境界を越えろ

  • 更新日: 2021/09/28

ある夏の2日間の物語。僕は民俗芸能を取材するために、東京から夜行バスに乗って岩手県に向かった。当日、東京駅について空を見上げると、雨が降ってきた。土砂降りだったので、靴などがびしょびしょになりながらも、バスが発車する鍛冶橋駐車場に向かう。すぐにバスが来たので、靴を乾かすことも無くバスに乗り込む。

バスに乗ると、タイムマシーンに乗ったように異次元の空間に吸い込まれていく感覚がある。途中の移動ではカーテンが閉められており外が見えない。カーテンを開けても夜の暗い風景が広がるだけだ。何もする事がなくなって、すぐに眠りについた。基本的にはどこでもよく眠れる。だから夜行バスに乗って、気づいたら朝だったということも少なくない。ただ、通路席になると窓側席の人がトイレに行きたい時に、いちいち起きないといけない。それが大変なので、僕は窓側席をキープしていたい人間である。




朝8時にはすでに目的地である岩手県北上市についていた。地方に来ると1日に電車が3本しかないとか、バスが休日しか走ってないとか、不便なことも多い。そのような時、僕はいつも歩かざるをえない。そして、その土地の空気を吸って、風景を眺めて、土地の人と会話して、新しい世界と出会う。

今日はバスが走ってないようなので、20km歩かねばならない。このような日はごく当たり前にやってくる。ただ自然体でそれを受け入れる。僕は歩いていてもあまり疲れない。逆にずっと部屋の中で閉じこもっていると疲れる。ナマケモノよりもマグロに近い生態を持った人間なのだろう。

気がついたら、川を眺めながら歩いていた。



意外と浅瀬だ。土砂がこんもりとしていて可愛らしい。大雨を集めてなお浅し和賀川よ(芭蕉風)。川を眺めていると風流な気分になってきて、俳句を詠みたくなる気持ちもわからないでもない。しかし、この地に松尾芭蕉は来ていないらしい。もっと南の一関市までしか北上しなかったようだ。北上市だけに、北上せねば辿り着けぬ土地である。

この土地を歩けることはとても贅沢なことだ。川の周辺は青々とした緑に覆われており、東京のコンクリートで単調に固められて整然とした川とも雰囲気が大きく異なっている。森に含まれた未開的な雰囲気に好奇心が湧き上がり、足取りが軽く前へ前へと進んでいく推進力となっている。




鬼ごっこをやり始めたらどこまででも逃げられそうなほどに堤防がとにかく広い。昔はこの川を小型の船が通過・往来して、要所要所で荷物が岸に引き揚げられていたのだろう。下流に流れて行けば、北上川と合流して宮城県の石巻の方までたどり着ける。地形は極めて平坦で急流もなくただひたすら緩やかに流れているので、山梨県の信玄堤のように進路を変更して流れを弱めるということも必要がなさそうだ。この川が地域の大動脈としてずっしりと重みを持って存在している。

この近辺には宮沢賢治が読んだ句碑なども建てられており、今と昔との繋がりを感じられる場所でもある。そのような思いを巡らせながら、遠くまで広がる川の景色をしばし眺めていたいと思った。どこまでが北上市なのだろう。そして、その先には、何という街が存在するのだろう。この街を初めて歩く僕は、知らないことだらけで何もかもが新鮮で、脳が刺激されて満腹になっていくのだ。




川の堤防沿いには、わずかながら小屋のような建造物がある。この家で過ごしたら、スローライフが楽しめそうな予感がするが、おそらく仮設の小屋だろう。屋根の仮設感がグッとくる。よく見たら、窓ガラスに「祭り」と書いたウチワが立てかけられている。ここはお祭りをする場所なのだろうか、それとも何かを焼いてそれをウチワで仰ぐということなのだろうか。もしくは、庭の謎のサークルに沿って踊りながら、太陽に祈りでも捧げるのだろうか。 人は中にいないようだ。どこか単なる仮設小屋ではない謎めいた雰囲気があって、これも眺めていたい風景である。




この近くの川沿いに、石が散乱している広場もあった。一見、たくさんのベンチがゴロゴロと転がっているかのように見えるが、これは昔は石切り場として栄えていた名残だろう。川を通行する船がもしかしたら石を運んでいたのかもしれない。今では、このベンチと広場はあまり活用されていないように見える。こういうところで、野外の音楽フェスを開催したら楽しいだろうに。




こちらも川沿いにあった空き家たち。屋根のサビと下地の青色のデザインの調和がどこか美しく見える。手前の家は少し屋根が剥がれてしまっているので、雨漏りしてしまっているのかもしれない。右奥の屋根にはタイヤが置かれている。屋根が剥がれてしまったからそれを応急処置的にタイヤで抑えていたという可能性も考えられる。それにしても自然に生まれるこのような廃墟的情景は自然が作り出した芸術作品のように思えてきて、意図せざるものが呼び起こす感動とはこういうことかもしれないなどと思えてきた。




次の日、僕は岩手県奥州市にいた。

民俗芸能を取材するために来たのだが、バスがないので2時間ほど歩くことになった。
そして、僕は再び川と巡り合ったのだ。



北上川は川幅が広く、流れは依然として緩やかだが、その雄大な景観には圧倒された。曇り空、悠々と佇む北上川(芭蕉風)。この土地にも、松尾芭蕉は訪れていない。昨日の和賀川に比べれば、水量が多くて深く底が見えないような雰囲気を感じた。ネッシーやら龍やらが出現してきたら面白そうだなどと妄想は膨らむ。より一層、この土地の水脈の中心となっている感が強く、昔は生活に欠かせない水の供給源であり、船頭たちがこの川を船で通過・往来していたことを思わずにはいられない。

そこに、雲の切れ間から太陽が差し込んで、川の一部にスポットライトを当てるように水面を照らした。川の水面は魚の鱗のようにぬめっとしていて、触ったらキュッキュと音がしそうな質感を持っている。もしかすると、巨大な魚が川の下にいるのではないかという風にも思えてくる。氷山の一角を覗いているに過ぎないのかも知れない。川は元々様々な文化を持つ人々が往来するいわば境界としての性質を持つ。そこには楽しみも怒りも様々な感情が渦巻いており、底知れない魅力がある。川を渡るたびに、僕はある種の「一線を越える」という感覚を持つのだ。




昔、岩手県北上市は、伊達藩と南部藩の境界だった。しかし、その土地があまりにも平坦ゆえに、人々はその境界線をどこに引いて良いのかがわからなかった。だから、塚を作るようになった。その塚という点を結ぶように境界線が作られた。

でもその秩序をいつでも壊しうる存在だったのが川だった。宮城県の石巻から岩手県北部までを南北に貫く北上川は県境をまたぐように南北に人を渡し続け、常にそこには交易や対立が生まれ、カオスな土地の性質を作り続けてきた。もうぐちゃぐちゃだ。伊達藩の船頭が南部藩領で亡くなれば、南部藩領で埋葬されたし、その逆も然りである。そのような環境のもとで、民俗芸能は伊達藩側から南部藩側に多数伝えられた。それが、鬼剣舞やしし踊りのような民俗芸能である。

それはともかく、僕は今回、岩手県北上市と奥州市を歩き、それぞれ旧伊達藩と南部藩の領内をそれぞれ歩くことができた。そこに常にあったのは川の存在であり、藩領の境界を超えていくことは、自らの今までの経験を超えて知らない土地に一歩踏み出す自分の姿と重なるものがあった。




僕はその後も歩き続けた。



草刈りをしているおじさんが、視線のはるか向こう側にいた。自分の家を敷地内を手入れしているのかもしれない。それにしても、家の敷地がこんなにも広いと、仕事に精がでる。その姿を遠目に静かに見守るのが、手前の守り神だ。道中、個人の家を守る祠のようなものをたくさん見かけた。




家の守り神といえば、柴犬もいた。いや正確にいえば、柴犬の家があった。「吾輩は柴である」と書かれている。家と公道との境界線を見張る存在として、柴犬がいるということなのかも知れない。「忠犬 タロ」という名前が付けられているそうなので、そのような意識も概ね間違いではないだろう。僕はよく犬に吠えられる。警戒心がなく犬に挨拶しようとすると、警戒されるのだ。ただし、今回はどこかでおとなしくしているのかも知れない。思えば、境界線は地域と地域だけにあるのではなく、個人と公とか、家族と外の世界にも同様に見られるものなのだ。




田舎の歩道に、横断の旗を持っている小学生と思われる像が立っていた。横断歩道では、こちら側からあっち側へ渡る時、車道を歩くぞわぞわ感がある。歩道という安全地帯から車道という危険地帯に突入して、歩道という安全地帯にいく。どこか山伏修行の生死を彷徨う体験みたいなものを思い浮かべる。そのような体験とこの子供のホラーな表情とがマッチして、より一層ぞわぞわしてくる。顔は青白く口元は赤く、眉毛は濃くて視線はどこを向いているのかよくわからない。黄色い服に黄色い帽子、赤い靴に赤いランドセル..。車を運転する側から見たらわかりやすい色づかいだが、それよりもむしろホラーすぎる容姿に動揺してしまうだろう。




境界を開く土地もあれば、境界を閉ざす土地もある。鬱蒼とした木に埋もれ、森と一体化した住居を見た。木が家を包み込むように壁面に限りなく接近・密着している。大きな鳥の巣箱と言われてもおかしくはない。朝起きると窓から鳥が入ってくる。そして餌をあげる。そのような日常が思い浮かんでくることが微笑ましい。そのような意味では、自然との境界線をほとんど作らない家と考えることもできるかもしれない。




さて、最後にお見せしたいのが水路で冷やされているスイカ。東京では中々見ることの出来ない光景である。都会において水路は汚れた場所でありどこか死のイメージがつきまとうけれど、ここでは生命を育む水源となっている。川から流れてきた水は、農業や生活に使う水として生かされる。村の中に血液が通うようにその水は生き生きとしていている。この水路に村の人々は私生活をさらけ出し、そして、その恵みを享受しているのだ。

僕は今回の旅で、精神的に身軽になったような気がする。境界を越えてマグロの様に動き回ることで、それが人生のスパイスとして効いてくることは間違いない。







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いなむ

文章を書きながらも写真のアート作品を製作中。好奇心旺盛でとにかく歩くことが好き。かつてはご飯を毎食3合食べてエネルギーを注入していた。

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