手書き文字と向き合う
- 更新日: 2023/07/25
シン・路上観察ちゃんです。私は手書き文字が好きです。
誤字脱字や作者独特の癖、文字など、あれもこれも愛おしいんです。今回は、そんな愛すべき手書きとじっくり向き合う記事です。
じっくり向き合っていると誤字脱字や癖字にも、"文字たちがその文章内でそうでなくてはならない理由”があるような気がしてくるのです。一見、滅茶苦茶に見える手書きの文ですが、誤字脱字とすぐに断定せずにじっくり向き合っていると作者の隠れた思いやメッセージが浮かび上がってきます。
貼り紙に込められた隠れた意味やメッセージを紐解いていきます。
ピンホンの音でないとき よこのドアお タタイてください
全体を通して字は綺麗で、ハチャメチャになりがちな上下左右の余白は、向かって左側がややアンバランスなものの違和感を感じるほどではありません。
しかし、内容に目をやるとそこには一筋縄ではいかない、難解な文字の羅列があります。
まずは一行目の「ピンホン」。字の綺麗さや、誤字脱字を生み出すように見えない自信のある筆跡……一瞬「ピンホン」だったような気もしますが、半濁点がありません。
ところで、作者は卓球のことも「ピンホン」と言ってしまうのでしょうか。
私ならこう考えます。
作者は大阪随一の卓球プレイヤーで卓球に対する敬意を払っています。ただ押されることを待つだけの受け身な「ピンポン」に対して良い印象を抱いていません。
ピンポンは世の中に2つもいらない…そや!半濁点とったろ!
作者の卓球への深いリスペクトと安易な発想がそうさせたのかもしれません。
一方で、「ポン」から半濁点をとったのは作者の「ピンポン(呼び鈴)」に対する配慮ともとれます。なぜなら「ヒンポン」にしてしまうと「ヒン」からは貧相な印象をうけてし舞うからです。しかし、「ピンホン」だと違います。さらに、呼び鈴を押したときのメロディは残しつつ、「ホン」にすることで呼び鈴の別名であるインターホンの「ホン」要素を残してくれています。
卓球への敬意を払いつつ、敗者への気配りも忘れない素晴らしい作者です。
音って漢字、いいですよね。
全体を見てみると漢字で書ける箇所がいくつかあるにも関わらず、「音」だけが漢字になっていることがわかります。「もしかして、音以外の漢字を書けないのでは?」と思われそうですが、あえて音以外の漢字にしていないのです。
その証拠に、漢字にすべき箇所のほとんどをカタカナにしており、漢字自体は認知していることがわかります。
ではなぜ、作者は音以外を漢字にしないのでしょうか。
私ならこう考えます。
文字がなかった時代、重要だったのは音を発しそれを聞くことだったと思います。たとえ文字はなくとも音を聞き取れる人であればコミュニケーションはできます。重要なのは「音」。決して「音」以外の漢字が書けないからではなく、作者の「音」に対するこだわりが強く現れているだけだととれます。
「お」ってなんだ?
「を」を「お」と書いてしまったのかと思いがちですが、「を」がなくても意味は通じる文章です。この「お」は一体何なのでしょうか。
私ならこう考えます。
まずはベタに「ドア男(どあお)」という作者の息子の存在を考えます。作者は「音」という漢字しか書かないこだわりを持った人なので男を漢字にしないのは理解できます。観察者の希望的観測で「ドア男」の存在を否定してはいけません。「をの誤字だろ」と言っている大人たちは作者と僕に謝ってくださいね。
心配なのは次の文で「ドアお」君が見ず知らずの訪問者に叩かれてしまうことです。さらに、叩く事を呼び鈴の代わりにするということは、相当な打撃音か叩かれる事による「ドアお」君の悲鳴がないといけません。可哀想な「ドアお」君です。そして、来訪者が叩きやすい位置、つまり音のでないピンホンのヨコに「ドアお」君が設置されている状態はとても狂ってます。
作者は高いスポーツマンシップを持つものの、来訪者が叩きやすい位置に息子を設置してボコボコにさせる狂気も持ち合わせています。
・ピンホン
卓球への敬意を払い、敗者への気配りもできるスポーツマンシップの高い作者だが狂気性ももつことを示唆している。
・音
全体を通して「音」だけが漢字であること、それ以外の漢字にすべきところはカタカナにしている部分が多いことから他の漢字を知ってはいる。コミュニケーションの本質は「音」だという強いこだわりを持つ作者ということを示唆している。
・ドアお
作者の息子である「ドア男」の存在。そして、「ドアお」は訪問者が叩きやすい位置に設置されており、見ず知らずの訪問者に叩かれることを示唆している。
絵で描くとこんな感じです。
ドアお君、可哀想です。
おわり
誤字脱字や作者独特の癖、文字など、あれもこれも愛おしいんです。今回は、そんな愛すべき手書きとじっくり向き合う記事です。
じっくり向き合っていると誤字脱字や癖字にも、"文字たちがその文章内でそうでなくてはならない理由”があるような気がしてくるのです。一見、滅茶苦茶に見える手書きの文ですが、誤字脱字とすぐに断定せずにじっくり向き合っていると作者の隠れた思いやメッセージが浮かび上がってきます。
貼り紙に込められた隠れた意味やメッセージを紐解いていきます。
ピンホンの音でないとき よこのドアお タタイてください
全体を通して字は綺麗で、ハチャメチャになりがちな上下左右の余白は、向かって左側がややアンバランスなものの違和感を感じるほどではありません。
しかし、内容に目をやるとそこには一筋縄ではいかない、難解な文字の羅列があります。
「ピンホン」
まずは一行目の「ピンホン」。字の綺麗さや、誤字脱字を生み出すように見えない自信のある筆跡……一瞬「ピンホン」だったような気もしますが、半濁点がありません。
ところで、作者は卓球のことも「ピンホン」と言ってしまうのでしょうか。
私ならこう考えます。
作者は大阪随一の卓球プレイヤーで卓球に対する敬意を払っています。ただ押されることを待つだけの受け身な「ピンポン」に対して良い印象を抱いていません。
ピンポンは世の中に2つもいらない…そや!半濁点とったろ!
作者の卓球への深いリスペクトと安易な発想がそうさせたのかもしれません。
一方で、「ポン」から半濁点をとったのは作者の「ピンポン(呼び鈴)」に対する配慮ともとれます。なぜなら「ヒンポン」にしてしまうと「ヒン」からは貧相な印象をうけてし舞うからです。しかし、「ピンホン」だと違います。さらに、呼び鈴を押したときのメロディは残しつつ、「ホン」にすることで呼び鈴の別名であるインターホンの「ホン」要素を残してくれています。
卓球への敬意を払いつつ、敗者への気配りも忘れない素晴らしい作者です。
「音」
音って漢字、いいですよね。
全体を見てみると漢字で書ける箇所がいくつかあるにも関わらず、「音」だけが漢字になっていることがわかります。「もしかして、音以外の漢字を書けないのでは?」と思われそうですが、あえて音以外の漢字にしていないのです。
その証拠に、漢字にすべき箇所のほとんどをカタカナにしており、漢字自体は認知していることがわかります。
ではなぜ、作者は音以外を漢字にしないのでしょうか。
私ならこう考えます。
文字がなかった時代、重要だったのは音を発しそれを聞くことだったと思います。たとえ文字はなくとも音を聞き取れる人であればコミュニケーションはできます。重要なのは「音」。決して「音」以外の漢字が書けないからではなく、作者の「音」に対するこだわりが強く現れているだけだととれます。
「ヨコのドアお タタイて」
「お」ってなんだ?
「を」を「お」と書いてしまったのかと思いがちですが、「を」がなくても意味は通じる文章です。この「お」は一体何なのでしょうか。
私ならこう考えます。
まずはベタに「ドア男(どあお)」という作者の息子の存在を考えます。作者は「音」という漢字しか書かないこだわりを持った人なので男を漢字にしないのは理解できます。観察者の希望的観測で「ドア男」の存在を否定してはいけません。「をの誤字だろ」と言っている大人たちは作者と僕に謝ってくださいね。
心配なのは次の文で「ドアお」君が見ず知らずの訪問者に叩かれてしまうことです。さらに、叩く事を呼び鈴の代わりにするということは、相当な打撃音か叩かれる事による「ドアお」君の悲鳴がないといけません。可哀想な「ドアお」君です。そして、来訪者が叩きやすい位置、つまり音のでないピンホンのヨコに「ドアお」君が設置されている状態はとても狂ってます。
作者は高いスポーツマンシップを持つものの、来訪者が叩きやすい位置に息子を設置してボコボコにさせる狂気も持ち合わせています。
今までの考察をまとめる
これまでの考察をまとめましょう。・ピンホン
卓球への敬意を払い、敗者への気配りもできるスポーツマンシップの高い作者だが狂気性ももつことを示唆している。
・音
全体を通して「音」だけが漢字であること、それ以外の漢字にすべきところはカタカナにしている部分が多いことから他の漢字を知ってはいる。コミュニケーションの本質は「音」だという強いこだわりを持つ作者ということを示唆している。
・ドアお
作者の息子である「ドア男」の存在。そして、「ドアお」は訪問者が叩きやすい位置に設置されており、見ず知らずの訪問者に叩かれることを示唆している。
この貼り紙が伝えたかったこととは?
つまり、こういうことではないでしょうか。卓球をこよなく愛し敗者への心配りも忘れないスポーツマンシップ溢れるが、「音」以外の漢字を意図的に書かない作者が住んでいます。さらに作者の家ではピンホン(所謂、呼び鈴)が壊れており、訪問者の存在を、ドアのヨコに設置されている作者の息子「ドアお」君をタタくことで発生する打撃音もしくは悲鳴で知ります。
絵で描くとこんな感じです。
ドアお君、可哀想です。
おわり