はぐれ者のサマーシチュエーション
- 更新日: 2023/11/14
うだるように暑い一日のこと
今更コロナになって、一週間ほど寝込んでいた。最初は夏風邪だと思っていたが、検査をしてみるとコロナ陽性。思った以上に辛いものがあって、体重も3kgほど減った。しかし医療とは素晴らしいもので、処方された薬を飲めばみるみるうちに症状が改善していく。本当に辛かった時期がまるで嘘のように。
5日間ほどの自宅療養を終えてから初めて外出した。青く高い空、真っ白なふわふわの雲、肌に突き刺さる強い日差し。夏に必要な全てが揃った最高の景色の中、私が向かうのは……. ハローワークだった。
私は現在定職についておらず、フリーランスでしている仕事だけだとどうしても収入的に厳しいものがあるので、何か別の仕事を求めている。が、なかなか上手く行かず、公的なものに頼ろうと思って区役所へ向かってみた次第だ。
ハローワークに行くのは初めてだった。あまり仕組みが分からないまま職員とおしゃべりをし、職業訓練のチラシを含む数枚の書類をもらって帰ることになった。担当してくれた方は高圧的なのか寄り添ってくれているのかよく分からなかった。
真っ当に働いて賃金を貰う行為、本当に向いていないなと感じる。みんな平気でそれが出来ているのが不思議でならない。こんなことを頭の中でずっと反芻していたので、どんどんどんどん気持ちが塞ぎこんでいく。流石にこのままだと今日一日が最悪な日で終わってしまいそうな気がしたいので、外に出て夏の状況を楽しむことにした。夏らしい曲を聴きながら。
職員の方々には申し訳ないが、書類はゴミ箱へ突っ込んだ。
私は夏が好きだ。空は青く澄んでいて、木々も青々と生い茂っている。重たい服に身を包む必要もない。シャツとサンダルでふらりと外に出ることができる。他にも好きな理由はあるが、特に大きいのは子供の頃の思い出の影響だと思う。小学生の頃の夏休みは、夢のような時間だった。毎朝学校に行く必要がない。友達の家で好きなだけゲームができるし、プールにもいけるし、ポケモンの映画も見れるし、旅行にもいけるし、良いことづくしだった。もちろん宿題を溜めたりと嫌なこともあったが、それを覆すくらい楽しいことが目白押しだった。
役所を出ると目の前には小さい公園がある。昼時にはここで休憩する職員もいるようだ。今の時期は少し暑いかもしれないが、木漏れ日の中のベンチで過ごす時間はかけがえのないものだと直感する。
そういえば、この公園にちゃんと足を踏み入れたのは初めてかもしれない。区役所に行く理由なんて、今までの自分にはほとんどなかった。目の前を通過することは何度もあったが。せっかくなので散策してみよう。
木々の奥の歩道橋。なかなか良い景色だ。小さい公園なので、これで全てだ。あとは細長い犬の乗り物があるだけ。区役所に来た人や、職員が休む為の公園なのだろう。ずっと素通りしていたけど、思った以上に好きな場所だなと感じる。
歩道橋を渡ると小学校がある。ランドセルを背負った子供の姿をチラホラ見かける。今は7月の頭なので、もう少しで夏休みというところだろう。この時期の学校って本当に楽しかった記憶がある。正確には、夏休みが楽しすぎるから、その余熱で夏休み前の学校も楽しくなっているという感じだが。でも少しづつ使わない教科書や教材を家に持って帰ったり、夏休み直前ということで給食にゼリーがついたり、そういう小さなことな変化が、僕に夏を感じさせていたのだと思う。
そういえば小学六年生の時、友達と共謀して休み時間に学校を脱出したことがある。体育館の裏から学校を出て、通りを渡ったところにあるセブンイレブンまで行って、焼き鳥を買って食べた。あの時に感じた不思議な感覚は忘れ難い。行動範囲が広がった高揚感と、知り合いにバレるかもしれないというスリル、二つが合わさって、地に足をついて歩いているのに急に溺れてしまいそうな気がした。結果的に誰にもバレることなく、僕たちの小さな犯行は終わった。その後のことはあまり覚えていないが、何食わぬ顔で授業を受けていたと思う。
よく考えたら、平日の昼間から小学生と同じように街をフラフラ出来るというのは、私のような逸れものの特権なのかもしれない。少しだけ良い気分になってきた。
これ、なんなんだろう。受話器のように見える。引き戸につける取っ手なのかとも思ったが、それにしては随分高い位置に付けられている。謎だ。
蔦だらけの家。側から見たらとても雰囲気があって、こんな家に住んでみたいと思わせる魔力があった。2階の窓から路地を眺めたい。好きな音楽を小さめの音量で流しつつ、お香でも炊きながら。でも、住んだら住んだで色々と鬱陶しいのだろうな。隣の芝はなんとやらだ。
目的地を定めず適当に歩いているので疲れてきた。この日の最高気温は32度。帽子も被らずだったので汗がとめどなく流れる。一週間ほど寝込んでいた体には大きな負担だったかもしれない。ただ、家までは歩いて15分ほど。タクシーを使えるほど懐に余裕はない。意を決して歩く。
……ここまで書いて、数日が経った。自宅療養が終わって、家の外に出た時は、本当にやる気にあふれていたのに、机に向かえど向かえど続きは思いつかず。完全に手詰まりになった時に、ふと外見てみると、素晴らしいくらいに夏の状況が広がっていた。オチを探しにもう一度外へ出ることにした。
自転車で30分ほど南に向かう。
地図上では見知っている場所だとしても、路地を一本曲がれば全く知らない場所に出会える。こんなドラマティックな坂道があったなんて、家で天井のシミを見つめているだけじゃ知ることは出来なかった。無理やりにでも家の外に出るのは大事だ。上るか下るか、少しだけ悩んだ末に下ることに。
この建物、私が通っていた付属中学の付属される先の大学のキャンパスだ(日本語が正しいか不安だ……)。中一の頃に、この付近を歩く学校行事があって道中にここに寄った記憶がある。その時、近くにいた同級生が大学生に「え?君ら中一?若いね〜(笑)」といった具合で絡まれていた。中学一年生と大学生だとパワーバランスの差はあまりに大きい。絡まれた同級生たちはどうすればいいか分からないといった様子だった。
同じ年齢の中にいたらデカい声で大はしゃぎしているような奴らでも、外界の人間から急に横槍を入れられるとしゅんとなってしまう有様を見て、形容し難い気持ちになったのを覚えている。もっと年齢が上の先生に対しては舐めた態度をとるのに。
良い坂だ。こんな坂のあるところに中一の時のクラスメイトが住んでいた。絵に描いたようなお金持ちで、二子玉川付近の一軒家、とても広い森のような庭があり、お手伝いさんがいて、部屋もいくつもあるといった感じだ。何度か遊びに行ったのだが、マリオパーティをしたり、ワンピースを読んだり、ゼルダの伝説で遊んだりと、年相応の遊びをした。一度夕食をご馳走になったこともある。何を頂いたかは覚えていないが、しっかりと美味しかったことだけは記憶している。結局彼とは疎遠になってしまい、今では連絡先も分からない。しかし、クーラーの効いた部屋でだらだらと遊んでいた時のぼんやりと楽しかった感覚だけは心にこびりついている。あの頃の夏もまた素晴らしいものだった。
多摩川沿いに到達した。日差しを遮るものがなく、暑い。素敵な夏というのは幻想だ。実際には暑く、汗が止まらない。体はベタつくし、体力はどんどん削られて、何をするにも億劫になる。それでもなお、私は夏という季節の魅了されている。どこまでも広がる青い空を見て、どうしようもなく心が踊ってしまう。
やはり夏という季節は素晴らしいものだと再確認できた。例え自分を取り巻く環境が最悪だとしても、外に出て日を浴びるだけで最高の気持ちになれる。気がつけばもう8月も半ば。少しづつ夏が終わろうとしている。世の中の人たちは茹だるような暑さに疲弊しているが、私はこの暑さすら愛おしく感じている。息苦しいほど蒸し暑い空気を吸うと、自分が生きていると実感できる。ありきたりな表現だが、同じ夏は二度は来ない。今日という日を大事に生きていたい。
5日間ほどの自宅療養を終えてから初めて外出した。青く高い空、真っ白なふわふわの雲、肌に突き刺さる強い日差し。夏に必要な全てが揃った最高の景色の中、私が向かうのは……. ハローワークだった。
私は現在定職についておらず、フリーランスでしている仕事だけだとどうしても収入的に厳しいものがあるので、何か別の仕事を求めている。が、なかなか上手く行かず、公的なものに頼ろうと思って区役所へ向かってみた次第だ。
ハローワークに行くのは初めてだった。あまり仕組みが分からないまま職員とおしゃべりをし、職業訓練のチラシを含む数枚の書類をもらって帰ることになった。担当してくれた方は高圧的なのか寄り添ってくれているのかよく分からなかった。
真っ当に働いて賃金を貰う行為、本当に向いていないなと感じる。みんな平気でそれが出来ているのが不思議でならない。こんなことを頭の中でずっと反芻していたので、どんどんどんどん気持ちが塞ぎこんでいく。流石にこのままだと今日一日が最悪な日で終わってしまいそうな気がしたいので、外に出て夏の状況を楽しむことにした。夏らしい曲を聴きながら。
職員の方々には申し訳ないが、書類はゴミ箱へ突っ込んだ。
私は夏が好きだ。空は青く澄んでいて、木々も青々と生い茂っている。重たい服に身を包む必要もない。シャツとサンダルでふらりと外に出ることができる。他にも好きな理由はあるが、特に大きいのは子供の頃の思い出の影響だと思う。小学生の頃の夏休みは、夢のような時間だった。毎朝学校に行く必要がない。友達の家で好きなだけゲームができるし、プールにもいけるし、ポケモンの映画も見れるし、旅行にもいけるし、良いことづくしだった。もちろん宿題を溜めたりと嫌なこともあったが、それを覆すくらい楽しいことが目白押しだった。
役所を出ると目の前には小さい公園がある。昼時にはここで休憩する職員もいるようだ。今の時期は少し暑いかもしれないが、木漏れ日の中のベンチで過ごす時間はかけがえのないものだと直感する。
そういえば、この公園にちゃんと足を踏み入れたのは初めてかもしれない。区役所に行く理由なんて、今までの自分にはほとんどなかった。目の前を通過することは何度もあったが。せっかくなので散策してみよう。
木々の奥の歩道橋。なかなか良い景色だ。小さい公園なので、これで全てだ。あとは細長い犬の乗り物があるだけ。区役所に来た人や、職員が休む為の公園なのだろう。ずっと素通りしていたけど、思った以上に好きな場所だなと感じる。
歩道橋を渡ると小学校がある。ランドセルを背負った子供の姿をチラホラ見かける。今は7月の頭なので、もう少しで夏休みというところだろう。この時期の学校って本当に楽しかった記憶がある。正確には、夏休みが楽しすぎるから、その余熱で夏休み前の学校も楽しくなっているという感じだが。でも少しづつ使わない教科書や教材を家に持って帰ったり、夏休み直前ということで給食にゼリーがついたり、そういう小さなことな変化が、僕に夏を感じさせていたのだと思う。
そういえば小学六年生の時、友達と共謀して休み時間に学校を脱出したことがある。体育館の裏から学校を出て、通りを渡ったところにあるセブンイレブンまで行って、焼き鳥を買って食べた。あの時に感じた不思議な感覚は忘れ難い。行動範囲が広がった高揚感と、知り合いにバレるかもしれないというスリル、二つが合わさって、地に足をついて歩いているのに急に溺れてしまいそうな気がした。結果的に誰にもバレることなく、僕たちの小さな犯行は終わった。その後のことはあまり覚えていないが、何食わぬ顔で授業を受けていたと思う。
よく考えたら、平日の昼間から小学生と同じように街をフラフラ出来るというのは、私のような逸れものの特権なのかもしれない。少しだけ良い気分になってきた。
これ、なんなんだろう。受話器のように見える。引き戸につける取っ手なのかとも思ったが、それにしては随分高い位置に付けられている。謎だ。
蔦だらけの家。側から見たらとても雰囲気があって、こんな家に住んでみたいと思わせる魔力があった。2階の窓から路地を眺めたい。好きな音楽を小さめの音量で流しつつ、お香でも炊きながら。でも、住んだら住んだで色々と鬱陶しいのだろうな。隣の芝はなんとやらだ。
目的地を定めず適当に歩いているので疲れてきた。この日の最高気温は32度。帽子も被らずだったので汗がとめどなく流れる。一週間ほど寝込んでいた体には大きな負担だったかもしれない。ただ、家までは歩いて15分ほど。タクシーを使えるほど懐に余裕はない。意を決して歩く。
……ここまで書いて、数日が経った。自宅療養が終わって、家の外に出た時は、本当にやる気にあふれていたのに、机に向かえど向かえど続きは思いつかず。完全に手詰まりになった時に、ふと外見てみると、素晴らしいくらいに夏の状況が広がっていた。オチを探しにもう一度外へ出ることにした。
自転車で30分ほど南に向かう。
地図上では見知っている場所だとしても、路地を一本曲がれば全く知らない場所に出会える。こんなドラマティックな坂道があったなんて、家で天井のシミを見つめているだけじゃ知ることは出来なかった。無理やりにでも家の外に出るのは大事だ。上るか下るか、少しだけ悩んだ末に下ることに。
この建物、私が通っていた付属中学の付属される先の大学のキャンパスだ(日本語が正しいか不安だ……)。中一の頃に、この付近を歩く学校行事があって道中にここに寄った記憶がある。その時、近くにいた同級生が大学生に「え?君ら中一?若いね〜(笑)」といった具合で絡まれていた。中学一年生と大学生だとパワーバランスの差はあまりに大きい。絡まれた同級生たちはどうすればいいか分からないといった様子だった。
同じ年齢の中にいたらデカい声で大はしゃぎしているような奴らでも、外界の人間から急に横槍を入れられるとしゅんとなってしまう有様を見て、形容し難い気持ちになったのを覚えている。もっと年齢が上の先生に対しては舐めた態度をとるのに。
良い坂だ。こんな坂のあるところに中一の時のクラスメイトが住んでいた。絵に描いたようなお金持ちで、二子玉川付近の一軒家、とても広い森のような庭があり、お手伝いさんがいて、部屋もいくつもあるといった感じだ。何度か遊びに行ったのだが、マリオパーティをしたり、ワンピースを読んだり、ゼルダの伝説で遊んだりと、年相応の遊びをした。一度夕食をご馳走になったこともある。何を頂いたかは覚えていないが、しっかりと美味しかったことだけは記憶している。結局彼とは疎遠になってしまい、今では連絡先も分からない。しかし、クーラーの効いた部屋でだらだらと遊んでいた時のぼんやりと楽しかった感覚だけは心にこびりついている。あの頃の夏もまた素晴らしいものだった。
多摩川沿いに到達した。日差しを遮るものがなく、暑い。素敵な夏というのは幻想だ。実際には暑く、汗が止まらない。体はベタつくし、体力はどんどん削られて、何をするにも億劫になる。それでもなお、私は夏という季節の魅了されている。どこまでも広がる青い空を見て、どうしようもなく心が踊ってしまう。
やはり夏という季節は素晴らしいものだと再確認できた。例え自分を取り巻く環境が最悪だとしても、外に出て日を浴びるだけで最高の気持ちになれる。気がつけばもう8月も半ば。少しづつ夏が終わろうとしている。世の中の人たちは茹だるような暑さに疲弊しているが、私はこの暑さすら愛おしく感じている。息苦しいほど蒸し暑い空気を吸うと、自分が生きていると実感できる。ありきたりな表現だが、同じ夏は二度は来ない。今日という日を大事に生きていたい。