淡路島・洲本市56商店街散歩
- 更新日: 2021/10/21
コモード56商店街入り口
商店街が大好きだ。
個性豊かな店が並び、大型ショッピングモールでは見かけない珍品や美味しい物を探しながらぶらぶらするのが、息抜きの一つ。
中でも大阪の天神橋商店街が特に好きで何度も散歩した。
まずは古着屋と古本屋をはしごして、鳴門鯛焼き本舗であんこがはみでそうな鯛焼きを買い、日本一長い商店街を進んでいく。そして最後に串カツ屋さんで、揚げたての紅ショウガやレンコンなどで一杯ひっかけて帰る。これぞ至福の休日。
代り映えしない、でも飽きない。
それが商店街の魅力なのかもしれない。
今回は僕が現在、住んでいる淡路島の商店街を散歩してきました。(いつかは天神橋筋商店街の散歩記事も是非書いてみたい)
淡路島の洲本市本町に佇むコモード56商店街。(以下56)
地元民からは「ゴロク」「本丁筋」などと呼ばれ親しまれています。
歴史ある商店街で、昭和35年に組合が立ち上がり、昭和36年に天井にアーケードが竣工されました。(56商店街レインボープラザ調べ)
56の次は、本町7丁目・8丁目商店街へと続き、個性豊かな店が軒を連ねています。
(著者は南あわじ市出身のため56をしっかりと散歩するのは初めてです)
この日は、緊急事態宣言の影響により多くの店がシャッターを閉めて休業中でした。
もしかしたらここの魅力が半分もみれないかもしれない。
とりあえずぶらぶらしてきました。
(マスク着用、アルコール消毒で感染対策を施して散歩してきました。)
ゲートをくぐりまず目に入ったのがどこか懐かしい靴屋さん。
中学生の時、初めて買ったスニーカーはnikeのZoom Airだったかな。
懐かしい。
ゆったりとした空間でやさしい写真を撮ってくれるにちがいない、と思わせるフォントと余白使い。
ありがとう定食、おおよろこび定食、よろこび定食…これぞ国民が待っていた、心晴れやかに幸せ一直線メニューだ。
店内から溢れ出る美味しそうな香りに負けて、少し早めのお昼をいただくことに。
まどみ定食のおかげで、午後からも元気に散歩できました。
ごちそうさまでした。
散歩しながらゴミ拾い。素晴らしい企画です。
洲本市には、大浜公園という白浜青松の砂浜海岸公園があり、夏は海水浴客で賑わっています。ゴミのない綺麗な砂浜で寝転がって、焼きそばとフランクフルトをほおばり、メロンソーダで流し込みたいですね。
あっと驚く狸がお出迎え。これが56のマスコットなのか?
調べてみると日本三代狸のうちの一匹がモデルになっているらしい。
その名も芝右衛門狸。
洲本市にある三熊山に住み、満月の夜には腹鼓を響かせて、山中で迷った旅人を帰路へと案内したと語り継がれている伝説の狸だ。
その後は「八狸物語」という民話になり語り継がれている。
知らなかった。
56のお問い合わせはRAINBOWPLAZAまで。イベントやセール情報など丁寧に教えてくれます。
「なぜここをコモードという名前にしたのか?」と由来を聞いてみたのですが、詳しく分かる方がいませんでした。
商店街のアーケードが完成した当時に、組合の方たちでネーミング案を持ち寄って決定したと教えていただいた。
コモードという言葉は、「たんす」や「便利」または「寝室用便器」などの意味がある。
便利で楽しいお店がたくさん増えてほしい、という組合の方々の願いが込められているのかもしれない。
地元・青雲中学校の生徒が制作した城下町図。
そう、洲本市にはお城があります。
標高133mの三隈山の山頂部に築かれ、広さ278.5mを誇る洲本城。
保存状態も良好なことから1999年1月に国の史跡に指定されました。
満開に咲く山桜を目指してお城までのトレッキングもおすすめ。
そして最上階からは洲本市内を一望できます。
56だけでなく、淡路島の至るところで見かけるこのポスター。
「はやく普通の日常が戻ってきて欲しい」
島民の切実な想いが伝わってきます。
56の駐車場には、でっかい船の壁画アートが聳え立っています。
これは、映えスポットになる予感。
地元紙や文房具だけでなく、浮世絵も販売している坂本文昌堂。
「誠実・謙虚・努力」
ごもっともです!
声を震わせるエフェクトをかけて読みたくなる、よねざわ。
スグソコを探しましたが、探偵社は見つからず…まさか芝右衛門に化かされた?
高校生のころにELLEGARDENの「風の日」を弾けるようになりたくて、お年玉でギターを買ったけど、Cコードをうまく押さえられずに挫折しました。
創業はなんと万延元年(1860年)の出口商店。
いりこと昆布で作る簡単水出しセットが気になった。
味噌汁のダシからこだわれる人になりたい。
斬新な眼鏡アートに関心していると後ろから視線を感じる。
振り向くと、ガン見されていました。
荷物は、ほふく前進での配達をお願いします。
名前の由来がとっても気になる居酒屋。
店の側面には太陽の塔。
「芸術は爆発だ」がここのバイブルで、スタンダードなのかもしれない。
道を挟んで本町7丁目商店街に入ります。
江戸時代から続く、7丁目でござる。
56よりもシャッターの降りた店が目立ち、人通りも少ない。
斬新な陳列方法の八百屋、ときやす。
淡路島の名産はなんといっても玉ねぎです。
1つ上の私へ。
駄菓子屋のねぼけ堂。
「ここは私が嫁ぐよりも昔の役60年前からやってます。昔は栄えててんけどなー。私と一緒でもう古いから。いつまでやっていけるかわかりませんねん。私がもう84歳やから、ハッハッハ」
店の方が明るく、笑顔で色々な話をしてくれました。
全然ねぼけていなかった。
分数は昔から苦手です。
格安で宝探しできます。
またも駄菓子屋さんを発見。
ココナッツサブレの推しが強めのまるみ堂。
小学生の時に通いつめていた駄菓子屋にメタルスラッグとストリートファイターが1回100円プレイできるゲーム機があったのだけれど、上級生3~4人に支配されていて、「次、変わってくれ」とは言い出せなかったな。悔しい思い出。
原付の親子。
新しい元号は令和でございます。
ボーリングのピンじゃないよ!ハンコだよ!
行書体でいかにもという実印を作ろうか迷い中です。
雨風だけではありません、心の隙間もお埋めします。
「恋しい淡路島」
昔はどこの川にもメダカが泳いでいて、夜の田んぼ道は、蛍の光でライトアップされていたのだろうな。
田植えのために水張りした田んぼで、オタマジャクシやカブトエビを採るのに夢中になりすぎて、頭から落ちて全身泥まみれで泣きながら帰ったのが懐かしい。
「POWER TO THE AWAJISHIMA PEOPLE」
カーテンのサイズ選びには、さぞ苦労したであろう窓の形。
喫茶店かスナックだったのかな?
夏の暑い日に、鯛の刺身を梅肉で合わせ口に運び、一番搾りで流し込みたい。
なんだかお腹空いてきた。今日の晩御飯は魚を食べたい。
「たいうめ」ではなく「とくうめ」と読むそうです。
残念ながら淡路島に電車は通っていません。
昔、明石海峡大橋の下に線路を作って電車を通す計画があったとか、なかったとか。
あれ?散歩に熱中しすぎて、いつ8丁目に入ったのかわかりませんでした。
8丁目の最後にまたもや狸が。
芝右衛門ではなく川太郎くん。
カワ(・∀・)イイ!!。
アーケードの外に出ると、眩しい日差しと晴天の青空が気持ちよくて、平和だった。
個性豊かな店が並び、大型ショッピングモールでは見かけない珍品や美味しい物を探しながらぶらぶらするのが、息抜きの一つ。
中でも大阪の天神橋商店街が特に好きで何度も散歩した。
まずは古着屋と古本屋をはしごして、鳴門鯛焼き本舗であんこがはみでそうな鯛焼きを買い、日本一長い商店街を進んでいく。そして最後に串カツ屋さんで、揚げたての紅ショウガやレンコンなどで一杯ひっかけて帰る。これぞ至福の休日。
代り映えしない、でも飽きない。
それが商店街の魅力なのかもしれない。
今回は僕が現在、住んでいる淡路島の商店街を散歩してきました。(いつかは天神橋筋商店街の散歩記事も是非書いてみたい)
淡路島の洲本市本町に佇むコモード56商店街。(以下56)
地元民からは「ゴロク」「本丁筋」などと呼ばれ親しまれています。
歴史ある商店街で、昭和35年に組合が立ち上がり、昭和36年に天井にアーケードが竣工されました。(56商店街レインボープラザ調べ)
56の次は、本町7丁目・8丁目商店街へと続き、個性豊かな店が軒を連ねています。
(著者は南あわじ市出身のため56をしっかりと散歩するのは初めてです)
この日は、緊急事態宣言の影響により多くの店がシャッターを閉めて休業中でした。
もしかしたらここの魅力が半分もみれないかもしれない。
とりあえずぶらぶらしてきました。
(マスク着用、アルコール消毒で感染対策を施して散歩してきました。)
ゲートをくぐりまず目に入ったのがどこか懐かしい靴屋さん。
中学生の時、初めて買ったスニーカーはnikeのZoom Airだったかな。
懐かしい。
ゆったりとした空間でやさしい写真を撮ってくれるにちがいない、と思わせるフォントと余白使い。
ありがとう定食、おおよろこび定食、よろこび定食…これぞ国民が待っていた、心晴れやかに幸せ一直線メニューだ。
店内から溢れ出る美味しそうな香りに負けて、少し早めのお昼をいただくことに。
まどみ定食のおかげで、午後からも元気に散歩できました。
ごちそうさまでした。
散歩しながらゴミ拾い。素晴らしい企画です。
洲本市には、大浜公園という白浜青松の砂浜海岸公園があり、夏は海水浴客で賑わっています。ゴミのない綺麗な砂浜で寝転がって、焼きそばとフランクフルトをほおばり、メロンソーダで流し込みたいですね。
あっと驚く狸がお出迎え。これが56のマスコットなのか?
調べてみると日本三代狸のうちの一匹がモデルになっているらしい。
その名も芝右衛門狸。
洲本市にある三熊山に住み、満月の夜には腹鼓を響かせて、山中で迷った旅人を帰路へと案内したと語り継がれている伝説の狸だ。
その後は「八狸物語」という民話になり語り継がれている。
知らなかった。
56のお問い合わせはRAINBOWPLAZAまで。イベントやセール情報など丁寧に教えてくれます。
「なぜここをコモードという名前にしたのか?」と由来を聞いてみたのですが、詳しく分かる方がいませんでした。
商店街のアーケードが完成した当時に、組合の方たちでネーミング案を持ち寄って決定したと教えていただいた。
コモードという言葉は、「たんす」や「便利」または「寝室用便器」などの意味がある。
便利で楽しいお店がたくさん増えてほしい、という組合の方々の願いが込められているのかもしれない。
地元・青雲中学校の生徒が制作した城下町図。
そう、洲本市にはお城があります。
標高133mの三隈山の山頂部に築かれ、広さ278.5mを誇る洲本城。
保存状態も良好なことから1999年1月に国の史跡に指定されました。
満開に咲く山桜を目指してお城までのトレッキングもおすすめ。
そして最上階からは洲本市内を一望できます。
56だけでなく、淡路島の至るところで見かけるこのポスター。
「はやく普通の日常が戻ってきて欲しい」
島民の切実な想いが伝わってきます。
56の駐車場には、でっかい船の壁画アートが聳え立っています。
これは、映えスポットになる予感。
地元紙や文房具だけでなく、浮世絵も販売している坂本文昌堂。
「誠実・謙虚・努力」
ごもっともです!
声を震わせるエフェクトをかけて読みたくなる、よねざわ。
スグソコを探しましたが、探偵社は見つからず…まさか芝右衛門に化かされた?
高校生のころにELLEGARDENの「風の日」を弾けるようになりたくて、お年玉でギターを買ったけど、Cコードをうまく押さえられずに挫折しました。
創業はなんと万延元年(1860年)の出口商店。
いりこと昆布で作る簡単水出しセットが気になった。
味噌汁のダシからこだわれる人になりたい。
斬新な眼鏡アートに関心していると後ろから視線を感じる。
振り向くと、ガン見されていました。
荷物は、ほふく前進での配達をお願いします。
名前の由来がとっても気になる居酒屋。
店の側面には太陽の塔。
「芸術は爆発だ」がここのバイブルで、スタンダードなのかもしれない。
道を挟んで本町7丁目商店街に入ります。
江戸時代から続く、7丁目でござる。
56よりもシャッターの降りた店が目立ち、人通りも少ない。
斬新な陳列方法の八百屋、ときやす。
淡路島の名産はなんといっても玉ねぎです。
1つ上の私へ。
駄菓子屋のねぼけ堂。
「ここは私が嫁ぐよりも昔の役60年前からやってます。昔は栄えててんけどなー。私と一緒でもう古いから。いつまでやっていけるかわかりませんねん。私がもう84歳やから、ハッハッハ」
店の方が明るく、笑顔で色々な話をしてくれました。
全然ねぼけていなかった。
分数は昔から苦手です。
格安で宝探しできます。
またも駄菓子屋さんを発見。
ココナッツサブレの推しが強めのまるみ堂。
小学生の時に通いつめていた駄菓子屋にメタルスラッグとストリートファイターが1回100円プレイできるゲーム機があったのだけれど、上級生3~4人に支配されていて、「次、変わってくれ」とは言い出せなかったな。悔しい思い出。
原付の親子。
新しい元号は令和でございます。
ボーリングのピンじゃないよ!ハンコだよ!
行書体でいかにもという実印を作ろうか迷い中です。
雨風だけではありません、心の隙間もお埋めします。
「恋しい淡路島」
昔はどこの川にもメダカが泳いでいて、夜の田んぼ道は、蛍の光でライトアップされていたのだろうな。
田植えのために水張りした田んぼで、オタマジャクシやカブトエビを採るのに夢中になりすぎて、頭から落ちて全身泥まみれで泣きながら帰ったのが懐かしい。
「POWER TO THE AWAJISHIMA PEOPLE」
カーテンのサイズ選びには、さぞ苦労したであろう窓の形。
喫茶店かスナックだったのかな?
夏の暑い日に、鯛の刺身を梅肉で合わせ口に運び、一番搾りで流し込みたい。
なんだかお腹空いてきた。今日の晩御飯は魚を食べたい。
「たいうめ」ではなく「とくうめ」と読むそうです。
残念ながら淡路島に電車は通っていません。
昔、明石海峡大橋の下に線路を作って電車を通す計画があったとか、なかったとか。
あれ?散歩に熱中しすぎて、いつ8丁目に入ったのかわかりませんでした。
8丁目の最後にまたもや狸が。
芝右衛門ではなく川太郎くん。
カワ(・∀・)イイ!!。
アーケードの外に出ると、眩しい日差しと晴天の青空が気持ちよくて、平和だった。