謎に包まれた山高水長のまち・下呂市小坂町を歩く

  • 更新日: 2025/02/06

謎に包まれた山高水長のまち・下呂市小坂町を歩くのアイキャッチ画像

飛騨小坂の五平餅、おいしかったなぁ

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きっかけは1933年(昭和8年)に建てられた木造の駅舎だった。

私が住んでいる岐阜県のローカルネタで恐縮なのだが、実は昨年(2024年) 、岐阜県を縦断する鉄道・高山本線が全通90周年を迎えた。

高山本線は岐阜市から富山市をつなぐ路線で、途中、下呂温泉や飛騨高山、飛騨古川などを通るJRの在来線である。

昭和30年代頃までは貨物輸送が主流だったようだが、現在は国内外からの観光客をたくさん乗せた「特急ひだ」が走っている。


▲高山本線と特急ひだ・HC85系

さて、ここで少し歴史をかいつまんで説明しよう。

高山本線の敷設工事は、大正8年(1919年)に始まった。

飛騨の山間地に鉄道を縦貫させるという前代未聞の敷鉄工事は、地元の人々の熱意によって大正時代にようやく認可され、着工する。

岐阜市や富山市の平野部では順調に進んだ工事も、やがて飛騨地方にさしかかると、厳しい自然環境と山が連なる険しい地形のため、非常に困難を極めた。

しかし、当時の最先端技術を投入し、約15年という長い歳月をかけて無事完成。それが今から約90年前の1934年(昭和9年)のことである。

岐阜市側から敷かれていった線路と、富山市側から敷かれていった線路、この2つがちょうど現在の高山駅よりやや北寄りの地点でつながり、一本の線となった。その瞬間、工事関係者は勿論のこと、工事を見守っていた地元の人々からも大きな歓声があがったという。

これは「陸の孤島」と言われていた飛騨地方の人々にとっては、長年の悲願が達成した瞬間でもあり、開業の際には、各駅で全通記念式典が盛大に催された。


▲高山本線の鉄道橋。開通当時のまま変わらぬ光景

◇◇◇

さて、そんな高山本線が、昨年2024年に「全通90周年」を迎え、沿線各地で記念イベントが行われた。

私の地元・高山市でも『全線開通90周年 記念展覧会』が開催され、高山本線の歴史にまつわる古い写真や旧国鉄時代の鉄道グッズ、各駅の紹介パネル等が展示された。


▲左・特別販売の復刻駅弁/右・90周年記念展覧会のパンフレット

このイベントの実行委員長が、偶然にも私のいとこだったため、その縁で私も見に行ったのだけど、鉄オタ…いや、さすが高山の鉄道ファン有志の皆さんの企画運営だけあって、なかなかマニアックで見応えのある貴重な展示会だった。

このとき私は、下呂市小坂町にある「飛騨小坂駅」について初めて知ったのだった。


▲展覧会で入手した飛騨小坂駅のパンフレット


▲開業当時の飛騨小坂駅の様子。パンフレットより

高山本線全通よりも一年早く、1933年(昭和8年)に開業したという飛騨小坂駅は、当時にしては珍しい杉丸太造りの純木造建築で、この様式で作られた駅舎は、全国に約9000ある駅舎の中でもこの飛騨小坂駅だけとのこと。

それが現存し、今も駅舎として使われていて、さらに「中部の駅100選」にも選ばれているらしい。

へぇ〜そんなすごい駅舎だったのか!初めて知った真実に驚く。

場所は、日本三大名泉の一つである下呂温泉と、日本三大美祭で有名な飛騨高山との間、ちょうど真ん中あたりだろうか。



この駅舎がある下呂市小坂町は、良質の材木が採れることから、かつては林業で栄えていた。また、町の東端には御嶽山があり、古くから御嶽登山の飛騨側ルートの玄関口としても有名だった。

この2点から、駅舎のデザインが「山小屋風」になったらしい。

なるほど~。

飛騨小坂駅のパンフレットをながめているうちに、私はどんどん興味がわいてきた。よし、駅舎を見に行ってみよう。

そして、せっかくだから、駅周辺を散策してみよう…と思った。


ところで小坂町って駅舎の他に何があるんだっけ?

同じ岐阜県飛騨地方なのに、私は小坂町のことをよく知らない。

小坂には親戚もいないし、普段行く用事もないし、私にとっては縁もゆかりもない未知の町である。

唯一の縁といえば、遠い昔20代の頃に一度だけ、小坂町の山奥にある「御嶽少年自然の家」に行ったことだろうか。
(※現在、この施設は「下呂市濁河温泉高原スポーツレクリエーションセンター」として生まれ変わり、トップアスリートの高地トレーニング施設になっている)

新卒で岐阜県の中学校教師になった私は、夏の新採教員の宿泊研修で、生まれて初めて小坂町を訪れた。このとき、初めて飛騨小坂駅に降り立ち、御嶽にも初めて登った。

しかし、あの時は、集合場所の飛騨小坂駅に到着早々、大型バスに乗せられて、そのまま自然の家へ連れていかれ、ずっと山の中で合宿生活をしていたため、小坂町のことはさっぱりわからない。ましてや小坂駅の駅舎のことなんて、正直なところ全く記憶になかった。

それならネットで検索してみよう…とあれこれ調べてみたけど、出てくるのは山の情報ばかりである。

御嶽の五の池小屋に始まり、厳立峡(がんだてきょう)、小坂の滝めぐり、ひめしゃがの湯、濁河温泉、湯屋温泉、下島温泉、御嶽濁河高地トレーニングセンター、道の駅はなもも…云々。全部、御嶽寄りの山側のネタばかりではないか。

駅周辺に関する観光情報は、ほとんど出てこない。

執念深くいろいろ調べた結果、市街地に関して唯一わかったことは以下の3点だった。

①古い駅舎
②シャッターアートがある(らしい)
③美味しい五平餅屋がある

①については既にパンフレットで把握できている。
③も実際にこの店に行った友人から情報をキャッチした。

しかし、②については、何も出てこなかった。「シャッターアートがある」という噂は確認できたけど、どこにどんな形で存在しているのかが、さっぱりわからなかった。

そこで、細い伝手(つて)を頼りに、知人の中から小坂町の人(シニア男性)を見つけ、シャッターアートについて尋ねてみた。すると、その人は「えっ?そんなものがあるんですか?聞いたことがないなぁ」と首をかしげるではないか。

本当に知らないんですか?と詰め寄ってみたけど、その人は「うーん何だろう?知らないなぁ。町おこしで若い人たちが作ったのかなぁ…」と本当に何も知らないという雰囲気であった。

最後にその人は「小坂の駅前は、今はシャッター街で店はほとんど閉まっているし、人気(ひとけ)がなくてガラガラだし、おもしろそうなものは何もないですよ。どうしてそんな所に興味があるんですか?」と訝しげに見つめてくる。

おいおい、住民も知らないって…。あまりの認知度の低さに私は驚いてしまった。

そういえば、小坂の情報を探し求めていた時、偶然入手した小坂町の観光パンフレットの表紙に、『本当は秘密にしたいまち・飛騨小坂』と記されていたのを思い出した。


▲小坂町の観光パンフレットの表紙。このパンフも山の方の情報ばかりだった

いや、ちょっと待って。さっきの小坂町在住男性の反応といい、ネットで検索しても何も出てこないところといい、街のことは全てが極秘情報なのか?!

かなり謎めいている。

事前の予習が全くできていない状態のまま、私は謎に包まれたまち・飛騨小坂を歩いてみることにした。


小坂町へGO


▲小坂町へ。国道41号線にて

紅葉が美しい11月のある日、私は夫と共に車で小坂町に向かった。小坂町は、自宅のある高山市から車で約1時間ほどである。

国道41号線をひたすら南下し、小坂町地内に入ったところで、小坂の市街地に入る道へと右折する。その後は、家屋や商店が軒を連ねる街道筋っぽい道を走行し、第一の目的地である飛騨小坂駅を目指した。

しかし実は、この段階で、もうすでに「どこから横道に入るの?」で迷い、市街地に入ってからも「どこで右折すればいいの?」でまた迷っていた。

(初めて訪れる人向けに)市街地へと誘導するわかりやすい案内掲示が設置されていない…ってことが、原因なんだけど、さすが「秘密にしたいまち小坂町」だなぁ…と妙に納得する。もうすでに秘密めいているのだ。

夫の車のカーナビと私のスマホのGoogleマップを交互に確認しながら、なんとか飛騨小坂駅に到着することができた。

が、ここでまた新たな問題発生。

パーキング情報がなくて、どこに車を停めればいいのか?よくわからないのだ。

「観光客向けの駅前駐車場って、どこにあるのかしら?」探すけど、やっぱりわからない。仕方がないので、駅前の空いているスペースに勝手に停めさせてもらった。


▲観光アーチの奥に見えるのが飛騨小坂駅。駅前に横付けされた車は他のお客さんのもの


目的①飛騨小坂駅の駅舎


▲飛騨小坂駅。玄関右の石碑には「御嶽登山口」と刻まれている

初めてじっくり見た駅舎は、堂々とした風貌だった。

パンフレットにあった開業当時の写真のままの佇まいだ。これには正直感動した。

90年以上経つ古い建物なので、見た目も中身もボロボロなんじゃないか…と勝手に想像していたけど、いやいや、そんな薄っぺらいものではなかった。

杉材がふんだんに使われた建物は、重厚で貫禄があり、地震がきてもビクともしない堅固さがある。

令和時代を生きる私ですら「カッコいい」と感じるんだもの。この山小屋風のデザインは、当時の人々の目にはモダンで文化的でエモーショナルな建築物に映っただろう。



さて、ここは無人駅だし、客は私たちくらいで誰もいないのでは…と思っていたら、いやいやどっこい、この駅には意外と人が来ていた。傾向を分析すると、

⑴列車を待っている人(地元の人)

⑵この駅で下りる知人や家族のお迎えで来ている人(地元の人)

⑶列車好きの小さい子どもを連れたパパやママ(地元の人)

⑷一眼レフカメラを持った鉄道マニアの人(おそらくよそ者)

だろうか。しかし、数時間に一本という列車が通り過ぎてしまえば、人々は散り散りに去っていき、駅はがらんと静かになった。


▲人がいなくなってから撮影。駅前の様子

駅の横の「はとや」が気になる。

夫曰く「『はとや』ってホルモン屋じゃないかな。昔、小坂にうまいホルモンの店があると聞いたことがある。確か『はとや』って名前だったような気がする」とのこと。

小坂町の飲食店情報に、この店は全く出てこないので、今はホルモンを販売しているだけかもしれない。

さて、散歩に行く前に駅のトイレを拝借しよう…と行ってみたら、閉鎖されて使えなかった。

慌てて外に出て、駅前の案内地図を見たけど、公衆トイレの場所がわからない。

トイレも秘密事項なのか。


▲駅前の広場にあった唯一の地図

出発前のトイレに行けなかったのは心残りだけど、気を取り直して出かけることにした。


▲ウェルカム感が強く出ている駅前のアーチと看板


目的②シャッターアート

私が、事前にキャッチした情報は、「駅前の商店街のシャッターに絵が描かれている」のみだった。

それ以外のことは何もわからず、たったこれだけの情報を頼りにシャッターアートを見つけなくてはいけない。

しかし、駅前の商店街と言われても、どの辺りなのかよくわからない。

とりあえず歩きながら探してみよう。




出発してすぐ、駅前アーチの下にデザインマンホール蓋があるのに気づく。小坂町の大自然が図案化されていた。

おぉ…これはカラー化したらすごく素敵だろうな。小坂町にはカラーマンホール蓋は設置されていないのかしら?

ネットで検索してみたけど、やっぱり何も出てこない。



ここでふと、以前歩いた坂越の町を思い出した。

あの時は坂越駅から目的地の大避神社まで、長い距離をひたすら歩いてクタクタになった。今回は全く手掛かりがない中を探し回るのだから、かなり時間がかかるかもしれない。

「これは長丁場になるかもしれないぞ…」と緊張し、覚悟を決めようとしたその瞬間…




「あれ?これって…」
すぐに見つけてしまった。駅前を出発して一分も経たないうちに、最初の一枚を発見。

その後、付近で続々と見つかるアートの数々。


▲これは材木を運搬する列車とお散歩中の母親?と娘とワンコの絵


▲車のかげに隠れているのは小坂の滝の絵


▲小坂町の昔の暮らしを描いたもの


▲これは何だろう?小坂の昔話かな?


▲先ほどの列車と散歩の絵は、三枚仕立てだった。真ん中の絵が気になる


▲こんな感じで、シャッターアートは小坂の町に溶け込んでいた

いやはや、最初の予想に反して、いとも簡単に見つけてしまい、私も夫も拍子抜けしてしまった。シャッターアートは今回の散歩の肝だったのに…。これでは「読み始めてすぐに犯人がわかるミステリー小説」みたいじゃないか。

せっかくだから、ここはミステリーっぽく、私の脳裏に新たな謎を浮かび上がらせてみる。

はて?

町内には全部で何枚のシャッターアートがあるのかしら?
他に見落とした絵はないだろうか?

ところで、これを描いた画伯は、どういうお方なのだろう?

これらの絵には物語があるのだろうか?


絵のテーマについて、何も解説がないから、私の想像で語るしかないのだけど…。

おそらくこれは昔の「木流し」を描いたものだと思う。



木流しとは、木材を川に落として流しながら下流の都市部へと運ぶ昔からの伝統的な運搬方法である。鉄道が敷かれるまでは、この方法で飛騨川流域で採れた飛騨の材木を、下流の美濃国や尾張国に運んでいた。

なるほど。小坂のシャッターアートは、この地域の伝統的な暮らしと文化を描いているのか。

題材が「失われし日本の原風景」であり、画風も日本画っぽいせいか、昭和の風情が残る街並みにマッチし、どこか物哀しげな独特の雰囲気を醸し出していた。


小坂の市街地を歩く

シャッターアートを探した後は、駅前周辺をぶらぶら歩いてみた。


▲前方を歩いているのは夫

この日は土曜日だというのに、私たち以外は誰も外を歩いていない。

土曜日だから休業しているのか、それとも廃業しているのか、いまいちよくわからない。でも、かつて店舗だったと思われる建物があちこちにあるので、昔は賑やかな商店街だったのだろう。今は話に聞いた通り、シャッター街となり閑散としていた。

でも、初めて訪れたのに、どこか懐かしさを感じる。

散歩者の興味を引くものが、あちらこちらにいろいろあって面白い。

私はこういう町の感じ、好きだなぁ。


▲個人宅の前に設営された無人販売所。人気店らしくほぼ完売状態だった


▲無人販売所の裏にあった不思議な置き物

黒い人形と木の実の供物。現代に甦る縄文系「新しい信仰」の萌芽だろうか。

さらに歩く。



▲ん?黄色いものは何?

道沿いの街灯に「かるた」風の黄色いプレートが掲げられていた。



小坂の伝説や昔話を題材にした「かるた」らしい。一枚ずつデザインが異なるので、全て見て回るのも面白そうだなぁ。切り絵がかわいい。


さて、ここまで歩いて、コンビニが一軒もないことに気づく。今どきコンビニがない市街地って、非常に貴重ではないか。


怪我無地蔵とカモシカの橋

私たちは駅前通りを出て、飛騨川の方へ向かった。



このゆるやかなカーブの先に、飛騨川が流れている。




途中、橋の手前で小さなお堂を発見。

気になって近寄って見ると、お地蔵様が祀られていた。『怪我無地蔵』(けがなしじぞう)というらしい。



この立派な説明書きから、地域の人々に大切にされてきたお地蔵様だと伝わってくる。



「厄除け地蔵はよく見聞きするけど、怪我なし地蔵は珍しいよね」と夫と話しながら、せっかくなので、お堂を開けてお参りさせてもらうことにした。

お賽銭とお線香をあげて合掌。



記念に祈祷護符をいただく。お地蔵さんのご加護で、怪我なしで元気に過ごせるといいなぁ。

さらに、このお堂のすぐ横には、橋がかかっていた。「大島橋」というらしい。



橋の親柱には、何やら動物の像が乗っかっている。「馬かな?」と思い、近くに寄って確認したらニホンカモシカだった。



おすましポーズのカモシカさん。おぉ…天然記念物だぁ。



さらに、橋の欄干を見ると、バームクーヘン状の丸太のオブジェが乗っかっている。

はて?

どうしてこの大島橋には「ニホンカモシカ」と「丸太」が装飾されているのだろうか?

近くを探したけど、その由来を説明したものがないので、真意はわからなかった。これも謎。



しかし、私たちが(勝手に)推測するに、ここ小坂町は飛騨地方でありながら雪が少ない地域なので、山林の木々が真っすぐ延びる。そのため、昔から杉材はもちろんのこと良質の檜(ヒノキ)材もたくさん採れて、町を潤してきた。

そして、ニホンカモシカは檜(ヒノキ)の芽が好物と聞く。ここ小坂町には美味しい餌がたくさんあるから、きっとニホンカモシカがたくさん生息しているのだろう。だから町のシンボルとして、橋にニホンカモシカと丸太を飾ったのではないだろうか。



▲大島橋から飛騨川を眺める

向こうに見える緑色の橋は「きこり大橋」というらしい。その橋の付近で、乗鞍岳が源流の飛騨川と御嶽山が源流の小坂川が合流する。

高山本線ができるまでは、小坂で産出した材木は、この川を使って下流の美濃国や尾張国まで「木流し」で運ばれていた。100年前には、シャッターに描かれたあの光景がここで見られたんだなぁ…と思うと、何とも感慨深い。


小太郎と公衆トイレ

大島橋を渡ってさらに進むと、立派な山門が見えてきた。



調べたところ、これは「長谷寺」というお寺で、臨済宗妙心寺派の古刹だった。




山門には仁王像が祀られており、門の左下には丸い石が置いてある。

あの石は何なんだろう?

山門に掲げられた案内文を読むと、「小太郎」という人物の名前が出てきた。小太郎に関係する石らしい。



読むと、石だけでなく、この山門にある仁王像も小太郎に関係しているようだ。

ちなみに小太郎とは、小坂町の昔話に出てくる人物である。

昔、宮田(現・下呂市萩原町)にあった寺が大火で焼けてしまった。

このとき、まっ黒に焦げた仁王像を村人たちがかついで川に投げ込み、「精があるなら川上へ泳いでみなされ」と言った。すると不思議なことに、仁王像が泳いで川をさかのぼり、小坂の観音堂(現・長谷寺)の近くの淵まで来て、そこで動かなくなった。

その晩、小太郎という若者の夢枕に仁王像が出てきて、「観音堂の下の淵にいる我を救え。相手の二倍の力を授ける」と言って去った。

夜明けを待ち、小太郎が淵に行ってみると、確かに仁王像が淵に浮かんでいるではないか。

小太郎は像を抱きかかえ、急な坂を一気に登って、観音堂の庭まで運んだ。

こうして仁王像は寺で盛大に供養され山門に安置し、小太郎は怪力の持ち主となって、世の中のために尽くしたという。

へーそうなんだ。
私はこのお話、初めて知ったけど、夫は「小太郎伝説か。知ってる。子どもの頃に読んだことがある」とつぶやいていた。



▲力持ち小太郎の伝説の石「小太郎石」


▲説明文によると、小太郎石は1個65kgあるらしい

小太郎が仁王様から授かった怪力をキープするため、日々のトレーニングで使った石とのこと。持ち上げようとしたけど、私にはとても無理だった。

次に山門をのぞいてみる。


▲阿吽の「あ」


▲阿吽の「うん」

色彩鮮やかで立派な仁王像である。飛騨川(旧名・益田川)をさかのぼって泳いた仁王様もすごいけど、こんな重そうな仁王様を淵から引き揚げた小太郎もすごいよね。

そういえば、長谷寺の梵鐘は、山門前の道路を渡った先にあり、本堂がある境内から離れた場所に建っていた。


▲歩道脇にポツンと建っている鐘堂。セパレートタイプとは珍しい


長谷寺を参拝し、さらに進むと、見えてきたのは…おっ!



ここでようやく公衆トイレを発見!

立派なトイレだ。だけど個室が一つあるのみなので、夫と交代で利用する。(この個室が広くて快適空間だった)

トイレの横を見てみると…。



「小太郎淵」の看板が立っていた。えっ?トイレの裏が小太郎淵ってことですか?!



▲木々の隙間からちらりと見える小太郎淵

藪の隙間から川をのぞいて見る。

この淵に仁王像が浮かんでいたというのか。小太郎は、この場所からあの仁王像を引き揚げて、さっきの長谷寺に運んだというのか。

うーん、木が邪魔をしてよく見えない。

場所を変えて眺めてみる。



川岸に沿って家がずらりと並んでいる。

小太郎淵より、あの家の基礎の柱に目が吸い寄せられる。
おいおい、ここから見るとまるで割り箸みたいな細い柱だけど、あれで家を支えてるってすごくない?!

そこでふと、この光景どこかで見たことがあるなぁ…と思い出す。そうだ!飛騨神岡の高原川だ。懐かしいなぁ。

南飛騨の小坂町と北飛騨の神岡町、清流が流れる山高水長の町は、見えてくる風景もどこか似てくるのだろうか。


目的③美味しい五平餅屋

トイレ前を通過してさらに進むと、三叉路に出てきた。ここで左折すると…。「たばこ」の赤い看板が目印!



そう、ここが美味しいと有名な五平餅屋さん「手づくりごへい餅・エプロン塾」さんである。





このお店は、金曜・土曜のみの限定営業で、小坂町産の米とえごまをたっぷり使って作られた五平餅は絶品と評判で、遠くは県外からも買いに来る人がいるらしい。そのため、お昼頃には完売するという、下呂市では超有名なお店である。

しかし、ここでまた新たな疑問が芽生えてくる。

どうして「エプロン塾」という店名なのだろうか?

五平餅を買う時、お店の人に店名の由来を聞いてみるつもりだったけど、私たちが到着した時は、もうすでに先客が何組かいて混んでいた。




私たちが注文したとき、お店の人から「30分ほど待ってもらうけどいい?」と聞かれる。店員さんはバタバタと忙しそうだ。店名の由来など聞いちゃいけない雰囲気が漂っていた。

「はい、待ちます。30分後に取りに来ます!」と答え、私たちは近辺を散策することにした。


津島神社と小坂町の絶景

エプロン塾前の道路を挟んだ向かい側に、鳥居と石段が見える。



五平餅ができあがるまでの間、ちょっと行ってみることにした。津島神社というらしい。




石段を登っていると、大胆にも参道の上を高架が横切っていた。国道41号線の高架だった。

その高架の下に、なぜか百人一首の下の句の看板がポツンと立っていた。



「たつたのかわの にしきなりけり」

はて?

これは能因法師の「あらし吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり」の下の句ではないか。

小坂町→津島神社→能因法師→下の句の抜粋…という謎のループ。これらの関連性が全然見えてこない。私の頭の中に「?」が連続して浮かんでくる。

うーん、よくわからない。これも謎だ。

山道に入り、手水舎を通り過ぎて、さらに進む。



石段を登り切ると、開けた場所に出てきた。



津島神社の拝殿が見える。まずはお参りをして神様にご挨拶。

その後、見晴らしのいい所へ。



小坂の市街地を一望することができた。

夫曰く、「こころ旅」で火野正平さんが視聴者からのお手紙を読んでいそうな場所だなぁ…としみじみ。

そういえば、さっき見つけた看板の句は、紅葉の美しさをうたったものだったけど、あれは、この場所からは小坂の紅葉の景色が見えるよ…って意味だったのだろうか?



能因法師が詠んだのは三室の山だった。 ここ小坂町の山もちょうど紅葉が始まったところだ。山々が錦のようになりつつある。


五平餅を食べる

私たちは神社を出て参道を下り、先ほどの道路に出てきた。



道路を渡ってエプロン塾へ。

できたての五平餅を受け取る。早速、店の前のベンチに座っていただくことにした。



「謹製」のスタンプが押してある包みに、手作り五平餅に込められた深い愛情を感じる。





包みを開けてみると、おや?五平餅が意外と小さい。飛騨地方の一般的な五平餅の半分くらいの大きさだろうか。

一人1本ずつ食べるつもりで、合計2本を注文したのだけど、その時、エプロン塾の人が「えっ?2本でいいの?」みたいな表情をされていたのを思い出す。そうか、あれは「それだけで足りるの?大丈夫?」の反応だったのね。

地元の慣れたお客さんは、数を多めに買っていかれるのだろう。



食べてみると、これは美味しい!

飛騨の五平餅は、えごま(飛騨地方では「あぶらえ」と呼ぶ)のタレをつける。

一口食べると、えごまダレのこってりした甘みと芳ばしさが口の中いっぱいに広がった。ごはんとよく合う。美味しい。

今までいろんな五平餅を食べてきたけど、エプロン塾さんのは、私の中で「キングオブ五平餅」に認定したいくらいだ。

あまりに美味しすぎて、ここで店名の由来をしつこく聞くのは、なんだか野暮ったいような気がしてきた。謎は謎のままとっておくとしよう。またいつか機会があれば、きっとわかる時が来るだろうから。


銅像と石碑

こうして3つの目的を無事果たした私たちは、駅に戻ることにした。


▲エプロン塾さんの近くで見つけた壁画。小坂のアートは全体的に色が薄い

歩きながら、そういえば、さっき通りかかった道の途中に下呂市役所の小坂振興事務所があり、その敷地内に銅像が立っていたなぁ…と思い出す。

何の銅像だろう?

気になるので、帰る前にちょっと確認してみることにした。


▲振興事務所へと続く道。ここもやっぱり誰も歩いていない

右手に農協の建物が見えてきた。


▲手前がJAひだの小坂支店の建物。小坂振興事務所はこの左手にある

敷地内に入り、ディープな農協の建物の前を通り過ぎ、さらに奥へと進む。




右手に振興事務所がある。その左横に銅像が見えてきた。

近づいてみてビックリ!道路からは銅像しか確認できなかったのに、実際に目の前に立つと、いろんなものがあるではないか。



左から順番に「百葉箱」「謎の球体」「銅像」「(奥の方に)小さな石碑」「石碑」、そして背景は「長谷寺」と「山」。情報量多すぎ!

センターを張っているこの銅像。住幸謹(すみ・ゆきのり)さんという方で、1898年(明治31年)、小坂村が「小坂町」になったときの初代町長だった。
明治31年から大正14年までの町長在任中に、高山本線の敷鉄工事が始まっている。

さらに銅像の真横にある大きな石碑は、二代目町長・中島眞吉さんを称える記念碑だった。この中島さんの在任中(大正14年〜昭和19年)には、飛騨小坂駅が開業し、高山本線が全通している。

なるほど。つまり、このお二人は郷土の偉人というわけか。小坂町が林業で繁栄していた頃の町政を司り、町の発展に寄与された方々だった。


このお二人の治世の後も、小坂町は、長く「岐阜県 益田郡 小坂町」であり続けた。

しかし、平成の大合併で、下呂町などの近隣町村と合併し、下呂市小坂町として生まれ変わり、今日に至っている。現在の振興事務所は、旧小坂町役場の建物をそのまま使っているとのこと。

そうか。初代町長の住さんは、旧役場横のこの場所で、小坂町の繁栄とその後の歴史を静かに見守り続けてこられたのだな。


▲住氏の像。カッコよく撮りたかったのに、ラスボスみたいになってしまった


話は変わるけど、この小坂振興事務所があるこの一帯の住所は、「小坂町小坂町」というらしい。読み方は「おさかちょう・おさかまち」なんだとか。

だけどこれって、初めての人は、首を傾げながら「おさかちょう、おさかちょう?」と「ちょう」を2度リピートするやつよね。

どうして、こんなややこしい町名に落ち着いたのか?

でも、ちょっと考えて、そこがまた小坂らしくていい…と思える。不思議だ。


▲農協前の屋根付きベンチ

ベンチ奥の壁面の絵は、何を描いたものなんだろう?

近寄ってよく観察すると、薄れた小さな文字で「小坂町の花 ひめしゃが」と記してあった。



ひめしゃが(姫射干)は、日本固有種のアヤメ科の植物である。初夏になると、御嶽山麓の森の中で可憐な花を咲かせるところから、小坂町の花に指定されたらしい。

へぇー。いつか実物のヒメシャガの花を見てみたいなぁ。


最後に…

もと来た道を歩き、私たちは駅前通りに戻った。


▲古い家屋の2階部分。センスのいい凝った造りの建具が目を引く

何もわからないまま訪れて、初めて歩いた小坂町の市街地。

観光案内には(駅舎以外)ほとんど何も出てこないけど、散歩愛好家の心の琴線に触れるものがたくさんあり、歩いていて楽しかった。ポテンシャルの高さを感じる。

散歩中いろんな謎に遭遇したのも、新鮮で面白かった。


そうだ。謎は謎のまま残しておくことも「散歩の作法」かもしれない。

よそ者が無理にこじ開けなくても、いつか自然なかたちで、謎が解き明かされる瞬間が来るであろう。それまでじっと静かに待つのがいいのだ。それは未来の自分に宿題を残すようなものであり、その答えを回収する愉しみがある。

これが散歩者の嗜(たしな)みであり、散歩の妙味なのだ。



▲飛騨小坂駅に到着

最後に、この町に住む皆さんにお願いしたいことがある。それは、いつかぜひ「散策マップ」を作っていただきたい!ということだ。

今回の散歩で見落としたスポット、数々の謎に対する解答を、散策マップを通して、そっと私たちに教えてほしい。

この町の「謎」は全て、裏返せば、この町の「魅力」なのだから。








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シモハタエミコ

飛騨高山在住の飛騨弁ネイティブ。散歩と帽子とかわいいものが好き。

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