「急に具合が悪くなる」を小名浜で見た

  • 更新日: 2026/07/23

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福島県のいわきへ行く用事があって、無理をすればその日のうちに帰れたんだけど、せっかくだから一泊して翌日どこかに寄って帰ろうと思った。

いわき駅横のカプセルホテルに潜り込んで、明日どこへ行こうか検索して、気になるところはいくつかあるけれど、それぞれが絶妙に遠い。宇宙が膨張しているせいかしら。

そのうち目的を忘れ、ネットの腐海を漂っていたら、見たかった映画が上映中だったことを思い出した。

急に具合が悪くなる。

濱口竜介監督の最新作で、カンヌで賞もとっているんだけど、上映している映画館が少ない。近所の映画館はやってない。あまり行かない変なエリアでちょいちょいやっている。パルケの出店方針と似ている気がする。スーパーマーケットのパルケは奥沢や豪徳寺や洗足池にある。渋い。
パルケはどうでもいいんだけど、急に具合が悪くなる。原作は読んだ。でも映画は全然違うらしい。どうやって見ようか、と思っていたんだった。

試しに、福島県で上映している映画館を探してみる。すると、いわき市内で一箇所上映していた。イオンモールいわき小名浜だって。
小名浜港の近く、ここから車で30分くらいの距離らしい。

小名浜かあ。
そういえば小名浜に行ってみたかったんだった。
鬼の小名浜という曲が好きでたまに聴く。



ハードなリアルを歌っているんだけど、たまに日本語の美しさかグロさかでハッとする。Youtubeのコメントによると、いわきのクラブでかかると大合唱になるらしい。これを合唱?

港町は、観光客向けに綺麗になっていることも多くて一見分からないけれど、独特な空気が漂うことがある。赤線地帯もよくある。菊地成孔氏が地元の銚子について書いた文章を前に読んだけど、歓楽街の体験がだいたい怖かった気がする。

それで小名浜。2008年の曲なんだけど、僕がはじめて聴いたのは震災後で、そのとき、あのあたりは事故の影響で風評被害が出ていて、思わず小名浜漁港の魚をネットで買った。知らん魚がいっぱい届いた。頭の大きいやつが美味かった。小名浜との接点はそれ以来ない。行ってみようか、知らない街のイオンモール。

映画の上映時間は、9:30からの1回のみ。早起きしないといけない。




そういうわけで7時過ぎに泉駅に着いた。MVに出てきた小名浜駅で降りればいいと思っていたのだけど、どうやらそれは貨物の駅らしい。人間が車なしで小名浜へ行くには泉駅で降りるのが良さそうだった。
それから、貨物線の小名浜駅は震災で被害を受けて移転している。
そしてイオンモールいわき小名浜は旧小名浜駅の跡地に出来たらしい。結局、当時の小名浜駅を目指すようなものだった。




小名浜港に行きそうなバス乗り場があったので、安直に並ぶ。高校生がたくさん居た。




バスは何らかの川を渡り、




イオンに着いた。やってないイオンに8時に着いてしまった。
ただこのすぐ裏は港。漁師飯屋みたいなのがあるのではないでしょうか。


なかったです。昔はあったのかも。




どうやらこのへんの魚料理屋はだいたい道の駅「ら・ら・ミュウ」に収容されているっぽかったんだけど、道の駅の開始時刻が10時だった。




デカ盛りの店がありそうなことだけ確認できた。




海上保安庁の船が出航しそうで、手を振っている人が何人か居た。




うろうろしていたら9時過ぎになったのでイオンに戻った。

ここで、モール内映画館のあるあるが発動した。
イオン全体としてはまだ営業していないから、映画館へ向かう人専用の特別なルートで入らなければいけないんだけど、初見のイオンでのそれはかなり難しかった。
映画館のサイトには、駐車場脇のエレベーターから侵入できそうなことが書いてあった。その書いてある場所にエレベーターなど無い。無いですね、と何度も指さし確認をした。

別の入口からスルッと屋内へ入っていくママさんが居たから付いていったらイオン保育園みたいなところに着きそうになって慌てて引き返したりした。イオン保育園も朝からやっている。

そのうち、さっきまで無かったエレベーターが出現した。さっきまで絶対無かったのに。イオン幼稚園がトリガーだった可能性がある。






見終わったら13時に近かった。余韻で頭がまだカラカラ回っている。3時間ちょい、確かに長かったけれど、全部大事で、ちっとも退屈しなかった。長さは膀胱が感じただけ。先にトイレ行っておけば良かった。

映画館を出たらイオンが大音量で迫ってきて心臓止まるかと思った。僕は今日、おまえらより早起きだった。






帰り道はこの映画のことしか考えなかった。バスで来た道を、カラカラと歩いて泉駅まで帰った。

以下、ネタバレがあるからできれば映画を見たあと読んで欲しいけど、そのあたりはお任せしたい。





本作の主人公は高齢者向けの介護施設でマネージャーをしているマリー=ルーで、彼女はユマニチュードという認知症ケア療法を浸透させようとしている。認知症の人を人間らしく扱う技術だけど、普及には時間も人手もかかるので現場からの抵抗は少なくない。特に、現実的な効率を考えるベテラン看護師と対立している。マリーは行き詰まっているのだけど、ひょんなことから真理という演出家と出会い、彼女の舞台を見に行く。



▲餌を待つアシカみたいでかわいいと思った船たち



▲一石二鳥感があってよかった


イタリアで精神病院を無くす運動をしたバザーリアについての演劇。イタリアでは、患者を非人道的に長期間閉じ込める精神病院が解体され、地域コミュニティで支える体制に移行している。

なぜそんなことが出来たか。

本当に地域のサポートだけで回っているのかというのは、詳しくないのでここでは触れない。
とにかく、閉鎖的な隔離病棟をなくして患者を地域に返しましょうという方向に、世の中が動いた。



▲風俗街と住宅街の境目がわからない



▲「テ」「ナ」「ン」「ト」のあたり好き


なぜそんなことが出来たか。演劇のタイトルが答えの一つになっていると思う。

「近づいてみれば 誰一人まともな人はいない」



▲この世界では猫だけが正気を保っている



▲一方、犬はおことわられている


「近づいてみれば 誰一人まともな人はいない」
バザーリアが精神病院を無くす運動をしていたときに掲げた標語らしい。全員がドキッとすると思う。障害はグラデーションですよ、みたいな最近の言い方と意味は同じだけど、あなたも大概おかしいですよ、と引き込むところが過激だ。そして多分そうだろうと思う。おかしくないです、と言い切れる人はおかしい。



▲突然現れる淡い色の公園、子供の影はなく



▲前から見た秋刀魚、刀の感じはなく


引き込まれた途端、別の意味が出てくる。お互い様ですよね、という含みがある。あなたと私に違いが無いとしたとき、無知のヴェールすら消え去り、積極的な自由論が導き出される。すると、当然のようにリスクが等分される。劇中でも触れられたけれど、隔離病棟から解放された精神病患者が家に帰って妻を殺す事件が発生する(実際問題になって、バザーリアは告訴されている)。劇ではこれにも過激な解答を用意している。正確な言い回しは忘れたけど「一人の患者の精神が殺されるのと、一人の人が殺されるのは同じ」と言い放つ。患者の権利と住民の権利が衝突するシーンで、患者と住民が「同じ」だとしたら、争点自体が消え去る。不幸な殺人事件が起こった事実だけが残る。納得できる人は少ないかもしれない。しかしそういう論理を飛び越えて心の中心に響かせてしまうのが演劇であり、後半のマリー=ルーの演説であり、コード化されていないコミュニケーションなんだろうと思った。この主題を表現するための手段として、演劇ってすごい、アリだな……と感じた。ふだん演劇を見ていない人の感想です。こんにちは。



▲通りたい気持ちがフェンスを突き抜ける



▲いわきのDAIGOがいた。コインランドリーでJTN(時短)


精神病患者を地域に返す、住民を混ぜることについて語るこの演劇自体も、観客が楽器を持って鳴らしたり、自閉症の青年(主演俳優の孫)が乱入したりすることで成立する仕掛けになっている。



▲残そう



▲残そうね


関係も混ざる。演劇や議論によって、マリーは真理にケアされているが、後半、真理はマリーにケアされる。
真理がマリーに足裏マッサージを教えるが、そのうち二人でお互いをマッサージする。その後、介護施設でも足裏マッサージをしあうワークショップがはじまり、入居者がケアし、ケアされる。まるでひとつの生物になったような、そういう、非常に美しいシーンがある。すごく好きだった。
この、関係を溶かすために触覚が使われることは示唆的だと思った。触れる私自身もまた、触れられうるもの。



▲一見意味が分からなくて渡るのが難しかった。正解は、中央で待つ。



▲壁に埋まったボタン


ベイトソンのことを考えていた。「おまえらの引いた境界線は間違っている」と言い続けた人だと思う。たぶん。
例えば「人間」と「自然」と分けると、人間と自然の相互関係の回路を見失う。その結果、自然を搾取して良いと誤認する。
カレーライスを「カレー」と「ライス」と分けていたら、ぜんば自由軒のようなカレーは生まれない。生卵と一緒に混ぜるべきだ。



▲ぽんぽこりん



▲階段も、くねった道も、矢印のような植え込みも、全部いい


分ける弊害というものがある。デカルトの分析論よろしく、分けて考えることで科学は発展してきたけれど、システム全体で考えないと全体最適が見つからないことがある。
皮膚科が「紫外線に当たらないようにしましょう」と言って、内科が「ビタミンDを生成するために日光を浴びましょう」と言う、みたいなやつもそうかもしれない。全体的に言えば、適度に外に出よう。ふつうだ。



▲小名浜へ向かう貨物に遭遇した



▲橋の名前は分からなかった。そんなこともある。


作品中で、マリーの施設では老人の転倒数が多い、と上司? 役所? に指摘されるシーンがあった。この施設はユマニチュードの実践によって、知性と尊厳を保つために利用者が積極的に歩いているからそうなっている。転倒数をKPIに置くと、利用者を歩かせずに弱らせることが最適解の一つになってしまう。
これも「分ける」弊害の一つだと思った。線引きをして、目標を立てると、全体最適ではないところで平衡する。



▲手作りのごみステーションを観賞した。



▲完成当時はもっと青かったんだろうか。


「マリーの施設では老人の転倒数が多い」という指摘に、ユマニチュードを映画内で予習した我々は「ハハ、全く分かってないぜ」と思う。

安心が全てではない、みたいなことはみんなうっすら頭で分かっている。科学に立脚した安心を少しあきらめて、不確実な信頼を増やすことは良いことだと思っている。かわいい子には旅をさせたい。不確実性を受け入れる準備がある、と思っている。

でも僕たちは安心に慣れすぎて、実践が伴っていない気がする。

「ハハ、全く分かってないぜ」と我々は思う。その矢先、自閉症の青年が老人の手を握りながら興奮気味に走り出すシーンがあって、めちゃくちゃハラハラする。引きずり回されるおじいちゃん。あっヒヤリハット事例! とピンときてしまったので僕はここで失格です。おじいちゃんが頭を打って、息子が訴えてくる(あんなにおじいちゃんを嫌っていたのに!?)、みたいなところまで想像した。もしかして試されてた?



▲手作りのカラスのようなもの



▲風で揺れる


それを見て真理は「仲良し」みたいなこと言って笑っている。よく見れば、介護士が気づいてしっかり後を追いかけている。
これはヒヤリハット事例ではなく、信頼のシーンということに、あとから気づいた。





駅近くの喫茶店で焼肉ライスを食べて美味しかった。プラムも嬉しかった。




そうこうしていたら泉駅についた。すごい映画だった。










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ヤスノリ

サンポー主宰。最近おちつきがある。

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