飛騨高山・荒れる直前の二十四日市を歩いたよ
- 更新日: 2023/03/15
昔から地元の人に愛されている飛騨高山の「二十四日市」、三年ぶりにぶらぶら歩いてきました。
飛騨高山には、毎年1月24日に開催される市(いち)がある。
24日に行われるから、そのまんま「二十四日市」(にじゅうよっかいち)と呼ばれている。
始まりは江戸時代らしい。当時は旧暦の年の瀬24日に「年越し用のものを売買するため」に行われていたとのこと。
日本の昔話『かさじぞう』を読むと「山奥に住むおじいさんが笠を作り、大晦日の日に山を下りて町へ売りに行った」という場面が出てくるけど、イメージとしてはあんな感じだろうか。
やがて時代は明治になり、日本の暦が新暦へと切り替わると、毎年決まっていた市の日が、年明けの1月にずれ込んでしまった。
そこで、そのまま1月24日に開催することにして、名称も「二十四日市」となり、今に至る…という訳である。
そして、この二十四日市は、昔から「荒れる二十四日市」と言われてきた。
何故か不思議なことに、この日は悪天候になるのだ。
例えば、氷点下10℃以下の極寒日になったり、大雪が降ったり…等々。しかし地元の者は、先祖の代から「この日は荒れる」と言い伝えられているので、もう慣れっこである。
ちなみに今回もお約束通り、1月24日は「10年に一度の大寒波が襲来する」という予報だった。
恐るべし、二十四日市!
(今年の新聞折込チラシ)
二十四日市が開催されるのは、本町通り商店街と安川通り商店街の二か所。高山市街地の中心地である。この日が近づいてくると、各商店街から折り込みチラシが配られる。
売られるものは毎年ほぼ同じなのに、見ていると、自然と気持ちが高揚してワクワクしてくるから不思議だ。
ここ数年はコロナのため縮小されて催されてきたけど、今年は3年ぶりの通常開催である。楽しみにしている人も多いだろうな。
「さて、何を買おうかな?」チラシを見ながら、お目当ての店舗や商品をチェックするのも、お楽しみの一つ。
1月24日(火)。いよいよこの日がやってきた。
朝、自宅を出発。車を走らせ、弥生橋駐車場に到着した。
私が入庫したら、満車マークが点灯。滑り込みギリギリセーフだったよ。
この弥生橋駐車場は、本町商店街にほど近い所にあるから、争奪戦になると見込んでいたのよね。ここに車が停められたのは本当にラッキーだった。
駐車場の時計を見ると午前10時過ぎ。二十四日市は朝9時からの開催である。急がなくっちゃ。
道に出ると、ご覧の通り、道路には雪が全く無い。
大抵この時期は銀世界なのに、今季はドカッと降っても、その後、きれいに溶けてしまう。もしも今朝、雪がたくさん降ったら、雪かきをしてからじゃないと外出できないから、この状態は住民にとってとてもありがたいことだ。
しかし、午後からは「10年に一度の大寒波」がやってくるとのこと。
本当に来るのかしら?大袈裟に脅かし過ぎじゃないの?気象庁さん。
…なんて思いながら、雪のない道を歩く。
さて、右に曲がって弥生橋を渡る。
こちらが弥生橋。
今日は観光客よりも地元の人の往来(車も含む)が多い気がする。
多分、私のように二十四日市を楽しみにして来た人たちだよ、きっと。
橋を渡り終えて少し歩いたところで、やよい横丁の標識と生垣の木々が縄で縛られているのに気づいた。飛騨では見慣れた光景だ。
これは「雪囲い」。雪の重みで木が折れないよう、初雪が降る前に木々を縛って固定し、春までこうしておく。木を無事に越冬させるための雪国の知恵である。
でも、雪が全然無いから、なんだか不思議な感じがするね。
そうこうしているうちに、二十四日市が開催されている本町通り商店街に到着した。
まずは4丁目から歩こう。
本町4丁目に入って早々、目に飛び込んできたのが、飛騨牛コロッケのキッチンカー。
食料品店の出店。女性客が足を止めて、商品を覗きこんでいた。
本町通りは、1丁目から4丁目までの歩道部分が全てアーケードになっている。いつもは自動車が往来している車道も、二十四日市のため全面「歩行者天国」となり、露店がたくさん並ぶ。
この時、高山の気温は2℃。
都会で2℃は「極寒」なんだろうけど、真冬の高山では、気温が2〜3℃あると「のくたい」(飛騨弁で温かい)という認識になる。
空は今にも雪か雨がこぼれ落ちそうな雰囲気。でも、なんとか持ちこたえている感じ。
今のところは、荒れるどころか、とても穏やかな二十四日市である。
老舗衣料品店のワゴンセール。昔ここで中学校の制服を買ってもらったなぁ…と思い出す。ワゴンには激安バッグが積まれていた。
こちらは街の電気屋さんのセール。掘り出し物が見つかりそう。
…と、ここで「肘神神社」の看板が目に入る。
ん?これはもしかして…⁉
おおおおおーーーー!
飛騨出身のお笑いグループ『流れ星☆』のちゅうえい君と瀧上君ではないか。
これが肘神様をお祀りしているという肘神神社だよ。小さいけど本格的な造りの社殿。
屋根が銅板になっていて、彫刻もかなり凝っていて、非常に立派な社(やしろ)だった。飛騨の匠の傑作だろうか。
ちなみに、この肘神神社の建立は2018年。
もとは、流れ星☆のネタに出てくる架空の神様「肘神様」である。
コントがヒットした後、ファンから「肘神神社を参拝したいんですが、どこにあるんですか?」とよく尋ねられるため、彼らはクラウドファンディングで資金を集め、この地に肘神様の社を建てたのだった。更には、建立記念に(本町商店街の協力のもと)、この神社の前で肘祭りも開催している。
飛騨地方は昔から神社数が多く、また、昔から氏神様を大事にしていて神様が好きな人も多いから、「神社」と名がつく以上、きちんと正統に祀るんだよね。
お賽銭が奉納されているのを見ると、今も参拝者が訪れているのだろう。
せっかくだから私もお参りして、肘神様に私と家族の肘の健康を祈願した。
神社を出て、再び商店街に戻る。
本町3丁目に入ると、露店や出店がいっきに増えて、急に賑やかになった。
艶々のミカンとふっくら干し柿がてんこ盛り。
歩行者天国には、地元の店舗の出店だけでなく、他県からきた露天商の店も数多く並んでいた。
バケツにメガ盛りの落花生。店番のお兄さんたちの威勢のいい声に、ついつい引き寄せられてしまう。
こちらは地元の老舗画廊のワゴンセール。いろんな額縁を激安販売。
歩き疲れた人は、ここで一杯いかが?
お腹が空いた人は、ここで一杯どう?名古屋から来たうどん屋さん。愛知県産のしらすの天ぷらが気になる。
ここは山国だけど、海の幸を売る出店もある。
飛騨は北陸に近いこともあり、昔から富山の魚が飛騨に運ばれ食べられてきた。昔は歩荷(ぼっか)で塩漬けした魚が運ばれてきたけど、今は車を使って鮮度のいい魚が入ってる。
覗いて見ると、美味しそうな干物がずらりと並んでいた。
こちらは手編みの笠とざる。
こうした昔懐かしい生活雑貨が販売されるのも、二十四日市の面白いところ。
ちなみに笠は、飛騨では今も日常的によく使われていて、外で作業をするおじさん達のマストアイテムだ。
通気性が良くて蒸れないから夏は涼しいし、冬は雪の水分で編み目が詰まり水が漏れてこないから雪かきに最適。一年中使える逸品。一つあると便利だよ。
真剣なまなざしで、笠を吟味するおじいさんがいた。今年のマイ笠をチョイスしているのだろうか。
大人しかいない人混みの中で、珍しく子どもの姿を見つけた。先生に引率されて見学に来ていた地元の小学生である。
そこで、ふと、私は子どもの頃、この二十四日市に一度も来たことがなかったわ…と思い出した。
この日はだいたい平日で学校があったし、親や学校が連れて行ってくれることも無かった。
大人になり、社会人になってからも、やはり平日は仕事があるから行ったことがなかった。
そんな私が、初めて二十四日市デビューを果たしたのは、仕事を辞めた30代の頃。ようやく自由な時間ができたので、前からずっと気になっていた二十四日市に行ってみようと思った。
初めて歩いたあの日。
昔から「荒れる二十四日市」とは聞いていたけど、デビュー当日も、言い伝え通りの悪天候で、朝は-14℃くらいまで冷え込み、日中も氷点下のままで、時々雪がちらついていた。この状況に「やっぱり荒れるんだなぁ」と感心したことを今も覚えている。
お会計のたびに手袋を外すから、手指がかじかんで小銭が上手く掴めなかったり、長い時間外を歩いたため、冷えて頬や足の爪先がジンジンと痛くなったり…等、寒い中でのお買い物はいろいろ大変だったけど、心はホカホカと温かく、自然と笑顔が溢れ、財布の紐はゆるみっぱなしだった。
こうして買ってきたものを家に持って帰り、家族に一つ一つ見せながら、掘り出し物を見つけた歓びや、道すがら懐かしい人とバッタリ会えて嬉しかったことを話し、新しく見つけたお店や店員さんとのやり取りが楽しかったことを、面白おかしく伝えた。
何なんだろうね、あの「ホッとする」感じ。
古き良き飛騨高山の、アットホームな懐かしい空気に包まれる。
二十四日市に行くと、昔の自分に出会えるような気がするんだよね。本当に不思議だ。
私が子どもの頃からある文具屋さん。今も健在。
お隣の飛騨市・河合町からの出店。人だかりができている。「何だろう?」テントの中を覗いて見たら…
岩魚の塩焼きと五平餅を販売していた。マスク越しでも、美味しそうな匂いが伝わってきた。
こちらは、鍋とフライパン。
鍋の横では、外国人観光客が越前包丁のことをお店の人に熱心に尋ねていた。
そういえば、私も以前、二十四日市で包丁を買ったなぁ…と思い出した。金物屋さんの前で立ち止まり、並べられていた商品を見ていたら、お店の人が「これ、すごく良いものなんですよ」と勧めてくれたんだよね。
あの時、買った包丁は今も大切に使っている。
本町3丁目を通り抜け、交差点に辿り着いた。信号が青に変わるのをじっと待つ。
四つ角の路肩には、年末に降った大雪の名残が今も溶けずに残っていた。
道路を渡って、本町2丁目に突入。
普段は「飛騨の駄菓子」を作ってる地元のお菓子屋さんの出店。饅頭や蒸しパンを販売していて、女性客がたくさん集まっていた。
こちらはお茶屋さん。店の外に茶箱を出しての大特価販売。地元のお客さんで賑わっていた。
こちらの岩魚の塩焼きには、英語の説明書きがついていた。インバウンド効果で、海外からのリピーター客も多い飛騨高山。英語だと岩魚は「Cher Fish」っていうのか。なるほど、勉強になる。
おっと、人だかりができているテントを発見。中を覗いて見たら…。
売られていたのは、手編みのざる。地元で「しょうけ」と呼ばれているものだ。
こちらのしょうけは、高山市久々野町の小屋名地区で代々伝わる『小屋名しょうけ』である。岐阜県の重要無形民俗文化財に指定されている。
しょうけは、野菜の水切りや米あげなどに使われてきた台所用品の一つである。「升受(しょううけ)」がなまって「しょうけ」になったと言われている。
しょうけには2種類あり、口がついているものは「片口しょうけ」、口がついていないものは「丸じょうけ」と呼ばれ、上の写真は、上部に口がついているから「片口しょうけ」である。
テントの横では、小屋名しょうけ保存会の人が、しょうけ作りの実演をしていた。
昔ながらの鎌や鉈を加工した手作りの道具を使い、真ん中から竹を輪に固定して縦に竹を入れながら編み上げていく。かごの最後の部分をだんだんと小さくしていくところが難しく、高度な技術が必要だ。
さすが名人。慣れた手つきで器用に緻密に編み込んでいた。
小屋名しょうけとマスクさるぼぼ。
余談になるけど、このマスクをしたさるぼぼは、飛騨さるぼぼ製造協同組合が製作した『感染対策特別さるぼぼ』である。コロナ禍の最中、感染予防の啓発に使ってもらおうと飛騨地内の施設や団体に無償で寄贈された。
さるぼぼの前掛けの言葉「そしゃ!感染対策やぞ!」は飛騨弁で、標準語に訳すと「よし!それじゃあ感染対策をするぞ!」という意味。
今も、このさるぼぼは、飛騨各地の公共施設や病院・銀行等の待合室の椅子の上に、ちょこんとかわいく置かれている。
コロナ禍初期の緊急事態宣言中、街の至る所にあるこのさるぼぼを見て、ホッと心が癒されたんだよなぁ。
コロナで息苦しくつらかった暗黒の日々も、今となっては懐かしい思い出だ。
さて、まだまだ続くよ、飛騨の伝統工芸品。
こちらは『有道しゃくし』。読み方は「うとうしゃくし」。
先ほど紹介した小屋名しょうけと同じく、高山市久々野町の有道(うとう)地区で代々作られてきた手作りの木杓子である。
随筆家・白洲正子氏が、著書『日月抄』の中で、この有道しゃくしのことを取り上げて「杓子の中の王様」と讃えたことから、全国にファンも多い。
かつては農家の手仕事で作られてきたが、今は有道しゃくし保存会の皆さんによって、脈々と製作されている。
材料は、朴(ほう)の木である。
私も一本持っているけど、使う度に、作り手さんの手の温もりと優しさが、フワッとこちらに伝わってくるような…なんとも不思議な趣があるんだよね。当たりがやさしいから、鍋やフライパンを傷つけないし、具材を崩さずすくえるから、とても重宝している。
更に、もう一つのテントを覗いて見ると…。
こちらは高山市一之宮町の『宮笠』(みやがさ)。
テントの屋根に記されてある「宮村」とは、一之宮町のこと。平成の大合併によって、大野郡宮村から高山市一之宮町へと地名が変わった。だけど「宮笠」という名称は、今もそのまま残っている。
宮笠も、小屋名しょうけや有道しゃくしと同様、一之宮町で古くから継承されてきた伝統工芸品だ。
昔は地区の農家でたくさん作られてきた宮笠も、時代と共に作り手が減っていき、今は一軒のみとなってしまったとのこと。
宮笠には、いくつか種類がある。
ヒノキで編んだ白っぽい色の「ヒノキ笠」、イチイの板で編んだ赤っぽい色の「イチイ笠」、ヒノキとイチイの両方を使った「紅白」、イチイで編んだ3匹のセミがヒノキ笠に止まっているように見える「セミ笠」。上の写真は「紅白」タイプだ。
どれも手の込んだ造りで、とても美しい。見事な民藝品である。
この日は、地元の小学生たちが地域学習の一環で見学に訪れていた。
さらに歩く。
家具屋さんのセール。飛騨は家具作りが盛んな地域だ。お値打ち品がたくさん並んでいた。
食料品店の特売品。「ねずし」(寝鮓)とは、飛騨の郷土料理で「なれずし」のこと。
山積み商品が飛ぶように売れていく。積まれたイチゴを箱買いしていくお客さんがたくさんいた。
箱買いのお客さんにつられて、私も2パックお買い上げ。家で食べてみたら、実がしっかりしていて甘みも強く、食べ応えがある美味しいイチゴだった。
こちらは地元で人気の自家製ヨーグルト専門店。
飲むプレーンヨーグルト2本セットを購入。家で飲んでみたら、まろやかな甘味とやさしい風味で美味しかった。これはヨーグルトが苦手な人でもグイグイ飲めちゃうと思う。
味噌屋さんの前には、朴葉味噌の試食コーナーが設置されていた。これでご飯3杯くらいは軽くいけちゃうんだよね。
飛騨の駄菓子・手焼きせんべい。赤ちゃんせんべいのように軽くサクサクして、口の中で溶けてしまうので、爺ちゃん、婆ちゃん、孫のおやつに最適。
街角にわずかに残る雪。
時間の経過とともに、だんだん人が多くなってきた。
国内外からの観光客も見かけるけど、やはり地元の人がほとんどだ。
歩いていると、あちこちで「久しぶりやなぁ」「まめ(元気)やったけな」という声が聞こえてくる。
二十四日市は、私が生まれる前からある恒例行事で、地元ではご年配層にファンが多い。
今日は雪がなくて歩きやすかったから、ご高齢のお客さんがたくさん来ていた。
ここ(二十四日市)に来ると、必ず知った顔に会えるのも、魅力の一つだ。
通りすがりに知人を見つけて声をかけ、立ち話に花を咲かせる市民がたくさんいた。皆さん、楽しそう。
こちらの一角では、おじさんたちが何やら真剣に見入っていた。はて、何だろう?
なんと!四コマ漫画だった。これは面白い。
月替わりで新作が公開されるのかな。また読みに来よう。
ぶらぶら歩いていたら、最後の交差点に辿り着いた。この道路を渡ると、本町1丁目に入る。
3丁目や2丁目と比べると、ここ1丁目はひっそり静かな雰囲気だけど、地元客&常連客で賑わっているお店があちこちにあった。
豆腐屋さんの店頭。油揚げや厚揚げが並んでいた。
飛騨の郷土料理「こも豆腐」。人気商品らしく、残りわずかになっていた。
こも豆腐は、わらを編んで作ったむしろの「こも」で、豆腐を包んで茹でたもので、豆腐の内部にスが立ち無数の気泡ができるため、独特の食感がある。
最近はご飯のおかずにして食べることが多いけど、昔は例祭や正月など、人がたくさん集まった時に振舞われる御馳走の一つだった。
実は、こも豆腐、私の大好物なのよ。
自分で味付けして煮含める時もあるし、写真のように既に味付けしてあるものを買ってくる時もある。
さて、豆腐屋の向かいを見ると…。
美味しそうなものを販売しているテントがあった。ここでいつも蒸し寿司を買うんだけど…。
今回はこちらの味ごはんをゲット。家に持って帰って、夕ご飯に食べてみた。味がギュッとしみて美味しかったよ。
さて、次の商店街へと向かおう。
また更に人が増えてきた。老若男女様々な人々が、通りを行き交う。
もと来た道をまた歩き、本町2丁目と3丁目の境の交差点で、右に曲がる。
こちらは鍛冶橋。鍛冶橋を渡った先が、安川通り商店街である。
橋の欄干に鎮座している「手長(てなが)」さん。
これは、高山祭の祭り屋台「恵比須台」に装飾されている彫刻(手長足長)を模して、平成時代に製作されたもの。
もう一方の欄干には、「足長(あしなが)」さんが立っていた。
実はこの手長足長さんはご夫婦で、手長さんは妻、足長さんは夫なんだよね。車道を間にはさんで向かい合い、いつも見つめ合っている二人。
さて、安川通り商店街をぐるりと歩いてみよう。
路肩に残っている雪で遊んでいる子どもを発見。観光客らしき外国人ファミリーの子どもたちだった。
わずかに残っている雪で、可愛らしい雪だるまを作っていた。
安川通りでは、歩道に出店を置かず、店内で安売りをしている店舗が多かった。
人通りは多いけど、出店や露店がないから、いつもとあまり変わらない風景に見える。
履物屋さんのワゴンセール。
土産物屋なのか?古美術屋なのか?ちょっと不思議なお店を見つけた。店頭の商品を見ると…。
かっこいい鍋敷きを発見。他の品物も、いわくありげな怪しい雰囲気が漂っていて、それがチョイいい感じ。
安川通りでも海の幸に遭遇。富山産の鱈がいっぱい。
お茶屋さんのセール。ここで足を止めて、商品をじっくり見ていく人が多かった。
安川通りをぐるりと回って、また本町商店街に戻ってきたよ。
最後にもう一度、本町を歩いてこよう。
客層を見ると、さっきまでは高齢世代が多かったけど、若い世代も増えてきた。
外で立ちっぱなしは冷えるよね。石油ストーブの前で暖をとるおじさん。
道行く人も、防寒対策はバッチリ。
地元の老舗おもちゃ屋さんの出店。かわいらしい雛人形が売られていた。一足早く、ここは春。
歩道に埋め込まれた案内板。矢印のみのシンプル案内、これは方向音痴には嬉しい配慮。
ペット用品のショップでは、ワンちゃん専用お散歩カートが販売されていた。
歩道の真ん中に残っている雪。
日当たりは良さそうな所なのに、何故か雪がとけずに残っていて、「えっ?どうして?」と不思議に思うことがある。ここがまさにそれ。何か法則があるのだろうか?
女装した飛び出し坊や。これは、アニメ『氷菓』に登場する千反田えるちゃんである。
今も『氷菓』の巡礼者が訪れる街、飛騨高山。
街を歩き、珍しいものを見つけて手に取り、目当てのものを買い、地元の知人に会って挨拶をして、お喋りをして、また歩いて…。
この繰り返しなのに、とても楽しかった。
みんなマスクをしていたけど、あの四角い不織布では抑えきれない人懐っこい笑顔が、至る所に溢れていた。そして、明るい笑い声と聞きなれた飛騨弁があちこちで飛び交っていた。
これらが、胸にじんわり心地よく響いている。
あぁ、みんな待っていたんだな、この瞬間を…。
「きっと今年はいい年になる」
そんな気がしてきたよ。
本町4丁目を出て、また弥生橋に戻ってきた。
さて、帰りますか。
橋から北の方角を眺めると、遠くの山を雪雲が覆っているのが見えた。
「おぉ、大寒波の雲だわ」
…しかし、私が帰路についた頃から、だんだん風が強くなり、雪が降り始め、やがて今まで体験したことがない猛吹雪となった。気温もいっきに急降下して、ホワイトアウト状態へ。
お約束通り、午後からは「荒れる二十四日市」となったが、もう「超」がつくくらいの荒れっぷり。
天と地ほど天候が急変する…というパターンは、今までになかったもので、また新たな「二十四日市」伝説が生まれたのだった。
さて、来年はどうなることやら。
24日に行われるから、そのまんま「二十四日市」(にじゅうよっかいち)と呼ばれている。
始まりは江戸時代らしい。当時は旧暦の年の瀬24日に「年越し用のものを売買するため」に行われていたとのこと。
日本の昔話『かさじぞう』を読むと「山奥に住むおじいさんが笠を作り、大晦日の日に山を下りて町へ売りに行った」という場面が出てくるけど、イメージとしてはあんな感じだろうか。
やがて時代は明治になり、日本の暦が新暦へと切り替わると、毎年決まっていた市の日が、年明けの1月にずれ込んでしまった。
そこで、そのまま1月24日に開催することにして、名称も「二十四日市」となり、今に至る…という訳である。
そして、この二十四日市は、昔から「荒れる二十四日市」と言われてきた。
何故か不思議なことに、この日は悪天候になるのだ。
例えば、氷点下10℃以下の極寒日になったり、大雪が降ったり…等々。しかし地元の者は、先祖の代から「この日は荒れる」と言い伝えられているので、もう慣れっこである。
ちなみに今回もお約束通り、1月24日は「10年に一度の大寒波が襲来する」という予報だった。
恐るべし、二十四日市!
(今年の新聞折込チラシ)
二十四日市が開催されるのは、本町通り商店街と安川通り商店街の二か所。高山市街地の中心地である。この日が近づいてくると、各商店街から折り込みチラシが配られる。
売られるものは毎年ほぼ同じなのに、見ていると、自然と気持ちが高揚してワクワクしてくるから不思議だ。
ここ数年はコロナのため縮小されて催されてきたけど、今年は3年ぶりの通常開催である。楽しみにしている人も多いだろうな。
「さて、何を買おうかな?」チラシを見ながら、お目当ての店舗や商品をチェックするのも、お楽しみの一つ。
1月24日(火)。いよいよこの日がやってきた。
朝、自宅を出発。車を走らせ、弥生橋駐車場に到着した。
私が入庫したら、満車マークが点灯。滑り込みギリギリセーフだったよ。
この弥生橋駐車場は、本町商店街にほど近い所にあるから、争奪戦になると見込んでいたのよね。ここに車が停められたのは本当にラッキーだった。
駐車場の時計を見ると午前10時過ぎ。二十四日市は朝9時からの開催である。急がなくっちゃ。
道に出ると、ご覧の通り、道路には雪が全く無い。
大抵この時期は銀世界なのに、今季はドカッと降っても、その後、きれいに溶けてしまう。もしも今朝、雪がたくさん降ったら、雪かきをしてからじゃないと外出できないから、この状態は住民にとってとてもありがたいことだ。
しかし、午後からは「10年に一度の大寒波」がやってくるとのこと。
本当に来るのかしら?大袈裟に脅かし過ぎじゃないの?気象庁さん。
…なんて思いながら、雪のない道を歩く。
さて、右に曲がって弥生橋を渡る。
こちらが弥生橋。
今日は観光客よりも地元の人の往来(車も含む)が多い気がする。
多分、私のように二十四日市を楽しみにして来た人たちだよ、きっと。
橋を渡り終えて少し歩いたところで、やよい横丁の標識と生垣の木々が縄で縛られているのに気づいた。飛騨では見慣れた光景だ。
これは「雪囲い」。雪の重みで木が折れないよう、初雪が降る前に木々を縛って固定し、春までこうしておく。木を無事に越冬させるための雪国の知恵である。
でも、雪が全然無いから、なんだか不思議な感じがするね。
そうこうしているうちに、二十四日市が開催されている本町通り商店街に到着した。
まずは4丁目から歩こう。
本町4丁目に入って早々、目に飛び込んできたのが、飛騨牛コロッケのキッチンカー。
食料品店の出店。女性客が足を止めて、商品を覗きこんでいた。
本町通りは、1丁目から4丁目までの歩道部分が全てアーケードになっている。いつもは自動車が往来している車道も、二十四日市のため全面「歩行者天国」となり、露店がたくさん並ぶ。
この時、高山の気温は2℃。
都会で2℃は「極寒」なんだろうけど、真冬の高山では、気温が2〜3℃あると「のくたい」(飛騨弁で温かい)という認識になる。
空は今にも雪か雨がこぼれ落ちそうな雰囲気。でも、なんとか持ちこたえている感じ。
今のところは、荒れるどころか、とても穏やかな二十四日市である。
老舗衣料品店のワゴンセール。昔ここで中学校の制服を買ってもらったなぁ…と思い出す。ワゴンには激安バッグが積まれていた。
こちらは街の電気屋さんのセール。掘り出し物が見つかりそう。
…と、ここで「肘神神社」の看板が目に入る。
ん?これはもしかして…⁉
おおおおおーーーー!
飛騨出身のお笑いグループ『流れ星☆』のちゅうえい君と瀧上君ではないか。
これが肘神様をお祀りしているという肘神神社だよ。小さいけど本格的な造りの社殿。
屋根が銅板になっていて、彫刻もかなり凝っていて、非常に立派な社(やしろ)だった。飛騨の匠の傑作だろうか。
ちなみに、この肘神神社の建立は2018年。
もとは、流れ星☆のネタに出てくる架空の神様「肘神様」である。
コントがヒットした後、ファンから「肘神神社を参拝したいんですが、どこにあるんですか?」とよく尋ねられるため、彼らはクラウドファンディングで資金を集め、この地に肘神様の社を建てたのだった。更には、建立記念に(本町商店街の協力のもと)、この神社の前で肘祭りも開催している。
飛騨地方は昔から神社数が多く、また、昔から氏神様を大事にしていて神様が好きな人も多いから、「神社」と名がつく以上、きちんと正統に祀るんだよね。
お賽銭が奉納されているのを見ると、今も参拝者が訪れているのだろう。
せっかくだから私もお参りして、肘神様に私と家族の肘の健康を祈願した。
神社を出て、再び商店街に戻る。
本町3丁目に入ると、露店や出店がいっきに増えて、急に賑やかになった。
艶々のミカンとふっくら干し柿がてんこ盛り。
歩行者天国には、地元の店舗の出店だけでなく、他県からきた露天商の店も数多く並んでいた。
バケツにメガ盛りの落花生。店番のお兄さんたちの威勢のいい声に、ついつい引き寄せられてしまう。
こちらは地元の老舗画廊のワゴンセール。いろんな額縁を激安販売。
歩き疲れた人は、ここで一杯いかが?
お腹が空いた人は、ここで一杯どう?名古屋から来たうどん屋さん。愛知県産のしらすの天ぷらが気になる。
ここは山国だけど、海の幸を売る出店もある。
飛騨は北陸に近いこともあり、昔から富山の魚が飛騨に運ばれ食べられてきた。昔は歩荷(ぼっか)で塩漬けした魚が運ばれてきたけど、今は車を使って鮮度のいい魚が入ってる。
覗いて見ると、美味しそうな干物がずらりと並んでいた。
こちらは手編みの笠とざる。
こうした昔懐かしい生活雑貨が販売されるのも、二十四日市の面白いところ。
ちなみに笠は、飛騨では今も日常的によく使われていて、外で作業をするおじさん達のマストアイテムだ。
通気性が良くて蒸れないから夏は涼しいし、冬は雪の水分で編み目が詰まり水が漏れてこないから雪かきに最適。一年中使える逸品。一つあると便利だよ。
真剣なまなざしで、笠を吟味するおじいさんがいた。今年のマイ笠をチョイスしているのだろうか。
大人しかいない人混みの中で、珍しく子どもの姿を見つけた。先生に引率されて見学に来ていた地元の小学生である。
そこで、ふと、私は子どもの頃、この二十四日市に一度も来たことがなかったわ…と思い出した。
この日はだいたい平日で学校があったし、親や学校が連れて行ってくれることも無かった。
大人になり、社会人になってからも、やはり平日は仕事があるから行ったことがなかった。
そんな私が、初めて二十四日市デビューを果たしたのは、仕事を辞めた30代の頃。ようやく自由な時間ができたので、前からずっと気になっていた二十四日市に行ってみようと思った。
初めて歩いたあの日。
昔から「荒れる二十四日市」とは聞いていたけど、デビュー当日も、言い伝え通りの悪天候で、朝は-14℃くらいまで冷え込み、日中も氷点下のままで、時々雪がちらついていた。この状況に「やっぱり荒れるんだなぁ」と感心したことを今も覚えている。
お会計のたびに手袋を外すから、手指がかじかんで小銭が上手く掴めなかったり、長い時間外を歩いたため、冷えて頬や足の爪先がジンジンと痛くなったり…等、寒い中でのお買い物はいろいろ大変だったけど、心はホカホカと温かく、自然と笑顔が溢れ、財布の紐はゆるみっぱなしだった。
こうして買ってきたものを家に持って帰り、家族に一つ一つ見せながら、掘り出し物を見つけた歓びや、道すがら懐かしい人とバッタリ会えて嬉しかったことを話し、新しく見つけたお店や店員さんとのやり取りが楽しかったことを、面白おかしく伝えた。
何なんだろうね、あの「ホッとする」感じ。
古き良き飛騨高山の、アットホームな懐かしい空気に包まれる。
二十四日市に行くと、昔の自分に出会えるような気がするんだよね。本当に不思議だ。
私が子どもの頃からある文具屋さん。今も健在。
お隣の飛騨市・河合町からの出店。人だかりができている。「何だろう?」テントの中を覗いて見たら…
岩魚の塩焼きと五平餅を販売していた。マスク越しでも、美味しそうな匂いが伝わってきた。
こちらは、鍋とフライパン。
鍋の横では、外国人観光客が越前包丁のことをお店の人に熱心に尋ねていた。
そういえば、私も以前、二十四日市で包丁を買ったなぁ…と思い出した。金物屋さんの前で立ち止まり、並べられていた商品を見ていたら、お店の人が「これ、すごく良いものなんですよ」と勧めてくれたんだよね。
あの時、買った包丁は今も大切に使っている。
本町3丁目を通り抜け、交差点に辿り着いた。信号が青に変わるのをじっと待つ。
四つ角の路肩には、年末に降った大雪の名残が今も溶けずに残っていた。
道路を渡って、本町2丁目に突入。
普段は「飛騨の駄菓子」を作ってる地元のお菓子屋さんの出店。饅頭や蒸しパンを販売していて、女性客がたくさん集まっていた。
こちらはお茶屋さん。店の外に茶箱を出しての大特価販売。地元のお客さんで賑わっていた。
こちらの岩魚の塩焼きには、英語の説明書きがついていた。インバウンド効果で、海外からのリピーター客も多い飛騨高山。英語だと岩魚は「Cher Fish」っていうのか。なるほど、勉強になる。
おっと、人だかりができているテントを発見。中を覗いて見たら…。
売られていたのは、手編みのざる。地元で「しょうけ」と呼ばれているものだ。
こちらのしょうけは、高山市久々野町の小屋名地区で代々伝わる『小屋名しょうけ』である。岐阜県の重要無形民俗文化財に指定されている。
しょうけは、野菜の水切りや米あげなどに使われてきた台所用品の一つである。「升受(しょううけ)」がなまって「しょうけ」になったと言われている。
しょうけには2種類あり、口がついているものは「片口しょうけ」、口がついていないものは「丸じょうけ」と呼ばれ、上の写真は、上部に口がついているから「片口しょうけ」である。
テントの横では、小屋名しょうけ保存会の人が、しょうけ作りの実演をしていた。
昔ながらの鎌や鉈を加工した手作りの道具を使い、真ん中から竹を輪に固定して縦に竹を入れながら編み上げていく。かごの最後の部分をだんだんと小さくしていくところが難しく、高度な技術が必要だ。
さすが名人。慣れた手つきで器用に緻密に編み込んでいた。
小屋名しょうけとマスクさるぼぼ。
余談になるけど、このマスクをしたさるぼぼは、飛騨さるぼぼ製造協同組合が製作した『感染対策特別さるぼぼ』である。コロナ禍の最中、感染予防の啓発に使ってもらおうと飛騨地内の施設や団体に無償で寄贈された。
さるぼぼの前掛けの言葉「そしゃ!感染対策やぞ!」は飛騨弁で、標準語に訳すと「よし!それじゃあ感染対策をするぞ!」という意味。
今も、このさるぼぼは、飛騨各地の公共施設や病院・銀行等の待合室の椅子の上に、ちょこんとかわいく置かれている。
コロナ禍初期の緊急事態宣言中、街の至る所にあるこのさるぼぼを見て、ホッと心が癒されたんだよなぁ。
コロナで息苦しくつらかった暗黒の日々も、今となっては懐かしい思い出だ。
さて、まだまだ続くよ、飛騨の伝統工芸品。
こちらは『有道しゃくし』。読み方は「うとうしゃくし」。
先ほど紹介した小屋名しょうけと同じく、高山市久々野町の有道(うとう)地区で代々作られてきた手作りの木杓子である。
随筆家・白洲正子氏が、著書『日月抄』の中で、この有道しゃくしのことを取り上げて「杓子の中の王様」と讃えたことから、全国にファンも多い。
かつては農家の手仕事で作られてきたが、今は有道しゃくし保存会の皆さんによって、脈々と製作されている。
材料は、朴(ほう)の木である。
私も一本持っているけど、使う度に、作り手さんの手の温もりと優しさが、フワッとこちらに伝わってくるような…なんとも不思議な趣があるんだよね。当たりがやさしいから、鍋やフライパンを傷つけないし、具材を崩さずすくえるから、とても重宝している。
更に、もう一つのテントを覗いて見ると…。
こちらは高山市一之宮町の『宮笠』(みやがさ)。
テントの屋根に記されてある「宮村」とは、一之宮町のこと。平成の大合併によって、大野郡宮村から高山市一之宮町へと地名が変わった。だけど「宮笠」という名称は、今もそのまま残っている。
宮笠も、小屋名しょうけや有道しゃくしと同様、一之宮町で古くから継承されてきた伝統工芸品だ。
昔は地区の農家でたくさん作られてきた宮笠も、時代と共に作り手が減っていき、今は一軒のみとなってしまったとのこと。
宮笠には、いくつか種類がある。
ヒノキで編んだ白っぽい色の「ヒノキ笠」、イチイの板で編んだ赤っぽい色の「イチイ笠」、ヒノキとイチイの両方を使った「紅白」、イチイで編んだ3匹のセミがヒノキ笠に止まっているように見える「セミ笠」。上の写真は「紅白」タイプだ。
どれも手の込んだ造りで、とても美しい。見事な民藝品である。
この日は、地元の小学生たちが地域学習の一環で見学に訪れていた。
さらに歩く。
家具屋さんのセール。飛騨は家具作りが盛んな地域だ。お値打ち品がたくさん並んでいた。
食料品店の特売品。「ねずし」(寝鮓)とは、飛騨の郷土料理で「なれずし」のこと。
山積み商品が飛ぶように売れていく。積まれたイチゴを箱買いしていくお客さんがたくさんいた。
箱買いのお客さんにつられて、私も2パックお買い上げ。家で食べてみたら、実がしっかりしていて甘みも強く、食べ応えがある美味しいイチゴだった。
こちらは地元で人気の自家製ヨーグルト専門店。
飲むプレーンヨーグルト2本セットを購入。家で飲んでみたら、まろやかな甘味とやさしい風味で美味しかった。これはヨーグルトが苦手な人でもグイグイ飲めちゃうと思う。
味噌屋さんの前には、朴葉味噌の試食コーナーが設置されていた。これでご飯3杯くらいは軽くいけちゃうんだよね。
飛騨の駄菓子・手焼きせんべい。赤ちゃんせんべいのように軽くサクサクして、口の中で溶けてしまうので、爺ちゃん、婆ちゃん、孫のおやつに最適。
街角にわずかに残る雪。
時間の経過とともに、だんだん人が多くなってきた。
国内外からの観光客も見かけるけど、やはり地元の人がほとんどだ。
歩いていると、あちこちで「久しぶりやなぁ」「まめ(元気)やったけな」という声が聞こえてくる。
二十四日市は、私が生まれる前からある恒例行事で、地元ではご年配層にファンが多い。
今日は雪がなくて歩きやすかったから、ご高齢のお客さんがたくさん来ていた。
ここ(二十四日市)に来ると、必ず知った顔に会えるのも、魅力の一つだ。
通りすがりに知人を見つけて声をかけ、立ち話に花を咲かせる市民がたくさんいた。皆さん、楽しそう。
こちらの一角では、おじさんたちが何やら真剣に見入っていた。はて、何だろう?
なんと!四コマ漫画だった。これは面白い。
月替わりで新作が公開されるのかな。また読みに来よう。
ぶらぶら歩いていたら、最後の交差点に辿り着いた。この道路を渡ると、本町1丁目に入る。
3丁目や2丁目と比べると、ここ1丁目はひっそり静かな雰囲気だけど、地元客&常連客で賑わっているお店があちこちにあった。
豆腐屋さんの店頭。油揚げや厚揚げが並んでいた。
飛騨の郷土料理「こも豆腐」。人気商品らしく、残りわずかになっていた。
こも豆腐は、わらを編んで作ったむしろの「こも」で、豆腐を包んで茹でたもので、豆腐の内部にスが立ち無数の気泡ができるため、独特の食感がある。
最近はご飯のおかずにして食べることが多いけど、昔は例祭や正月など、人がたくさん集まった時に振舞われる御馳走の一つだった。
実は、こも豆腐、私の大好物なのよ。
自分で味付けして煮含める時もあるし、写真のように既に味付けしてあるものを買ってくる時もある。
さて、豆腐屋の向かいを見ると…。
美味しそうなものを販売しているテントがあった。ここでいつも蒸し寿司を買うんだけど…。
今回はこちらの味ごはんをゲット。家に持って帰って、夕ご飯に食べてみた。味がギュッとしみて美味しかったよ。
さて、次の商店街へと向かおう。
また更に人が増えてきた。老若男女様々な人々が、通りを行き交う。
もと来た道をまた歩き、本町2丁目と3丁目の境の交差点で、右に曲がる。
こちらは鍛冶橋。鍛冶橋を渡った先が、安川通り商店街である。
橋の欄干に鎮座している「手長(てなが)」さん。
これは、高山祭の祭り屋台「恵比須台」に装飾されている彫刻(手長足長)を模して、平成時代に製作されたもの。
もう一方の欄干には、「足長(あしなが)」さんが立っていた。
実はこの手長足長さんはご夫婦で、手長さんは妻、足長さんは夫なんだよね。車道を間にはさんで向かい合い、いつも見つめ合っている二人。
さて、安川通り商店街をぐるりと歩いてみよう。
路肩に残っている雪で遊んでいる子どもを発見。観光客らしき外国人ファミリーの子どもたちだった。
わずかに残っている雪で、可愛らしい雪だるまを作っていた。
安川通りでは、歩道に出店を置かず、店内で安売りをしている店舗が多かった。
人通りは多いけど、出店や露店がないから、いつもとあまり変わらない風景に見える。
履物屋さんのワゴンセール。
土産物屋なのか?古美術屋なのか?ちょっと不思議なお店を見つけた。店頭の商品を見ると…。
かっこいい鍋敷きを発見。他の品物も、いわくありげな怪しい雰囲気が漂っていて、それがチョイいい感じ。
安川通りでも海の幸に遭遇。富山産の鱈がいっぱい。
お茶屋さんのセール。ここで足を止めて、商品をじっくり見ていく人が多かった。
安川通りをぐるりと回って、また本町商店街に戻ってきたよ。
最後にもう一度、本町を歩いてこよう。
客層を見ると、さっきまでは高齢世代が多かったけど、若い世代も増えてきた。
外で立ちっぱなしは冷えるよね。石油ストーブの前で暖をとるおじさん。
道行く人も、防寒対策はバッチリ。
地元の老舗おもちゃ屋さんの出店。かわいらしい雛人形が売られていた。一足早く、ここは春。
歩道に埋め込まれた案内板。矢印のみのシンプル案内、これは方向音痴には嬉しい配慮。
ペット用品のショップでは、ワンちゃん専用お散歩カートが販売されていた。
歩道の真ん中に残っている雪。
日当たりは良さそうな所なのに、何故か雪がとけずに残っていて、「えっ?どうして?」と不思議に思うことがある。ここがまさにそれ。何か法則があるのだろうか?
女装した飛び出し坊や。これは、アニメ『氷菓』に登場する千反田えるちゃんである。
今も『氷菓』の巡礼者が訪れる街、飛騨高山。
街を歩き、珍しいものを見つけて手に取り、目当てのものを買い、地元の知人に会って挨拶をして、お喋りをして、また歩いて…。
この繰り返しなのに、とても楽しかった。
みんなマスクをしていたけど、あの四角い不織布では抑えきれない人懐っこい笑顔が、至る所に溢れていた。そして、明るい笑い声と聞きなれた飛騨弁があちこちで飛び交っていた。
これらが、胸にじんわり心地よく響いている。
あぁ、みんな待っていたんだな、この瞬間を…。
「きっと今年はいい年になる」
そんな気がしてきたよ。
本町4丁目を出て、また弥生橋に戻ってきた。
さて、帰りますか。
橋から北の方角を眺めると、遠くの山を雪雲が覆っているのが見えた。
「おぉ、大寒波の雲だわ」
…しかし、私が帰路についた頃から、だんだん風が強くなり、雪が降り始め、やがて今まで体験したことがない猛吹雪となった。気温もいっきに急降下して、ホワイトアウト状態へ。
お約束通り、午後からは「荒れる二十四日市」となったが、もう「超」がつくくらいの荒れっぷり。
天と地ほど天候が急変する…というパターンは、今までになかったもので、また新たな「二十四日市」伝説が生まれたのだった。
さて、来年はどうなることやら。