帰省がてら仙台空港を闊歩する
- 更新日: 2022/02/03
空港に通い詰めた者による空港の紹介
こんにちは高梨です。
コロナの影響もあり、やっとのこさ地元である宮城に帰省できました。
せっかく帰ってきたので、僕が小学生の頃、塾やスイミングスクールと同じくらいのペースで通っていた仙台空港を久しぶりに歩きたいと思います。
通っていたと言っても飛行機に乗る機会は一切無かったです。
元々僕は昔この辺に住んでいたこともありまして、気軽に遊びに行ける場所と言えば空港か滑走路側にある公園しかありませんでした。
僕がまだ天使の化身と呼ばれていた幼稚園辺りの頃は親が僕をパイロットに育て上げようと積極的に連れていってくれてたみたいですが、結果的にそれが仇となってしまい小学校低学年ぐらいになると僕の方から「どうやら先ほど買い物帰りに観た得体の知れない旅客機はプーケットエアという大変珍しい飛行機だそうで是非お目にかかりたい所存であります。大変恐縮ですが車をもう一度出して貰えませんか?」と貴重な親の休日を横取りするようになってしまいました。
本領発揮したのは自転車を手に入れた小学校高学年になってからで、親に交渉して車を出して貰えなくても1人でチャリ漕いで行けるようになったのを良いことに用があってもなくても行くようになりました。もうこの頃にはパイロットの夢は消えていました。
「珍しい飛行機が来たら行く」という姿勢から「暇さえあれば行く」になりました。あと親に叱られたり嫌なことがあっても空港に行っていました。ドラえもんののび太君が嫌なことがあると裏山に行くように僕にとっては空港が裏山みたいなもんでした。
しかも空港には水飲み場もあれば本屋もあってPCゲームもありましたし、国際線に乗るであろう外国人にはたまに話しかけられるしで何も飛行機を観たり乗ったりするだけが空港の役割ではありませんでした。あくまで僕にとっては。
更に当時はゴールドジェット(ANAの金色塗装)やモヒカンジェット(ANAの旧塗装)、ウッディージェット(ANAのUSJ塗装)など僕の好きな派手目の飛行機が時折飛来していたので空港内に居るだけで予測できない出会いがあるのも魅力でした(公式サイトのライブカメラではANAとしか記載されていないので家だと気付けない)。
終いには友達がクソ遠い僕の家に4、50分かけて遊びに来てくれた時も僕は家よりまず空港を紹介しました。「まあちょっと広すぎるけど上がれよ」って感じで。
今回は、そんな空港を、読んでくれている皆さんに紹介していきたいなと思っております。
てことで仙台駅です。
仙台空港は名前と違って仙台市にはないので仙台空港アクセス線で向かいます。
この青い電車に乗ればとりあえず着きます。
着きました。
ガチャガチャとご当地感漂う自動販売機が出迎えてくれます。
僕のおすすめはこの空港マスコットです。
調整中に気を取られ網があることに今気付きました。
改札を抜けると可愛い子が出迎えてくれます。
失礼ながら1人も知りません、勉強不足でした。
多分顔出しパネル。これは見たことあるので前からあるはず。
この手のガチャガチャ好きなんですけど1回もやったことないのでどんな感じで出てくるか気になりますね。
ガチャガチャの紹介記事になってしまうので先を目指します。
ここをまっすぐ進んで階段を降りると駐車場の方へ、左に曲がって連絡通路を進むと空港へ入れます。
はい、こんな感じ。
実は空港自体は3年ぶりなのですがその時は搭乗手続だけして速攻飛行機に乗ったので空港内を歩くとなると恐らく7,8年ぶりになります。
このまま行くと2階の国内線保安検査場に着きますが諸事情で1階に降ります。
降りました。
飲み物に困らないぐらい自販機があります。
勿論反対側にもあります。
大人のオアシス「喫煙所」もあります。
ちなみにここは1階の国内線到着口の一番西側ですが昔からこんな感じで安心します。
と思ったら新顔がいます。
ランナーズポートと言うものらしく空港近辺を走るランナー達がここに立ち寄ってシャワーを浴びたりすることが出来るそう。中央のパンフレットに書いてありました。
便利だなぁどれどれと入ろうと思ったらしっかり有料でした。
国内線到着口の方へ向かうとまず観光案内所がありました。
ちなみに反対側には結構しっかりしたインフォメーションがありました。昔は水飲み場の横に1人、たまに2人立っているだけだった気がするのに今や2,3人体制で飛行機、バス、鉄道の時刻電光掲示板まで着いていて頼もしいインフォメーションになってました。
ここは出張から帰ってくる親父を僕が忠犬ハチ公のように待ち構えていた場所でもあります。親父嬉しくてたまらなかっただろうな。
あと全然気づきませんでしたが、リラクゼーションもありました。気付いてないことばかりですみません。
観光案内所の横に素敵なくじがありました。
4等枠の小さいぬいぐるみがアザラシだけなのはなんか可哀想。
こんなにIBEXばっかりだった??
と思ったらpeachが隠れていました。
これはただのミスショットではありません。
昔はここにパタパタがあったのでその余韻を感じています。
進行方向を東に向けるとなんとPRONTOがありました。
以前は何があったか覚えてません、多分レンタカー屋とかだった。
反対側には牛タンレストランとデイリーヤマザキがありました。
個人的に牛タンレストランで服を掛ける場所が入り口に設置されていたのが感動しました。
デイリーヤマザキの横にはコンセント付きのテーブルとマルチコピー機がありました。
もはや住めるな。
ここが水飲み場です。
お金に困っても水分に困ることはありません。
以前はこの水飲み場と先ほどのデイリーヤマザキの間にインフォメーションがあった気もします。
なんでそんなことを覚えているかと言うと小っこいインフォメーションの脇にパンフレットみたいなのが何種類かあって僕は旅行なんか行きもしないのにそのパンフレットを持ち帰っていたからです。インフォメーションのお姉さんがよく僕を観てニヤニヤしていました。
ちなみになんで持ち帰ったのかというとパンフレットに記載されている飛行機の写真部分だけを切り取って勉強机をデコレーションしたかったからです。机がアイベックスだらけでした。
以前某局の放送ではここにピアノがあったのですが車にモデルチェンジしていました。
センタープラザです。
修学旅行生はここで一旦荷物置いて点呼取りがち。かくいう僕もその1人。
あと修学旅行生が乗る時はB777が使用される機会が多いです。簡単に言えばでかい飛行機です。
正面を向くとステージが出来ており、モニターも何やら様変わりしています。
昔は仙台の古い映像資料とか流れていたのに。
反対側はこんな感じ。
水が流れていた記憶があるのですが今は流れてないのかな。
僕はここの水も飲もうとして親に本気で怒られました。
あと何年か前に藤岡弘、さんがここの上でトークショーしてました。
3mも津波が来ています。
荒川か中川が氾濫したら僕の近所もここまで水が来るそうで恐ろしいです。
空港の歴史が分かります。
個人的にANAとJALのジャンボジェットが2機並んでる写真は貴重だと思うのですが平成の写真なのに白黒なのがもったいないです。
国際線到着口の方まで行くと証明写真が撮れます。
さっきのマルチコピー機で履歴書を印刷すれば就活もできます。
大友克洋さんのレリーフがあります。
厳かです。
国際線側ですがコロナの影響で国際線は運休しておりすごく殺風景でした。
年末といえば国際線のチャーター機のイメージなので寂しいですな。
充電スペースが山ほどあっていいです。
よく分かりませんが警備してくれそう。
上ろうと思ったら国際線側のエスカレーターも使えなくなっていました。
てことで反対側から上りました。
ここも昔はパタパタがあったのですが今や萩の月の広告になってしまいました。
説明が遅れましたパタパタとは「反転フラップ式案内表示機」のことで到着または出発する飛行機名や便名、時刻、行き先などが表示されていました。直近の飛行機が出発到着する度にパタパタと回転して情報を更新するため”パタパタ”と呼ばれていました。
仙台空港のパタパタは特に面白くて本当に飛来したことあるのかと言いたくなるような珍しい飛行機名がパタパタめくっているときに一瞬だけ見れました。
撤去されるまでANKやJEXなど過去の飛来機もそのままだったのが良かったです。
何年か前に撮った物がありました。
これがパタパタです。
僕はパタパタが本当に大好きでこれを観て目に焼き付けては家に帰って自由帳にオリジナルの案内表示機を書いてました。
一瞬しか表示されない昔の飛行機とか仙台には到底来ないであろう世界の飛行機をチョイスしては何時何分に離陸してどこどこへ向かうのか、なんて考えながら書いてましたね。飛行機の絵を書くよりもパタパタの方が書く機会が多かったと思います。
こっちは同じ萩の月ですが国際線側です。
国際線側のパタパタも面白く、チャーター便でフラップにない飛行機が来ると飛行機名だけ真っ黒の状態で表示されてました。
当時は仙台空港の公式サイトで確かこのパタパタのライブカメラを見ることが出来たので、僕のような情報弱者には非常に重宝されており、真っ黒の状態で表示されている時は何が来るかワクワクしたものです。
今はツイッター始めフライトレーダーなどで情報を集めることは容易ですが、僕が小学生の頃はこのライブカメラと旅行会社の広告が頼りでした。それしか思いつきませんでした。
国際線側は今使われていないからか座ることのできる場所が多く、足腰に優しかったです。
グレードを上げればマッサージチェアもあります。
12、3年前はこの辺にPCが置いてあり冒頭で僕が述べていたPCゲーム「ぼくは航空管制官」をプレイすることが出来ました。多分あれデモプレイだったと思うのですが無限に遊んでた気がします。余りにも哀れに思ったのか後から親父が買ってくれましたが僕は「ここでやるからいいんじゃないか」と言わんばかりに空港でも遊んでました。今度「ぼくは航空管制官~仙台空港4~」が出るみたいです。そんな続いてたんだ。
何か置いてあります。
宮城県各地の観光用パンフでした。
僕の地元は1冊しかなかったです。
ここも大人のオアシス「喫煙所」です。
国際線チェックインカウンターの端っこにありますがここも僕は思い入れがあります。
喫煙所横から外を見るとこんな感じです。
ここは着陸は見えないのですが、奥に飛んでいる飛行機が見える位置にあります。
屋外展望デッキが無かった当時、空港内では、この後向かう3階の屋内展望台から飛行機を見るのが通常でした。
しかし室内展望台は、構造上どのタイミングで飛行機が着陸してくるか分からず、いつも突然「ヌルッ」と目の前に着陸してきました。
僕はなぜかそれが嫌で、ここに来ては空の彼方にキラリと飛行機が光っていないかよく見ていました。
光を見つけてある程度姿が確認できると、僕は一目散に3階の屋内展望台に駆け上がって飛行機を待ちます。
周りの人々が「わ、飛行機来たよ!」なんて驚いてる中、僕と管制官だけは飛行機が来ることを知っているのでちょっと余裕の表情で着陸を見守っていました。
ここは滅茶苦茶昔飛行機の模型とか電車の模型が売ってました。
僕は旧塗装時代のアシアナ航空の模型を買って貰ったことがあります。アシアナ航空は個人的に仙台空港の顔と言っても過言じゃない存在なのでチョイスが渋いわけではないです。
酒屋はそのままですが書店が消えてるのはかなりショックです。
当時僕の家から一番近い書店が、というより本を買うならここしか気軽に買えなかったのでよくお世話になってました。僕がジャンプからマガジンに乗り換えたのもここに書店があったからです。
3階のエスカレーター下にコンパクトなカフェがあります。
ここは昔からありますがお洒落になってました。
僕の従姉妹が叔母さんを怒らせて怒鳴られた現場でもあります。
グッズまで展開してました。
身体を180度回転するとなんと海鮮丼屋が現れました。
ここは円状の椅子があって上にテレビがあったはずなのに大進化を遂げているじゃないですか。
いつだか忘れましたが疲れたのでここで休んで座っていたらポケモンの映画が放送していて、見送る人なんか誰も居ないのにここでエンドロールまでポケモン観てました。家で観ろよと。
田代島ってどこだ。
ちなみにキャッシュレス決済です。
おお、これは無事でした。
このガラスの向こうは出発待合室になっていてそこにいる人と通話が出来る代物です。
僕は知らない女の子とお別れの挨拶を交わしたことがある淡い夏の思い出がありますが、悪戯はやめましょう。
さあ3階に上るぞっ、、、ん?
なんと!さっき言っていた「円状の椅子」が分解されてエスカレーター横にいるではありませんか。
廃品回収に出されたわけじゃなかったんだね泣
感動の再会も束の間、屋内展望台へ上ります。
あぁ~大分変わってますがやはりここは落ち着きますな。
中央に座ることのできるスペースが沢山ありますがあそこは昔でっかい地球儀がグルグル回ってたんですよ。あれどこ行ったんですかね。
僕がショーウィンドウ内のサンプル料理を指くわえて見てたレストランがすごいバーテイストに、、結局料理の写真を見て指をくわえたのは今も変わりません。
あと奥に進むとテーブル席もあります。
う~んこの風景はやはり色褪せない。
珍しい飛行機はこの屋内展望場で観るのが僕のマイルールでした。
ただこの写真を観て分かるように奥の飛行機が屋内だと見えにくいのが玉に瑕。
これはB747(通称ジャンボジェット)のラストフライト時ですがマイルールを適用してここでも一枚しっかり撮ってます。
他にもエアタヒチヌイやエーデルワイス航空を観たときは衝撃でしたね。
なぜかこのエプロンに駐機したマレーヴハンガリー航空との2ショットをここで母に撮ってもらった記憶があります。
多分本当にたまたま観ることが出来たんですよね。母親も観るまでそんな飛行機知らなかったから僕とハンガリー航空の2ショット撮らせたんだと思います。
あとここ夜になると全く外が見えなくて反射した自分が映るんですよね。
そしてこのアングルです。こちら側も構造上仕方ないとは言えこれだと奥が見えないので飛行機が着陸してくるのが見えず、気付いた頃にはもう着陸していてそれが嫌だったのでわざわざ階段を降りて先ほどの喫煙所横まで向かって確認していました。
あと一番奥に駐機している飛行機も殆ど見えません。
当時僕がまだ幼稚園ぐらいの頃、JALWAYS通称リゾッチャが仙台に飛来していたのですがリゾッチャは毎回一番奥に駐機していたため僕ははっきり確認したことがありません。離陸するまで観ていたかったのですが母親に「晩ご飯いらないならいいよ」と言われてしまい毎回諦めて帰宅してました。
めちゃめちゃ文句言ってますが山側から海側に離陸するときはすごいかっこよく見えます。個人的に一番かっこよく飛んでいたのは日本エアシステムです。
ここは昔から変わらない気がする。
サンプルも健在です。不思議なことにこんなに空港に通ってたのにレストランで食事したことは1度もありません。小学生が1人で食べるにはハードルが高すぎました。
今こそ本来は飲食店の中に入って実食するべきなのかもしれませんがそれは皆さんに任せます。金欠なので
こけしも健在ですがここにあったっけ?
ここは座れるところがあったのですが、ある日から飛行機の寝床になってました。
飛行機の反対側にはこんなものが。
覚えてる人がいるか分かりませんが昔はここに謎の筐体が置いてあってそれを操作すると仙台空港の歴史などの映像を見ることが出来たんですよね、誰か知らないかな~2台くらいあったんだけどな~知らないかな~
横にはなんとプリクラ、どんな出来映えになるのか気になりますが僕は一緒に撮る相手がいないのでどうなるかは撮ってからのお楽しみということで。
振り返ると展望デッキに向かうためのゲートが。
遂にゲートが1つになってました。
開設当初は大人有料だったのでゲートが2つあったんですよね。
左側スペースが空いているのはその名残です。
いざ
はい、奥に見えるのが管制塔です。僕は旧管制塔の方が個性が出てて好きでした。
うおー寒い!
いや~太平洋まで見えますよ
やはり展望デッキは良い。
ちなみに皆さんは滑走路とか駐機場を飛行機に乗る以外で通ったことありますか?僕はあります。
僕はパイロットになる気はないと言いましたが、航空管制官には憧れていました。ぼくは航空管制官をひたすらプレイしてたのもその特訓みたいなもんです。
当時それをなぜか小学校の担任の先生も知っていて、夏休み辺りに見学ツアーに申し込んでくれたのです。
正直殆ど記憶無いですがバスで滑走路の近くを通ったりしたのは覚えてます。滑走路ってでかいんですよね。
これは以前下の階に設置されてましたがここに移動になりました。
僕がこれで観たいと余りにもねだるので双眼鏡を与えられました。
太陽だけは見るなよって言われました。
ご丁寧に現在就航しておりませんとのラベル付き。
コンチネンタル航空って呼び方が非常にノスタルジー、今はユナイテッド航空ですもんね確か。以前の写真はB757が使用されていた気がしますが僕は生で見たことないんですよね。
寒さに耐える僕のためにIBEXが来てくれました。僕は未だにフェアリンクって呼ぶことがあります。
昔はフェアリンクって名前でした。
もう1機フェ、IBEXが来てくれました。
屋外だと海の向こうまで見えるので喫煙所の横まで行かなくていいです。
海の向こうから来るぞ来るぞと待つのが楽しいんですよね、あくまで僕の話ですが。
上の写真は太平洋側つまり東側から着陸してますが仙台空港は風向きによって着陸離陸する場所が逆になったりもします。今もそのルートかわかりませんが西側から着陸する場合、上の写真の雲の上辺りを飛行しつつ西側に向かいグルッと回って着陸してくるのでそれを誰よりも早く(当社比)見つけるのも僕の楽しみ方でもありました。
寒いので撤退。
階段を使うと踊り場のところで飛行機のあれこれを知ることが出来ます。
他のは皆さんの目で確かめてください。
出口のゲートを左に進むと17アイスが買えます。
仙台空港の自販機は敵無しですな。僕はワッフルコーンかチョコチップが好きです。
これは先ほどのバーテイストのレストランに繋がる場所ですね。奥にテーブル席があります。
ちなみに反対側には神と同じくらいありがたい充電スペースがあります。
エアポートミュージアムとぶっちゃがあります。
ここ遙か昔はゲームセンターがあった気がするんですけど僕の記憶違いですかね。
仙台空港のあれこれを学べます。
太陽のアークでしたっけ、このJALのロゴも今は懐かしいですな
飛行機に乗った気分を味わえます。
機長の後ろにいる気分を味わえます。
全日空表記の方がかっこいいと思うな~
ここには以前あるものがありました。
あの「ぼくは航空管制官」がインストールされたPCです。
2階にあったものがここに移動したと思われますが遂に撤去されてしまいプラグだけが寂しそうに佇んでいます。
僕ほど特訓する猛者がいなくなったからでしょうか。
このホイールの横には「ジェットでGO」ばりのシミュレーターがありますが、日本の未来を担うお子様が楽しそうに遊んでいました。
出て気付きましたが多分ここに恐らくこけしがありました。
ビジネスラウンジまであるんだ。
ブックオフとかWINSが入ったらマジで敵無しですよこれは
下に降りました。
この辺は年末やクリスマスは派手に飾り付けされているイメージでしたがもうそんなことないんでしょうか。
そういえば親父が出張から帰ってくる時、下の到着口で待っていたと言いましたが、親父の乗った飛行機が到着するまでは夜の空港を探検してましたね。
夜の空港は1階の到着口以外ほとんど誰もいなくて本当に僕の基地になったみたいで楽しかったですね。
警備員さんは夜中に子供が1人でウロウロしててさぞ怖かったと思います。
満足したので外に出ました。
ベルがあります。
屋内のセンタープラザの反対側です。ここも水が流れていて綺麗なイメージでしたが今はそんなことないのかな。
何か消えてると思ったらコンチネンタル航空ですね。ハワイアン航空然り中国南方航空然り国際線は消えたり増えたりしてて忙しないですな。
今でも香港ドラゴン航空(現キャセイドラゴン航空)の竜のロゴがくっきり残っているのかなと思いましたが流石に消えてました。
初めて見ました。
工具とか空気入れとかを貸してくれるみたいです。便利すぎるだろ。
来る度に僕が自転車を停めていた駐輪場です。
1台だけ5年1組ってラベルの貼ってある自転車が置いてあったと思うとシュールだな~
ともかく元気そうでよかった~
もはや空港を出ていますが、滑走路側にある橋を目指したいです。
この橋は新しくなったのかな?なんか違う気がする。
僕は東日本大震災から1,2週間後にここを訪れましたがその時と比べると全く違いますね。
この運河を貞山堀と呼ぶのですが当時は民家の2階部分が貞山堀に突っ込んでいたり衝撃的でした。
あれ、ここ行けなくなってる、、、、
先ほどの道をまっすぐ行くと、以前はこんな感じで、かなりぶれてますが良い感じに撮れました。
間近すぎてポストカードのような写真が素人でも撮れました。
でも行けないのでこっち側から。
ここは道路じゃなくてなんかの学校の寮があった気がする。
震災の時、母が泳ぎながら避難したって聞きました。
あの赤いところまで目指してますが蜃気楼ぐらい遠く感じる。
真っ直ぐ歩けば行けそうですが余りにも寒すぎるのでやめました。
宮城ってこんなに寒かったっけ。
てことで久しぶりの仙台空港はかなり便利でグルメな空港になってました。
これでコロナから抜け出して飛行機が増えたらもはや地方空港の王でしょう。
立派になって僕は嬉しいような寂しいような親のような気持ちです。
それじゃ実家に帰りまーす。
コロナの影響もあり、やっとのこさ地元である宮城に帰省できました。
せっかく帰ってきたので、僕が小学生の頃、塾やスイミングスクールと同じくらいのペースで通っていた仙台空港を久しぶりに歩きたいと思います。
通っていたと言っても飛行機に乗る機会は一切無かったです。
元々僕は昔この辺に住んでいたこともありまして、気軽に遊びに行ける場所と言えば空港か滑走路側にある公園しかありませんでした。
僕がまだ天使の化身と呼ばれていた幼稚園辺りの頃は親が僕をパイロットに育て上げようと積極的に連れていってくれてたみたいですが、結果的にそれが仇となってしまい小学校低学年ぐらいになると僕の方から「どうやら先ほど買い物帰りに観た得体の知れない旅客機はプーケットエアという大変珍しい飛行機だそうで是非お目にかかりたい所存であります。大変恐縮ですが車をもう一度出して貰えませんか?」と貴重な親の休日を横取りするようになってしまいました。
本領発揮したのは自転車を手に入れた小学校高学年になってからで、親に交渉して車を出して貰えなくても1人でチャリ漕いで行けるようになったのを良いことに用があってもなくても行くようになりました。もうこの頃にはパイロットの夢は消えていました。
「珍しい飛行機が来たら行く」という姿勢から「暇さえあれば行く」になりました。あと親に叱られたり嫌なことがあっても空港に行っていました。ドラえもんののび太君が嫌なことがあると裏山に行くように僕にとっては空港が裏山みたいなもんでした。
しかも空港には水飲み場もあれば本屋もあってPCゲームもありましたし、国際線に乗るであろう外国人にはたまに話しかけられるしで何も飛行機を観たり乗ったりするだけが空港の役割ではありませんでした。あくまで僕にとっては。
更に当時はゴールドジェット(ANAの金色塗装)やモヒカンジェット(ANAの旧塗装)、ウッディージェット(ANAのUSJ塗装)など僕の好きな派手目の飛行機が時折飛来していたので空港内に居るだけで予測できない出会いがあるのも魅力でした(公式サイトのライブカメラではANAとしか記載されていないので家だと気付けない)。
終いには友達がクソ遠い僕の家に4、50分かけて遊びに来てくれた時も僕は家よりまず空港を紹介しました。「まあちょっと広すぎるけど上がれよ」って感じで。
今回は、そんな空港を、読んでくれている皆さんに紹介していきたいなと思っております。
てことで仙台駅です。
仙台空港は名前と違って仙台市にはないので仙台空港アクセス線で向かいます。
この青い電車に乗ればとりあえず着きます。
着きました。
ガチャガチャとご当地感漂う自動販売機が出迎えてくれます。
僕のおすすめはこの空港マスコットです。
調整中に気を取られ網があることに今気付きました。
改札を抜けると可愛い子が出迎えてくれます。
失礼ながら1人も知りません、勉強不足でした。
多分顔出しパネル。これは見たことあるので前からあるはず。
この手のガチャガチャ好きなんですけど1回もやったことないのでどんな感じで出てくるか気になりますね。
ガチャガチャの紹介記事になってしまうので先を目指します。
ここをまっすぐ進んで階段を降りると駐車場の方へ、左に曲がって連絡通路を進むと空港へ入れます。
はい、こんな感じ。
実は空港自体は3年ぶりなのですがその時は搭乗手続だけして速攻飛行機に乗ったので空港内を歩くとなると恐らく7,8年ぶりになります。
このまま行くと2階の国内線保安検査場に着きますが諸事情で1階に降ります。
降りました。
飲み物に困らないぐらい自販機があります。
勿論反対側にもあります。
大人のオアシス「喫煙所」もあります。
ちなみにここは1階の国内線到着口の一番西側ですが昔からこんな感じで安心します。
と思ったら新顔がいます。
ランナーズポートと言うものらしく空港近辺を走るランナー達がここに立ち寄ってシャワーを浴びたりすることが出来るそう。中央のパンフレットに書いてありました。
便利だなぁどれどれと入ろうと思ったらしっかり有料でした。
国内線到着口の方へ向かうとまず観光案内所がありました。
ちなみに反対側には結構しっかりしたインフォメーションがありました。昔は水飲み場の横に1人、たまに2人立っているだけだった気がするのに今や2,3人体制で飛行機、バス、鉄道の時刻電光掲示板まで着いていて頼もしいインフォメーションになってました。
ここは出張から帰ってくる親父を僕が忠犬ハチ公のように待ち構えていた場所でもあります。親父嬉しくてたまらなかっただろうな。
あと全然気づきませんでしたが、リラクゼーションもありました。気付いてないことばかりですみません。
観光案内所の横に素敵なくじがありました。
4等枠の小さいぬいぐるみがアザラシだけなのはなんか可哀想。
こんなにIBEXばっかりだった??
と思ったらpeachが隠れていました。
これはただのミスショットではありません。
昔はここにパタパタがあったのでその余韻を感じています。
進行方向を東に向けるとなんとPRONTOがありました。
以前は何があったか覚えてません、多分レンタカー屋とかだった。
反対側には牛タンレストランとデイリーヤマザキがありました。
個人的に牛タンレストランで服を掛ける場所が入り口に設置されていたのが感動しました。
デイリーヤマザキの横にはコンセント付きのテーブルとマルチコピー機がありました。
もはや住めるな。
ここが水飲み場です。
お金に困っても水分に困ることはありません。
以前はこの水飲み場と先ほどのデイリーヤマザキの間にインフォメーションがあった気もします。
なんでそんなことを覚えているかと言うと小っこいインフォメーションの脇にパンフレットみたいなのが何種類かあって僕は旅行なんか行きもしないのにそのパンフレットを持ち帰っていたからです。インフォメーションのお姉さんがよく僕を観てニヤニヤしていました。
ちなみになんで持ち帰ったのかというとパンフレットに記載されている飛行機の写真部分だけを切り取って勉強机をデコレーションしたかったからです。机がアイベックスだらけでした。
以前某局の放送ではここにピアノがあったのですが車にモデルチェンジしていました。
センタープラザです。
修学旅行生はここで一旦荷物置いて点呼取りがち。かくいう僕もその1人。
あと修学旅行生が乗る時はB777が使用される機会が多いです。簡単に言えばでかい飛行機です。
正面を向くとステージが出来ており、モニターも何やら様変わりしています。
昔は仙台の古い映像資料とか流れていたのに。
反対側はこんな感じ。
水が流れていた記憶があるのですが今は流れてないのかな。
僕はここの水も飲もうとして親に本気で怒られました。
あと何年か前に藤岡弘、さんがここの上でトークショーしてました。
3mも津波が来ています。
荒川か中川が氾濫したら僕の近所もここまで水が来るそうで恐ろしいです。
空港の歴史が分かります。
個人的にANAとJALのジャンボジェットが2機並んでる写真は貴重だと思うのですが平成の写真なのに白黒なのがもったいないです。
国際線到着口の方まで行くと証明写真が撮れます。
さっきのマルチコピー機で履歴書を印刷すれば就活もできます。
大友克洋さんのレリーフがあります。
厳かです。
国際線側ですがコロナの影響で国際線は運休しておりすごく殺風景でした。
年末といえば国際線のチャーター機のイメージなので寂しいですな。
充電スペースが山ほどあっていいです。
よく分かりませんが警備してくれそう。
上ろうと思ったら国際線側のエスカレーターも使えなくなっていました。
てことで反対側から上りました。
ここも昔はパタパタがあったのですが今や萩の月の広告になってしまいました。
説明が遅れましたパタパタとは「反転フラップ式案内表示機」のことで到着または出発する飛行機名や便名、時刻、行き先などが表示されていました。直近の飛行機が出発到着する度にパタパタと回転して情報を更新するため”パタパタ”と呼ばれていました。
仙台空港のパタパタは特に面白くて本当に飛来したことあるのかと言いたくなるような珍しい飛行機名がパタパタめくっているときに一瞬だけ見れました。
撤去されるまでANKやJEXなど過去の飛来機もそのままだったのが良かったです。
何年か前に撮った物がありました。
これがパタパタです。
僕はパタパタが本当に大好きでこれを観て目に焼き付けては家に帰って自由帳にオリジナルの案内表示機を書いてました。
一瞬しか表示されない昔の飛行機とか仙台には到底来ないであろう世界の飛行機をチョイスしては何時何分に離陸してどこどこへ向かうのか、なんて考えながら書いてましたね。飛行機の絵を書くよりもパタパタの方が書く機会が多かったと思います。
こっちは同じ萩の月ですが国際線側です。
国際線側のパタパタも面白く、チャーター便でフラップにない飛行機が来ると飛行機名だけ真っ黒の状態で表示されてました。
当時は仙台空港の公式サイトで確かこのパタパタのライブカメラを見ることが出来たので、僕のような情報弱者には非常に重宝されており、真っ黒の状態で表示されている時は何が来るかワクワクしたものです。
今はツイッター始めフライトレーダーなどで情報を集めることは容易ですが、僕が小学生の頃はこのライブカメラと旅行会社の広告が頼りでした。それしか思いつきませんでした。
国際線側は今使われていないからか座ることのできる場所が多く、足腰に優しかったです。
グレードを上げればマッサージチェアもあります。
12、3年前はこの辺にPCが置いてあり冒頭で僕が述べていたPCゲーム「ぼくは航空管制官」をプレイすることが出来ました。多分あれデモプレイだったと思うのですが無限に遊んでた気がします。余りにも哀れに思ったのか後から親父が買ってくれましたが僕は「ここでやるからいいんじゃないか」と言わんばかりに空港でも遊んでました。今度「ぼくは航空管制官~仙台空港4~」が出るみたいです。そんな続いてたんだ。
何か置いてあります。
宮城県各地の観光用パンフでした。
僕の地元は1冊しかなかったです。
ここも大人のオアシス「喫煙所」です。
国際線チェックインカウンターの端っこにありますがここも僕は思い入れがあります。
喫煙所横から外を見るとこんな感じです。
ここは着陸は見えないのですが、奥に飛んでいる飛行機が見える位置にあります。
屋外展望デッキが無かった当時、空港内では、この後向かう3階の屋内展望台から飛行機を見るのが通常でした。
しかし室内展望台は、構造上どのタイミングで飛行機が着陸してくるか分からず、いつも突然「ヌルッ」と目の前に着陸してきました。
僕はなぜかそれが嫌で、ここに来ては空の彼方にキラリと飛行機が光っていないかよく見ていました。
光を見つけてある程度姿が確認できると、僕は一目散に3階の屋内展望台に駆け上がって飛行機を待ちます。
周りの人々が「わ、飛行機来たよ!」なんて驚いてる中、僕と管制官だけは飛行機が来ることを知っているのでちょっと余裕の表情で着陸を見守っていました。
ここは滅茶苦茶昔飛行機の模型とか電車の模型が売ってました。
僕は旧塗装時代のアシアナ航空の模型を買って貰ったことがあります。アシアナ航空は個人的に仙台空港の顔と言っても過言じゃない存在なのでチョイスが渋いわけではないです。
酒屋はそのままですが書店が消えてるのはかなりショックです。
当時僕の家から一番近い書店が、というより本を買うならここしか気軽に買えなかったのでよくお世話になってました。僕がジャンプからマガジンに乗り換えたのもここに書店があったからです。
3階のエスカレーター下にコンパクトなカフェがあります。
ここは昔からありますがお洒落になってました。
僕の従姉妹が叔母さんを怒らせて怒鳴られた現場でもあります。
グッズまで展開してました。
身体を180度回転するとなんと海鮮丼屋が現れました。
ここは円状の椅子があって上にテレビがあったはずなのに大進化を遂げているじゃないですか。
いつだか忘れましたが疲れたのでここで休んで座っていたらポケモンの映画が放送していて、見送る人なんか誰も居ないのにここでエンドロールまでポケモン観てました。家で観ろよと。
田代島ってどこだ。
ちなみにキャッシュレス決済です。
おお、これは無事でした。
このガラスの向こうは出発待合室になっていてそこにいる人と通話が出来る代物です。
僕は知らない女の子とお別れの挨拶を交わしたことがある淡い夏の思い出がありますが、悪戯はやめましょう。
さあ3階に上るぞっ、、、ん?
なんと!さっき言っていた「円状の椅子」が分解されてエスカレーター横にいるではありませんか。
廃品回収に出されたわけじゃなかったんだね泣
感動の再会も束の間、屋内展望台へ上ります。
あぁ~大分変わってますがやはりここは落ち着きますな。
中央に座ることのできるスペースが沢山ありますがあそこは昔でっかい地球儀がグルグル回ってたんですよ。あれどこ行ったんですかね。
僕がショーウィンドウ内のサンプル料理を指くわえて見てたレストランがすごいバーテイストに、、結局料理の写真を見て指をくわえたのは今も変わりません。
あと奥に進むとテーブル席もあります。
う~んこの風景はやはり色褪せない。
珍しい飛行機はこの屋内展望場で観るのが僕のマイルールでした。
ただこの写真を観て分かるように奥の飛行機が屋内だと見えにくいのが玉に瑕。
これはB747(通称ジャンボジェット)のラストフライト時ですがマイルールを適用してここでも一枚しっかり撮ってます。
他にもエアタヒチヌイやエーデルワイス航空を観たときは衝撃でしたね。
なぜかこのエプロンに駐機したマレーヴハンガリー航空との2ショットをここで母に撮ってもらった記憶があります。
多分本当にたまたま観ることが出来たんですよね。母親も観るまでそんな飛行機知らなかったから僕とハンガリー航空の2ショット撮らせたんだと思います。
あとここ夜になると全く外が見えなくて反射した自分が映るんですよね。
そしてこのアングルです。こちら側も構造上仕方ないとは言えこれだと奥が見えないので飛行機が着陸してくるのが見えず、気付いた頃にはもう着陸していてそれが嫌だったのでわざわざ階段を降りて先ほどの喫煙所横まで向かって確認していました。
あと一番奥に駐機している飛行機も殆ど見えません。
当時僕がまだ幼稚園ぐらいの頃、JALWAYS通称リゾッチャが仙台に飛来していたのですがリゾッチャは毎回一番奥に駐機していたため僕ははっきり確認したことがありません。離陸するまで観ていたかったのですが母親に「晩ご飯いらないならいいよ」と言われてしまい毎回諦めて帰宅してました。
めちゃめちゃ文句言ってますが山側から海側に離陸するときはすごいかっこよく見えます。個人的に一番かっこよく飛んでいたのは日本エアシステムです。
ここは昔から変わらない気がする。
サンプルも健在です。不思議なことにこんなに空港に通ってたのにレストランで食事したことは1度もありません。小学生が1人で食べるにはハードルが高すぎました。
今こそ本来は飲食店の中に入って実食するべきなのかもしれませんがそれは皆さんに任せます。金欠なので
こけしも健在ですがここにあったっけ?
ここは座れるところがあったのですが、ある日から飛行機の寝床になってました。
飛行機の反対側にはこんなものが。
覚えてる人がいるか分かりませんが昔はここに謎の筐体が置いてあってそれを操作すると仙台空港の歴史などの映像を見ることが出来たんですよね、誰か知らないかな~2台くらいあったんだけどな~知らないかな~
横にはなんとプリクラ、どんな出来映えになるのか気になりますが僕は一緒に撮る相手がいないのでどうなるかは撮ってからのお楽しみということで。
振り返ると展望デッキに向かうためのゲートが。
遂にゲートが1つになってました。
開設当初は大人有料だったのでゲートが2つあったんですよね。
左側スペースが空いているのはその名残です。
いざ
はい、奥に見えるのが管制塔です。僕は旧管制塔の方が個性が出てて好きでした。
うおー寒い!
いや~太平洋まで見えますよ
やはり展望デッキは良い。
ちなみに皆さんは滑走路とか駐機場を飛行機に乗る以外で通ったことありますか?僕はあります。
僕はパイロットになる気はないと言いましたが、航空管制官には憧れていました。ぼくは航空管制官をひたすらプレイしてたのもその特訓みたいなもんです。
当時それをなぜか小学校の担任の先生も知っていて、夏休み辺りに見学ツアーに申し込んでくれたのです。
正直殆ど記憶無いですがバスで滑走路の近くを通ったりしたのは覚えてます。滑走路ってでかいんですよね。
これは以前下の階に設置されてましたがここに移動になりました。
僕がこれで観たいと余りにもねだるので双眼鏡を与えられました。
太陽だけは見るなよって言われました。
ご丁寧に現在就航しておりませんとのラベル付き。
コンチネンタル航空って呼び方が非常にノスタルジー、今はユナイテッド航空ですもんね確か。以前の写真はB757が使用されていた気がしますが僕は生で見たことないんですよね。
寒さに耐える僕のためにIBEXが来てくれました。僕は未だにフェアリンクって呼ぶことがあります。
昔はフェアリンクって名前でした。
もう1機フェ、IBEXが来てくれました。
屋外だと海の向こうまで見えるので喫煙所の横まで行かなくていいです。
海の向こうから来るぞ来るぞと待つのが楽しいんですよね、あくまで僕の話ですが。
上の写真は太平洋側つまり東側から着陸してますが仙台空港は風向きによって着陸離陸する場所が逆になったりもします。今もそのルートかわかりませんが西側から着陸する場合、上の写真の雲の上辺りを飛行しつつ西側に向かいグルッと回って着陸してくるのでそれを誰よりも早く(当社比)見つけるのも僕の楽しみ方でもありました。
寒いので撤退。
階段を使うと踊り場のところで飛行機のあれこれを知ることが出来ます。
他のは皆さんの目で確かめてください。
出口のゲートを左に進むと17アイスが買えます。
仙台空港の自販機は敵無しですな。僕はワッフルコーンかチョコチップが好きです。
これは先ほどのバーテイストのレストランに繋がる場所ですね。奥にテーブル席があります。
ちなみに反対側には神と同じくらいありがたい充電スペースがあります。
エアポートミュージアムとぶっちゃがあります。
ここ遙か昔はゲームセンターがあった気がするんですけど僕の記憶違いですかね。
仙台空港のあれこれを学べます。
太陽のアークでしたっけ、このJALのロゴも今は懐かしいですな
飛行機に乗った気分を味わえます。
機長の後ろにいる気分を味わえます。
全日空表記の方がかっこいいと思うな~
ここには以前あるものがありました。
あの「ぼくは航空管制官」がインストールされたPCです。
2階にあったものがここに移動したと思われますが遂に撤去されてしまいプラグだけが寂しそうに佇んでいます。
僕ほど特訓する猛者がいなくなったからでしょうか。
このホイールの横には「ジェットでGO」ばりのシミュレーターがありますが、日本の未来を担うお子様が楽しそうに遊んでいました。
出て気付きましたが多分ここに恐らくこけしがありました。
ビジネスラウンジまであるんだ。
ブックオフとかWINSが入ったらマジで敵無しですよこれは
下に降りました。
この辺は年末やクリスマスは派手に飾り付けされているイメージでしたがもうそんなことないんでしょうか。
そういえば親父が出張から帰ってくる時、下の到着口で待っていたと言いましたが、親父の乗った飛行機が到着するまでは夜の空港を探検してましたね。
夜の空港は1階の到着口以外ほとんど誰もいなくて本当に僕の基地になったみたいで楽しかったですね。
警備員さんは夜中に子供が1人でウロウロしててさぞ怖かったと思います。
満足したので外に出ました。
ベルがあります。
屋内のセンタープラザの反対側です。ここも水が流れていて綺麗なイメージでしたが今はそんなことないのかな。
何か消えてると思ったらコンチネンタル航空ですね。ハワイアン航空然り中国南方航空然り国際線は消えたり増えたりしてて忙しないですな。
今でも香港ドラゴン航空(現キャセイドラゴン航空)の竜のロゴがくっきり残っているのかなと思いましたが流石に消えてました。
初めて見ました。
工具とか空気入れとかを貸してくれるみたいです。便利すぎるだろ。
来る度に僕が自転車を停めていた駐輪場です。
1台だけ5年1組ってラベルの貼ってある自転車が置いてあったと思うとシュールだな~
ともかく元気そうでよかった~
もはや空港を出ていますが、滑走路側にある橋を目指したいです。
この橋は新しくなったのかな?なんか違う気がする。
僕は東日本大震災から1,2週間後にここを訪れましたがその時と比べると全く違いますね。
この運河を貞山堀と呼ぶのですが当時は民家の2階部分が貞山堀に突っ込んでいたり衝撃的でした。
あれ、ここ行けなくなってる、、、、
先ほどの道をまっすぐ行くと、以前はこんな感じで、かなりぶれてますが良い感じに撮れました。
間近すぎてポストカードのような写真が素人でも撮れました。
でも行けないのでこっち側から。
ここは道路じゃなくてなんかの学校の寮があった気がする。
震災の時、母が泳ぎながら避難したって聞きました。
あの赤いところまで目指してますが蜃気楼ぐらい遠く感じる。
真っ直ぐ歩けば行けそうですが余りにも寒すぎるのでやめました。
宮城ってこんなに寒かったっけ。
てことで久しぶりの仙台空港はかなり便利でグルメな空港になってました。
これでコロナから抜け出して飛行機が増えたらもはや地方空港の王でしょう。
立派になって僕は嬉しいような寂しいような親のような気持ちです。
それじゃ実家に帰りまーす。