難読駅から難読駅まで歩く
- 更新日: 2022/05/26
七夕の町・交野を散策しました。
サンポー様で書かせていただくことになりました、JETと申します。今後ともよろしくお願いします。
もともと縁もゆかりもなかった大阪府に業務都合で引っ越してきてから8年が経過した。関西の鉄道路線はあらかた乗車していて、とりわけ淀屋橋駅から出町柳駅をつなぐ京阪鉄道をよく利用している。主に枚方市〜守口市から大阪都市圏、または京都市南部から京都都市圏に出る学生や社会人が利用する関西五大私鉄のひとつである。
京阪鉄道には、本線のほかにもいくつか支線が存在していて、京都市伏見の中書島から宇治市へ向かう宇治線や、陸の孤島と呼ばれていた中之島までのアクセス手段として敷設された、異様に駅間隔の短い中之島線などがある。
厳密な定義はないようだが、終点がどの公共交通機関にも連結していない路線を鉄道用語で「盲腸線」と呼ぶらしい。関西でいえば上記に挙げたものも含め、南海鉄道:汐見橋線、高師浜線、近鉄:御所線、天理線、阪神鉄道:武庫川線など、近隣住人ないしは労働者以外、用事のない限りはまず乗る機会はないであろう路線がいくつかあって、私は駅のホームに掲げられた路線図の、空白地帯にまで延びていくそれらの支線を眺めながら、3Dゲームでポリゴンの隙間からなにかの拍子に足を踏み外し、二度と元の世界に戻れなくなるバグが起きた時のような不安な錯覚を抱いていた。
話を京阪鉄道に戻すと、宇治線、中之島線のほかにも支線として「交野線」が存在する。交野。まず間違いなく初見で読める人はほぼいないだろう。Twitterのトレンドでたまに(私が大阪在住というのもあるだろうが)「大阪の難読駅名」が挙がることがある。「喜連瓜破(きれうりわり)」「十三(じゅうそう)」「放出(はなてん)」あたりは、もはや読めないがゆえに有名になってしまっている。それが毎回トレンドにあがるたびに「全部読めたわ。楽勝やろ」と得意がる大阪人がおり、大阪のバラエティは令和のいまもなお「東京と、大阪のちがい」を頻繁にテーマに取り上げて新鮮にお送りしている。大阪出身であることに対する自虐を裏返したプライドを過剰に持ち、かつマンネリズムをこよなく愛する人間が多いようであるが、県民性への偏見はさておいて、交野、である。
かたの、と読む。地理的には、大阪府と奈良県の県境に位置しており、市の面積のほとんどを山林が占めている。大阪にはめずらしく酒蔵があって、自然豊かで水や空気のきれいな場所である。寝屋川市や枚方市の小中学生が、遠足でハイキングによく訪れる。今の小中学生もいちご牛乳味のブリックを飲むのであろうか。
さてようやく本題に入るが、今回私は、京阪:枚方市駅から延びる交野線に乗車し、「交野市駅」から「河内森駅」を経て「私市駅」まで散歩をすることにした。私市。読めるだろうか。きさいち、である。読めない駅から読めない駅に歩いた経験のある方もなかなか少ないのではないだろうか。
枚方市駅からグリーンの車体の京阪10000系に揺られること10分弱、交野市駅に到着した。2017年に駅舎がリニューアルされたようで、レンガ調の小綺麗な造りだった。駅正面のロータリーを南西に向かうと、小規模な商店街や、そのまま進めば交野市最大の商業施設「じゃんぼスクエア交野」があるが、今回は一本気に私市駅を目指すことにした。交野線を線路沿いに、途中で第二京阪道路を跨ぎながら南東に進む。余談ではあるが、京阪バスで交野市駅からなんばまでの直通バスが出ていると初めて知り驚いた。
まず目に飛び込んできたのは、新歓の時期に大学キャンパス内でよく目にする書体で元気よく垂れ幕を下げた町の電器屋である。交野市駅は山が近く、空が広い、後々何度か記すが、交野市は自治体をあげて「星のまち」であるとアピールしていて、とくに織姫・彦星伝説をモチーフとした意匠が町中にちらほらと見受けられる。
グリル喫茶ケンである。今知ったのだが、『狼少年ケン』の主題歌の作曲は、昨年惜しまれつつ死去した小林亜星氏であった。作品の放映開始は1963年であるから、氏がいかに長期間活躍していたかがわかる。手前壁側の「ケン」が凛々しい。おそらく定食に味噌汁がついてくるタイプの、地域住民に永く愛されている洋食屋だろう。昨年惜しまれつつ死去した小林亜星氏のように。
車内アナウンスで「次は、天の川です」とロマンチックなアナウンスが流れているのだろうか。銀河鉄道999を彷彿とさせる。銀河鉄道999といえば主題歌がゴダイゴ派か、ささきいさお派かで分かれるところであるが、2000年代のアニソンブームで毎週のようにささきいさおや堀江美都子、水木一郎を見かけていた時期はなんだったのだろう。「水木一郎24時間1000曲ライブ」なんかもあった。正気の沙汰ではない。
私部(きさべ)西2南交差点を渡り、引き続きひたすら南東へ向かう。そもそも、「私市」の由来であるが、日本書紀によると、天皇の后(きさき)のため農耕を営んでいた人をキサべ、と呼び、その中心地の「私部内(きさべのうち)」が転じて「私市」となったらしい。(参考:「大阪府HP/私市のまちなみ」より)
整体「RAKU」の前を通った。私は30代前半であるが、まだ一度も整体やマッサージを経験していない。体は頑丈な方と自負しているけれども、最近肩が凝ってきており徐々にではあるがガタが出てきたようだ。どうしても辛くなったら「RAKU」で首を捻って苦しまずに命を絶ってほしい。
ゲームボーイアドバンスで発売されていた、任天堂の『伝説のスタフィー』シリーズのスタフィーを思い出す星型のキャラクターだ。4ぐらいまで続いていた記憶があるが、カービィのようにその後続かず消えてしまったのが惜しい。キャラクターの可愛らしい外見とは裏腹に、任天堂らしく丁寧に作り込まれたアクションゲームだった。なぜか「3」のラスボスはやたらと難しく、結局最後までクリアできなかった記憶がある。と、「くすのき通り」を歩きながら思い出すことになろうとは。妹の買ったスタフィーを奪って遊んでいた小学生の頃の自分には知られたくない。
右に曲がると「四国うどん とんかつ かつの達人 かつ辰 または HOTEL 567」左に曲がると「関西スーパー」引き返して「セレモニーホール 交野桜会館」いずれを選ぶか人生の岐路に出くわした。2つ目の信号左折8分で、もう奈良県に入るようだ。直進で河内森を目指す道はないようだったので、左折、迂回を選んだ。
「K」越しに竜王山を望む。せいぜい自転車とすれ違うくらいで、自分のように呆けたように徒歩でうろついている人間は一人もいない。特に夜はそうだが、独りぼっちで国道沿いを歩いている時ほど不安になる瞬間は日常にそうそう訪れないのではないだろうか。もう二度と引き返せないのではないかと錯覚する。子どもの頃、知らない土地に置き去りにされる悪夢をたまに見ていたのだが、その感覚に近い。丸一日暇であれば、国道沿いを歩くだけで浴びるほど自分一人の世界が楽しめる。リアルな国道沿いを体感できるVR映像が出れば買うと思う。いや、買わないと思う。
京阪:河内森駅の手前にあるJR学研都市線:河内磐船駅までたどり着いた。
関西の各駅しか停車しない駅には、間違いなく「炭火焼 八剣伝」ないしは「たこ焼き じゃんぼ総本店」もしくは「鶴橋粉舗 てこや」がある。これはどこをどう切り取っても疑いようのない事実だ。八剣伝もじゃんぼもてこやも無い街に住めるようになれば、押しも押されもせぬ一流企業人と呼んで差し支えない。
ようやく中間地点の京阪:河内森駅だ。
思えば遠くへ来たものである。ここからいよいよ終点である私市駅を目指すのだが、どう迂回してもgooglemapが指し示す正規ルートに辿り着けない。そもそも、徒歩で目指す人間を想定していないのではないか。ここで頓挫してしまった場合、「国道を歩き、戻ってきた男」以上でも以下でも何者でもなくなってしまう。徒労で終わるのはさすがに悔いが残る。どうしても私市駅をこの目で確認したくなった私は、河内森駅横の駐輪場内にある詰所に居た男性に道を尋ねた。
「こんにちは。おかえりなさい」
いや、今から目指す目的地がある者です。
「お忙しいところすみません。歩いて私市駅まで行きたいのですが、どのように向かえばよいでしょうか?」
「歩いて私市まで?私もこの辺の人間じゃないんだけども……。」
と、詰所内に貼られた近隣地図を指差しながら、この道が一番近いだろう、と教えてくれた。
「あれ?この先侵入禁止って看板が立ってますが」
「ああ、それは車だけ。歩いては通れるよ」
というわけで、河内森駅に徒歩で向かうためには、西側の駐輪場に階段で降りた後、侵入禁止の看板を突っ切って路地を恐れずに進んでいただきたい。
山道を登る。幼少からこの辺りに住んで毎日毎晩アップダウンを繰り返すだけで相当の敏捷さが身についているに違いない。古い日本家屋や寺社が多く見られ、枚方市駅〜枚方公園あたりと似た印象の、味のある町並みであった。
駅と駅の間とは思えない角度である。スピードのついた自転車で下りながらカーブしたら、火花で集落が焼き尽くされる可能性がある。正直な話をしてしまうと、この時点でけっこう帰りたくなってきていた。週休2日しかないんだから。
と、嘆いていると案外ひょっこり私市駅が姿を見せた。三角屋根に丸窓の付いた駅舎がロッジのようである。交野市駅に着いたころには晴れていた空が澱んでいた。駅ナンバリング「KH67」である。京阪って67も駅があったのか。調べると、京阪鋼索線(石清水八幡宮山道ケーブル)の終点:ケーブル八幡宮山上駅が最大のK81であった。
時刻は16時半前、「ESPOA きさいち」はすでに閉店していた。おそらくは、酒屋から始まりコンビニ業態まで手を広げた、20世紀少年のケンヂの実家と同じパターンだろう。ハイキング前に軽食や飲み物を買うための利用客が多いと思われる。交野市のクラフトビールなんかも扱っているようであったが時すでに遅かった。
休憩しようと喫茶店に寄ろうとするも店じまいが始まっていて、空いている飲食店は駅周辺にどこにも見当たらなかった。せっかく念願だった私市まで来たのだから何か記念を残そうと調べると、近くに蜂蜜商店を見つけた。ここも閉店時間ぎりぎりだったので急いだ。
外からうかがうに、カウンターの中に店主の男性はいるようだが照明が点いているか微妙だった。これは半々だな、とやや旅の恥はかき捨て的に引き戸を開けると、まだ営業中だった。滋賀県近江八幡市産と、大分県豊後高田市産と二種類のはちみつを販売していた。違いを店主に訊いてみると、前者が比較的あっさりと上品であるとのことだったので、家に帰ってマスタードと混ぜて鶏肉に塗りたくって食べよう、と近江八幡のはちみつを購入した。瓶がずっしりと重い。
私市駅まで戻り、駅のホームで交野市線を待っていると、駅員が枚方市駅と携帯でやり取りをしていた。私市はまだ晴れているが、枚方は雨が降り始めたようだった。
もともと縁もゆかりもなかった大阪府に業務都合で引っ越してきてから8年が経過した。関西の鉄道路線はあらかた乗車していて、とりわけ淀屋橋駅から出町柳駅をつなぐ京阪鉄道をよく利用している。主に枚方市〜守口市から大阪都市圏、または京都市南部から京都都市圏に出る学生や社会人が利用する関西五大私鉄のひとつである。
京阪鉄道には、本線のほかにもいくつか支線が存在していて、京都市伏見の中書島から宇治市へ向かう宇治線や、陸の孤島と呼ばれていた中之島までのアクセス手段として敷設された、異様に駅間隔の短い中之島線などがある。
厳密な定義はないようだが、終点がどの公共交通機関にも連結していない路線を鉄道用語で「盲腸線」と呼ぶらしい。関西でいえば上記に挙げたものも含め、南海鉄道:汐見橋線、高師浜線、近鉄:御所線、天理線、阪神鉄道:武庫川線など、近隣住人ないしは労働者以外、用事のない限りはまず乗る機会はないであろう路線がいくつかあって、私は駅のホームに掲げられた路線図の、空白地帯にまで延びていくそれらの支線を眺めながら、3Dゲームでポリゴンの隙間からなにかの拍子に足を踏み外し、二度と元の世界に戻れなくなるバグが起きた時のような不安な錯覚を抱いていた。
話を京阪鉄道に戻すと、宇治線、中之島線のほかにも支線として「交野線」が存在する。交野。まず間違いなく初見で読める人はほぼいないだろう。Twitterのトレンドでたまに(私が大阪在住というのもあるだろうが)「大阪の難読駅名」が挙がることがある。「喜連瓜破(きれうりわり)」「十三(じゅうそう)」「放出(はなてん)」あたりは、もはや読めないがゆえに有名になってしまっている。それが毎回トレンドにあがるたびに「全部読めたわ。楽勝やろ」と得意がる大阪人がおり、大阪のバラエティは令和のいまもなお「東京と、大阪のちがい」を頻繁にテーマに取り上げて新鮮にお送りしている。大阪出身であることに対する自虐を裏返したプライドを過剰に持ち、かつマンネリズムをこよなく愛する人間が多いようであるが、県民性への偏見はさておいて、交野、である。
かたの、と読む。地理的には、大阪府と奈良県の県境に位置しており、市の面積のほとんどを山林が占めている。大阪にはめずらしく酒蔵があって、自然豊かで水や空気のきれいな場所である。寝屋川市や枚方市の小中学生が、遠足でハイキングによく訪れる。今の小中学生もいちご牛乳味のブリックを飲むのであろうか。
さてようやく本題に入るが、今回私は、京阪:枚方市駅から延びる交野線に乗車し、「交野市駅」から「河内森駅」を経て「私市駅」まで散歩をすることにした。私市。読めるだろうか。きさいち、である。読めない駅から読めない駅に歩いた経験のある方もなかなか少ないのではないだろうか。
枚方市駅からグリーンの車体の京阪10000系に揺られること10分弱、交野市駅に到着した。2017年に駅舎がリニューアルされたようで、レンガ調の小綺麗な造りだった。駅正面のロータリーを南西に向かうと、小規模な商店街や、そのまま進めば交野市最大の商業施設「じゃんぼスクエア交野」があるが、今回は一本気に私市駅を目指すことにした。交野線を線路沿いに、途中で第二京阪道路を跨ぎながら南東に進む。余談ではあるが、京阪バスで交野市駅からなんばまでの直通バスが出ていると初めて知り驚いた。
まず目に飛び込んできたのは、新歓の時期に大学キャンパス内でよく目にする書体で元気よく垂れ幕を下げた町の電器屋である。交野市駅は山が近く、空が広い、後々何度か記すが、交野市は自治体をあげて「星のまち」であるとアピールしていて、とくに織姫・彦星伝説をモチーフとした意匠が町中にちらほらと見受けられる。
グリル喫茶ケンである。今知ったのだが、『狼少年ケン』の主題歌の作曲は、昨年惜しまれつつ死去した小林亜星氏であった。作品の放映開始は1963年であるから、氏がいかに長期間活躍していたかがわかる。手前壁側の「ケン」が凛々しい。おそらく定食に味噌汁がついてくるタイプの、地域住民に永く愛されている洋食屋だろう。昨年惜しまれつつ死去した小林亜星氏のように。
車内アナウンスで「次は、天の川です」とロマンチックなアナウンスが流れているのだろうか。銀河鉄道999を彷彿とさせる。銀河鉄道999といえば主題歌がゴダイゴ派か、ささきいさお派かで分かれるところであるが、2000年代のアニソンブームで毎週のようにささきいさおや堀江美都子、水木一郎を見かけていた時期はなんだったのだろう。「水木一郎24時間1000曲ライブ」なんかもあった。正気の沙汰ではない。
私部(きさべ)西2南交差点を渡り、引き続きひたすら南東へ向かう。そもそも、「私市」の由来であるが、日本書紀によると、天皇の后(きさき)のため農耕を営んでいた人をキサべ、と呼び、その中心地の「私部内(きさべのうち)」が転じて「私市」となったらしい。(参考:「大阪府HP/私市のまちなみ」より)
整体「RAKU」の前を通った。私は30代前半であるが、まだ一度も整体やマッサージを経験していない。体は頑丈な方と自負しているけれども、最近肩が凝ってきており徐々にではあるがガタが出てきたようだ。どうしても辛くなったら「RAKU」で首を捻って苦しまずに命を絶ってほしい。
ゲームボーイアドバンスで発売されていた、任天堂の『伝説のスタフィー』シリーズのスタフィーを思い出す星型のキャラクターだ。4ぐらいまで続いていた記憶があるが、カービィのようにその後続かず消えてしまったのが惜しい。キャラクターの可愛らしい外見とは裏腹に、任天堂らしく丁寧に作り込まれたアクションゲームだった。なぜか「3」のラスボスはやたらと難しく、結局最後までクリアできなかった記憶がある。と、「くすのき通り」を歩きながら思い出すことになろうとは。妹の買ったスタフィーを奪って遊んでいた小学生の頃の自分には知られたくない。
右に曲がると「四国うどん とんかつ かつの達人 かつ辰 または HOTEL 567」左に曲がると「関西スーパー」引き返して「セレモニーホール 交野桜会館」いずれを選ぶか人生の岐路に出くわした。2つ目の信号左折8分で、もう奈良県に入るようだ。直進で河内森を目指す道はないようだったので、左折、迂回を選んだ。
「K」越しに竜王山を望む。せいぜい自転車とすれ違うくらいで、自分のように呆けたように徒歩でうろついている人間は一人もいない。特に夜はそうだが、独りぼっちで国道沿いを歩いている時ほど不安になる瞬間は日常にそうそう訪れないのではないだろうか。もう二度と引き返せないのではないかと錯覚する。子どもの頃、知らない土地に置き去りにされる悪夢をたまに見ていたのだが、その感覚に近い。丸一日暇であれば、国道沿いを歩くだけで浴びるほど自分一人の世界が楽しめる。リアルな国道沿いを体感できるVR映像が出れば買うと思う。いや、買わないと思う。
京阪:河内森駅の手前にあるJR学研都市線:河内磐船駅までたどり着いた。
関西の各駅しか停車しない駅には、間違いなく「炭火焼 八剣伝」ないしは「たこ焼き じゃんぼ総本店」もしくは「鶴橋粉舗 てこや」がある。これはどこをどう切り取っても疑いようのない事実だ。八剣伝もじゃんぼもてこやも無い街に住めるようになれば、押しも押されもせぬ一流企業人と呼んで差し支えない。
ようやく中間地点の京阪:河内森駅だ。
思えば遠くへ来たものである。ここからいよいよ終点である私市駅を目指すのだが、どう迂回してもgooglemapが指し示す正規ルートに辿り着けない。そもそも、徒歩で目指す人間を想定していないのではないか。ここで頓挫してしまった場合、「国道を歩き、戻ってきた男」以上でも以下でも何者でもなくなってしまう。徒労で終わるのはさすがに悔いが残る。どうしても私市駅をこの目で確認したくなった私は、河内森駅横の駐輪場内にある詰所に居た男性に道を尋ねた。
「こんにちは。おかえりなさい」
いや、今から目指す目的地がある者です。
「お忙しいところすみません。歩いて私市駅まで行きたいのですが、どのように向かえばよいでしょうか?」
「歩いて私市まで?私もこの辺の人間じゃないんだけども……。」
と、詰所内に貼られた近隣地図を指差しながら、この道が一番近いだろう、と教えてくれた。
「あれ?この先侵入禁止って看板が立ってますが」
「ああ、それは車だけ。歩いては通れるよ」
というわけで、河内森駅に徒歩で向かうためには、西側の駐輪場に階段で降りた後、侵入禁止の看板を突っ切って路地を恐れずに進んでいただきたい。
山道を登る。幼少からこの辺りに住んで毎日毎晩アップダウンを繰り返すだけで相当の敏捷さが身についているに違いない。古い日本家屋や寺社が多く見られ、枚方市駅〜枚方公園あたりと似た印象の、味のある町並みであった。
駅と駅の間とは思えない角度である。スピードのついた自転車で下りながらカーブしたら、火花で集落が焼き尽くされる可能性がある。正直な話をしてしまうと、この時点でけっこう帰りたくなってきていた。週休2日しかないんだから。
と、嘆いていると案外ひょっこり私市駅が姿を見せた。三角屋根に丸窓の付いた駅舎がロッジのようである。交野市駅に着いたころには晴れていた空が澱んでいた。駅ナンバリング「KH67」である。京阪って67も駅があったのか。調べると、京阪鋼索線(石清水八幡宮山道ケーブル)の終点:ケーブル八幡宮山上駅が最大のK81であった。
時刻は16時半前、「ESPOA きさいち」はすでに閉店していた。おそらくは、酒屋から始まりコンビニ業態まで手を広げた、20世紀少年のケンヂの実家と同じパターンだろう。ハイキング前に軽食や飲み物を買うための利用客が多いと思われる。交野市のクラフトビールなんかも扱っているようであったが時すでに遅かった。
休憩しようと喫茶店に寄ろうとするも店じまいが始まっていて、空いている飲食店は駅周辺にどこにも見当たらなかった。せっかく念願だった私市まで来たのだから何か記念を残そうと調べると、近くに蜂蜜商店を見つけた。ここも閉店時間ぎりぎりだったので急いだ。
外からうかがうに、カウンターの中に店主の男性はいるようだが照明が点いているか微妙だった。これは半々だな、とやや旅の恥はかき捨て的に引き戸を開けると、まだ営業中だった。滋賀県近江八幡市産と、大分県豊後高田市産と二種類のはちみつを販売していた。違いを店主に訊いてみると、前者が比較的あっさりと上品であるとのことだったので、家に帰ってマスタードと混ぜて鶏肉に塗りたくって食べよう、と近江八幡のはちみつを購入した。瓶がずっしりと重い。
私市駅まで戻り、駅のホームで交野市線を待っていると、駅員が枚方市駅と携帯でやり取りをしていた。私市はまだ晴れているが、枚方は雨が降り始めたようだった。