暗闇都市探訪 東京都庁編
- 更新日: 2025/12/25

東京都庁の展望室から新宿中央公園を眺める
都道府県庁舎として、日本で最も高いビルである東京都庁。このビルは公の建物であるが故に、商売っ気が非常に少ないようにも思う。それは行く前から気になっていて、無料で展望室にアクセスできる非常に稀な高層ビルである。近年は新宿駅周辺に高層ビル計画も進み、今まさに生き物のように変化し動き続ける新宿。その中心にある新宿駅は、1日あたり350万人の乗降客がいる世界一利用者の多い駅として、ギネス世界記録に登録されている。人間が集まるところにはプラスのエネルギーや憎悪、熱狂が生まれる。その側に存在する暗闇というのはどう解釈されるべきなのか。夜の新宿を歩き、その姿を今一度捉えてみたい。そのような想いとともに、暗闇都市探訪の第5回は、東京都新宿区の東京都庁を中心に展開していこう。
さて暗闇都市探訪の考え方をおさらいしておこう。都市の秘密は暗闇に存在すると考え、夜景を眺めるべく対象地域で最も高い建物に上り、夜景を眺め、急激に暗い場所を突き止める。そして、その暗い場所には何があるのかを確かめるため、実際に訪れるという流れである。民俗学者の宮本常一が故郷の親に託された「新しく訪ねていったところは必ず高いところへ登ってみよ。そして方向を知り、目立つものを見よ」の言葉を現代的に解釈し、夜の時間帯の夜景から都市について考えてみようという試みである。

夜道を彷徨いながら東京都庁へと向かった。新宿パークタワーを東京都庁と勘違いして向かったが、それは違うことに途中で気がついた。実際よく似ていることから「第三都庁舎」とも呼ばれているらしい。この辺りは高層ビルが多いため、ビルに隠れてビルがあるというような混沌とした密林のような街並みである。歌舞伎町のような新宿の若者の街というよりかはオフィス街の静謐とした雰囲気があり、猥雑さはないけれど、空間的カオスさがあるのはこの西新宿の特徴であると思う。しかし、地図を頼りにして、なんとか東京都庁舎の入り口まで辿り着けた。

ギリシャのパルテノン神殿のような太い柱に強固な構造はどこか畏怖の念を呼び起こさせるような静謐さがある。この高さのある空間には身が引き締まるような想いである。

その地下には先ほどとは打って変わって、賑やかで親しげで温かみのある雰囲気の地下空間が広がっていた。暗闇とは程遠い眩い光に包まれた空間であり、30分待ちの列ができていた。手荷物検査を経て入場するようである。外国人観光客が多く並んでいた。やはり、無料というだけあって、展望室の景色を眺めたい人が多くいることを実感した。

さて、装飾の少ない業務性を感じるエレベータを登ると、そこに広がっていたのは天にも続くような異空間だった。中心には大きな太陽のような丸い天井、その下にはお土産屋さんがお店を構えていた。そして、肝心の夜景を眺める窓は、東西南北の4方位に配置されていた。そのため、今回はこの4方位に絞って、暗闇を見ていこうと思う。さて、東方位からその眺望を振り返っていこう。
①東方面

まず、この東の方角はビルの高さが目立つ。
先ほどビルの密林状態と感じた景色を俯瞰して眺めるという快感が得られた。ビルが高すぎて混沌としているが、東京都庁よりかは低いので俯瞰できるわけだ。遥か遠く右上にスカイツリーが眺められる。あんなに高いスカイツリーも、ここからだと本当に小さく見える。しかし、新宿を越えると全くもって高い建物がこの方角にないことには驚いた。頂上部の先端が丸いビルは、東京モード学園の建物だろう。
手前の窓にたくさんの灯りが灯っているのは京王プラザホテルのビルだ。当然宿泊施設は夜に活動が活発になるので、最も明かりが強く明るく灯っていることも頷ける。しかも明かりがどれもオレンジ色に近い暖色であり、とても温かみがある雰囲気が感じられる光である。周辺のオフィスビルは休日の夜なので、ほとんど明かりが灯っておらず、灯っていたとしてもそれは白色の光である。

そこから右に向けて視線を展開してみると、新宿駅、そして段状のタワーのような姿をしたNTTドコモ代々木ビルが見える。高さ60m以上のビルの屋上に設置される点滅する赤い光「航空障害灯」は最もこの方角が多く見られる。右下の建物には青い光が点滅しており、これは新宿NSビルである。このビルは地上から屋上までおよそ130メートルが吹き抜けになっており、屋上付近で青いライトアップがされているため、その光が1階部分から見上げると綺麗に見えるようであるが、この屋上を俯瞰してみても、その美しさが伝わってきて、面白い空間認知が楽しめる。

新宿駅周辺の光景をクローズアップしてみよう。この方角が今回の展望室からの夜景の中でも最も光量が大きいように思える。さすが、1日に350万人が乗降する駅なだけある。ただし、それでも新宿駅の大部分は高層ビルで隠されているため、全貌を捉えることはできない。そして、それとは対照的に、屋上の薄明かりの闇が異常に目立つ。路上は危ないからとにかくどこでも街灯があるが、夜に屋上を使うビルなんてそうそうあることでもないから、闇の面積的な話で言えば、圧倒的に屋上の面積が大きいのだろう。
②南方面
さて、南側に移動してみよう。

そこに突如現れるのは代々木公園の巨大な闇である。その先にある写真右上部分の渋谷スカイは、第1回の暗闇都市探訪を思い起こさせる。改めてこの真っ暗な闇はとてつもなく衝撃的で、東京都内でも最も暗い夜景のひとつであるという確信が得られた。

新宿料金所付近は蛇のように伸びる高速道路のオレンジ色の煌々とした光は、もはや夜景の風物詩であり、絵画で言えば大きな見せ所、サーフィンで言えばビッグウェーブ的なところに値する。パークタワーの三角屋根が目立つ。僕は先ほど、この建物を東京都庁と勘違いしていたようだ。確かにこの垂直のエネルギー、スクっと直立している感覚がどこか近い気がする。
③西方面
次は西方面だ。ここはまさに「住む」エリアという感じがする。

ここで最も目立つ巨大な暗闇を発見する。それが新宿中央公園だ。中央公園の巨大な闇と蛍のようにぼんやりと光る街灯がとにかく印象的である。これは暗闇と定義するにはいささかロマンチックすぎる雰囲気だと思った。奇をてらうようなドス黒さがない。しかし、圧倒的に暗闇がそこに存在するのは事実であり、西新宿を象徴するような暗闇でもあると思う。そこで、今回の暗闇都市探訪では、ここを訪れてみることにした。

さて、他の夜景にもここではもれなく言及しておこう。新宿中央公園の先に広がる平坦な住宅街は特徴のない平野的光景を作り出す。横でそれを眺める観光客は「まるで海みたいだなあ」と呟いていた。また「あの明かりひとつひとつに人の命が宿ってるんだなあ」というよくありそうな深い格言も残していた。住宅街を眺めているとその光の一粒一粒が「家庭」を連想させる。そこには家族それぞれ、人それぞれの暮らしがあって、その集合体としてこの夜景ができている。そのことに私たちは想いを馳せずにはいられない。

新宿中央公園の北側には大きなマンションがある。そしてその横には住宅街がある。しかし、家が連なっているのか、マンションがそこにすくっと立っているのか、よくわからない感覚を持った。風景が黒い闇とオレンジの光で比較的単一に構成されており、空間がなかなか視覚的に立ち上がってこない。これは虫が緑と茶色の自然界に擬態できることと同じようなものだと思った。暗闇というキャンバスが空間認識を阻害して、風景を真っ平の二次元平面にしているのである。

新宿中央公園の一角に、フットサルコートがあった。この場所の光量は異常なほどに強い。あまりに強く人を照らすものだから、サッカーをしているプレイヤーの姿がくっきりと強調される。新宿中央公園が西新宿のとりわけ暗闇としてのエネルギーが強いところなので、その中で光量の強い空間というのは一際目立つ。
④北方面
北方面は特殊な空間だった。窓ガラスが今までの3方位が6面だったのに対して、この方位は2面しかない。その代わりトイレが配置されていた。こちらの方角はほとんどの観光客がスルーしていた。

外の眺望を見ると、北展望室の壁面がひたすら写っていた。オレンジ色に照らされたその壁面は、東京都庁が自分自身の体を鏡で見ているような感覚を呼び起こす。そう、東京都庁はその形が猫耳、あるいは双頭ともいうべき形をしており、今その片方に自分はいて、もう片方を眺めているというわけである。

窓越しに誰かが働いている姿が見える。机に向かってパソコンをいじっているのだろう。もう20時を過ぎているので、随分と夜まで働くのだなと思った。夜景は拡大するとどれも人がいたり猫がいたりと、何かが蠢いていて、どれもこのような風景になるのではないかと思った。いつもはその解像度が高くないから、光の点に見えているだけなのだ。明るい窓の中には人がいて、窓の中で何か生活を営んでいる。そういうふうに丁寧に窓を観察できたら夜景はもっと楽しいのだろう。

カフェはコーヒーの値段が1杯550円、オレンジジュースが500円で、比較的良心的な値段だと思った。お土産屋はしっかりあったが、ぼったくっている感じがせず、どれも良心的である。なんだろう、宗教感がない。東京タワーや東京スカイツリーなどは手紙投函ポストや神社、願い札の作成などの祈りの要素や願掛け的なものを強く感じ、どこか信仰が誕生しそうな雰囲気があったが、この展望室はどこか淡々としている。

草間彌生の作品デザインがあしらわれたピアノが設置されていた。一般人でも弾けるようで、ストリートピアノのような存在と言えるだろう。「都庁おもいでピアノ」という名前らしい。誰も弾いてはいなかった。この地でピアノを弾けるのは相当、腕前に自信がある人だろう。半分くらい訪日観光客なので、日本を背負ってピアノを弾く覚悟がある者、選ばれし者が弾くピアノだ。そのデザインも相まって、日本一格式が高いストリートピアノのひとつではなかろうかと思う。

東京都庁来庁記念スタンプがあった。スタンプ用紙が置かれていなかったので、適当にパンフレットを取って、そこにスタンプを押してみた。かっこよくて格式のあるようなスタンプのデザインだと思ったが、ひまわりのような陽気な雰囲気のキャラクターによって、どこか楽しげな雰囲気になった。

さて、一通り楽しめたところで、地上に戻ることにしよう。
今までの暗闇都市探訪を振り返ると、サンシャイン60は「捉えにくさ」を強く感じた。どこが暗闇なのかを捉えることも地上からサンシャイン60の姿を特定することも困難で、何度もこの土地に赴かねばならないかもしれないと思い焦った。しかし、東京都庁には全くそのような感覚がない。さあ、最も真っ暗な闇を持つ、新宿中央公園に直行しよう。

新宿中央公園に向かうべく、地上に降り立つと意外な発見があった。都庁の展望室入り口のすぐ近くで大量の人間が寝そべっているのを見つけた。こんな場所あったんだ...。近くまで寄ってみないと気づかなかった、暗闇の穴場である。寝そべって皆上を見上げている。何を見ているのだろう。

ああ、これか!東京都庁がライトアップしており「Tokyo Night & Light」というプロジェクションマッピングが展開されるようである。毎晩30分に1回、東京都庁の壁面でいろんな映像が映し出されるようだ。しっかり最初から眺めたかったし、一通り暗闇をめぐってからにしたいと思い、新宿中央公園に先に行ってここにまた戻って来ることにした。

それから夜道を新宿中央公園を目指して進む。この辺りは歩道橋が多いなあと思う。

実際に新宿中央公園にたどり着いてみると、思ったより暗くはなかった。ぼんやりとした街灯に照らされて、その灯の下で寝転ぶ人々や犬と戯れる飼い主などが見られた。陰よりは陽気な「陽」が強い場所だと思った。

外周はこんな感じになっている。四角の大きなマスが数個連なっている感じだ。地図をただ俯瞰していると、団地の地図でも眺めているような気持ちになってくる。

神社が見えてきた。この地を収める神様がおられる。境内の掲示板を見て、台座とお腹がくっついている珍しい狛犬がおられると知ったが、この厳かな雰囲気のなか入り込むことも気が引けて、その実物は確認しないで手を合わせてすぐにその場を去った。人間の神社に対する認識や向き合い方を大きく変える背景として、昼間の明るさと夜の闇がある。その中で夜は特に、静かに敬意を払い、深入りをしないという気持ちが非常に大事だと感じた。

公園の外周を回ってみることにした。周囲の緑がどこか里山を思わせるほどに深い感じがした。剪定されている緑にあまり奥深さを感じることは少ないが、ここはなぜか奥深いと思った。

公園内に入ってみると、椅子がまとめて集められていて、なんだか自然と発生した彫刻作品のように見えた。足を上げている陽気な人間が暗闇の中に表れたように錯覚する。

遊具で寝ている人がいた。角度が良い感じで寝やすそうである。公園の遊具というのは意外と寝やすいところがない。しかし、この非常に緩やかな子ども用の滑り台が、その夢を叶えてくれている。きっと酔っ払ったのだと思う。酔っ払いを深い愛で包み込むのがこの公園の闇の中なのかもしれない。

壊れた遊具、その隣にUFOのような形のブランコもある。

都庁の上から眺めた時にあれだけ光を放っていたフットサルコートは、もう真っ暗になっていた。そこから眺める明るい東京都庁は我々の感性に訴えかけてくるような何とも言われぬ魅力があり、月を眺めているような気持ちになった。

それから公園を一周してきて、再び都庁の足元にたどり着いた。冥界を彷徨うようなグネグネとした暗い道が東京都庁の足元には広がっていた。ところどころ帰りがけのサラリーマンのような人が携帯を触りながら座っている。静かで考え事をしたり、じっくりとメールを返信するような場所として最適なように思われた。

さあ、先ほど寝転べる原っぱに辿り着いた。寝転んでいる人を観察する余裕もなく、すぐさま、プロジェクションマッピングが始まった。これは凄すぎる!まずはゴジラが東京都庁の側面に映し出された。この街にゴジラが現れたと錯覚してしまう。人間の妄想を体現してくれている。ゴジラが街を壊すと、それを必死に再生するシナリオになっており、それが東京都庁に映し出されると妙にリアルで、リアルとバーチャルの境目がわからなくなってくる。

次はゲームの画面だ。都庁の壁面を舞台として、宇宙人みたいなキャラクターがピコピコ動いている。

次は日本ならではの風景。葛飾北斎の富嶽三十六景を思わせる大きな海と波。鯨が泳いでいる様子も映し出される。それが実物大以上に誇張されることで、臨場感と共に引き込まれる。これができるのは高層ビルだけだ。プロジェクションマッピングをよくぞ思いついてくれたものだ。

すごいものを見たもんだ。まずはこの感動を持って気を落ち着かせるべく、ラーメンを食べることにした。急に異世界から商店街へと迷い込んだ。ここで油そばを食べた。注文から食べ終わるまで30分くらいかかったが、隣の男子高校生が「ずっとあの友達は彼女がいて羨ましい、僕も欲しい...なんでモテるんだ!?」みたいな話しかしていなかった。基本的に中身はないというか鬱憤バラシの会話だったが、それが妙に面白くて、高校生ってこんなもんだよなと思った。ものすごく現実的な世界に舞い戻ったようだ。

それからまた夢の世界へと戻ってきた。先ほどの都庁のライトアップを眺めた広場に戻ってみたら、数人の若者たちがまだたむろしていた。広場はどうやら日常的にも開放しているというか素晴らしい居場所として、機能しているようだ。ここは都庁の上から眺めたらどちらかと言えば闇的な場所でなかなか視界に入ってこない穴場だ。

そこからまた新宿中央公園へと向かった。いやー広い!すごく広い道路だ!この高低差がたまらない。歩道橋と地上とを往復することがこの西新宿の魅力を体感するのに、非常に好都合だと思う。それは密林状態の新宿を少し俯瞰できたり、意外な風景との出会いが待ち受けたりするからである。それは地上の二面性というか、暗闇だと思った場所がそうでなかったり、暗闇があるとは思わなかったようなところに暗闇があったりするという意外性を生んでもいる。

急な階段から見る道路と歩道橋。ここには確実に2つの世界線が存在していて、下の世界が闇で上の世界が光だと例えたくなるものだが、そういうわけにもいかない。下の世界の方が意外と街灯がしっかりしていて、とても明るいのだ。
僕はそのような密林探索に勤しんだのち、俗世から冥界へと引き寄せられるように、再び新宿中央公園の闇へと舞い戻った。そうそう、僕には行きたいところがあったのだ。先ほど地図で見て発見した「新宿ナイアガラの滝」というところである。なぜだかわからないけど、この場所が新宿中央公園の中心に位置しているし、何か重要な場所であるように思えた。闇の中心には何があるのか?

果たして、公園の中心にあったのはこの構造物だった。横に長くコンクリートの壁が築かれ、その壁が湾曲してできた空間に、水が張ってある。これは何だろうか?

その横にある張り紙に非常に興味深いことが書かれていた。まずこの構造物は「白糸の滝」と呼ぶらしい。「あれナイアガラではないのかな?」と不思議に思った。今の時間帯は、22時を過ぎていたので「運転」していないという。滝が「運転」されるという感覚もどこか面白い感覚である。自然の営みを制御しているような言葉遣いだ。
そして僕が今日最大の発見だと思ったのが、その横の亀に関する張り紙に書かれた内容である。このような言葉が並んでいた。
なるほど、この滝の滝壺にはどうやら、飼育放棄されたカメがいるようである。
暗闇の中ではわからなかったが、じっと水面を観察していると、石の上で動かずにじっとしているカメを発見した。

なんて堂々としたカメだろうか。石と見間違うくらいにどっしり構えている。まるで、石仏か何かを拝見しているような気持ちになってきた。ああ、これは素晴らしい。手を合わせたいような気持ちになってきた。月明かりに照らされるでもなく、暗闇の中でしっかりと足をつけて、ひっそりと佇んでいる。きっともう23時を回るから、お休みなのだろう。「鶴は千年、亀は万年」というが、カメの石のように動かないその営みが、どこか変わることのない悠久の時を思い起こさせた。
撮影をさせていただこうと思ったが暗過ぎる。しかし、ストロボをつける気にもなれず、わずかな光を頼りに静かに撮影をさせていただいた。なかなかカメラのピントが合わない。AFからMFにモードを切り替えて、そのお姿をわずかに捉えながら、撮らせていただいた。
外来のカメが新宿中央公園のまさに中心に位置している。多くの人は暗闇の中にいるカメに気づかずに通り過ぎるけれど、そこには確実にこの土地を見守る亀様がいらっしゃる。
人間の中途半端な飼育行為によって捨てられてしまい、生態系に悪影響を及ぼすからといって、この白糸の滝という決められた時間にしか水が供給されない特殊な環境に追いやられた亀様。そのお姿はそれでも堂々として、逞しく生きていらっしゃる。
これはどこか、村を排除された鬼や異形の民の姿にも重なるところがあり、故郷を思いながら泣いているのかもしれないし、新しい世界に辿り着いて環境の創造主になるべく、ここに暮らしているのかもしれない。これは現代のペット文化の闇であり、生態系に対する新しい眼差しでもあるのかもしれない。

この白糸の滝ごしに、東京都庁のてっぺんを見つめた。あれほどギラギラに照らされていた都庁ももうお休みの時間かもしれない。その壁面に見える光はわずかに灯るのみである。

白糸の滝の裏側には、なぜか「新宿ナイアガラの滝」があった。あれ、先ほどは「白糸の滝」という非常に日本的な名前がつけられていたのに、その裏側にいくとカナダとアメリカの国境にあるはずのナイアガラの滝か。地球の最も遠い裏側が背中合わせになっているなんて、なかなか信じ難い。壁面の高さが白糸の滝に比べて高いので、それが命名の由来なのではないかと推測する。ナイアガラの滝の側はどちらかといえば、闇というよりかは光が当たっていて、目の前に何かのイベント会場が広がっていて、関係者が雑談をしている姿や警備員がしっかりと監視している姿が見られた。
*
僕は新宿中央公園から抜け出して、再び俗世へと歩き始めた。
その足取りの先には、歌舞伎町があった。
対極的な俗世。人間の営みが溢れる光が散りばめられて眠らない世界。そこには果たして人がたくさん溢れていた。何をしているのだろうか。カップラーメンをガスコンロで温めているおじいさんがいたり、この地にたどり着いた髪の毛を染めてギラギラな服装をした女の子の顔を見ながら絵を描いて写生している白髪のおじいさんがいた。その混沌とした様は、ここも地球の端っこかなと思わせられた。しかし、新宿中央公園とは真逆のエネルギーと衝動が溢れていた。この文章に歌舞伎町の写真を添付しようと思ったが、あまりにも水と油だったので、ここでは添付を控えようと思う。
新宿の暗闇を歩く中で獲得した感覚は、密林的な地上を歩く中で非常の上下動を繰り返す中でたどり着いた、まれびとたる亀様が行き着いた暗闇。そして西新宿の静謐たる冥界と、東に移動するにつれてあらわになるエネルギーに満ち溢れた非常にリアルな実生活を体現する俗世。それらをジグザグに往復することで見えてくる新宿の姿は、毎日350万人の乗降客やその他の動物たちさえも包み込むような器量と受け皿を持つ街として、今日も地下のマントルにも至るくらいの大きな熱量を携えて動き続けているのだ。
さて暗闇都市探訪の考え方をおさらいしておこう。都市の秘密は暗闇に存在すると考え、夜景を眺めるべく対象地域で最も高い建物に上り、夜景を眺め、急激に暗い場所を突き止める。そして、その暗い場所には何があるのかを確かめるため、実際に訪れるという流れである。民俗学者の宮本常一が故郷の親に託された「新しく訪ねていったところは必ず高いところへ登ってみよ。そして方向を知り、目立つものを見よ」の言葉を現代的に解釈し、夜の時間帯の夜景から都市について考えてみようという試みである。
東京都庁展望室から眺める暗闇
2025年10月18日、暗闇都市探訪は新宿駅南口駅近くのカフェベローチェから始まった。新宿という街に昼間から順応しておきたいと思った。そういう理由で僕はお昼からこのカフェに篭ることにした。人が多いカフェの店内は高校生が勉強を教えあったり、お年寄りが世間話に花を咲かせていたり、訪日外国人が観光の休憩をしていたり、本当にさまざまな属性の人々がこの地に集っている様子が伺えた。17時半ごろに窓の外を見渡すと、もう真っ暗になっていた。随分と夏とは日の入りが変化したなと思って、早い暗闇の出現に心を躍らせる。さあ、新宿というカオスな街に出てみよう。
夜道を彷徨いながら東京都庁へと向かった。新宿パークタワーを東京都庁と勘違いして向かったが、それは違うことに途中で気がついた。実際よく似ていることから「第三都庁舎」とも呼ばれているらしい。この辺りは高層ビルが多いため、ビルに隠れてビルがあるというような混沌とした密林のような街並みである。歌舞伎町のような新宿の若者の街というよりかはオフィス街の静謐とした雰囲気があり、猥雑さはないけれど、空間的カオスさがあるのはこの西新宿の特徴であると思う。しかし、地図を頼りにして、なんとか東京都庁舎の入り口まで辿り着けた。

ギリシャのパルテノン神殿のような太い柱に強固な構造はどこか畏怖の念を呼び起こさせるような静謐さがある。この高さのある空間には身が引き締まるような想いである。

その地下には先ほどとは打って変わって、賑やかで親しげで温かみのある雰囲気の地下空間が広がっていた。暗闇とは程遠い眩い光に包まれた空間であり、30分待ちの列ができていた。手荷物検査を経て入場するようである。外国人観光客が多く並んでいた。やはり、無料というだけあって、展望室の景色を眺めたい人が多くいることを実感した。

さて、装飾の少ない業務性を感じるエレベータを登ると、そこに広がっていたのは天にも続くような異空間だった。中心には大きな太陽のような丸い天井、その下にはお土産屋さんがお店を構えていた。そして、肝心の夜景を眺める窓は、東西南北の4方位に配置されていた。そのため、今回はこの4方位に絞って、暗闇を見ていこうと思う。さて、東方位からその眺望を振り返っていこう。
①東方面

まず、この東の方角はビルの高さが目立つ。
先ほどビルの密林状態と感じた景色を俯瞰して眺めるという快感が得られた。ビルが高すぎて混沌としているが、東京都庁よりかは低いので俯瞰できるわけだ。遥か遠く右上にスカイツリーが眺められる。あんなに高いスカイツリーも、ここからだと本当に小さく見える。しかし、新宿を越えると全くもって高い建物がこの方角にないことには驚いた。頂上部の先端が丸いビルは、東京モード学園の建物だろう。
手前の窓にたくさんの灯りが灯っているのは京王プラザホテルのビルだ。当然宿泊施設は夜に活動が活発になるので、最も明かりが強く明るく灯っていることも頷ける。しかも明かりがどれもオレンジ色に近い暖色であり、とても温かみがある雰囲気が感じられる光である。周辺のオフィスビルは休日の夜なので、ほとんど明かりが灯っておらず、灯っていたとしてもそれは白色の光である。

そこから右に向けて視線を展開してみると、新宿駅、そして段状のタワーのような姿をしたNTTドコモ代々木ビルが見える。高さ60m以上のビルの屋上に設置される点滅する赤い光「航空障害灯」は最もこの方角が多く見られる。右下の建物には青い光が点滅しており、これは新宿NSビルである。このビルは地上から屋上までおよそ130メートルが吹き抜けになっており、屋上付近で青いライトアップがされているため、その光が1階部分から見上げると綺麗に見えるようであるが、この屋上を俯瞰してみても、その美しさが伝わってきて、面白い空間認知が楽しめる。

新宿駅周辺の光景をクローズアップしてみよう。この方角が今回の展望室からの夜景の中でも最も光量が大きいように思える。さすが、1日に350万人が乗降する駅なだけある。ただし、それでも新宿駅の大部分は高層ビルで隠されているため、全貌を捉えることはできない。そして、それとは対照的に、屋上の薄明かりの闇が異常に目立つ。路上は危ないからとにかくどこでも街灯があるが、夜に屋上を使うビルなんてそうそうあることでもないから、闇の面積的な話で言えば、圧倒的に屋上の面積が大きいのだろう。
②南方面
さて、南側に移動してみよう。

そこに突如現れるのは代々木公園の巨大な闇である。その先にある写真右上部分の渋谷スカイは、第1回の暗闇都市探訪を思い起こさせる。改めてこの真っ暗な闇はとてつもなく衝撃的で、東京都内でも最も暗い夜景のひとつであるという確信が得られた。

新宿料金所付近は蛇のように伸びる高速道路のオレンジ色の煌々とした光は、もはや夜景の風物詩であり、絵画で言えば大きな見せ所、サーフィンで言えばビッグウェーブ的なところに値する。パークタワーの三角屋根が目立つ。僕は先ほど、この建物を東京都庁と勘違いしていたようだ。確かにこの垂直のエネルギー、スクっと直立している感覚がどこか近い気がする。
③西方面
次は西方面だ。ここはまさに「住む」エリアという感じがする。

ここで最も目立つ巨大な暗闇を発見する。それが新宿中央公園だ。中央公園の巨大な闇と蛍のようにぼんやりと光る街灯がとにかく印象的である。これは暗闇と定義するにはいささかロマンチックすぎる雰囲気だと思った。奇をてらうようなドス黒さがない。しかし、圧倒的に暗闇がそこに存在するのは事実であり、西新宿を象徴するような暗闇でもあると思う。そこで、今回の暗闇都市探訪では、ここを訪れてみることにした。

さて、他の夜景にもここではもれなく言及しておこう。新宿中央公園の先に広がる平坦な住宅街は特徴のない平野的光景を作り出す。横でそれを眺める観光客は「まるで海みたいだなあ」と呟いていた。また「あの明かりひとつひとつに人の命が宿ってるんだなあ」というよくありそうな深い格言も残していた。住宅街を眺めているとその光の一粒一粒が「家庭」を連想させる。そこには家族それぞれ、人それぞれの暮らしがあって、その集合体としてこの夜景ができている。そのことに私たちは想いを馳せずにはいられない。

新宿中央公園の北側には大きなマンションがある。そしてその横には住宅街がある。しかし、家が連なっているのか、マンションがそこにすくっと立っているのか、よくわからない感覚を持った。風景が黒い闇とオレンジの光で比較的単一に構成されており、空間がなかなか視覚的に立ち上がってこない。これは虫が緑と茶色の自然界に擬態できることと同じようなものだと思った。暗闇というキャンバスが空間認識を阻害して、風景を真っ平の二次元平面にしているのである。

新宿中央公園の一角に、フットサルコートがあった。この場所の光量は異常なほどに強い。あまりに強く人を照らすものだから、サッカーをしているプレイヤーの姿がくっきりと強調される。新宿中央公園が西新宿のとりわけ暗闇としてのエネルギーが強いところなので、その中で光量の強い空間というのは一際目立つ。
④北方面
北方面は特殊な空間だった。窓ガラスが今までの3方位が6面だったのに対して、この方位は2面しかない。その代わりトイレが配置されていた。こちらの方角はほとんどの観光客がスルーしていた。

外の眺望を見ると、北展望室の壁面がひたすら写っていた。オレンジ色に照らされたその壁面は、東京都庁が自分自身の体を鏡で見ているような感覚を呼び起こす。そう、東京都庁はその形が猫耳、あるいは双頭ともいうべき形をしており、今その片方に自分はいて、もう片方を眺めているというわけである。

窓越しに誰かが働いている姿が見える。机に向かってパソコンをいじっているのだろう。もう20時を過ぎているので、随分と夜まで働くのだなと思った。夜景は拡大するとどれも人がいたり猫がいたりと、何かが蠢いていて、どれもこのような風景になるのではないかと思った。いつもはその解像度が高くないから、光の点に見えているだけなのだ。明るい窓の中には人がいて、窓の中で何か生活を営んでいる。そういうふうに丁寧に窓を観察できたら夜景はもっと楽しいのだろう。
展望空間に配置されたもの
さて、全方位の夜景と暗闇の観察が終了したところで、展望室内の構成物について、いろいろと見ていこうと思う。いままで上がってきた高層建造物と比べて、さすがに商業っぽさがないのが面白かった。
カフェはコーヒーの値段が1杯550円、オレンジジュースが500円で、比較的良心的な値段だと思った。お土産屋はしっかりあったが、ぼったくっている感じがせず、どれも良心的である。なんだろう、宗教感がない。東京タワーや東京スカイツリーなどは手紙投函ポストや神社、願い札の作成などの祈りの要素や願掛け的なものを強く感じ、どこか信仰が誕生しそうな雰囲気があったが、この展望室はどこか淡々としている。

草間彌生の作品デザインがあしらわれたピアノが設置されていた。一般人でも弾けるようで、ストリートピアノのような存在と言えるだろう。「都庁おもいでピアノ」という名前らしい。誰も弾いてはいなかった。この地でピアノを弾けるのは相当、腕前に自信がある人だろう。半分くらい訪日観光客なので、日本を背負ってピアノを弾く覚悟がある者、選ばれし者が弾くピアノだ。そのデザインも相まって、日本一格式が高いストリートピアノのひとつではなかろうかと思う。

東京都庁来庁記念スタンプがあった。スタンプ用紙が置かれていなかったので、適当にパンフレットを取って、そこにスタンプを押してみた。かっこよくて格式のあるようなスタンプのデザインだと思ったが、ひまわりのような陽気な雰囲気のキャラクターによって、どこか楽しげな雰囲気になった。

さて、一通り楽しめたところで、地上に戻ることにしよう。
暗闇に向けて歩いてみる
今回の散歩はとにかく苦しむことなく完成できそうという予感があった。暗闇の所在もはっきりしている。地上から東京都庁の全貌も捉えやすい。だから、なんの不安もない。この「捉えやすさ」という感覚は、どこか暗闇都市探訪における重要なキーワードな気がする。今までの暗闇都市探訪を振り返ると、サンシャイン60は「捉えにくさ」を強く感じた。どこが暗闇なのかを捉えることも地上からサンシャイン60の姿を特定することも困難で、何度もこの土地に赴かねばならないかもしれないと思い焦った。しかし、東京都庁には全くそのような感覚がない。さあ、最も真っ暗な闇を持つ、新宿中央公園に直行しよう。

新宿中央公園に向かうべく、地上に降り立つと意外な発見があった。都庁の展望室入り口のすぐ近くで大量の人間が寝そべっているのを見つけた。こんな場所あったんだ...。近くまで寄ってみないと気づかなかった、暗闇の穴場である。寝そべって皆上を見上げている。何を見ているのだろう。

ああ、これか!東京都庁がライトアップしており「Tokyo Night & Light」というプロジェクションマッピングが展開されるようである。毎晩30分に1回、東京都庁の壁面でいろんな映像が映し出されるようだ。しっかり最初から眺めたかったし、一通り暗闇をめぐってからにしたいと思い、新宿中央公園に先に行ってここにまた戻って来ることにした。

それから夜道を新宿中央公園を目指して進む。この辺りは歩道橋が多いなあと思う。

実際に新宿中央公園にたどり着いてみると、思ったより暗くはなかった。ぼんやりとした街灯に照らされて、その灯の下で寝転ぶ人々や犬と戯れる飼い主などが見られた。陰よりは陽気な「陽」が強い場所だと思った。

外周はこんな感じになっている。四角の大きなマスが数個連なっている感じだ。地図をただ俯瞰していると、団地の地図でも眺めているような気持ちになってくる。

神社が見えてきた。この地を収める神様がおられる。境内の掲示板を見て、台座とお腹がくっついている珍しい狛犬がおられると知ったが、この厳かな雰囲気のなか入り込むことも気が引けて、その実物は確認しないで手を合わせてすぐにその場を去った。人間の神社に対する認識や向き合い方を大きく変える背景として、昼間の明るさと夜の闇がある。その中で夜は特に、静かに敬意を払い、深入りをしないという気持ちが非常に大事だと感じた。

公園の外周を回ってみることにした。周囲の緑がどこか里山を思わせるほどに深い感じがした。剪定されている緑にあまり奥深さを感じることは少ないが、ここはなぜか奥深いと思った。

公園内に入ってみると、椅子がまとめて集められていて、なんだか自然と発生した彫刻作品のように見えた。足を上げている陽気な人間が暗闇の中に表れたように錯覚する。

遊具で寝ている人がいた。角度が良い感じで寝やすそうである。公園の遊具というのは意外と寝やすいところがない。しかし、この非常に緩やかな子ども用の滑り台が、その夢を叶えてくれている。きっと酔っ払ったのだと思う。酔っ払いを深い愛で包み込むのがこの公園の闇の中なのかもしれない。

壊れた遊具、その隣にUFOのような形のブランコもある。

都庁の上から眺めた時にあれだけ光を放っていたフットサルコートは、もう真っ暗になっていた。そこから眺める明るい東京都庁は我々の感性に訴えかけてくるような何とも言われぬ魅力があり、月を眺めているような気持ちになった。

それから公園を一周してきて、再び都庁の足元にたどり着いた。冥界を彷徨うようなグネグネとした暗い道が東京都庁の足元には広がっていた。ところどころ帰りがけのサラリーマンのような人が携帯を触りながら座っている。静かで考え事をしたり、じっくりとメールを返信するような場所として最適なように思われた。

さあ、先ほど寝転べる原っぱに辿り着いた。寝転んでいる人を観察する余裕もなく、すぐさま、プロジェクションマッピングが始まった。これは凄すぎる!まずはゴジラが東京都庁の側面に映し出された。この街にゴジラが現れたと錯覚してしまう。人間の妄想を体現してくれている。ゴジラが街を壊すと、それを必死に再生するシナリオになっており、それが東京都庁に映し出されると妙にリアルで、リアルとバーチャルの境目がわからなくなってくる。

次はゲームの画面だ。都庁の壁面を舞台として、宇宙人みたいなキャラクターがピコピコ動いている。

次は日本ならではの風景。葛飾北斎の富嶽三十六景を思わせる大きな海と波。鯨が泳いでいる様子も映し出される。それが実物大以上に誇張されることで、臨場感と共に引き込まれる。これができるのは高層ビルだけだ。プロジェクションマッピングをよくぞ思いついてくれたものだ。

すごいものを見たもんだ。まずはこの感動を持って気を落ち着かせるべく、ラーメンを食べることにした。急に異世界から商店街へと迷い込んだ。ここで油そばを食べた。注文から食べ終わるまで30分くらいかかったが、隣の男子高校生が「ずっとあの友達は彼女がいて羨ましい、僕も欲しい...なんでモテるんだ!?」みたいな話しかしていなかった。基本的に中身はないというか鬱憤バラシの会話だったが、それが妙に面白くて、高校生ってこんなもんだよなと思った。ものすごく現実的な世界に舞い戻ったようだ。

それからまた夢の世界へと戻ってきた。先ほどの都庁のライトアップを眺めた広場に戻ってみたら、数人の若者たちがまだたむろしていた。広場はどうやら日常的にも開放しているというか素晴らしい居場所として、機能しているようだ。ここは都庁の上から眺めたらどちらかと言えば闇的な場所でなかなか視界に入ってこない穴場だ。

そこからまた新宿中央公園へと向かった。いやー広い!すごく広い道路だ!この高低差がたまらない。歩道橋と地上とを往復することがこの西新宿の魅力を体感するのに、非常に好都合だと思う。それは密林状態の新宿を少し俯瞰できたり、意外な風景との出会いが待ち受けたりするからである。それは地上の二面性というか、暗闇だと思った場所がそうでなかったり、暗闇があるとは思わなかったようなところに暗闇があったりするという意外性を生んでもいる。

急な階段から見る道路と歩道橋。ここには確実に2つの世界線が存在していて、下の世界が闇で上の世界が光だと例えたくなるものだが、そういうわけにもいかない。下の世界の方が意外と街灯がしっかりしていて、とても明るいのだ。
僕はそのような密林探索に勤しんだのち、俗世から冥界へと引き寄せられるように、再び新宿中央公園の闇へと舞い戻った。そうそう、僕には行きたいところがあったのだ。先ほど地図で見て発見した「新宿ナイアガラの滝」というところである。なぜだかわからないけど、この場所が新宿中央公園の中心に位置しているし、何か重要な場所であるように思えた。闇の中心には何があるのか?

果たして、公園の中心にあったのはこの構造物だった。横に長くコンクリートの壁が築かれ、その壁が湾曲してできた空間に、水が張ってある。これは何だろうか?

その横にある張り紙に非常に興味深いことが書かれていた。まずこの構造物は「白糸の滝」と呼ぶらしい。「あれナイアガラではないのかな?」と不思議に思った。今の時間帯は、22時を過ぎていたので「運転」していないという。滝が「運転」されるという感覚もどこか面白い感覚である。自然の営みを制御しているような言葉遣いだ。
そして僕が今日最大の発見だと思ったのが、その横の亀に関する張り紙に書かれた内容である。このような言葉が並んでいた。
どうして亀がいるんだろう?
白糸の滝にいるカメは飼育放棄されたカメたちです。
環境省では野外への放出禁止と現在飼育しているカメについては最後まで飼うことを認めています。
新宿中央公園では、これ以上、アカミミガメを増やさないようにしながら、今いるカメはこれまでどおり守っていきたいと考えています。
なるほど、この滝の滝壺にはどうやら、飼育放棄されたカメがいるようである。
暗闇の中ではわからなかったが、じっと水面を観察していると、石の上で動かずにじっとしているカメを発見した。

なんて堂々としたカメだろうか。石と見間違うくらいにどっしり構えている。まるで、石仏か何かを拝見しているような気持ちになってきた。ああ、これは素晴らしい。手を合わせたいような気持ちになってきた。月明かりに照らされるでもなく、暗闇の中でしっかりと足をつけて、ひっそりと佇んでいる。きっともう23時を回るから、お休みなのだろう。「鶴は千年、亀は万年」というが、カメの石のように動かないその営みが、どこか変わることのない悠久の時を思い起こさせた。
撮影をさせていただこうと思ったが暗過ぎる。しかし、ストロボをつける気にもなれず、わずかな光を頼りに静かに撮影をさせていただいた。なかなかカメラのピントが合わない。AFからMFにモードを切り替えて、そのお姿をわずかに捉えながら、撮らせていただいた。
◯アカミミガメの基礎情報
さて、ここで一気に現実的な話をすると、アカミミガメは昼に太陽の光を浴びて活発に活動する生き物だが、変温動物であるために夜は体温が下がり、おとなしくなる習性がある。しかし、よくよく調べてみると、実際にアカミミガメは長生きだが、飼育環境下においては30年ほどの寿命らしい。
原産地:米国東南部からメキシコまで
大きさ:最大背甲長は雄20cm、雌28cm(2.5kg)
食 性:雑食
外来のカメが新宿中央公園のまさに中心に位置している。多くの人は暗闇の中にいるカメに気づかずに通り過ぎるけれど、そこには確実にこの土地を見守る亀様がいらっしゃる。
人間の中途半端な飼育行為によって捨てられてしまい、生態系に悪影響を及ぼすからといって、この白糸の滝という決められた時間にしか水が供給されない特殊な環境に追いやられた亀様。そのお姿はそれでも堂々として、逞しく生きていらっしゃる。
これはどこか、村を排除された鬼や異形の民の姿にも重なるところがあり、故郷を思いながら泣いているのかもしれないし、新しい世界に辿り着いて環境の創造主になるべく、ここに暮らしているのかもしれない。これは現代のペット文化の闇であり、生態系に対する新しい眼差しでもあるのかもしれない。

この白糸の滝ごしに、東京都庁のてっぺんを見つめた。あれほどギラギラに照らされていた都庁ももうお休みの時間かもしれない。その壁面に見える光はわずかに灯るのみである。

白糸の滝の裏側には、なぜか「新宿ナイアガラの滝」があった。あれ、先ほどは「白糸の滝」という非常に日本的な名前がつけられていたのに、その裏側にいくとカナダとアメリカの国境にあるはずのナイアガラの滝か。地球の最も遠い裏側が背中合わせになっているなんて、なかなか信じ難い。壁面の高さが白糸の滝に比べて高いので、それが命名の由来なのではないかと推測する。ナイアガラの滝の側はどちらかといえば、闇というよりかは光が当たっていて、目の前に何かのイベント会場が広がっていて、関係者が雑談をしている姿や警備員がしっかりと監視している姿が見られた。
僕は新宿中央公園から抜け出して、再び俗世へと歩き始めた。
その足取りの先には、歌舞伎町があった。
対極的な俗世。人間の営みが溢れる光が散りばめられて眠らない世界。そこには果たして人がたくさん溢れていた。何をしているのだろうか。カップラーメンをガスコンロで温めているおじいさんがいたり、この地にたどり着いた髪の毛を染めてギラギラな服装をした女の子の顔を見ながら絵を描いて写生している白髪のおじいさんがいた。その混沌とした様は、ここも地球の端っこかなと思わせられた。しかし、新宿中央公園とは真逆のエネルギーと衝動が溢れていた。この文章に歌舞伎町の写真を添付しようと思ったが、あまりにも水と油だったので、ここでは添付を控えようと思う。
新宿の暗闇を歩く中で獲得した感覚は、密林的な地上を歩く中で非常の上下動を繰り返す中でたどり着いた、まれびとたる亀様が行き着いた暗闇。そして西新宿の静謐たる冥界と、東に移動するにつれてあらわになるエネルギーに満ち溢れた非常にリアルな実生活を体現する俗世。それらをジグザグに往復することで見えてくる新宿の姿は、毎日350万人の乗降客やその他の動物たちさえも包み込むような器量と受け皿を持つ街として、今日も地下のマントルにも至るくらいの大きな熱量を携えて動き続けているのだ。









