インドネシア・バリ島の路上をひたすら歩き続けた

  • 更新日: 2024/01/16

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路上で出会った骨董品のお店

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2023年10月、僕はインドネシアのバリ島に降り立った。
今回の滞在の目的は、獅子舞研究者としてインドネシアの芸能調査をするためである。滞在日数は2日間しかないが「バロンダンス」と「ケチャダンス」をなんとしてでも観たかった。ところで今回の読み物にはその「芸能」については殆ど出てこない。後述するが、知らない街で約20キロ歩くことになった、散歩の話である。




バリ島のデンパサール空港に着陸した時の夕陽はとても美しかった。どこか伝統的な造りのようにも見える空港とその周囲を暖かく包み込んでいるようだった。




空港で出迎えてくれたドラゴンのようなもの。これを見た瞬間、「あ、この国はアートが息づく国だ」と思った。身の回りのものに対していろんな想像力を働かせる、発想力が豊かな国民性があるのだろう。




空港を出ると、まずバイクでデンパサールの宿まで移動することにした。

Grabというタクシーアプリでタクシーを呼ぼうと思っていたのだが、現地でインストールしたところ、このアプリの登録には日本の電話番号のSMS承認が必要だった。つまり、詰んだ。

というわけで、空港近くまで戻って、道端のタクシーの運転手らしきおっちゃんに声をかけて、宿までバイクで連れて行ってもらうことにした。空港からだいたい30分の場所にある宿に向けて、出発進行!

車よりもバイクのタクシーの方が安価なので値段を気にしていなかったが、宿に着いてみると、3000円(30万ルピア)ほど請求された。「ちょっと遠かったから、この値段は当たり前だよ」と言われたが、この値段はとても高いと思った。一応、交渉で2500円(25万ルピア)まで安くできた。

おそらく普通に行けば500円(5万ルピア)くらいの道のりなのに、観光地価格になってしまっていたようだ。これが路上における交渉の恐ろしさだ。




宿に着いたら、お風呂場の電気がつかず、水しか出なくて、鍵は壊れ、そしてwifiも使えなかった。シーツはどこか茶色っぽく染まっている。

しかも宿泊人数は1人で予約していたはずなのに、なぜか4人分のベッドが用意されている。ここは決してドミトリーではない。冷静に考えてみれば家族宿泊が多い宿なのかもしれないとは思ったが、ちょっとホラーだ。

すごい宿に来たもんだと思った。観光客向けではなく、地元客向けの宿のようなので、その点ではローカル感が味わえてよかった。そうそう、現地の方々の視点に近い形で泊まりたいと思っていた。1泊500円(5万ルピア)もしない宿だったが、これはこれで面白い体験だった。




夜の町に繰り出した。宿の周りは比較的閑散としており、飲食店がなかなか見つからなかった。ただ大きな建物の敷地に陣取っている屋台のようなお店を見つけることができ、「勝手に入っていっても良いのだろうか」と思いながらも、恐る恐る入ってみることにした。
このお店は屋根と柱だけあって、壁の部分は大きな幕で覆われている。半屋台、半飲食店みたいな感じの曖昧な存在だ。とりあえず席に座って辺りを見渡していると、すぐさま店主の娘が声をかけてきて、「何食べる?」と聞いてきた。適当に「ガパオライスありますか?」と聞いてみると、OKみたいな返事をしてくれたので、どうやらここで食べられるみたいだ。



出てきたガパオライスはキュウリの断面が手のひらくらいに大きくてびっくりした。チャーハンの上にオムライス風の卵が乗せてあった。ご飯に塩が効いてて、素朴な味がめちゃうまかった。お会計をしてみると、なんと100円(1万ルピア)ちょっとである。この値段でこれだけ美味しいものが食べられるというのは驚きだ。




驚きの連続だった夜は明けた。次の日、いよいよバロンダンスをみるために、朝7時半くらいに早起きして、町に繰り出した。例のごとくGrabアプリを入れていないが、路上でタクシーと交渉するのはもう避けたい。またぼったくられるに決まっている。そこで歩いてバロンダンスの会場へ向かった。徒歩で1時間半くらいの距離だ。

インドネシアの路上はとても交通量が多い。青いタライのような何かを頭の上に乗せて歩いている人がいる。石で作られた塀はどこか装飾性に富んでおり、機能性を追求しただけの建物には思えない。




道端にはバリヒンドゥーのチャナンというものが各家の前に置かれている。笹の葉がクレープ型あるいは皿形にとめられて、その中に草花やろうそくが入れられている。線香が建てられて、煙がたなびくものもある。

道端でチャナンを供えている人に話を聞いてみると、「神への祈りを捧げるために行なっている」のだという。時折バイクの下などに置かれていることがあるが、これは故障や事故を防ぐためのものらしい。これらのお供えは、女性の仕事とされている。

通行人は踏まないように足元に注意しなくてはならない。だから僕はインドネシアを歩いていると、無意識的に足元ばかりみるようになる。




たまに祠のようなものがあって、そこにチャナンを大量にお供えしていることもある。



神様の手の上にもチャナンが!




そういえば、神様の腰巻き衣装は、黒白模様がデフォルトらしい。これは町の中でかなりの数が見られた。

後日、インドネシア人にこの衣装について尋ねてみると、ヒンドゥー教では中国の陰陽と似た考え方で善悪などのバランスに対する意識があり、それが反映されているのだという。このデザインは神聖であり、霊的なエネルギーを持つとされているそうだ。




コンビニのようなお店がある。商品はぎゅうぎゅうに敷き詰められており、幾重にも棚が設けられている。お店の看板は歩道を覆っており、歩行者は車道を歩かないと通過できない。看板の裏ではチャナンか何かを並べているように見える。




めちゃくちゃカオスな空間!遊具に寺院の門、そしてその先には茅葺き屋根の家。ここは公共空間なのか、私的な空間なのかすらわからない。それにしてもお寺の門が分厚くて装飾性に富んでいて、縄文土器みたいに見えてくる。実際にここに入ることはできなかったがもし入れるとしたら、お寺の門を境界にして、古代と現代を行き来できるような時代がズレた感覚が得られるかもしれない。




おどろおどろしい壁画を発見。蝶やテントウムシが住み着く大地が、汚い煙を吐いており、人間の頭蓋骨が足元に転がっているという図だ。環境汚染を皮肉って描かれたものだろう。




偶然にもバロンダンスの道具を売っているお店を発見した。このお店の主人は職人をしているらしい。ロール紙のように巻かれた牛の皮を見せてもらったが、これが芸能の道具に用いられているという。このお店のインスタグラムを教えてもらったら、1.2万人のフォロワーがいた。非常に人気なお店のようである。




さて、バロンダンスの会場に着いた。ここが受付になっており、約1500円の入場料が取られる。昔のブログを参考にこの場所を知ったのだが、その時には約800円だったようだ。徐々に値上がりしていて、観光ビジネスが進展している。完全に劇場型だ。この空間には地元の空気感がなくて、完全に観光客しか来ていなかった。



コテコテコテコテコテというリズムが響いてくる。さて、バロンの登場だ。ヒョコとでかい大型の獣が姿を表すと、息を飲む。ここでも神様の腰巻きは白と黒だ。この衣装の模様の意味を知りたかったが、結局よくわからずに終わってしまったので、ご存知の方は教えていただきたい。公演は1時間ほどだった。ストーリーがあってなかなか見ごたえがあった。ここではあまり詳しく触れないが、現地の人からしたらどこかお笑いのような感じの楽しみ方をしているのだろう。下ネタなどで笑わせに来るみたいな感じがあった。




それから、1時間半歩いてホテルの方面へ帰った。タクシーアプリが使えないからだ。途中、妙に長い棒をリュックからはみ出させているバイク乗りの人を見かけて、なんか和んだ。

チェックアウトを済ませ、ケチャダンスを見るために次の宿へ向かう。10kg弱のバッグを背負って、また歩き始める。肩と腰が痛い。タクシーアプリが使えないからだ。

バスに乗ることも試したが、難しすぎた。「カードがないと乗れないですよ、コンビニに行ってください」みたいなジェスチャーを運転手にされたのだが、コンビニで尋ねてみるとそんなカードはないという。どういう意味だったんだろう。

さて、歩く。



ささやかな道端の風景は癒しである。穀物や花を路上で乾燥させている姿もよく見かける。路上は日照りがよく、かつコンクリートなので、高温である。そういう事情から、乾燥させやすいのだと思う。ただ、これを何に使うのかはよくわからなかった。




ものすごいお店に出会った。フラミンゴが天を突き抜けるようにお店の外にはみ出している。



動物たちの顔がぬっと出ている。



囲いのチェーンがあるけれどもそれをすり抜けるように象がはみ出している。おとなしいライオンと凶暴な象のコントラストが凄まじい。

お店に人はいなかった。
道端で少女が箒で、道を掃いていた。
枯れ草のようなものを集めているようだった。

ーー隣のお店は何関連のお店ですか?
私にはわかりません。ただ、古い骨董品を集めているようです。

どこか言葉少なげに語ってくれた。
隣に暮らしている人のことを知らないのだろうか。

動物の魂が集まって、このお店を経営しているかのように思えてきた。




それからしばらく歩くと、何やらフクロウが睨み、咲き乱れるように蝶が飛んでいる姿が見えてきた。

これは何かありそうだというわけで、お店に行ってみた。
簾の中を覗くと、せかせかとおばあさんが手仕事の作業をしていた。

ーーこれは何を作っているのですか?
セレモニー(儀式)のためです。

英語が十分に話せなかったのか、それ以上に深掘りすることができなかった。
たこあげに使えそうな形ではある...。



よくみたらこの蝶々、ライオンの姿をしているではないか!
グオーと叫び出しそうなほどに吠えており、4本の指を一杯に開いている。




それから歩くと、今度は大量のカエルと美女たちを発見!足湯ならぬ水路に、足を突っ込みまくっている。人間が溜まれる憩いの場を作ろうという意図はあまり感じられない。むしろ奇妙な光景を作り出して驚かせてやろうみたいないたずら心がこれを作り出したようにも思える。よくよく調べてみると、宝石店の外構のようだ。




歩道を塞ぐように、果物が売られていた。「JUET MANIS」とのこと。MANISは甘いという意味だから、甘い何かということだろう。目盛り型の原始的な測りが使われている。看板はダンボール。即席感が素晴らしい。


今夜の宿に近づいている時には、日が暮れていた。
いつの間にか目的を忘れて一日中歩いていた。
もう8時間くらいは歩いただろうか。




壁をよじ登る大量のカエルたちを発見。
仲間を押しのけたり噛んだりしながらも群れている。




地元の仲良しをトラックの荷台に載せている。ボコボコの荒れ放題の道を飛ばされそうになりながら進んでいく。インドネシアの小道は所々でコンクリートの盛り上がりができていて、運転手がスピードを出しすぎない為の配慮だという。ここを通過するときに荷台の仲良したちが一斉にバコン! と跳ねるのがなんだかシュールで面白い。




というわけで、本日の宿についた。

今回は豪邸のような美しい宿で驚いた。バルコニーがあり、コーヒー飲み放題、大きなテレビまでついているのだ。設備に不具合はなく、wifiも快適に使える。

時刻は18時半を回っている。アプリがないせいで、図らずも約20キロ歩いてしまったが、そのおかげで路上に対する気づきを得た。当初は芸能のレポを書くつもりだったが、偶然にも道端の風景が面白かったので、そちらをお届けすることになった。

この国にはざまざまな生き物がいる。日常の生活風景にいろんな獣ものたちが蠢いているのだ。だからこそ、さまざまな生き物が共生できる優しさに満ち溢れている。ところで、優しい街ってどんな街なのだろうか。それは他人に対する寛容さがある街であり、見えざるものを語ることができるようなたくましい想像力を持つ人々が住んでいる場所ということかもしれない。
明日はケチャダンスを見に行く。







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稲村行真

文章を書きながらも写真のアート作品を製作中。好奇心旺盛でとにかく歩くことが好き。かつてはご飯を毎食3合食べてエネルギーを注入していた。

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