中山道の宿場とそれを繋ぐ道を1日中歩いた 〜妻籠・奈良井・木曽平沢〜

  • 更新日: 2020/09/29

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昔の移動につかわれた馬や手押し車

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現在は車や電車、バスなどの交通手段が発達している。
しかし、江戸時代は徒歩や馬での移動が主流だった。

かつての停車駅(休憩・宿泊場所)である宿場町は、
今どうなっているのだろうと気になった。



地図を見るとわかるように、中山道の宿場町は今の中央西線沿いにある。
妻籠や馬籠のように宿場の一部は観光地になっており、
訪れたことがある方も多いだろう。
ただ単に観光地巡りをしただけでは面白くない。
それならば、宿場同士をつなぐ道に着目することで、昔の移動に関して新たな発見があるのではないか?

このような思いつきから、8月下旬に現地を見に行ってきた。
東京から名古屋まで夜行バスで行き、
次の日は、名古屋から青春18切符を使って中央西線を北上。

早朝から1日中、暇だったので、
たっぷりと宿場町巡りに使うことにした。

青春18切符を使って中央西線沿いの駅を適当に降りちゃえ。



まずは、南木曽駅。バスが駅と同化しそうになっている。




何にもなくて、のどかな街だ。

ここから、徒歩1時間くらいで妻籠宿という宿場にたどり着く。
暇なので歩いて行くことにした。




窓ガラスに貼られた芸能人の写真。絶妙にカットされており、愛着を感じる。




昔はいかつい道だったんだろうが、今は通りやすい。山道の草木も庭師が手入れしているのか、整然と整備されている。




ボロボロな店。閉まっているのだろうか。
万葉集の和歌を貼っている。




家の縁側に古道具がどっさり。昔は手押し車やら馬やらが、
ガラガラパカパカ走っていたんだろうな。




狸と豚に混じってベートーベンがいた。




桃介橋という橋があるらしいが、「西に長い橋と覚えてね」だって。




古めかしい古民家でも、ソーラーパネルをつけている。




本当に方向あってるのかな。山道に突入。
動揺して、手元がぶれる。




窓から絵が覗いている。




これはもはや道なのか.....?




小屋を見るとちょっと安心。畑がある。




うおー蜘蛛の巣だらけ。




苔むした巨大な岩。

この辺りの道は、江戸時代には国道級に栄えていたはず。
しかし、今は森に飲み込まれそうになっている。




「火乃要鎮」と書かれている。「火の用心」のことだろうか。
消火器か何かが設置されている。




「陥没」の看板。行き止まりということだろうか、もう引き返すしかないのか。
好奇心半分で先に進んでみると、どこも陥没していなかった..。




この辺は昔、城があった場所らしい。今では森が広がっている。




宿場が近くなると、少し視界がひらけた。この辺りの家の屋根は、
傾斜がゆるくて、おでこが広い。




室外機が茶色く塗られている。古民家と同化させるためだろうか。

よく景観配慮が必要な街のコンビニが茶色く塗られていることがあるが、
これもその類だろう。




庭に葉っぱがたくさん集められている。完全に枯れるのを待っているのだろうか。
葉は枯れると、埋めるにしても、捨てるにしてもかさばらなくて済むからな。




なんと、奉行所から村人へ通達する掟がずらりと貼られていた。
うまく解読できなかったが、「差し押さえ」の文字などが書かれている。




お、家の窓にサナギのようなものが付いている。これは何だろう..?
巨大な幼虫が脱皮でもしたのだろうか、ゾクゾクする。




どうやら妻籠宿にたどり着いたらしい。山あいの村という感じ。
昔は、宿場町としてかなり賑わった場所のようだ。




メニュー表の文字が良い。子供が書いたのだろうか。




おや、花が飾られている。

先ほどのサナギの正体がわかった。この地域では、玄関脇に花挿しを取り付けて、
花を生ける文化があるのだ。とても粋な計らいである。




ここにもある。掛け軸のような感じで、花が美しく映えている。




ここはサナギのような花挿しがあるだけで、花は飾られていない。
ただし、縁起が良さような小物が置いてある。




なるほど、このような花の挿し方もあるらしい。藁で2つの団子を作って、どちらか一方に花を挿すというやり方だ。




これは石置き屋根。江戸時代初期は釘や針金を使う文化がまだ浸透していなかったことから、流行した建て方だ。屋根が強風で飛ばされないようにするため、石を置くらしい。




すだれが所々付いている。




大量の木が積まれている。




昔の郵便ポスト、書状書簡と呼ぶらしい。日本全国で唯一の黒いポストなのだとか。

さて、妻籠宿を一通り歩いたので、
ここから違う道で、南木曽駅まで帰ることにした。




今度は木曽川沿いに歩いていく。この川が山と山の間に谷底を作り、
それに沿って、宿場町が形成されたのだ。
現在の中央西線もこの木曽川沿いに敷かれている。




途中、こんな看板を発見。一番下の「読書発電所」ってなんだ?
本でも量産しているのだろうか..と思って後ほど調べたところ、
読書(よみかき)という地名があるらしい。




ぐちゃぐちゃになっちゃったコーン。重りまで破壊されている..。




ホラーな張り紙。ガムテープで貼ってあるのが笑えるけれど..。




突如、石像たちが現れた。道路沿いにこれだけ並んでいると、圧倒される。




ゴジラやトトロまでいる。夢の国に来たみたいだ。




石像たちはこのお店で作られたようだ。正面を狛犬が守っている石材店は珍しい。




お店の横には、カエルがたくさんいる..!!女の子座りが多め。




一家揃って、女の子座りしている。




南木曽駅付近に帰ってきた。もう2時間半くらい歩いただろう。
旗が複雑に絡まっている。




考えてもみれば、八十二銀行って、なぜこんなに中途半端な数なのだろう。ウィキペディアによれば、六十三銀行と第十九銀行が合併して、それを足した数の八十二銀行ができたと書いてある。これでは、さらに中途半端ではないか。そういうところが八十二銀行の魅力である。




傘をさす植物たち。日焼けが気になるのかな?なんだか賑やかだ。




掲示板が剥がれている。ガラス張りのケース中でもこれだけビリビリになるということは、日焼けか何かで劣化したのだろうか。




赤飯饅頭ってなんだ!?



店に入って注文してみると、赤飯が包まれた饅頭だった。甘くもなんともない。お菓子というよりはむしろ、主食感覚で食べられそうだ。




南木曽駅に帰ってきた。結局、徒歩を開始してから3時間くらいぶらぶら歩いていた。

妻籠宿周辺の道は、昔の徒歩や馬の通ったという雰囲気はかすかに残る程度。古道具が店先に置いてあったり、古い家が多かったりしたが、珍道中という印象が強く残った。




次に降りたのは、奈良井駅。ここから、奈良井宿と木曽平沢宿を歩いて回ることとする。




奈良井宿では、花は鉢に植えられている。花挿しを扉や窓に取り付けることはしないようだ。



ほら、こんな感じに。




この植物は、よだれを垂らしているように見える。




電線や街頭はないのだが、こじんまりとした灯篭がある。ススキの穂と、そこに造り物の虫がくっついている。とても遊び心があるな..としみじみ思う。




ごみ収集所が普通の家。ああ、なるほど。道端にゴミが散乱していると汚くなるから、一軒の家をごみ収集所にしたのかもしれない。




このマンホールの配置は、謎が深い。あまりに狭い範囲に、マンホールが極度に集中している。しかも、地割れかなんかあったのだろうか..。道路がツギハギだらけだ。




奈良井の民家を見るときは防火構造に着目したい。左側にある白い3つの四角い壁は、「袖壁」と呼ぶ。本来、「袖壁」は「ウダツ」に比べると装飾性のない防火構造だが、この袖壁はどっしりとした趣深さがある。




この家に取り付けられたミラーのようなものはなんだろう。カーブミラーかと思ったが、下を向いているのでおそらく違う。




ここにもあった!奉行所の掟。この立て札は一段と重厚感を感じる。「決まりを厳守します」とわざわざ言いたくなるような風格がある。




この電球、アンコウのちょうちんみたいで可愛らしい。




傘を逆さに干している。傘は傘立てに置きっ放しにするか、広げて干すことが多いから、意外とこの光景は見たことがない。




奈良井。どっしりとして建物に重みが感じられる街だった。ここから、徒歩で木曽平沢に向かう。




線路沿いを進む。このあたりの地域は、とても花が映える。




トタンの屋根がカラフルで綺麗だ。先ほど妻籠で石置き屋根を見たが、ここでは、木を屋根に置いて、重しのように使っている。この小屋の持ち主は木を切る仕事でもしているのだろうか、太い木でも断面が綺麗に切断されている。




うさぎ小屋を発見。形が正倉院の宝物庫みたいだ。うさぎは貴重なお宝のように、大事に飼われているということかもしれない。




この家は見た目が面白い。瓦屋根をベランダにくっつけており、これを合わせて3色の屋根がずいぶんと映えている。




蔓が生い茂った2本の木。お化けのようだ。




奈良井から1時間ほど歩き、木曽平沢の街についた。妻籠や奈良井に比べると、随分と整然としている。漆器屋さんがとにかくたくさんあるのが特徴だ。ここは、日本有数の漆の産地と言われる。

お店の前には、一定の空地(アガモチ)を設けることで、湾曲する道でも全家屋を同一方向に向けて建てるという工夫をしているのが興味深い。また、税金対策のために、道に面する玄関を小さく作り、奥に長い町家のような建て方をしている。




木曽平沢の街を高い所から眺めるとこんな感じ。屋根が色とりどりである。




さて、夕方になってもう日が暮れそうなので、青春18切符を使って家に帰ることにした。ここからは電車の中で8時間座りっぱなし。終電までに帰れるといいなと思いながら、電車に飛び乗る。結局、約15個くらいある中央西線沿いの宿場町のうち、3つしか回ることができなかった。しかし、宿場と宿場をつなぐ道の実態を少しでも知ることができてよかった。

古い家や、古道具、花を生ける文化、掟の看板、灯篭などの旅の面影..。道端の何気ないものが、昔の移動を今に伝えている。現在、電車やバス、車、自転車、飛行機などが移動の中心を占める中で、徒歩や馬での移動ではどのような風景が見えていたのか。その一端を知ることができた。道端で出会った驚きや発見は宝物。歩く楽しさを再確認した1日だった。







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稲村行真

文章を書きながらも写真のアート作品を製作中。好奇心旺盛でとにかく歩くことが好き。かつてはご飯を毎食3合食べてエネルギーを注入していた。

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