空港キャンプ―成田空港で一夜を明かす

  • 更新日: 2024/10/17

空港キャンプ―成田空港で一夜を明かすのアイキャッチ画像

重量まぶた上げ予選準決勝

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欧州からの帰路、成田空港から横浜へのリムジンバスに乗った時の景色。誰もが旅に疲れて眠りについている静かなバス。成田の緑の景色から始まって、気づいたら私も一時間ほど眠った。目が覚めると景色が一変していて、鶴見つばさ橋の上、海とビルの建つ開発の景色を眺めることに。そのままバスのスピードで、横浜の港には沢山の貨物船が見えてくる。途中で寝てしまったからわからないけれど、きっとこのバスは日本の高度経済成長からの開発の姿を一直線に結んでいるんじゃないかと思った。そして、この風景をもう一度たしかめたいと考えていたら、大好きなフィッシュマンズのアルバム「空中キャンプ」というタイトルと結びついて、空港でキャンプすることを思いついた。



キャンプの語源はラテン語「campus」で平らな場所、広場、大学の構内をさす言葉「キャンパス」、さらに、古代ローマの練兵場、戦場そのものを指し、キャンプ(Camp)と辞書を引くと、「野営」「テント生活」の他に「軍隊生活」「陣営」「同志」など幅広い意味を持つ言葉だという。(このサイトを参照:https://camping.or.jp/learn-camping/camp)

成田空港が建設される時に起きた“三里塚闘争”は死者を出すような激しい戦いだった。成田空港ができる時、農民からの反対運動が起きたのだ。三里塚の土地は開墾が難しく、多くは戦後になってから満州からの引き揚げ者、沖縄の人々、家をなくした戦災者が20年ほどかけて耕した。



高度経済成長期、欧米に負けをとらないアジアとしての日本の発展のため、国は高値でその土地を買い取り、住民の多くは立ち退いた。当時反対派からは村八分が起き、村の人々の心・共同体はバラバラになってしまったことだろう。
国はこの時十分な話し合いの時間を持たなかったという検証がされている。

学生運動や冷戦の時代の影響、新左翼の応援によって運動は激化、当時の政治思想・ムーブメントこそがこの運動を後押ししたのだという見方もされ、そのことを「狐憑き」であったと語る人もいる。

しかし、兄を戦争で亡くした経験を持つ熱田てる氏は「お国のために」土地を離れるということが我慢ならなかったと言葉を残し、彼女にとっては自身の戦争の経験と深く結びついている。

1990年、ベルリンの壁の崩壊直後、国と熱田派(反対派)による話し合いが行われ”共生”を目指すという言葉が登場する。しかし、2024年の今でも反対派として空港の敷地の中で住んでいる人がいる。彼らは空港で”キャンプ”していると言えるのではないか。


(※写真は空と大地の歴史館で見つけた、反対派が闘争で当時使用した寝袋)

成田闘争は、あらゆる立場に立った見方ができるだろう。どんな考えをあなたが支持するかは問わない。けれども、もし”共生”(相手の立場を理解すること、そして存在を認める、いても良いとすること)という言葉がこの場所で目指されるのだとするのなら、私は今晩ここで一緒にキャンプをしてみたいと思う。8月30日の20:30に集合し、一緒に空港でキャンプをする人を募集したところ、4名の参加があり、4人と私の計5名がキャンプすることになった。


【8/30 12:30】成田空港第二ターミナルに到着

8月30日、台風10号のニュース。多摩川の氾濫への警戒、神奈川県の土砂災害注意報。私はこの日、昼過ぎから現地入りしていた。



第二ターミナル駅の改札。成田空港では、闘争の過激派を警戒して、空港の開港以来2015年までここに検問所を設置していた。それが今でも残されているのを、第二ターミナルで見つける。



合流時間よりも早く到着したのは「空と大地の歴史館」へ行くためだ。空港からバスに乗る。奇妙な遺構がバスターミナルに遺されているのが窓から見えた…


【8/30 14:00】空と大地の博物館へ



バスを降りると、木々の匂いが立ち込めていて、キャンプがここでできるという予感がちゃんとした。



飛行機が近い。

歴史館では新東京国際空港公団を定年退職した元職員である学芸員と話をすることができ、ここで三時間程お話しする機会を得ることができた。「建設側と反対側の双方の観点から、バランスの良い展示に配慮する」というテーマで2011年に開館したという。しかし、当時に反対の気持ちを持ちながら立ち退いた人の声や、元反対派の声はあるものの、今現在反対している人の声はこの展示の中には見つけることができなかった。


【8/30 20:30】成田空港第一ターミナルで集合

20:30。いよいよ待ち合わせの時間。第一ターミナルで待ち合わせ。まずはミソ、遠藤君が到着する。もう二人は遅刻してあとからやって来る。どこ行こうか?というゆるっとした空気感で、5階の展望台に行ってみることにした。ミソと遠藤君は初対面だったけれど、仲良くやれそうな雰囲気だった。



展望台に行こうとしたら、デヴィッド・ボウイやビートルズなどのピンバッチのガチャガチャを見つけて、皆が一回ずつ回した。ボウイのLet’s Danceのアルバムジャケットのバッジが欲しかったなぁ。どこに付けようか?と遠藤君が言う。その帽子の、クマのお腹とミソが指を差す。私はそれをTシャツに付けてみた。


【8/30 20:45】成田空港第一ターミナル5F展望デッキ



デッキに出ると、夜の光の中を飛行機が何台も飛び立って行くのが見れた。ミソは望遠鏡に100円を入れて覗いてみたけれど、見えなかったと言った。彼女は度々昼に来たかったなぁ~と言ったけれど、私はこの夜の風景が好きだった。遠藤君は持って来たカメラで撮影をしていた。金網には撮影用の穴があったりもした。



「エドワード・ホッパーの絵みたい」空港の多くの店が閉まって行く。



21時になり警備員がデッキを出るようにというので、中に入って閉店した不二家のメニューを眺めていた。少し食べたかったな。子どもの習字や絵が飾られているコーナーを鑑賞したり、空港の中にキッズスペースや礼拝のためのお部屋があったりするのを見たりもした。

4Fにあるファストフードの店は21時を過ぎても開いていた。それでも22時になれば開いているのはコンビニだけになる。そこでテイクアウトをして、フロアに置かれたいくつかのソファに座って食べることになった。

そうしていると、きつだくんが到着した。彼が柑橘類のきつです、と挨拶するとミソちゃんは笑った。だって、そんな自己紹介の仕方があるんだ、と言いながら。彼は写真を撮られ慣れている、とミソが言った。確かに写真ってどんな顔をしたら良いのかわからない。歴史館へ行った時に取った手書きのメモやパンフレットを皆に見せた。遠藤君はそのメモを見て「◯◯感がある」と言ったけれど、今はその言葉が思い出せない。臨場とか、現場とかそういう言葉。いくつか気になる言葉を質問してくれたりもした。きつだ君はトイレへ行くために右に行ったのに、何故か左から戻って来たりした。彼はその後歴史館のパンフレットを見たいと言ってそれを暫く持ち歩いた。

警察署に行ってみたいと伝え、どう行くのかもよくわからないままにバスターミナルの方に出る。その時、私が後ろを振り返ると、皆後ろで並んで歩き出していて、”あ、散歩してる”と思った。



警察署を探す。バスターミナルの奥は駐車場になっていて、そういったところをグルグルと回る。遠くにそれらしき建物が見えていて、あれな気がする...と思っていた。向こう側への行き方を遠藤君ときつだ君が一緒に探してくれた。ミソは靴を履き替えていた。雨が降ってるね、などと言いながら歩いて行った。遠藤君は急に立ち止まって道端の草の写真を撮ったりしていた。ミソは赤信号は絶対に渡らないそうだ。




【8/30 22:30】警察署に辿り着く



成田闘争で警察官が命を落としている。その碑がここにあるのだ。これを照らしてほんの少し見たところで、男性の背の高い男性の警察官が三人ほど来て、色々と尋ねられてしまった。優しそうな様子ではあったが、「君たちは全員未成年?若く見えるね」とか、「どうしてここにいるの?」と目的を聞かれた。私たちも驚いたけれど、彼らもまたびっくりした様子だった。そしてすぐに出て行くように言われたため、3分ほどしかこの場所にいることはできなかった。



第一ターミナルのバス停に戻り、第二ターミナルへ移動する。ターミナル間の移動のバスは無料で利用することができる。一度降りる場所を間違えたのだけれど、他の団体客も間違えているようだった。


【8/30 23:00】第二ターミナル

第二ターミナルの地下には、ナインアワーズというカプセルホテルがあり、そこでは1000円を支払うとシャワーのみ浴びることのできるサービスがある。え、私だけ?とか言うと、「別に平気」みたいなことを三人から言われた。私だけがシャワーへ行き、皆はその時、充電スポットで機材やスマートフォンの充電をしていたらしい。



ナインアワーズの前で、外国人観光客が大きな荷物を広げているのが見える。扉を開けると、そこも外国人観光客でそのスペースはいっぱいだった。彼らはそんなに大きな声で話しているわけではないのだけれど、「quiet please」と声をかけられていた。音が響きやすい施設なのだろうか。にっこり笑顔でタオル・スリッパ・ロッカーの鍵を渡され、清潔感のあるシャワールームでシャワーを浴びた。ドライヤーはレビューで風量が弱い、と書かれていたが、どちらかといえば騒音が極力出ないような設計にされている、という感じで、普段私が使っているドライヤーよりは乾きが早かった。初めは外国人ばかりだと思っていたが、洗面スペースを使っていると日本人と思わしき人が利用している姿も見えた。利用者の多くはバスローブかパジャマを着ており、宿泊利用者が多そうだった。私のようなシャワーのみの利用客はあまり見かけない。私たちはキャンプをしているが、彼らは空港に泊まっている。



合流して、皆が座って雑談している。私の席の隣には、茶色い誰かの忘れ物の毛布がある。その毛布を試しに丸めて枕にして、頭を少し乗せてみた。洗濯物の湿ったあの匂いが少しする。結局使わなかった。目を閉じてみたりもしていたが、そんなに眠気がやって来る感じもなかった。側の席には若い20代くらいの女の子が座ったりしている。一人でスマホをいじるか、二人組で雑談をしているか。私たちは生年月日をミソに教えて、占いをしてもらっていた。その占いは生まれた時間を言うことで、より精度が上がるというものだった。思い出せない詩を書き起こしていた。そのあたりで、ひなちゃんが到着した。彼女も空港に着いてまず、ガチャガチャを回したらしい。遠藤君は自分の誕生日と生まれた時間が一致していて、自分がいつ生まれたのかを知っている。ミソは占いの結果を「当たっていますか?」と探り探り読んだ。母親に私はいつ生まれたの?とLINEをしておいた。私はよく占いが当たる。私は他人の前で自分のことを隠しているという。ひなちゃんから「ええ、そう思えないんだけど」と言われた。「でも嘘をつくのが上手いらしいよ」と私は言った。素直で率直でもあるし、本当のことを隠してもいる。



急に、奇声が上がったのが聞こえてきてびっくりしたので、「トイレ行こ〜〜〜」とか言って、ミソとひなちゃんについて来てもらった。トイレは掃除中で、女性がのろとゆっくりした手つきで洗面台を洗っている。綺麗なトイレだな、と思う。面白い鏡があって、ひなちゃんがそれを写真に撮った。



ミソがセブンティーンアイスの自販機でチョコミントを買っていた。私も生チョコ入りと書かれたアイスを買った。彼女はいつも同じアイスを買うらしい。私は挑戦した。きつだ君はジンバルの調整をしていて、話している内にいい感じになった。彼らはカメラの話なんかもしていた。雰囲気をどう作るかみたいな話で、その時遠藤君が撮ってみせた写真が私のフォルダの中に残った。



夜明けには、成田闘争の跡地を巡って散歩をするつもりだった。皆一睡もしていなかったけれど、話をして時間を過ごすのが楽しいみたいだった。4:00の出発に向けて、3時頃、24時間空いているセブンイレブンでご飯を買って腹ごしらえをする。



空港は、深夜になると電気を落とす。1Fよりも地下の方がより暗かった。セブンイレブンはコンビニのレジの音だったりが小さく聞こえているし、明るく光っているのだけれど、この場所で休んだりしている人は意外にも多かった。

コンビニではオクラと春雨のサラダを買った。「ヘルシーだね」みたいにツッコミを入れられた。皆はパンとかを買っていたかもしれない。外国人の店員さんがレジを担当していた。背のあまり高くない、褐色の肌の男性だった。これから行くところは、コンビニやトイレがないから、水を買ってね、みたいなことを私はよく呼び掛けていた。



なんか、いいなあと思って撮った。2枚撮ったら、二つは全く違う質感で撮れた。



警官が見回りをしている。私たちはコンビニで買ったものを食べる。



皆が映画とか、どんなアートが好きかみたいな話をしていたけれど、私はあまりその話に加わらないでいた。ミソはここで、「実存」についての話をしていた。実存というのは彼女の書いた詩のことで、私達の身体的な存在というものが消えて、誰もいなくなってしまった世界の中で、語りかける声だけが聞こえるような詩だった。ミソは、”お前の人生の価値観””私たち生まれ落ちただけなのに””実存主義を前向きに言うことにむかつく””自由があれば良いと簡単に言うこと””本質なく目的なく産まれ落ちて、生命体としての縛りの残酷さ””死ぬ自由と知性””価値の付与=人間の本質だとしたら全ての価値を無に返したい””人間がいることで私の美は達成できない”ということを話していた。「それだととても苦しい」とひなちゃんは言った。

私はトイレに行って、コンタクトレンズを付けることで目の前が見えるようになり、メイクをしてその日の気分で色を選んでいる。日焼け止めを塗る。この間京都へ行った時に貰って来たアメニティの歯ブラシで歯を磨く。このトイレもとても綺麗に感じた。そうして戻って来た時、遠藤君が受験のことを質問したい、と言ったので、そういったことを話している内に時計は4時を過ぎた。最近人の顔を見ないで話すようになってしまった。眠気があるからと半分本当の言い訳をした。4:07という数字がiphoneに表示されたのを覚えている。皆の雰囲気を見て、出発をする。



この時間に再び空港の照明が明るくついて行った。寝ている人はまだ多かった。私たちは第三ターミナルの方向へ真っ直ぐと歩いて行く。途中でミソが持って来た靴をロッカーへ入れに行った。悪天候のために、彼女は長靴も持って来たのだ。それにはロゴが入っており、有名なブランドらしい。さっきコンビニへ行く時に見つけたロッカーに入れに行った。そしてエスカレーターで帰って来た時に、皆がカメラを向けていたから、ミソは「芸能人みたい」とか言って笑った。




【8/31 4:10】散歩に出発

外に出ると、まだ空は暗い色をしている。雲が出ていて、雨が降ったり止んだりした。早朝なのに、記念撮影をする子供を連れた家族がいたような記憶がある。外国人観光客なのだろうか。また、歩く人の姿もあった。遠藤君が地図を見て、今から行く場所の位置をわかっているから、時折彼が私の代わりに先頭を歩いた。そういうことは、この先も度々あった。



最初の目的地は空港用地提供者の顕彰碑。たしか東電の名前もあったような。この下のトンネルのための監視カメラが取り付けられた碑だった。皆がこの碑を見て、色々意見を言っていた。



屋根が付いている空港の道を進んでいく。左へ曲がって、やった、とか小さく私は言った気がする。通気孔の網の下から鈴虫が鳴いていた。皆は私よりも遅いペースで歩くけれど、私までそのペースで歩いてしまうと、朝に間に合わない気がして、私はそのままのペースで歩いた。信号とかも、私一人が先に渡ったりしていた記憶がある。



2020年からはインバウンドを意識するという理由でこの検問所もノンストップゲートとなっている。



空港のすぐ側にある側高神社。向かって右側に、空が赤く明るくなっているのが見えた。



その側の気になった階段を降りてみたら、トンネルになっていた。この辺りでサラリーマンやサイクリングをしている男性とすれ違ったような気がする。



トンネルには作った時の痕跡がそのまま書き残されていた。「散歩しているなあ」という言葉をひなちゃんに言った。「今回一番散歩しているかも」成田空港、歩けるなあ。



鉄条網は至るところに見られる。遠藤君に、空港キャンプって、空中キャンプが由来なんです、という話をした。



この、何てことのない写真を撮ろうとしたら、皆が何かあるのかと立ち止まった。駐車場みたいな場所だ。「あ、ただ青い車に木が覆い被さっているのがいいなと思っただけです」と言うとミソが「私ならこういう風に撮る〜」みたいなことを言った。遠藤君とひなちゃんがカメラのことで何か話をして立ち止まっていたけれど、私は歩き出して行った。花の植えられた場所があって、「これなんだろう」とか言った。答えはすぐ先にあったけれど、何だったのかはすぐに忘れてしまう。そこには花が落ちていたから、二つ拾った。自転車が放置されていて、ミソが数時間前、きつだ君たちに、韓国では自転車も傘のように借りられていく話をしていたのを思い出した。ホテルがこの側に沢山あることがわかる看板があった。そこには8個のホテルの名前が連なっている。それをきつだ君が「これも古い」と言った。私にはまだ新しく見えたけれど、このホテルはまだやっているホテルなのだろうかと思わせるような雰囲気があった。きつだ君もフィッシュマンズが好きらしい。空港キャンプという言葉を見て、空中キャンプに見えたらしい。音楽の話をしていた頃に、ミソが後ろからやって来た。ミソにさっき拾った花を私のリュックの中に入れてもらった。



国の動物のタイル。



進んで行くと民家が近くなる。私が生まれる前よりもっと懐かしい感じだけれど、この名残を私は知っている。そして、この隣はすぐ空港だけれど、そこにあったはずの村の雰囲気が伝わってくる。空気感がもの凄くある。この道には綺麗なピンク色の花を沢山咲かせた木があって、見上げるととても華やかだった。それを私は写真に撮らなかった。その美しさを心の中で思い出せると思ったからだ。今もまだ思うことができる。それは心の中で広がっていく。この先には立派な木も生えていた。その先の二股に分かれる道の左側には民家があった。その辺りに、近隣住民の人影がある。



シートがかけられたジュリアン・オピーの彫刻が置かれている東横INN(しかもこのホテル所蔵らしい)を通り過ぎていったところに、リンゴが落ちていた。それは齧りかけのようで、側には空の飲み物の透明なカップも落ちている。そこにはアリやダンゴムシをはじめとして、色んな種類の虫が群がっていた。皆がそこに集まり、それを撮影して、私がちょっとだけその画面を覗いたら、きつだ君がニッとしてた気がする。そこはホテルの駐車場なのに、ほんの少しの土や木の生えたところに豊かに虫が住んでいて、虫や鳥の鳴き声が聞こえていた。



右を向けばすぐ空港。教会の窓の隙間で、こんな風景を見たことがあるような気がする。



トンネルを通る。いくつか魅力的なトンネルに遭遇した。ミソはそんな時は歌を歌ってくれた。歌ったのは「海の幽霊」salyuの「be there」初音ミクの「The Forgotten Song」らしい。静かで空気の澄んだトンネルには歌声が綺麗に響いた。トンネルを抜けた先の芝生を見て、ミソは「リリィシュシュみたい」と言うこともあった。



錆びた鉄の壁のところに、可愛い鳥の絵が貼り付けられていて、写真を撮ったら「さっきもそこにあったよ」とミソが言った。道がわからなくなると、遠藤君がこの道はこうやって繋がっているはず...とGoogle mapの航空写真から推測してくれて、信号の無い道を渡るときミソは「渡りたくない!」と絶叫していた。渡った先に、濡れた落ち葉があって、そこを黒い虫(ダンゴムシだったかな?)が群れになって移動しているのが見えた。道の右側は所有地につき立ち入りを禁ずという看板の奥には祠のようなものが見えた。左側では農業をしているのか、ビニールテントやトラックが見える。



この場所で、ミソと遠藤君は何かを見つけていた。落書きだろうか?



「らっきょう田舎漬ect I♡自然食」という看板があり、その先にはきっと畑があるのだろう。「食べてみたいなあ」「でも朝早過ぎて」「インターネットにサイトがあったはず」ここの近くにもまだ人が住んでいたはずだ。反対派住民のところへ学生がやって来て団結小屋などを作って住み、その後農業を始めたという話を歴史館で聞いた。


【8/31 5:40】東峰神社



この道の先に神社がある。塀は二重になっており、人感センサーも設置されているという。塀には網目状になっている箇所があり、空港敷地側から境内を監視するためのものだそうだ。東峰神社は神社の上を飛行機が通過するということで、車で来て撮影して行く人がいるようなスポットだ。この時はまだ5時台だから、飛行機は飛んではいなかったけれど。神社に着くと大きくて立派な蜘蛛の巣に、二匹の脚の長い蜘蛛が蠢いているのが目に止まった。手水鉢には水がない。鳥居は2005年という文字が入っていたり、足元の石には2004という文字もあるのだけれど、入ってすぐのところにある像は、左右非対称で、だけれどよく見ると、それは似ていて親子にも見えたから、壊れたのか、よくわからないことになった。ワンカップやペットボトル、鬼ころしがお供えされて、足元には何か植物の芽生えを見つけることができた。それを遠藤君が写真に撮ろうとして、「そこ、キノコが生えているから気をつけてね」とか言いながら、皆で丁寧に神社を見つめている時間があった。木の根という地名の場所がこの近くにあり、開墾時、耕しても耕しても根から植物が生えてきたことを表しているようだ。



私はここで蚊に足を刺された。あるいは、植物のアレルギーになりやすいのでその痒みもあった。きつだ君が「ムヒがあれば...」と言って、私は「あるんだけどね...」と言って、その後立ち止まってムヒを塗った。遠藤君も用を足したりしてきた。温厚な印象だった人が突然苛々としていたので驚いたけれど、戻ってくるとまた穏やかになった。ひなちゃんは草むらに転がっていた。写真を撮っていたみたい。また雨が降る。虹が出た。



神様が喜んでくれたのかな。

この先には、無いと思っていたローソンがあって、私は真っ先に「トイレ休憩してきます!」と言ってローソンに入って行った。フードスペースのあるローソンで、ドライフルーツ(さくらんぼ)を買って席に座った。皆も軽食だったり飲み物だったりを買って、4席はすぐに埋まってしまう。さくらんぼを皆にお裾分けしたりしていた。Apple Musicには友達機能があるとその時知った。フィッシュマンズのどの曲が好き?と言われ、そういえば自分はどの曲が好きかなと思って、タップすると”DAYDREAM”に過去の自分がお気に入りの星を付けていた。”100ミリちょっとの”、とか好きだった。この曲はドラマのタイアップだったのに、売れなかった。きつだ君が”バックビートにのっかって”の歌詞を思い出そうとしていた。何かの時に、彼はそれを小さく唄ったりしていたような記憶がある。自分の右側からそれは聴こえた。ミソが座れていなくて、半分席を分けてあげようとしたけれど、ミソは座らなかった。疲労で体も頭も回らないくらいその時疲れていた。その内きつだ君がミソに席を譲り、ミソのほっぺを突いたら私は怒られてしまった。ミソは「ドタキャン三回されたらどうする?」と言ったので、「縁を切る、か、もう会わないでLINEだけする」と言った。ミソはこの夏、友達の関係でも、職場でも人間関係に悩んでいるらしい。奥で三人が釣りに行きたいみたいな話をしていた。遠藤君がきつだ君に席を譲ったりもした。目の前のガラスに、煙草を吸う人の腕が映った。それが綺麗に見えたので、動画を撮った。皆の声が入らないように。それまでミソと傘を一緒に使っていたひなちゃんがビニール傘を買った。雨は強くなっていた。



歩いている時、何度も「あと何分?」と聞かれたが、20分、と適当なことを言った。最後の方は特に答えるのを止めた。私は相変わらず早歩きで、かなり前の方を歩いているのだが、そのペースと皆で歩くのは違うのだ。ローソンを出てからは雨も強くなってしまっていた。youtubeでこの辺りの道を予習してから歩いている。いくつか紹介された場所が見えたりしていた。でも、それと現実の時間軸は全く別のものに感じられる。壊れた大きなブランコがあった。そこには確か”有機農業”の看板があったような気がしている。遠藤君とミソがある小屋を撮ろうとした。そこで少し立ち止まると、蛍光イエローのベストを着た警備員二人が「どちらへ?」と尋ねて来た。「あっちです」と、とりあえずの笑顔で、もはや何を目指しているのかよくわからないのでそんなぼんやりとした回答をした。



こんな感じのところをずっと歩いた。竹が生えていることが多かった。工事中の場所がいくつかあって、圏央道を繋げているとか、”許可制の適用のない開発行為に係る協議回答済標識”とかいう看板があった。その看板に平成32年という文字があった。ひなちゃんが「過酷」という言葉を言った。「私も今限界だもん」とニコニコ言うと、「そうなの?私今結構元気出てきた」と彼女は飄々とした顔で言っていた。ひなちゃんはサンダルで来ていた。ちょっと歩くくらいだと思っていたらしい。朝の7時頃、出発から3時間経っていた。



ここからは一本道になっている。いくつかのトンネルを通り、30分ほど歩いた先に横堀鉄塔という跡地があり、それはかつて反対派が飛行機が飛ぶのを妨害する意図で建てたものだった。今その塔の上部は撤去されているのだが、その塔の下には沖縄の金城実という彫刻家の像がある。彼は戦争や平和、差別をテーマにした作品を多く作ってきた。さらに、その奥にはまだ人が住んでいるらしいと聞く。私はこの道の入り口の管制塔で、人影がこちらを見ていることに気づいていた。ここは人が通る度に、報告をしているという情報は知っていたのだが、そのことを知らない皆は気がついていなかった。やはり所々に竹林があって、そういうものの方を皆は見ていた。道には”この先通り抜け出来ません”とあり、一見行き止まりに見えるが、左に進むことができる。暫くして、一台の車が横を通り過ぎて行った。車体には”全日警”と書かれていた。ミソに「全日警だ」と呟いた。もし通報によってこの車が呼ばれたのだとしたら、かなり速いスピードだった。車はもう一度引き返して来て、私たちとすれ違った。私たちに警戒している姿勢を見せるためだろう。



警備員がいたりすると、どうしようという気持ちになったけれど、進み続けた。私たちが歩いている場所は窪みになっていて、高いところに空港の敷地がある。このトンネルを通った時、どうしてだかとてつもない恐怖を感じていた。隣にいるミソの手を握りたかったが、そうしないでその怖さを一人で感じていた。どこからか、鈴虫の声が聞こえている。とても無機質で、どこにも穴が見えないのに。人の体の中にいるみたいに感じていた。何かに近づいていくような感じ。暗いトンネル。



私たちが感じているのはこの暗さだ。


【8/31 7:50】横堀鉄塔



トンネルを抜けて、顔を上げると近いところにジェット機があった。



奥の方には「立ち入り禁止」と筆で書かれている名前の入った看板がある。彫刻は竹藪の隙間から見えるけれど、それを全員が覗くわけではない。彫刻を見る人もいれば、覗くことはせずに手前で立ち止まるメンバーもいた。皆がそれぞれの距離でこの竹藪に覆われた場所にいようとした。管制塔には警備員がいて、こちらを見ていた。そのことを「見てる」と何人かが言った。



ここからまた来た道を引き返して、その後最寄りの駅を目指して歩くのだけれど、呆然として、竹藪に背を向けて皆で立ちすくんでいるような時間があった。誰も歩き出せなかったのだ。ジェット機はこの場所の右側からも左側からも飛び立とうとしていて、ギュオオオオンギュオオオオンと音を響かせていた。天気は晴れたり止んだりを繰り返して風が折り畳み傘を何度もひるがえしていた。それを直すたびに髪の毛が濡れた。横に立っているミソを見ると、彼女の左側の目と鼻筋に近い頬の間のところに、大きな涙の粒が一つあった。どうしたの、と言ったら「八月が本当に最悪で...」というようなことを言っていた。でも、スッキリしたという顔だった。彼女はとても個人的なこと(人間関係など)で泣いたのだけれど、この場所の何かが彼女をそうさせたように思う。来てよかった、と言ってくれた。私はずっとドライフルーツの袋を手に持っていた。「さくらんぼというロゴが見えるようにして歩こうかなあ。なんかいい人そうに見えるから」というジョークを言ってみた。ミソはどうやらこの散歩をRPGのように感じているらしい。「みんな黒ずくめ。私だけピンク、主人公みたい。善良な市民であることを証明している」という言葉に、皆は笑った。



網目が上に被さっているから、雨がクロスして降っている。それは最初のトンネルの手前でも思ったのだけれど、この時はっきりそれがわかった。白い細い線がくっきりと見えた。長くて暗いトンネルを抜ける。

その先に、何かが落ちていた。何だろう、と見ると内臓の飛び出た蛙だった。ひなちゃんとミソは少なくともそれを暫く見つめていた。蛙はまだ青青としていたし、艶もあって綺麗な色をしている。白い腹と緑のグラデーション。行きに通った時にはなかったのだ。さっきの全日警の車のことが頭をよぎった。そしてそれは私に、権力への抵抗をする人々の姿を思い起こさせた。その先にはスズメガの幼虫も道を歩こうとしていた。黒い体に赤や黄色の模様、尻尾のような触覚の様なツノを一本振りながら歩いていた。可愛いねえ、と皆が声をかけた。ひなちゃんは幼虫が轢かれない様に、この道の端っこの方まで幼虫を連れて行こうと試みたが、幼虫は怖がって縮こまって丸まって死んだふりをした。それは飛行場の方から来たと思われた。その先にも、蛙の死骸が続いて何匹か、落ちていたのだった。



駅に行くために通った道は、こんな風に工事現場になっていて、木が伐採されて何かがそこに作られていくと思われる。そのためかはわからないのだが、今年の6月には新ターミナルの構想計画や滑走路の増設も計画されるというニュースがあったばかりだ。開発は続けられている。この道には等間隔に警備員が並んでいて(確か彼らは白いレインコートを着ており)、私たちが通ると無線で通信をした。初めは大学の話なんかしながら歩いた記憶もあるけれど、私達は無言で進み続けた。そして誰ももうカメラを取り出せないくらいに雨が降っていた。何かを解体する現場がその先にはあった。その時警備員が一歩踏み出して私に近寄ったので、私はドキッとした。雨が酷くて、きつだ君のリュックが濡れているのを見て、中に入っているはずのカメラが心配になった。けれども、疲弊していて何も言えなかった。私の持ち物には防水の服があって、それで包んだらいいと思って持ってきたのに。防水靴を履いてきたが、この辺りでついに水没していて、ぐっしょりとした靴下の中で右足の小指が悲鳴を上げていた。後日気づいたのだけれど、爪が割れたり内出血したりしていた。ミソの靴は茶色く染まっていた。芝山千代田駅が見えて、皆はかなり安心感に包まれた。横堀鉄塔からは一時間程歩いたはずだ。


【8/31 8:45】芝山千代田駅



芝山鉄道で東成田駅まで行くと、第二ターミナルに直結していて、空港に戻ることができる。pasmoは使えず、切符を買って乗車する駅であることに驚きながらも楽しんだ。全員が何も言わず、階段をスルーしてエレベーターに乗ろうとした時皆笑った。ホームからは飛行機が見える。よく手入れされた、明るい雰囲気の駅で、待合室には本のコーナーもあって、本を勝手に増やさないでみたいな張り紙があったりした。きつだ君と遠藤君は、リュックの中身を出していった。そこからはぐっしょりと濡れた本が何冊か出てきた。カメラは大丈夫なの、ううん、みたいな感じのやり取りがあって、二人はトイレへ着替えに行った。私達はここで電車を二本乗り過ごしている。40分に一本来るので、80分この場所で時間を過ごした。でもその時間は悪くなく、とても必要なものに感じた。遠藤君はこの電車が少し早いタイミングで来て行ってしまうことに気づいていたのに、トイレから着替えて出てくるのがゆっくりだった。それで、電車は行ってしまった。その時、これまでだったら待てないけれど、欧州に行った後の自分だから待てるみたいな話をした。彼はそこにある自販機で、ビタミンドリンクを皆に奢ってくれた。靴下は履き替えても靴が濡れている、ときつだ君が言う。私が生まれたのは23時2分だと母親から連絡が来た。そこからまた占いをしてもらう。



また電車が来て、皆で乗り込む。占いで、ちょっと痛いところを指摘されてしまったけれど、それも当たっているような、いないような。遠藤君の靴はとてもお洒落なのに、汚れていたのが目について謝った。洗うのに良い機会だと言ってくれた。ミソが、私のを見てください!というので、あまりに申し訳なくて謝れないのだと言った。

ほんの数分だけれど、彼らは眠っていた。行くのを諦めた木の根ペンションという跡地がある(それはかつて団結小屋があり、解体を免れるために宿屋となったものだ)のだが、この時実は私有地である木の根ペンションを避ける形で線路が通っており、そのような形で接触することができたことを駅員さんの話で知った。ペンションは現在は宿泊はできないものの最近でもパンクのレイブイベントなどが行われたとのこと。


【8/31 10:00】東成田駅に着く

東成田駅は、かつて成田空港駅という名前だった。空港第二ビル駅ができる前のターミナル駅だ。降りると向こう側に使われなくなったホームがあって、そこは電気がついていなくてがらんとしている。



東成田駅は改札を出ると柱をぐるっと回るような形で黄色い椅子が並べられている。奇妙な音を立てるエスカレーターやミソが気に入らなかった壁画が飾られている。少し薄暗いが、そこで皆で椅子に座って記念写真を撮ってみた。ウロウロとカメラを持って写真を撮っている人がいたので頼んで、5人でも撮ってみたのだけれど、ミソが言うように「丁寧じゃない」感じだった。そんなことをしていると駅員さんが声をかけてきた。ドキドキしたんだけれど、彼に対しては散歩をしていると言ってみた。ドラマの撮影などでよく使われているらしく、そういったことをまず教えてくれた。軋むエスカレーターのことを彼は「頑張っている」と表現した。彼の話の後だとそのエスカレーターに乗ってみたくなった。この駅に間違えて辿り着いてしまう外国人観光客の対応などをすることがあるらしい。彼は、そこの壁の隙間をカメラで撮ってごらん、と言った。そこからは「すみません」と幽霊の声が聞こえるという。この駅の駅員はたった二人だけなのだが、もう一人の駅員さんもその声を聞いたらしい。遠藤君が撮ってくれた写真にはドッペルゲンガーのように、今こちらにいる蛍光灯の世界と、真っ暗な世界、もう一つの東成田駅=成田空港駅が映った。こちらと違って当時のポスターが貼られていたりする。トムソーヤのポスターとかがある。駅員さんはよく話してくれて、そこのボタンを押してみてとか、トイレもとても怖いのだとか何とか言っていた。それを確かめるために、改札をもう一度、通してくれた。トイレの手前の匂いが、大学の幽霊のいるトイレと確かに同じ匂いがした。トイレの穴はいくつか埋められていたりした。でも、トイレはとても綺麗だった。



この通路もまた長いのだけれど、ここを通っていけば第二ターミナルへ着くことができる。後ろを振り返ると、誰かがいる。誰だろう?幽霊はもしかしたら駅員さんなんじゃないかと思っている。


【8/31 10:50】第二ターミナルに戻る

ターミナルに着いて、解散しようとするのだけれど、誰も体が動かない。ミソが「ご飯を食べましょう」と言って、ほとんど目の前にあるというだけで吉野家を選んだ。少し待って、二つの分かれたテーブルに案内された。皆はあまり多く食べなかったが私は御膳を食べた。映画の話とか少ししたけれど、皆言葉数が少なかった。どんな作品が好きか?というミソの質問にはこう答えた。「世界の深淵を覗いているか」



食べ終わって、目の前にある案内板を見ていた。台風の影響でダイヤが乱れているようで、欠航や大幅遅延が出ている。それを眺めている時間があった。私がトイレへ行って戻っても、皆はそれを見ていて、旅行客達の遅延が動くのを待つ時のあの独特の雰囲気が漂っているのが見える。私たちはどこにも行かない。

電車で帰るきつだ君とミソを見送り、バスに乗る私たちはチケットを買った。そのチケットが前に乗ったものよりも薄かったことが気になった。値上げの影響か、バスが京成・京葉・リムジンの三種類あるからだろうか。私たちが乗ったのは京成バスだった。椅子に座って少し待つとすぐにバスは来た。


【8/31 13:10】バスに乗車



欧州からの帰りのバスと内装はかなり違いがあった。記憶ではあの時、全員一人がけの席に座っていたような気がした。(夢だったのだろうか?)私たちはバスの真ん中の席に座り、静かな車内で筆談をしてみた。遠藤君はある女性の計らいで私達の側の席に座ることができた。暫くすると、遠藤君の瞼は下がっていた。ひなちゃんに、あの暗くて長いトンネルのことを話すと、「ガスのような匂いがした」と彼女は言った。私の中では匂いの記憶が無くなっているけれど、そうだった気がする。その内、ひなちゃんも眠り、私もやはり眠くなってしまった。目が覚めると、まだ千葉県にいる。前よりは早く目覚めた。そして、頭がぼんやりとしている内に浦安のオリエンタルランドが見え、何人かの客が写真を撮っている。巨大なビル、何かの工場、大きな企業ロゴの入った建物...得体の知れない、自分の知識では到底読むことのできないコード達がバスのスピードで現れては消え去って行く。そして、天気もコロコロと晴れたり雨になったり変わっていった。何か錆びた鉄の巨大な...何か...わからないけれど、恐怖のようなものを感じさせられて、曇った影の形でそびえる機械の何か...が遠くに見えている...そして、鶴見つばさ橋の上で、青空なのにバスのガラスはびしゃびしゃと濡れている。この時ほんの少しの爽快さはあるけれども、私はこのバスの車窓から延々とスペクタクルのお化けをみているようだった。それは映画のようで、ずっとどきどきとさせられるものだ。けれどそれはとても恐ろしいのだ。そして、ついさっき私は成田空港というスペクタクルと戦ってきたのだと思った。

ひなちゃんは横浜の街中を走っている時に目が覚めた。鶴見橋のところで遠藤君は目が覚めた。そして彼はバスを降りて、どうでしたか?という顔をしている私に、横浜の、ちょっと街が見えた時に写真を撮ったけれど、「景色に感動できなかった」と言った。昔は海に感動できたのに、みたいな話も彼は付け加えていたが、感動できないと言えることは良いことだなと思った。横浜駅で解散。駅では地方フェアを開催していて、どこかの観光名所から連れて来られた雪を触った。

(写真協力 遠藤君 きつだ君 ひなちゃん)

*私は月に一度を目標に、散歩会を開催しています。X( Twitter)@YureruKi、Instagram @yurerukiにて告知をしています。ぜひ遊びに来てください。






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