同じ場所から見る、それぞれの風景。
- 更新日: 2025/06/03
夫婦で撮って書く2泊3日の沖縄旅行。
日常生活でさえ互いに行動するペースが違い、その時見ているものも全く違う。火鍋のように陰と陽に別れた人間が、なにを見つめてなにを見逃して、なにを考えてなにを考えないのか。今回は、そんな正反対の性質を持つ夫婦が、それぞれの見た沖縄を記録していく
よく喋りよく泣きよく笑い、とにかくパワーですべてをどうにかしようとする人間と、よく考えよく悩みひっそりと笑う、とにかく慎重な人間。初めて会った時から10年が経った。
結婚する予定はなかったはずだったが、いつの間にか人生を共にしている。不思議なものだといまだに思う。
新婚旅行に沖縄へ行こうと言い出したのはただの私の気まぐれだ。しかしそれは「いいよ」という返事とともに、みるみる現実味を帯びていくことになる。
#yuka
沖縄旅行へ行くことになった。
タイミング的には新婚旅行となるのだが、何か具体的なプランを練っているようだったので全ての提案にふたつ返事でOKした。
一切下調べをせず、何を振られても「いいよ」としか答えないため「本当に行きたいの?」と疑われたが、それにはちゃんと理由があった。
一つは前提知識なしに新しい土地を見てみたかったこと、もう一つは要らぬ揉め事を避けるためにイニシアチブを放棄したかったためだ。
ぼんやりと迎えた出発の日、苦手な飛行機移動にナーバスになり過ぎたせいであまり記憶がない。これは新幹線……陸路で暴れる新幹線だから……。と必死にイメトレをして、どうにか往路を乗り切ったことだけを覚えている。
空港の窓越しに見えるヤシの木。ぐずついた灰色の空に南国らしさはまだ感じない。
#ISLD
美味しいものに救われる

2時間半ほど鉄の塊で空を飛び、那覇空港からキャリーバッグを引いて牧志駅へやってきた。国際通りの荷物預かり所に荷物を預けて向かったのは、牧志公設市場近くのソーキそば屋だ。

旅行前の数日が忙しかったこと、早朝に家を出なければいけなかったこと、飛行機が激しく揺れたことなどで互いに無口になっていたが、出汁の効いたあたたかなソーキそばが美味しく、食べ終わる頃には元気になっていた。
私自身は家族旅行などで何度か訪れているが、夫にとっては今回が初めての沖縄だ。
国際通りのブルーシールアイス店で2つのフレーバーのアイスを嬉しそうに食べる夫を眺めながら、この人の目にこの土地はどう映るのだろうかと考えていた。
#yuka
知らない街で迎える朝

散策のメインとなる2日目の朝。本州ではお目にかかれないサイズのエビが寝静まる居酒屋に襲いかかる。気付かれないようにそっと部屋の扉を閉め宿を後にする。
今回の旅行では那覇空港からホテルまでのモノレール移動を除き、車に頼らず自分たちの足のみで那覇市街を巡り歩く。沖縄観光においては稀なプランだと思うが、街中を眺めることでそのつくりや人々の生活のあり様の違いに気付きたいという個人的な希望があった。つまり何も考えていない訳ではなかったということである。

正面には酒・たばこ・ホットスナック。居酒屋と見受けられるが、実はコンビニなのかもしれない。

ここは手狭だとばかりに這い出る緑たち。この街の植栽は初めて見るものばかりで、どれもがみな健やかに伸び盛っている。伸ばしっぱなしに出来るということはどこからどこまでが誰の宅地、というせせこましい考えに捉われていないのだろう。暮らしにおける隔たりのなさみたいなものを一つ垣間見た気がした。
#ISLD
明るい方へ伸びていく

2日目。沖縄では植物たちが元気だ。自由に成長し枝葉を伸ばしているその様は、子供のように無邪気でのびやかに生きているように見える。
興味深いことといえば、沖縄の人間がそれに対してあまり神経質にならず、自由にさせたままでいることだった。

東京であれば近隣から苦情がきてもおかしくはないレベルのところもちらほら。
夫に「違う国みたいだね」と言ったあとで、いや、ここは違う国だったじゃないかと思う。
第二次世界大戦後、沖縄はアメリカの施政権下に置かれていた。返還されたのは1972年の5月15日で、つまり約50年ほど前まではまぎれもなく外国とされていたのだ。
沖縄は「明るく華やかな南国」というイメージが強い。しかし、大きな力と戦火に翻弄され続けてきたという重たく暗い影は、消えることなくこの土地に残り続ける。
夫に沖縄の海を見せたいと思って提案した波の上ビーチまでの道を歩きながら、私はそんなことを途切れ途切れに考えていた。

波の上ビーチは「人工ビーチ」とされている場所ではあるが、それでもこの海の色は本州の海と全く違う美しさがある。
夫はというと、せっかくの美しい海を眺めるよりも変わったかたちの貝殻や珊瑚のかけらを探すことに熱中していた。あと台湾から来ていたカップルの写真撮影を頼まれたりしていた。
#yuka
景色の中でふと目が合う

ビーチからほどない場所にある波上宮に寄っていくつもりだったが、長蛇の列をなす観光客が目に入りパスすることに。隣の生垣をふと見やると、シュッとした茶色の爬虫類と対峙する。
これはもしかして、キノボリトカゲでは......! 野生動物との遭遇を密かに期待していたのでかなり嬉しい。間違いなくこの瞬間が旅の興奮のピークだったが、おそらく妻には分かってもらえないだろう。

マンションの外壁をなぞるやわらかドラゴンズ。

実際の那覇市街はビルが立ち並び、本州とそこまで差異のない都会に見える。だがよく見ると、建物を構成するテクスチャは明らかに本州で見てきたそれと異なっている。

パステル画のように荒く掠れた壁面塗装、窓やレンガのパターン、ひいては道路の舗装まで。その異様さは、この島が独自に発展してきた歴史を物語っているようだった。
実はしっかり下調べをしたのだが、この辺りに古着屋が何軒も立ち並んでいる区画がある。妻のご機嫌を伺いつつごく個人的な目的にお付き添いいただく。

古着欲を満たし、友人夫婦への土産を探しに公設市場へ。ここでは一階で買ったものを2階で調理してくれるそうだ。
是非とも嗜みたいところだが、朝イチで限界量のソーキそばを食べ収めたばかりなので断念。撮ることに夢中になるうち、あっさり妻とはぐれる。大体いつもこう。

沖縄に来て印象深かったのが、市場で店に立つ人々がみな親戚のような暖かさで話をしてくれること。商人人格ではなく、いち人間として相対してくれているように思えた。
市場全体にそんな居心地の良さがあるからか、敷地をはみ出て雑然と積まれた備品たちにも不思議と違和感を感じなかった。

夕方、古着屋に立ち寄った際に面白い話を聞く。近年は本島内で古い家屋の建て替えのタームに入っており、家財整理の際に伺うとレアな軍服が綺麗なまま見つかることがあるらしい。
街並みは歳月と共に移り変わる、それは寿命のように避けようのない事だ。しかし循環の中にあってもこの街の息遣いは謳い継がれ、変わらずにあり続けるような気がした。
#ISLD
寄せてかえす波のように

2泊3日の旅の全行程を終え再び飛行機へと乗り込んだ。夜の便だったので特に景色を楽しむこともなく、暇なのでぼんやりといろんなことを考える。振り返ると、なんだか不思議な旅だった。
一番近くにいる人と、同じ場所で違うものを見ていた。全く違うことを考えていた。
そうかと思えば「ブルーシールアイス食べたくない?」と同時に言い出したりしていた。
違うことが面白いなんて知らなかったし、同じであることが嬉しいなんて気づかなかった。
旅が終わっても日々は変わらず続き、この先にもきっと「違うこと」「同じこと」がたくさんあるだろう。嬉しいことも悲しいことも、意見の相違も喧嘩も、きっと山ほどあるだろう。
それでも、近づいたり離れたりを死ぬまで繰り返して、それぞれの「違う」と「同じ」を大切に積み重ねていけたらいいなと思う。
#yuka
(了)