食屋に行った。
コンビニに支払いに行きがてら近くを通りかかったので、なんとなく顔を見せたのだ。
「いやあ」
すこし立ち話をした後、コーヒーを頼んだ。お互いの感染リスクなんかも考えて、テイクアウトにして欲しいとお願いすると、お店のおっちゃんは目を丸くして驚いていた
「え、テイクアウト?どうしよう、そんなん考えてなかった」
「なんでもいいですよ。紙コップとかある?」
「どうやろ……。こんなんしか無いけどいい?熱いの淹れたらへにゃってなるかもしれんけど」
透明のプラスチックのカップに、ホットコーヒーが注がれ、器がちょっと変形する。「へにゃってなるかも」と言いながらも、門藤無用でそれを提供する雑さが素晴らしい。これだよ。
「なんでもいいよ、ありがとう」
お礼を言いながら支払いをする。どうも、お店の人曰く、テイクアウトなんて考えたこともなかったという。
ほかにも「この騒動が収束したら食べに来るから、それまで頑張って!」という主旨でクーポンを先物買いする運動だったり、ネットでレシピを公開して投げ銭を貰っている人がいたり、そういう話をした。
サンポーなんていうインターネットの重箱の隅の隅みたいなサイトを知っている人は、大抵の場合ネットの波を乗りこなしているだろうから、いま挙げたような取り組みはもう当たり前のように知っているかもしれない。
けれど、インターネットは民意ではない。
僕らからすると考えられないかもしれないけれど、意外にみんながみんなインターネットをしているわけではない。個人でやっているお店屋さんのおっちゃんやおばちゃんは、案外こういうのを知らないらしい。だから、こういうのをポロっと教えてあげるといいかもしれない。連絡先を知っているほど馴染みの店ならなおさら。
なんだか実用的な終わり方でつまらないかもしれないけれど、大事なことだと思っているから伝えます。だってほら、「買い支える」なあんて言いっても、個人が力添えできる金額なんて知れてるじゃない。
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後日、その雑な洋食屋の前を通りかかると、小さなのぼりが出ていた。
「お持ち帰り やってます」
僕のおかげ、なんて考えるのはいささか都合が良いけれど、もしそうだったらきっと嬉しい。