タコの英雄伝説残る岸和田「蛸地蔵」駅でタコ焼きを食べ散歩した

  • 更新日: 2018/12/18

タコの英雄伝説残る岸和田「蛸地蔵」駅でタコ焼きを食べ散歩したのアイキャッチ画像

英雄が小麦粉につけられ焼かれている街らしい

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日本国内どの地方にも、その土地のみに伝わる「昔ばなし」的なものが存在しています。そうした昔ばなしというものは、今の視点で考えるとどこか倫理観がズレていたり、いささか不条理に感じられたりするものです。

今回訪れる南海電気鉄道南海本線「蛸地蔵」駅にも、ちょっぴりシュールな昔ばなしが伝えられています。なんとこの地には、タコがこの地の人間を救ったという伝説が残っているのだとか。
なんじゃそりゃ。

そんな不条理かつユーモラスな言い伝えが残る蛸地蔵とはいったいどんな場所なのか、散歩によってタコのようにユルく体感していきます。
後、そんな蛸地蔵にタコ焼きがあるのかも気になるところ。





蛸地蔵駅に到着。
普通電車のみ停車という規模の割にベンチの数がやたら多いのは、おそらく近くに有名校「大阪府立岸和田高等学校」があるため。
実際この日も同校の生徒と思われる乗客がたくさん乗り降りしていました。
ちなみに季節は10月(October)ではなく12月。



踏切前に早速タコさん登場!
たくさんの手本を示してくれそう。

ここで、この地に伝わる蛸地蔵伝説について解説を行っておきましょう。

中世(平安~鎌倉時代ごろ?)のあるとき、この地に古くから存在する「天性寺」に賊軍が侵入し、寺内をさんざんに荒らしまわった挙句、祀られていた木の地蔵を海の底へ沈めてしまいました(最初は壊そうとしたものの、どのような道具でも傷ひとつつかなかったのだとか)。

数十年後、後醍醐天皇の時代、とても大きな波風に岸和田城が襲われ、あわや呑み込まれてしまいそうになってしまったそのとき、突如海の向こうから巨大なタコに乗ったあの地蔵が現れ、波風を沈めてしまったのです。



さらにそこから時は流れ戦国時代。
かの織田信長をも苦しめたことで知られる雑賀・根来衆が中村一氏(一説には松浦備前守とも)の守る岸和田城に押しかけ、あわや落城かと思われたそのとき、今度は海の向こうから大小さまざまなタコの軍勢が現れ、自慢の毒墨で敵兵をさんざんに蹴散らしてしまったという話も伝わっています。

この言い伝えは絵巻物に描かれており、駅のステンドグラスにもあしらわれています。
たくさんの巨大タコに襲われる足軽たちの姿にはなんだかラヴクラフト的恐怖を感じる。



「タコ焼き屋が見つからなければどうしよう」と心配だったけれど、そんなことはなく駅前徒歩1分のところにあった。
店名は「タコ焼き 道」。



ここで「ダシタコ カレー味」とビールを注文。
明石焼きによく似ているけれど、タマゴではなく小麦が使われている模様。
タコはかなりやわらかく、食べやすい。
ちなみに店主の話によれば、ここ泉州ではかなりタコが獲れるらしい。
そんなタコたちの中には、かつてこの一帯を救った「英雄」の子孫もいるかもしれない。



なんだかプロレタリアート感あるレタリングの看板。
ブラック企業打倒にあらゆる手を尽くします。



絵本の題材としてありそうでなさそうな「タコのパン屋さん」。
多分タコ焼きを載せたパンとか売ってると思う。
それにしても溶岩窯という売り文句がすごい。
溶岩ってどこから仕入れるんですかね?



「蛸地蔵商店街」を見つけたので歩くことに。



こういう書店で「サスペリア」や「ハロウィン」といったホラー雑誌を買っては一人で読んでました。



最近のタコは家具も売るらしい。
さすがタコ、多角経営が得意。

ちなみにさっきから映っているアニメチックなタコは、この商店街のマスコット「たこじろう」。
妹の「たーこ」をはじめとした家族もいるらしい。
ウツボにでも食いちぎられたのか、足(?)は6本。







「キリンヤ」なる謎の看板。
だが肝心のお店はしまっており、何をあつかっているかは不明。
のれんに書かれた「ワタナベ」もすごく気になる。



タコ焼き業界大手「たこ焼道楽 わなか」も蛸地蔵に進出していた。
蛸地蔵のタコたちの生活は穏やかでないかもしれない。



こういう意味不明の単語が実は秘密組織の暗号だったりと考えたりすることが誰にだってあるかもしれない。







自販機の横には時計がかけられ、町歩きマップはテーブルに拘束されている。
どういうお店なのでしょう。




「またの!」
こだわりにこだわったわけありのそんなお店のシャッターは少し魚臭かった。



「くのお」ってなかなか発音しづらいのではないかと思う。
この記事をご覧のみなさんもちょっと声に出してみてください。



船さえあれば、たとえ駐車場であってもそこは大海原。



知る人ぞ知る弁当フランチャイズ「ライスマンクック」を発見。
自動販売機のようなキャッチコピーが目立つ。
さっき食べたけどせっかくなので弁当を買う。
今回出費多いな。



ミンチカツ弁当を注文。
個人的に、弁当屋のミンチカツはバーにおけるジン・トニックのようなものだと思う。
とりあえず、食べられる場所を探す。

そして注文してからしばらく経った後、メニューに「蛸メシ御膳」なるものがあったことに気づく。
こういうところ自分は気が利かない。



大阪いずみ市民生協のキャラクター「とまとちゃん」、そのストレートな名前に感服。
「サラダの国のトマト姫」もびっくり。
かきっぱち。





「岸和田城」が見えてきた。
ちょうどよい公園もあったので、この場所にて兵糧を給ひ候。



ニワトリは分かるが、手前の動物がさっぱりわからない。
キリンか? ミツバチか?



というわけで、ミンチカツ弁当を食べる。
このお弁当はソースを「かける」のではなく、器に「つける」タイプ。
味付けは控えめだがその分食べやすく、素朴な良さが感じられる。
梅干しがいわゆる「カリカリ梅」ではなく、肉厚あるものなのもうれしいところてす。
ミンチカツの周辺にちりばめられたコーンもいい感じで、スパゲッティーが細めなのも好印象。



岸和田城のお堀。
さすがにタコはいない。



岸和田城。
築城は建武元(1334)年、楠木正成の甥である和田高家によって。
築城当時はここから約500メートル離れた場所にあり、そこには「岸和田古城」の石碑が設けられているようです。
戦国時代には阿波三好氏の関西拠点として、江戸時代には紀州藩への抑えとして重要な役割を果たしていました。



最後に、蛸地蔵伝説ゆかりの地へ。
古民家が軒を連ねる路地を歩きます。





大分昔に人が去ったと思われる廃屋。
ガラス張りのケースが気になりますが、何か商いが行われていたのでしょうか。
構造から判断する限りタバコ屋ではなさそう。



ここが蛸地蔵伝説ゆかりの地、「天性寺」。



このお寺の絵馬はタコが描かれており、多くの方が身体の病(足のタコ、ヘルニア等)の治癒祈願のために奉納しているようです。
その際は願掛けとして「蛸断ち」を行い、しばらくの間食べないようにするのだとか。
同様の風習は大分県の一部地域にも伝わっているようです。



肝心の蛸地蔵は寺内の地蔵堂に安置されており拝観は難しいようですが、本堂前には賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)が。
釈迦の弟子の一人であり、慈悲深さの一方で反論異論を許さぬ苛烈な性格でもあったのだとか。
この像をなでることにより、その部位の病が治癒されるというご利益があると言われています。
タコとの関連性はあまりなさそうですが、真っ赤な顔はそれっぽいかも?



雨も降ってきましたので、キリのよいところで終わりとします。





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関西在住のフリーライター。
大阪や兵庫、京都奈良などに眠る散歩の秘境を探し出すため、日夜さまよっている。

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