祭りで見物人を観察した(京都 祇園祭・大阪 天神祭)

  • 更新日: 2023/09/14

祭りで見物人を観察した(京都 祇園祭・大阪 天神祭)のアイキャッチ画像

京都祇園祭の山鉾と見物人

  • hatebu
  • feedly
  • rss

祭りの日に、都市の風景は大きく変わる。道端は大勢の人で埋め尽くされる。「自分が一番前で見たい!」と人混みをかき分けて、欲望むき出しで、最前列までたどり着こうとする人がいる。その一方で、祭りなんて興味なしという人もいて、人混みを避けて足早に裏路地を抜けていくような人もいる。祭りの日において、大事なのは空間に余白があること。空間の余白を探しながら奔走し、人々は躍起になっているのだ。

2023年7月24日に日本三大祭に数えられる京都の祇園祭と大阪の天神祭を訪れた。日本の数ある祭りの中でもとりわけ歴史が古く、日本の代表的な祭りに数えられる。祇園祭は毎年期間中の来場者数が180万人、天神祭は100万人と、非常に規模が大きい。山鉾などの練り歩きを最前列でみるということは至難の技であり、とにかく激混みの祭りである。このような祭りにおいて、人間はどのようにして祭りと向き合い楽しんでいるのだろうか。人間観察を実行したい。


①祇園祭 後祭の記録
日程:2023年7月24日 9時半から14時

祇園祭といえば、日本全国の祭りの中心的な存在であり、先駆けとも言われる。例えば、祭りに登場する神輿は祇園祭が発祥と言われているし、山鉾(やまぼこ)は動く美術館と言われ世界的にも貴重な絨毯が使われていてそのルーツは日本にとどまらない。つまりこの祇園祭は世界的な祭りでもある。京都という立地も相まって外国人観光客が多く、来場者は日本人半分・外国人半分という感じだ。さあ、当日の様子を見ていこう。



烏丸御池駅に降り立った。




道路はとにかく広い。ビルは高い。何もかもが堂々としているように見えてくる町である。




道を入ると打ち水がされていた。とにかく暑すぎるので、打ち水があると涼しくなってありがたい。打ち水のしぶきの範囲が広い家庭ほど、他者への寛容度が高いという研究があった気がする。動物のマーキングは逆に縄張り主張の話であり、打ち水とは心理が異なるのが面白いところである。




さあ、ここまでは余興のお話。今日は祇園祭だ。灯や紙垂、ポスターなどがちらほらと見られる。




御池通りに出ると、急に人が多くなった。朝9時半、山鉾が出始めたようだ。腕を高く伸ばしてカメラを構える人や、自撮り棒でうまく写真を撮っている人、脚立を置いて俯瞰している人など、見物人の視点は多様である。




あれだけ広い歩道がこんなに狭くなっている。道を挟んで向かって後列の人々が前列の人々を見て、「後ろから撮った方が実はよく見えるんだよ」と言いたそうに思える。実は自転車が抜けた後の自転車置き場に忍び込んだ方が、よく見えるという説もある。



いやいや、会社のビルから見た方がよっぽど人混みがなくて、俯瞰できて良いでしょうという人もいる。



整骨院から眺める人もいる。意外と一般人が入れるビルがないので、祇園祭の日にはビルの高層階にあるお店が繁盛するという説もある。



僕も高いところから眺めたいと思うけれど...。良い感じのお店の窓はすべて見物人によって確保されている。珈琲屋(TRIBUTE COFFEE)の窓も案の定、埋め尽くされていた。




さあ、皆が眺めている山鉾の正体をそろそろ明かそう。

これだ!!!!!!
とにかく大きい...。山鉾の頂点の高さはビル5階以上はある。
こんなに大きいのに、見物人は見物に苦労している。




山鉾の屋根に座っている人と、ビルから見ている見物人の雰囲気が似ていて、どちらものんびりしているなと思った。やはり人混みから開放されてそれをむしろ俯瞰している側の人々は余裕がある表情をしており、幸せ度も高そうだ。




さて、再び歩道に視点を移してみよう。顔全身をタオルで覆うような見物客もちらほらと見られる。京都は現在、相当暑い。今日の気温は36度くらいらしい。




外国人も、日本人客も、路上生活者も、全員が等しく、山鉾を見ている。この姿勢にどこか社会全体を包み込むようなインクルーシブな一体感を感じざるを得ない。




一方で、最前線の見物客とは一線を画す面白い見物人(?)もいる。英単語帳を見る高校生だ。家族と待ち合わせでもしているんだろうか。祭りには全く興味がないという風に、視線は常に英単語の本に向けられている。



車の交通規制も行われている。黄色いテープがビーっと貼られているのだ。



前に出ちゃダメですよっていう黄色のテープも張られている。




そうそう、祭りの日には禁止事項が多い。駐輪禁止とか、トイレの使用禁止とか。祭りの日のみ、「トイレの使用禁止」というコンビニもある。祭りの日こそ開放してほしいと思うものだが、利用者が多すぎて、もう収拾がつかなくなるのかもしれない。このように空間の余白には制約が課せられている。




見物人にサギがいた。これは鷺舞という芸能で使われる衣装だろう。




道路をある種の建築物が移動しているみたいだ。そうそう、山鉾も花笠も、全部、練り歩きは建築物の移動だと考えても良いだろう。定着する空間を持たない建築物という感じである。




日中晴天。八坂神社に舞踊を見に来た。皆、日陰からその始まりを待ち望んでいる。




舞殿の周りにも人が集まり始めた。開始の1時間前にも関わらず、これだけの人の多さだ。よく見てほしい。右側よりも左側の方に人が多く溜まっているのは、気のせいではあるまい。そちらの方が日陰が多いのだ。




これが日陰エリア。




これが日向エリアだ。




舞踊を待ち望む人は本を読んだり、会話をしたりして、その開始を待っている。「あと1時間もあるね」「お昼を早く食べたいな」などの会話が聞こえてくる。




さて、トップバッターは、祇園獅子舞から!優雅な演舞が繰り広げられた。




六斎念仏の土蜘蛛に登場する獅子舞もなかなかアクロバティックでかっこよかった。

さて、芸能への深い言及はこの際省略して、祇園祭の人間観察を終えたい。今度は大阪に移動することにした。大阪では天神祭が行われている。


②天神祭の記録
日程:2023年7月24日16時半から20時

さあ、次に向かう天神祭は、祇園祭とは全く雰囲気の異なる、大阪の人情味あふれる街のお祭りだ。御霊を鎮めるお祭りで、御霊信仰という点では実は祇園祭と似ているのだが、祭りの内容は全く違う。船渡御や花火などが有名であり、花笠や山鉾のような堂々たる練り歩きは存在しない。一緒に行列にくっついて歩くような親しみやすさを感じる行列がある。500人の獅子舞行列などが際たる例であり、参加型であることが見どころだ。今回も人間観察に重きを置いて見ていきたい。



京都から電車で1時間。天満橋駅に着いた。




屋台がひしめき合い、その搬入作業に追われているようだ。夕方から徐々に屋台が盛り上がってきたような気がする。




こちらでも日陰の空き地に人は溜まっている。加えて、京都よりも路上に座る人の数が多い気がする。




猿のように電柱に登りたがる子どもを見かけた。周辺の人々に止められていた。なんとも微笑ましい光景だ。




その数分後、屋台の照明設置のため、ガチで電柱に登っている人を見かけた。高いところに登りたがる人たちの姿が印象的だった。




道端に座りながら、ちまきを食べる担い手たちもいた。ベンチも椅子もなくてよくて、この街の路上に「ふう」とただ腰掛けたいように見える。




さて、船が出るようだ。道路を船が進んでいる光景というのもそう多く見られるものではない。それを見る人はどこか担い手と一体となって、写真を撮ったり、ついて歩いたりしている。




船はクレーンで運ばれて、淀川の支流の安治(あじ)川に浮かべられた。




準備する船員たち、それぞれが渡御に向けた準備をしている。




漕ぎ出した!ビルに比べてそう大きくはないけれど、なんだか存在感のある船だ。祇園祭の山鉾と天神祭の船、その存在がどこかシンクロして見えた瞬間だった。




午後の7時くらいになって、身動きが取れないくらいの人だかりができ始めた。仕事帰りの人が祭りに立ち寄っているということだろう。なかなか進まない。




夜の獅子舞行列は観れたものの、人が多すぎて、自撮り棒でやっと少しだけ撮れた。ほとんどの見物人がその姿を見ることができなかっただろうから、少しでも見られてラッキーだった。




道端で踊る人が出てきた。




道路脇に座って各々の時間を楽しむ人々も。




屋台を見る人と休憩している人もいる。




賑やかな歩行者天国は続いていく。




駐車場がおしゃべり広場になっている。車は1台しか停められないが、周囲は歩行者天国状態だから、もはや普通の光景である。




鳥居を抜けて、急に閑静な住宅街へと変わった。ここがお祭りの境界線だったようだ。
大阪駅付近まで約30分の道のりを経て帰路に着いた。


「祭りで見物人を観察した」のまとめ

さて、今回は京都・祇園祭、大阪・天神祭という2つの巨大祭の見物人を観察した。祇園祭は出し物と見物人という構図がはっきりとしていて、見物人は位置取りの工夫をすることにより、ゆとりを持って祭りを見物できるよう、知恵を絞っていた。一方で、天神祭では祭りの担い手と見物人が渾然一体となりカオスな様相を呈していて、もはや個々人の物語を楽しんでいるようにも思えた。そういう意味で、見る、見られるという関係性が溶けていた。土地や祭りそのものの気質に関わってくる話で、この2つの祭りの対比はとても面白い。

ところで日本はお祭り大国であり、小さいものも含めると約30万にも上ると言われている。地域内外の人がそこに集い、自らの見物席を確保して、祭り見物に勤しむのだ。柳田國男著『日本の祭』によれば、最初祭りは神事的なものであったが、徐々に見物客が見る祭りへと変化していったとのことである。現在では見物客がいることで桟敷席などの豪華な席が生まれて、そこに高いものであれば100万円くらいの値段がついて、それによって経済効果が生まれ、祭りが存続する。このような状況下で祈りやコミュニティ機能は薄れて、祭りは見られることによって存続してきたとも言える。人間はどのように祭りを見ているのか。これからの動向も気になるところだ。










このサイトの最新記事を読もう

twitterでフォローFacebookでフォロー
  • hatebu
  • feedly
  • rss

稲村行真

文章を書きながらも写真のアート作品を製作中。好奇心旺盛でとにかく歩くことが好き。かつてはご飯を毎食3合食べてエネルギーを注入していた。

関連する散歩

フォローすると最新の散歩を見逃しません。

facebook      twitter      instagram      feedly

TOPへ戻る