アクアラインを抜けて木更津へ

  • 更新日: 2021/01/14

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バスの色というのは、その街のアイデンティティーの一つなのかもしれない


街を走る路線バスの色が、気になるのかもしれない。僕は仙台生まれだが、仙台市営バスの青と緑のボディが、街を連なる様子は、広瀬通りのケヤキ並木よりもずっと、杜の都を感じたものだった。東京都心は都営バスの色。車間距離と信号のタイミングを縫って、忙しそうに駆け抜ける黄緑のボディは大都会を思わせるのだった。また、都心から少し離れ、私鉄沿線で見かける特色のある色のバスたち・・・東武バス、京成バス、東急バス、京急バスといった私鉄系のバスの色を見ると、そこは、都心ではなく、その私鉄の独立したテリトリーであると認識するのだった。

ある日のこと、川崎駅前を歩いていた。川崎駅周辺は川崎市営バスや臨港バスの青系の色。スクランブル交差点の青信号のタイミングを縫って、ディーゼルエンジンをふかし、数珠つなぎになってバスターミナルへ入って行く。そんな風景の一角で、目立つカラーのバスが一台、停車していた。ベージュに橙のストライプをまとった車体。大多数が青系のバスの中で、その存在は目立った。ボディには「小湊鐵道バス」、行き先は「木更津」と書いてある。たしか、小湊鐵道と言えば、千葉県を走る鉄道だ。ペーパー免許で、道路事情には疎い僕だが、東京湾アクアラインを横断していくバスなのだと思った。このバスのカラーリングはどことなく惹かれるものを感じた。きっと木更津という街は、このバスのカラーと調和する街に違いない。一体、どの様な街だろうか。




休日の朝、珍しく早めに起きることができた。天気も良好。自分の最寄り駅から京急に乗り、数分。京急川崎で降り、くだんのバス停に向かった。本数が多いように予想していたが、僕の乗る便の後は、2時間後だったようだ。コロナの影響からか、車内は空いていた。運転席横にあるカードリーダーにパスモを通す。川崎駅前から木更津駅前まで、1,470円、およそ一時間の旅。駅前の繁華な地区を抜け、住宅街、そしてだんだん、工業の街・川崎を色濃く感じる風景になる。車窓の変遷は、川崎の街のグラデーションだ。巨大なボイラーや、連なるタンク、紅白の煙突から湧き上がる煙が、巨人を動かす内燃機関のように思えた。ほどなくして、アクアラインのトンネルに入る。トンネルを抜けると、東京湾上を橋で進み、千葉へと上陸する。橋から眺める青い海が眩しかった。






初めての街の第一印象は何で決まるのだろうか。バスは終点の木更津駅前に到着し、ドアが開き、客がめいめい降りる。10人ぐらいか。途中の、浮島ジャンクションから乗車した、初老の男性。浮島ジャンクションの周囲の工業地帯から漂う排ガスの中、乗りこむ姿が印象的だった。乗客は、それぞれの目的地があるようで、迷うことなく歩きだした。僕もバスを降り、深呼吸しながら周囲を見渡す。そこで、目にしたものは・・・「こうめ」と書かれた落書きだった。思わず、「チキショー」と呟く。芸人のコウメ太夫だ。落書きした人も、何らかのチキショーという思いを、胸に抱いていたのだろうか? 気が抜けて、お腹が空いていることに気付いた。




ちょうど正午だ。駅の入口には、木更津駅そばという店がある。さらに見渡してみると、パチンコ屋の巨大な看板の横に、喫茶店の入り口がある。”Coffee House ラビン”ーー黒地に縦書きで書かれた、昭和を感じさせる看板には、「どうぞ、お乗りください」と言わんばかりに、馬車の絵が描かれている。この馬車に乗ろうか? ショーケースを眺めると、色鮮やかな食品サンプルが、美味しそうだ。日替わりランチをやっていて、僕の好きなチキン南蛮。喫茶店でチキン南蛮というのも、珍しい気がする。入ろう。階段には、ネオンの馬車が待っていた。階段の壁を馬車が走る。店内も素敵だった。昔ながらの喫茶店には、公衆電話がつきものだ。電話ボックスがあった。店内は賑やかだった。銅板のような、シックな模様のテーブルに案内された。きっと、大事に磨かれてきたのだろう。うろこ模様の天井が茶色い照明に灯され、ほっと一息つく。お待ちかねのチキン南蛮を頂く。とても美味しかった。チキン南蛮だけでなく、里芋、いんげんの胡麻和え、ご飯、全てが美味しかった。食後のコーヒーも頂いた。いい店がある街 = いい街。そんな単純なことを確信しながら、この街に到着して、まだ一時間も経っていないことに気が付いた。








満足して、店を出た。さて、ここからどう歩こうか。駅前には案内板があった。まずは、歩く方角を決めようと思う。案内板の前に立つと、一瞬で、どこに進むかを決めることができた。この街には海があった。木更津という街が、山に位置しているのか、海辺に位置しているのか、それすら知らなかった。よくよく考えれば、地名に「津」が入っているのだから、気づきそうなものだが。駅構内を通り抜け、海側の出口へ向かう。こちら側の出口は、コンクリートの四角い駅舎があり、やはり、こっちが市街地側なのだと思った。しかし、人通りは、バスを降りた、反対側の方が多いように感じた。駅舎にはSLつけ麺という気になる看板があったが、改装中だった。駅に面してデパートのような建物があるが、飾り気がなく、ガランとしている感じだった。そして、駅前の道路は、歩道にアーケードが掛けられていた。けれども、賑わっているとは言い難く、祭りが終わった後の静けさを感じた。








さて、先ほどから、たぬきの存在が気になる。観光案内所とは反対方向を指差すたぬき、自販機にもたぬき。駅前の通りは、富士見通りという名前が付いていた。富士山と、何か関係があるのだろうか。もう灯ることはないであろう、パチンコ屋のネオンなどを見ながら、時が止まったかのような通りを歩く。千葉ならではの、落花生などを扱う店があった。








脇道にそれよう。左折すると、そこは、木更津銀座通りと書かれた街灯が立つ通りだった。文房具屋と本屋が営業中だった。この通りは、神社の前で右に曲がる。曲がり角の写真スタジオが、宇宙っぽい。道を曲がると、中華そばの暖簾が見えた。その並びには商店が何軒かある。看板建築に、ほぼ骨になった装飾テントのお店・・・昭和30~40年代だろうか? かつては富士見通りだけではなく、その横丁にも商店街が形成されていたようだ。










海まではそれほど遠くなかった。漁船、防波堤、磯焼きの香りが漂う。そして、ここにもたぬきがいる。背の高い、赤い橋が遠くに見えた。この先は臨海公園になっているようだった。ひと気がないかと思ったが、遠足の小学生を乗せたバスが通り過ぎた。公園に到着すると、駐車場に猫の姿が見えた。日なたに佇む猫・・・何か物欲しそうな顔をしている。猫はいつでも可愛い。岸には何組かの釣り客がいた。釣りのおこぼれを狙う猫たち。猫に構おうとしたが、なにかをあげないと、コンタクトを取るのは難しい様子だった。先ほどの、赤い橋の入り口が見えた。遠足の小学生たちが、すでに橋のてっぺんまで登り、はしゃぐ声が聞こえた。あまり高いところは好かないが、登ってみよう。









この橋は、日本の歩行者専用の橋の中で、最も高い橋らしい。下を船が通過できる為だとしても、過剰に高い気がする。きっと、公園の展望台としての機能も兼ねているのだろう。東京湾の向こうに、富士山が見えた。千葉県からも、こんなに大きく富士山が見えるのは驚いた。駅前から港に向かう富士見通りも、実際に富士山が見えるのかもしれない。横浜のみなとみらいのビル群も見えるが、富士山に比べたら大したことがなかった。自分の住む街も、この視界の範疇にあるのだろうが、目印になりそうなものはない。対岸から自分の住む方角を眺めるのも、不思議な感覚だった。橋の下を漁船が通り抜け、その高さに改めて驚く。遠近感覚と、平衡感覚が少しおかしくなりそうに感じ、降りることにした。地上に降りると、猫が寝ていた。






さて、街の方に戻ろう。来た時とは違う道を通って、駅へ戻ろう。地図を見ると、富士見通りの北側のエリアは、小中学校や公民館などがあることから、街の重心とでも呼べるエリアなのかもしれない。歩いてみると、その予想は的中したように思えた。年季の入った、美しい看板建築が建っていた。こういう建築を見かけると、ハッとする。きっと、大正から昭和初期に作られたものだろうが、この様な、洋風の装飾を、和風の格好をした職人や大工が、腕によりをかけて作ったのだろう。これを作った人は、「どんなもんだい、俺の腕は」と、天国から誇らしげにしているような気がするのだ。彼らの、そういう粋な心を見習っていきたい。この一角は、戦前のものと思われる建築が何軒か残っているようだ。交差点に面し、優美な曲線を持ち、色ガラスの嵌められた建築。交差点を、小湊鐵道のバスが通り過ぎた。やはり、このバスの色は、この街に似合っている。






本屋が営業中だった。何か、記念に買い物でもしようと思った。文庫本でもいいし、ボールペンでもいい。年季の入った店構えだ。少しドキドキしながら入り口を開ける。店内は当然ながら、現在の本が売られている。昔と今とが交錯する空間。「鬼滅の刃」の単行本も平積みされている。文庫本を買おうと、レジに持っていくと、カウンターには素敵なおばあさん。小心者の僕は、なかなか初対面の方にこちらから、声を掛けることは少ないのだが、少し、立ち話をした。木更津という街について。おばあさんは、木更津に来て、もう50年になるという。来た当時は、港が今のように整備されておらず、海岸線がもっと近かったらしい。
「昔は市役所が近くにあって、この界隈は賑やかだったのですよ」
と、懐かしむように語っておられた。昔の木更津は、映画館が4館、デパートが2店ある小都会だったようだ。駅前にあった、寂しげなコンクリートの建物は、かつて、そごう百貨店だったそうだ。
「お客さん、こういうの興味あるかしら?」
と、店の奥から何冊かの本を持ってこられた。郷土史や、昔の街の写真集だった。
「ときどき、地元の小学生たちが、調べ学習で来られたりするんですよ」
ご厚意でそれらを拝見。
「これも木更津ですか?」
と、まるで、仙台の七夕まつりのような写真を指差して聞いてみた。
「これは、すぐそこの通りで行われていたのよ。各店で、七夕飾りを作ったのよ」
とても素敵なお店で、おばあさんも若々しく、素敵な方だった。お礼を言って、店を後にした。




かつて、七夕祭りが催された通りとは、先ほど、バスが通過していった通りだった。にわかには信じられなかった。街はどんどん変化する。それが良いことなのか、悪いことなのかは分からない。ただ、僕に出来ることは、昔の風景を想像することだ。駅前まで着き、かつて、そごうだったという建物に入った。この建物は、現在は数えるほどのテナントと、市の機関が入居しているようだった。ほとんど乗る人のいない、赤い手すりのエスカレーターがカタカタと動いていた。フロアの案内板は、 ”COMING SOON” という文字が目立った。
「SOONか・・・」
“SOON” がいつなのかは、誰にも分からない。古いエスカレーターは動きつづける。






バス停に定時に、川崎ゆきのバスが入ってきた。夕日が、富士山を映し出していた。高速バスは、対岸の富士山を眺めつつ、じきに、アクアライントンネルに入っていった。トンネルの白い照明が、矢継ぎ早に過ぎていく。決して、逆回しできるものではない。うとうとしてしまい、気がつけば、川崎駅前の喧騒の気配がした。たまには、対岸の街から、自分の住む街を眺めてみるのも悪くない。










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という残念なおじさん。
自分探しをするため、今日も蒲田の街をさまよい歩く。

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