暗闇都市探訪2 東京タワー編

  • 更新日: 2025/01/23

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東京タワーから夜景を眺める

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暗闇は想像を越えてくる。単純に光の当たらない場所を暗闇と呼ぶには惜しい。それくらい深淵な暗闇がそこにはあった。暗闇都市探訪の第2回、その舞台は港区の東京タワーである。前回、渋谷区のSHIBUYA SKYから夜景を眺め、都市を読み解くという記事を書いた。正直、著者である僕自身がこの散歩に得体の知れない魅力を感じて引き込まれたところがあり、第2回を開催することにした。

暗闇都市探訪の考え方をおさらいしておこう。都市の秘密は暗闇に存在すると考え、夜景を眺めるべく対象地域で最も高い建物に上り、夜景を眺め、急激に暗い場所を突き止める。そして、その暗い場所には何があるのかを確かめるため、実際に訪れるという流れである。民俗学者の宮本常一が故郷の親に託された「新しく訪ねていったところは必ず高いところへ登ってみよ。そして方向を知り、目立つものを見よ」の言葉を現代的に解釈し、夜の時間帯の夜景から都市について考えてみようという試みである。



さて、今回の舞台は東京タワーだ。中沢新一著『増補改訂 アースダイバー』(2019年)によれば、この地は東京屈指の霊地であるという 。東京タワーは「タナトスの塔」すなわち、死の衝動が潜む鉄塔として書かれている。もともと戦後に敗戦国となった日本は、米軍戦車を解体してそれを鉄屑の山として再利用し、それが当時世界一の塔である「東京タワー」に結実したのだから、それは恐ろしい死の匂いを感じざるを得ない。これほどまでに深い闇を抱えたこのタワー周辺地域の秘密を、暗闇都市探訪のフォーマットを使って暴いていきたい。そのような好奇心から、今回の散歩を実施することにした。


東京タワーのメインデッキへ

2024年12月13日、浜松町駅から東京タワーに向かった。日が暮れて飲屋街の明るい光が眩く広がる夜の街へと変貌していた。夜の街には何か得体の知れない獣が棲んでおり、思考感覚を麻痺させると同時に、頭の中の妄想を肥大化させてしまう。恐ろしい獣だ。獣に蝕まれている感覚は、増上寺を抜けたあたりから急激に強まる。ある十字路を曲がった途端、恐ろしいまでに大きな東京タワーが、赤色に輝き、ヌッと現れた。その途端、首根っこを掴まれたような威圧感とある種の清々しさを感じた。本日は東京タワーという大きくて深い闇に挑む。



18時半を回った。いよいよ東京タワーに上がろうと入場のチケットを買う。メインデッキとトップデッキがあり、今回はメインデッキのみ購入した。こちらだけでも360度の夜景は眺められると聞いていたし、あまり遠すぎるところまで眺めても、港区の暗闇都市探訪にはエリア的にそぐわないと考えたため、メインデッキのみの訪問を考えた。

1階には東京タワーの建設当時の写真がたくさん飾られていて、それをさらっと見て、戦後の混乱期の中から立ち上がる希望の塔としての歴史をさらっとおさらいした後、エレベーターに乗り込んだ。高さ150mまで一気に登る。東京タワーの赤黄色い光の光源をぼうっと眺めながら、「いってらっしゃいませ」というエレベーターボーイの言葉を聞いて、異界へと突入した。





そこには360度透明なガラス張りで覆われている他に、お出迎えのクリスマスツリーやキャンドルが置かれていたが、これが単なるイルミネーションとしての装飾というよりは、灯籠流しに使われる灯籠の類に思えてきたし、愛と儚さと悲しさと恐ろしさをそこに内包しているような光だと思った。



ガラスに張り付くように、僕は外を眺めた。観光客たちは記念写真を撮り喜んでいたが、そのような気持ちにもなれなかった。外は非常に暗い闇が広がっていて、その正体を見抜きたいという欲望に駆られた。

まず夜景を眺めていて思ったのは、東京タワーは盆地の底なのではないか?ということだった。実際は、東京タワーは地形的には決して低い場所に建てられているわけではなく、周囲よりも少し小高い場所に建てられている。しかし、周辺のビル群が威圧的であり、麻布方面以外はどう進んでもビルという山にぶち当たる感覚がある。周りにビルという山が聳え立ち、その穴の底に東京タワーが立っていると錯覚するのだ。このような狂った地理感こそが、東京タワーで夜景を眺めていて感じた最初の気づきだった。


都市の闇を幻視する

そういえば、写真家の内藤正敏の写真集『都市の闇を幻視する』(1985年)にはこのような言葉が書かれていた。「煌々と輝くネオンのすぐ横に、ぽっかりと開いた得体の知れない暗闇が見える...この得体の知れない闇こそ、都市の中の闇であり、都市の本質を解くカギが秘められているように思える」。

路上生活する浮浪者や酒を飲んで倒れ込むような路上の物語の集積として、巨大な生命体としての東京を捉えた内藤正敏。路上の人々の顔をドアップで撮影した写真が印象的ではあるが、彼の書いた言葉を噛み締めると、少なからず、空からの視線が街を捉えていたのではないかと思わされる。「東京タワーのテッペンに全自動のカメラをすえつけ、新宿や銀座などにレンズを向け、毎日、1時間に1枚シャッターを切り、10年間写しつづける」という試みもしたようだが、どこに写真が残っているのだろうか。そのような写真が残っているとしたら、ぜひ覗いてみたい。



さて、メインデッキからの夜景を360度丁寧に見て回ろう。エレベーターを降りて、時計回りに進んでいく。最も目立つ暗闇は増上寺一帯だ。明らかに暗闇の面積が広すぎる。その周囲のビルの光と比べると、その暗闇は明白である。しかし、東京タワーの赤さがその暗闇を照らしているため、「漆黒の闇」と感じる場所は少なそうである。




そこからさらに右に移動すると、道路の交差地点が見えてくる。1号線、301号線、首都高速道路の交差点である。渋滞を続ける車たちが、行列をなした蟻のようであり、夜の経済を動かす生命体であることを再確認させられる。偶然にも道路灯が一昔前の高圧ナトリウム灯を使用しており、オレンジ色に光っている。白色のLEDと比べると、どこか趣深さがあり、同時に配色や形的に今自分が立っている東京タワーをも連想させた。まるで地上に映し出された東京タワーの幻影であり、第二の東京タワーが立ち現れているようにも思える。



ほら、東京タワーみたいでしょう?




その幻影としての東京タワーの足元には、会席料理「東京 芝 とうふ屋うかい」の大きな敷地が広がっている。それはまるで遊郭のようにも見え、闇とともに雰囲気のあるボワっとした光の空間が広がる。この魅惑的な光はその他の夜景の光とは何かが違っているようで、「ここに来なはれ」と耳元で囁かれたような気分になった。闇と光が誘って来るような、どこまでも不思議な空間である。




そこからすぐ近くに、心光院のお墓が並ぶ寂しげな闇があって、静寂を感じた。お墓が東京タワーに照らされて、赤く染まっている。この地に眠る死者は、夜になっても完全には眠らないのかもしれない。




さらに視点を右にずらしていくと、麻布周辺の低層住宅の暗闇が見えてくる。そこから麻布台に向けて急激なビル群、いわば断崖絶壁のような風景が広がる。麻布台ヒルズと低層住宅の狭間に伸びる一際明るい境界線は、319号線である。ここには明らかな境界が敷かれているのだ。



断崖絶壁の主軸である麻布台ヒルズとその後ろのビルには、東京タワーが2本分、鏡のように映り込んでいる。赤い魂の炎がぼうっとゆらめいているくらい細々としたか弱い光であり、どこかまつろわぬ魂を持った亡霊のようである。




その319号線の真下、東京タワーの足元には広大な空地が広がっている。何かの建物が建設される予定地のようだが、それにしてもこれほどまで広大な空地が港区にあるとは知らなかった。




芝給水所公園の明るさは異常さすら感じる。今回見ている夜景の中で、最も明るい空間である。夜でも安全にスポーツをプレイできるように、ものすごい照りの強い照明を設置している。これは渋谷編の時にスクランブル交差点の光量の強さに驚いたのに匹敵するほどの衝撃があった。宇宙人が降臨する着陸地なのではないか、と思えるほどに目立つ。



しかしこれが20時を過ぎると、偶然にも圧倒的な暗闇に変わった時は絶句ものだった。最も明るかった空間が最も暗い空間に変貌する時、天地が逆転するような感覚さえ覚えた。あまりにも暗すぎる。ぽっかりと土地ごとブラックホールに飲み込まれてしまったのではないか...と錯覚する。「そこで今、サッカーをしていた人はどこに行ったの?え、え、え...!?」。うなだれて大地に倒れ込む観客、キョロキョロとあたりを見回す通行人。横の公園で遊んでいたワンちゃんと飼い主も、超呆然としているに違いない。




そこから視点をさらに右方向に回転させると、芝学園の南にある勝林山金地院の薄暗さが不気味である。お墓は北の金地院と、先ほど見た南の心光院がそれぞれ対をなして、東京タワーを挟んでいるような構図がここで浮かび上がってきた。東京タワーの周りにはやけに墓地が多いし、墓地に挟まれているという地理関係なのである。これだけ墓地が多いと、「東京タワー自体も墓地なのか?幽霊の魂たちが凝集した塔なのか?」と突っ込まざるを得ない。




さて、メインデッキの窓側ではなく、中心軸に近い側にはお土産屋があった。関西から来たであろう観光客が、こんな会話をしていた。「せっかくやでな、3本くらい買うてくわ」と410円の「東京タワーの形のミネラルウォーター」を購入していた。こんな高値な水が、東京タワーではどんどん売れていくのだ。「3寸タワー」もなかなか面白いお土産だった。高い東京タワーが3寸のサイズで手に入ってしまうような優越感。これは、タワーに昇る前に展示されていた東京タワー建設の地道な物語を語ってくるような写真の展示の伏線を回収しにきているようにも思えた。




またお土産屋の他に、タワー大神宮という神社もあった。真横の絵馬はハート型と東京タワー型があって、「幸せに暮らせますように」「学力が伸びますように」などというありきたりな願いも書かれていたが、東京タワーの絵がただ描かれているようなものもあった。この神社は「天照皇大神」を御祭神とするようだ。ただ、東京タワーの存在そのものがどこか崇拝対象として相応しい存在なのではないかとも思った。ちなみにタワー大神宮は「東京23区で最も空に近い神社」とホームページに書かれていた。




メインデッキの2階をこれまで回ってきたのだが、メインデッキの1階にも見どころはいろいろとある。足元がガラス張りとなっており、下まですっと見えてしまう恐怖の窓があった。その他に、カフェや、キラキラ光る装飾、シアターなどもあった。東京の歴史を語るようなシアターはなかなか感動的で、東京タワーが戦後の復興の中で希望として建てられ、その建設には22万人規模の鳶職などの人々が集められたことを知った。

幅30cmの足場を頼りに、人体を支えるのはまさに神業である。するすると上に登っていく時の恐怖は、このちっぽけな窓から下を覗くことの比ではない。想像もつかない恐怖をものともせず、人力の限界に挑んだ人々もいた。建設中の1958年(昭和33年)6月30日、昇っていた鳶職1人が強風に煽られて高さ61mから転落死し、麓にある増上寺で葬儀を行ったとされている。

そのような事故もあった一方で、東京タワーから景色を眺めた建設作業員は、未来の東京、日本を思い描いたに違いない。そう思うと込み上げてくるものがあるし、きっと自らを誇りに思ったに違いない。東京タワーの頂上に資材を運んだ人物の気持ちになった時のその喜び、感慨はどれほどだっただろうかと想像する。あとは鳶の日給は普通の仕事よりも、東京タワーの方が少し高給だったという話もある。


東京タワー・メインデッキから眺めた暗闇まとめ

さて、メインデッキから地上に降りてきた。ここで1回、得られた気づきをまとめておこう。最も広域的な暗闇を感じたのは ①麻布の低層住宅 ②増上寺 である。ここは、第一優先で絶対に現地に行って、そこには何があるのかを確かめたいと思った。

お寺(北の勝林山金地院と南の心光院)と学校(芝学園)の闇が近場に存在し、これはそもそも夜は眠る場所、夜に活動しない場所という休眠的性質が、この闇を作り出しているのだろう。最も魅惑的なのは「東京 芝 とうふ屋うかい」の遊郭的な闇であった。人間を引き寄せようという魅惑を醸しているのだ。

それから今回気づいた渋谷との違いは、屋上の闇を感じなかったことである。これは東京タワー自身が放つ恐ろしいほどの赤い光が反射して、屋上が明るく照らされているからだと思った。暗闇と呼べる暗闇も、多少はこの赤い光の影響を受けていた。これは地域に霊をばら撒いているようにも見えた。




暗い場所に行って、何があるのかを確かめる

さて、今回気になった上記の暗闇を、実際に歩いてみることとする。20時半頃、東京タワーのメインデッキを降りて、まず向かったのは ①麻布の低層住宅方面だった。そこに辿り着くまでの闇も拾い集めていく。



まず「東京 芝 とうふ屋うかい」は、実際に訪れてみると、内部はほとんど覗くことができずに塀に覆われていた。とても高級な雰囲気で、周辺にはタクシーがたくさん止まっていた。



その先の芝公園ではカップルがベンチに座り、その横を犬が駆け回っていた。その砂の面に東京タワーの赤色が映り込んでいた。



疲れてきたので、アメリカンドッグとドーナツを買った。そして、東京タワー方面に掲げてみたら、なぜか知らないけど様になった。




麻布台ヒルズ周辺に辿り着き、319号を見渡すと、案の定とても明るかった。ここが ①麻布の低層住宅 と、断崖絶壁のようなビル群の境界線にあたる場所である。



①麻布の低層住宅 へと降りていく。低層住宅方面に向かう途中、「狸穴坂」という坂があった。そこで発見した看板によれば、ここはもともとタヌキ、ムササビ、アナグマの類の巣穴が坂の下にあった場所、もしくは炭鉱の採掘跡だったらしい。いろいろな解釈が飛び交っているんだなと思って探したが、その穴はもはや見つからなかった。ここら一帯の土地の開発が進んでいることを再認識した。



ただよく観察してみると、開発されている場所だけではなかった。麻布の低層住宅の暗闇の中には、生活感が溢れている。




ホワイトボードやラックが、駐車場に置かれている。



八百屋さんだろうか、軒下の雑踏が伺える。

さて、僕は今度は柿の種を食べ始めた。疲労がひどいと辛いものを食べて身体を奮い立たせるしかない。安直な考えだ。柿の種を食べていると思っていたが、実はピーナッツが入ってなくて、ちょっと口やすめができないのが地味に辛い。しかし、柿の種と東京タワーもなかなかに取り合わせが良いものに思えてきた。強めの辛さがキーワードかもしれない。

さて、ひと通り歩いて満足して、①麻布の低層住宅から、②増上寺の方面 へと向かうことにした。




東京タワーのように見えた1号線、301号線、首都高速道路の交差点には、エネオスがあった。エネオスの看板と東京タワーもなかなかに良い。東京タワーがなぜかレゴブロックの類のおもちゃに見えてきて、「今まで感じてきた霊的な匂いはどこに行ったんだろうか?」と一瞬不思議に思った。




ここで恐ろしい霊地を発見することになる。プリンス芝公園の看板。コンクリートに覆われた入り口の建築物の先には、真っ暗な霊地が広がっていた。



道の両サイドに花が植えられ、そして、薄暗い光がぼうっと照らし、その先には真っ暗な暗闇が広がっていた。暗い、暗い、暗すぎる。照明がほぼない場所が、港区のど真ん中にあったなんて驚きである。電灯の全くない暗闇だと足元が朧げになり、少し早足になって、その場を通り過ぎたいという意志が芽生える。




それからウロウロしていると、真っ暗な広場があった。芝生の上に地球の形がわかるくらいに広大な円形の広場があり、東京タワーの赤色が暗い空間を少し照らしていた。そこでは高校生や大学生くらいの年齢のカップルが写真を撮り合っていたり、女子高生たちがTikTokを撮っていたりするようだった。僕もこの空間を楽しんでみようと思って、寝転がりながら東京タワーを眺め、写真を撮ってみた。麻布台ヒルズと東京タワーのコラボも良いなと思った。




その近くには「平和の灯(ひ)」があった。これは港区が昭和60年8月15日に「港区平和都市宣言」を実施してから20周年を記念して設置されたもので、広島市の「平和の灯」、福岡県星野村の「平和の火」、長崎市の「ナガサキ誓いの火」を合わせたものである。ここで赤々と照る火は平和を願うシンボルなのだ。




そこから少し歩き、やっとのことで ②増上寺 にたどり着いた。柵がしてあったので、時間的に門の中に入ることはできなかったが、東京タワーに背後から照らされた真っ暗な増上寺は、恐ろしさや畏怖の心、或いは静謐さを超えたようなゾクっとした感覚をもたらした。これは恐ろしさを越えた深い闇があると感じた。

増上寺といえば、徳川家の菩提寺である。徳川将軍15代のうち6人とその親族が葬られている「徳川将軍家墓所」があるのだ。2代秀忠公・6代家宣公・7代家継公・9代家重公・12代家慶公・14代家茂公が埋葬されている。

しかも驚くべきことに、近くの立て看板によると、古代には古墳が築かれていた場所だと知った。この増上寺の一帯は、4世紀後半に「芝丸山古墳」が造営された土地であり、全長106メートルで都内で最も規模の大きい前方後円墳とも言われ、そこには当時の有力者が葬られたと伝えられている。

昔からこの一帯は死者が行き着く霊地だったわけである。お墓に挟まれた東京タワーの周辺には徳川家の菩提寺や前方後円墳がある。この死界と結びつくこの世の果てに東京タワーは建設され、今でも怪しげに輝きを放ち続けているのだ。




さて、もう手元の柿の種が尽きた頃には、東京タワーに帰ってきていた。東京タワーの向かい側の建物は、圧倒的な赤色に染め上げられていた。




戦後の人々の希望としてそこに建てられた東京のシンボルは、今もなお経済効果を生み続ける。江戸の人々が富士山を眺めたように、霊的な存在として東京タワーを拝み、写真を撮影し、SNSに投稿するようになった現代。それは生活していくうえで欠くことのできない電気インフラへの崇拝でもあって、夜を照らし続ける電気とそれがもたらす経済に対する崇拝でもある。




浜松町の俗世的な繁華街に帰ってきた。正常な思考が回復してきた感じがする。僕は東京タワーという霊的な存在に吸い寄せられて、夢を見ていたのかもしれない。それは死の匂いが漂う、深淵なる暗闇を彷徨うという夢だ。東京タワーは電気インフラという信仰の象徴であり、死者の魂が集まる霊場であり、天にも届くくらいの大量に積み重ねられた屍の火葬場の炎でもあると思った。

それが現実に引き戻された時、ふと、あの赤く輝く電気はどこから来ているのかと思った。火力発電?CO排出は?と疑ってしまった。詳しく調べてみると、東京タワーの電力はどうやら全てが千葉県君津市にある「鹿野山太陽光発電所」で発電された電力によって賄われているようだ。東京タワーのライトアップにかかる電気代は、1日平均で約21,000円と莫大だが、実質CO2排出ゼロを実現しているという(参考:東京タワーホームページ(2024年12月15日アクセス)より)。夜景文化のシンボルとして周辺含めた夜の経済を生み出し続けている点では「純粋な太陽光発電なの?」と疑う余地もあるけれど、この非常に大きな構造物のライトアップを継続し続けるため、さまざまな知恵が絞られている様子が伺えた。暗闇を赤く照らす東京タワーは、周囲の暗闇の中にも経済活動を生み出し、数多くの建物にその霊的な姿を投影していた。このように影響力が半端ない東京タワーは、戦後から未だ色褪せることがなく、莫大な経済を生み出し続けているのだ。

さて、暗闇都市探訪の第2回はここまで。これからどこに向かうのか。今回、東京タワーから学んだのは、黒に包まれた真っ暗な空間だけが暗闇ではないという事実だった。そこには深淵な死の匂いや、赤々としたベール、霊のささやきなど、重層的な感覚が交錯した先に暗闇が存在していて、それこそ本当に挑み甲斐がある暗闇であると気づいたのである。







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稲村行真

文章を書きながらも写真のアート作品を製作中。好奇心旺盛でとにかく歩くことが好き。かつてはご飯を毎食3合食べてエネルギーを注入していた。

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