八王子から文京区まで40kmをGoogle Map なしで歩いた

  • 更新日: 2020/06/11

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google mapなしで歩く

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GPSなしで、東京を歩いてみたかった。東京は道が複雑なため、自分がどこにいるのかよくわからないことがある。東京を正確に歩き抜くことは、真の生きる力が試されているとも言える。チェーン店、看板、道路、植栽、線路、物流トラック、自動販売機、普段見慣れた安心感と町の無個性が交差するこの地を、大股で闊歩してみたいという欲望に駆られたのだ。

ところで、僕は我が母校の大学が田舎の風景広がる八王子から、都心のど真ん中に位置する文京区に一部移転することを知った。そういう事情もあって、人間も移転しちゃおうという単純なノリで「大学移転歩行」なるものを行うことにした。

今回は自分一人で歩くのではなく、大学時代からの仲間で「変人学部」と名乗っているサークルのメンバー3人と一緒に歩いた。「変人学部」とは我が母校に誕生した平均値からずれた大学生が集まり講義を行うという学部である。例えば、大学時代になぜかミャンマーに行って現地人と触れ合い起業までした人などがいる。今回は同行メンバーの写真無しでこの「大学移転歩行」を振り返らせてもらう。

今回の歩行は、八王子から文京区までの40kmをGoogle Map無しで歩き、制限時間10時間以内にたどり着くという一見無謀な挑戦である。この挑戦の肝は、道を一本誤れば埼玉やら神奈川やら全く違うところに行き着く複雑な東京の道をいかに歩き抜くかだ。(この企画は2020年2月29日に行った。)


(photo by Masashi Kawashita)

集合時間は朝の9:00。眠い目をこすりながら、八王子の我が母校に到着する。肉まんを一個頬張るのみでエネルギーをあまり注入することなく、準備体操をしてスタート。

さて、携帯のGoogle Mapなどの地図機能はここから一切使ってはいけない。野に放たれた獣のような気分だ。やはり、田舎な八王子は大きな道が一本すっと通っているため、非常に道がわかりやすい。モノレールがあるので、それに沿って進むと大体の地理感覚がつかめる。



多摩川を渡った。川というのは、非常にわかりやすい。昔から大方流れる方向は変わっていないので、「ああ、アザラシのタマちゃんが流れてきた川だ」「これを越えると府中市だ」などと想像がつきやすい。

ここで、Google Map無しで歩くために重要なキーワードがひとつ見えてきた。それは、「地形」に着目するということである。大昔から比べると人間が作った風景というのは年々変化していくものだが、自然の地形というのはなかなか変化しない。エベレストの頂上が隆起して10m高くなりましたとかその程度である。



それにしても、だだっ広い河原だ。

水量も少ない。

タマちゃんでも探そうと思ったが、これでは干からびてしまうではないか。



府中に入って少し歩くと、双円形のモスクが見えてきた(おそらく工場)。町の中でも目立つ建物を目印に歩いていくと目的地にたどり着きやすい。しかし、このモスクの存在は知らなかった。



止まれの看板。住宅街に入ると、自分たちがどこにいるのか全くわからなくなってしまう。住宅地こそ、最大の難所なのである。こんな時にできることは3つくらいある。いや、3つくらいしかない。

①近所のおばちゃんとか道に詳しそうな人に尋ねる。
②家のポストや電柱に貼ってある住所を確認する。
③道路沿いの看板や道案内を探す。



道中、こんな看板を発見。「ふちゅこま」というゆるキャラが付いている。スズメの絵が描かれた財布を持っている所が、なかなかにキュートだ。府中市の分倍河原まで来たことを知った。まだ、歩き始めて2時間程度。もう少しで歩行距離も10kmになりそうだ。まだまだ足もよく動くし、疲労感は少ない。



分倍河原の駅を越えて、熊野神社にたどり着いた。この神社にはなんと古墳があるらしい。面白そうなので、好奇心半分に行ってみることにした。


(photo by Masashi Kawashita)

あった。神社の裏に、ピタリとくっつくようにして古墳が広がっていたのだ。こんな場所があるなんて知らなかった。住宅街にひっそりと古代の遺跡が埋もれているというのは、ロマンに満ち溢れている。「ワシは古代の王じゃ」とか言って古墳の穴から誰か出てきたらびびるが、そういうことは妄想にとどめておく。



府中は住宅地が続く。どこにでもありそうな風景。疲労感も少しずつ出てきた。こういう風景で唯一面白みを感じるのは、サビだ。茶色、赤色、ピンク色。なぜサビはこんなにいろんな色に変化するんだろうなどと考える。長い距離の旅だと、何か問いを持ちたくなる。哲学者のように…。暇なのだろうか。



着いた、府中駅。府中市がとにかく長い。なぜこんなに長いのだろうか。疲れたせいか手元が微妙に狂っていて、府中駅の府の文字が街灯に隠れている。ちなみに、ここら辺からしばらく道に迷うことがなくなった。長くて太い甲州街道を歩いているからだ。これは便利な道である。もう13:00になったので、そろそろ飯が食いたい。選ぶ基準はとにかく安くてたくさん食えることだ。



近くにラーメン屋を発見したので、入ってみることにした。これは大当たりだ。ラーメン屋なのに、店内に観葉植物が生えるかのごとくおしゃれである。700円くらいでラーメンが食べられるだけでなく、白ごはんが食べ放題。

確か、ラーメン屋の名前は「春 夏 冬 正」だった。秋はどこに行った?とツッコミたくなった。秋がないということは、商い、飽きない、ということだろう。しかし、よく調べてみるとこのラーメン屋の読み仮名は「シュンカトウマサ」らしい。これでは、秋の読み方が「シュウ」になってしまう。しかも、「マサ」ってなんだ。「春夏冬」というお店はたくさんあるらしいので、この店が正当なる「春夏冬」ということだろうか。本家と分家的な…。謎が尽きないので飽きない。



調布あたりまで来た。1964年に東京オリンピックが行われた時の競歩の折り返し地点の石碑が建っている。へえ、ここで折り返したんだと新たな豆知識が増える。使えるかどうかわからない知識ではあるが、自分も競歩に勝手に参加した気持ちになって足早に歩く。そう、僕は歩いているんだ。この東京という混沌とした様々な文脈が渦巻くグレーな街を..。長距離散歩の醍醐味は、偶然な出会いと発見である。



調布インターまで来た。高速道路の出口になんか散乱している。ボンドであろうか。車によるリアルボーリングによって無残に破壊されていた。こんなボーリングあるわけない。「高速道路出口進入禁止」のピンを倒したらマジで怒られるだろう。



調布市もなかなかに長い。もう15:00だ。他のメンバーもなかなかに苦戦して、足をひきづる人も出てきた。歩行メンバーは変人が集まっているとはいえ、人間なので基本的に体力を消耗する。お店の前に整列する馬の置物がおしゃれだったので撮っておく、というような余裕はある。しかし、予想外に東京の道は排気ガスに苦戦させられている。すでに20kmは歩いただろうか。



こういう風景はエモい。



さて、明大前駅まで着いた。電車の発着を無言で眺めながら、休憩する。僕らが柵に掴まりながら呆然と電車を眺める光景は、周りから見れば滑稽であったろう。自分はなぜこんなよくわからない挑戦をしているんだろうと思うことはある。しかし、もう長距離を歩くことに慣れてきた。

現代的な風景に囲まれながら電車に乗って運ばれると、歩いている自分がおかしいように見えるかもしれないが、江戸時代までは僕の方が正統派だったのだ。皆、1日40kmなど当たり前に歩いていた。歩くという行為は非常に面白い。地理的なつながりが感じられて、自分の目線が一段高くなったように思える。ここまで来れば、新宿まであと少しだ。



明大前の町並みは少し人情が滲み出ており、親近感を覚える。提灯をみるとなぜか安心する。

それから、徐々に暗くなってきた。
日が暮れて太陽がビルの合間に沈んでいく。
今日という一日を、僕はどう振り返るのだろうか。

足がみんな疲れていたので、マックで休んだ。
腹が減ったので、ソフトクリームを食べた。
もう少しで新宿だ。
新宿の街灯が輝く町並みが見たい。
重い腰を上げて歩き出す。

皆、ここまで来たのだから文京区まで行きたいという思いがある。
その信念で、一歩一歩進んでいく。
見たことがない景色と地理的繋がりを感じて、ゴールしたい。






やっと新宿まで来た。18:00をまわった。新宿は空間あたりの解像度が高い街だ。看板の数が多くて、ビルの壁じゅうをひしめき合っている。今まで歩いてきた住宅街の多い道とは、全く風景が違う。人が重なるように道路にあふれ、蟻のように列をなす。一人一人の価値は皆平等なはずなのに、命の価値を比べようとしてしまう。八王子から徐々に都会化した街は新宿でその頂点に行き着いた。



高いビルの合間を縫って歩く。ここでなんか一つ気持ちが頂点に達して、あれ、まだ歩くんだと再確認しないといけなかった。そうだ、僕らは文京区まで歩くんだった。それにしても、他の3人は一人も脱落することなく、ここまできている。皆でゴールしたい。



途中、四谷あたりで、奇妙な看板を見た。不動産屋が自分で「たかすぎ」と自嘲しているのだ。高級志向でない不動産屋で、アパートなどを扱っているようである。それにも関わらず、「たかすぎ」では、なかなか困ったもんだ。

しかし、この矛盾こそが、この不動産屋の魅力なのかもしれない。この不動産屋の社長はきっと高杉という名前の人物で、価格が高すぎる物件を扱うというダジャレ好きなおじさんなのだろう。「たかすぎ物件はいかがですか!?」と言われると、どうも高杉さんを買いたくなってしまう。きっとそういう愛嬌溢れる人であることを望む。



さて、飯田橋まで来て道端に地図を発見。看板に地図が描かれていると、Google mapがなくてもかなり正確に歩けてしまう。ゴールの後楽園が見えてきた。

餃子100個を食べる大食いチャレンジのお店があって、腹一杯食べたくなった。しかし、ここは我慢して、未知の土地を食すように、好奇心を頼りに一歩一歩進んでいく。都心でも自分が歩いたことがない土地は未知である。

南米アマゾンに行かなくても、人間にとって未知は存在するのだ。ここでいう未知とは、個人個人の見た景色と物語によって紡がれるのである。7大陸最高峰を最年少で到達したという記録的冒険がやり尽くされつつある現代において、僕を長距離徒歩へのと誘うものは自分が味わったことがない景色と物語なのだ。

母校の大学が都心に移転するという事実がなければ、八王子から文京区まで歩こうなどとは思わなかっただろう。これは明らかな一本道ではなく、Google mapがないと迷ってしまう世界の80億人がほとんど歩かないルートでありながら、他の人には歩く理由すらなかなか見つからないというルートなのである。


(photo by Masashi kawashita)

ついに後楽園駅と母校の移転先のキャンパスについた。時間はもう21時を回っている。なかなか苦戦したが、12時間の奮闘の末に変人学部の仲間3人とともに全員でゴールできた。とても感慨深い。制限時間を10時間に設定していたが、結局2時間オーバーしてしまった。ゴール後は、サイゼリヤで低コスト飲みをして帰った。

徒歩の旅は複数人でやっても結局疲れて無言になるので、自己対話が多い。しかし、こうして最後に飲みをして口を大いに動かせたのは良かった。変人学部の変人達といえども、大抵は地球という広大な強者に圧倒されて打ち負かされてしまう。それにしても、この長い距離を歩くこと自体を多くの場合変人と捉えられてしまうなんて、ここ100年の高度化した人間の交通インフラ発展の賜物なわけで、それで変人と名乗れるなんてありがたい話だ。今後も変人の一人として、魅力的なぜひ徒歩旅を実施していきたい。

ps. 大学移転の社会的背景
なぜ、戦後に大学は郊外に作られたのか。その理由の1つとして、東京への人口流入を防ぐために作られた1959年制定の工場等制限法により、施設の新設や増設が禁止されたことが大きく関わっているようだ。18歳人口が増え大学進学率が増加したため、大学は制限区域でない郊外にキャンパスを拡充させた。しかし、2002年に工場等制限法は廃止され、現在は周辺環境の魅力充実を図るために大学を都心に回帰させる動きが強まっている。その社会的背景もあり、母校も都心回帰を決定したのだろう。実際に郊外から都心まで今回歩いてみると、ゴールに近づくにつれておしゃれなお店や遊ぶところがたくさん増えていった。今回、まさに大学生にとっての魅力を体感する歩行でもあったのである。






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稲村行真

文章を書きながらも写真のアート作品を製作中。好奇心旺盛でとにかく歩くことが好き。かつてはご飯を毎食3合食べてエネルギーを注入していた。

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