野良庭散歩6
- 更新日: 2021/12/30
野良庭と冬の木の実
冬らしい寒さになったかと思えば昼間だけ暖かくなったり、服装に迷う気候が続いている。今朝は薄暗いが、天気予報によるとこれから晴れてくるらしい。私は散歩に出ることにした。
写真を撮ったりメモをしたりとスマートフォンを扱うため、手袋は置いてきた。コートのポケットに突っ込んだ手が冷たい。毎日マスクをするようになってから、吐く息の白さで冷え込みを実感することもなくなったな、とふと思う。
ハコベの茎が放射状に伸びている。冬の弱い日光を効率的に浴びるための手段だろうか。花はないがホトケノザもちらほら混じっている。葉の形だけでもひらひらとして可愛らしい。
クリスマスの時期にぴったりなヒイラギ!と思ったがよく見るとヒイラギモクセイのようだ。この辺りの生垣でよく見かける。本物のヒイラギとは葉の形が微妙に違う。これの他にヒイラギモチというモチノキ科のそれっぽいものもあるらしい。
民家の敷地と道路の段差に色々な植物が生えていて見入ってしまう。このシダは寒さで枯れて茶色くなってしまったのだろうか。それにしてはきれいに見えるから、もしかしたら紅葉なのかもしれない。シダも紅葉するのだろうか?
シダの隙間から伸びていたヤマユリの実。茎をつかんで振ると薄い鱗のような種がさらさらと大量に出てくる。以前別の場所で娘が種をまき散らし、その中から少し拾って持ち帰ってきた。育ててみたいというので調べてみると、花が咲くようになるまで数年かかるらしい。誰に世話されるわけでもなく咲いていても、育てるのが簡単なわけではないのだと知り驚いた。
道路沿いの畑にマンリョウの実がたわわに実っていた。なんてつやつやなんだろう。もう少し実の小さいセンリョウもよく知られているが、十両と百両もあるらしい。江戸の人たちが好きそうな呼び名だなと勝手に思う。
緑道に入っていくと、様々な木が植えられていた。この木はヒサカキだろうか。それにしては実が小さく茶色いのが気になる。若い実なら緑色をしていそうなものなのに。別の種類なのだろうか。樹木の同定は見る箇所が多くて難しい。時期によっても姿が変わるし、図鑑を買ったばかりの初心者は苦労してしまう。
野良庭の連載を始めて半年、私はすっかり自然観察にとりつかれてしまった。散歩だけでなく自然の多いところによく足を運ぶようになった。図鑑は次々買うし、図書館でも自然関連の本ばかり借りている。見たものの名前をいちいち調べるなんて野暮だと思っていたのに、もはや調べなければ気が済まない。「カメラにだけは手を出さない」とも決めていたのに最近は小さな花や実にピントが合わないことがいちいち悲しく、スマートフォン用のマクロレンズの購入を検討している。私はどこへ向かっているのだろうか。
つややかな葉の奥に楕円形の実が集まって色づいている。私はこの葉と実を見るとコーヒーの木を連想するのだが、実際は全く関係ないアオキという植物のようだ。コーヒーはアカネ科、アオキはミズキ科。
ヤブミョウガの実の灰青色と背後の赤い実のコントラストが美しい。ヤブミョウガの実は真珠のような控えめな艶も好ましく、見つけると嬉しくなってしまう。藍色に熟してからさらに時間が経つとこのような灰青色になるらしい。不思議なことだ。
緑道から雑木林へ続く階段の途中に立派なシダがあった。裏返してみると、胞子のうが点々と整列していて可愛らしい。シダと見れば裏返すのがすっかり癖になってしまった。
階段を上がりきると、雑木林の散歩コースにつながっていた。地面には多様な種類の落ち葉が敷き詰められ靴の裏がふかふかする。歩くうちにまたヒイラギに似た葉を見つけた。ヒイラギナンテンという名前らしいが、ヒイラギでもナンテンでもない、葉がヒイラギ風で実がナンテン風というメギ科の木。メギとは何だろう。聞きなれない言葉。
放射状に広がる葉の中心から実が出ていて面白いな、と気楽に写真を撮ったがこの植物の名前を調べるのには苦戦した。おそらくフカノキの仲間。熱い地域に自生しているらしいが当たっているだろうか。ヒヨドリが鳴き叫んでいるのがあちこちで聞こえる。冬になると彼らは元気だ。
赤いモミジはやっぱりきれい。立札によればこれはイロハモミジらしい。木の名前には本当に弱い。ドングリの木の種類すら、子供の頃は覚えていたはずなのに忘れてしまった。それにしても、見つけて調べて覚えることは楽しい。いつまでも自由研究をしている子供のような気分でいられるなんて、私は贅沢者だと思う。
トウカエデが羽つきの種を無数にくっつけている。あれがいっぺんにくるくる回りながら落ちてきたら、などと空想しながら見上げると空が明るくなっていた。作りかけの綿あめのような薄い雲の隙間から柔らかい光が漏れている。
エノキの実がなっている。実の付き方に、なんとも言えない愛らしさがある。枝つきであちこちに落ちてほかの木の実のふりをしているのもとぼけた感じがして愛おしい。
雑木林を出て住宅地を歩き出した途端ヒメツルソバの群生に出会ってしゃがみこんだ。ピンクで丸くて可愛いけれど、寒い中こんなに広がって花を咲かせるなんて、逞しすぎてちょっと怖くなる。
これはいつもの野良庭。オニノゲシのつぼみが触覚のよう。背景のツートンカラー、地面に敷かれた石の雰囲気も相まって異星の趣を感じられる。
付近の別の駐車場にあったオリヅルランもいい味を出していた。こうして一株だけで生きているのが野良らしくて非常に良い。
東京に来てから菊は冬に咲く花なのだと知った。白や黄色やピンクの菊があちこちに植えられていて、色の少ない風景を明るくしてくれる。
駐車場の隅でセイタカアワダチソウが綿毛になっていた。私が野良庭に求めるテーマのひとつに「生命力」がある。セイタカアワダチソウの花言葉は「生命力」。野良庭の王と呼んでもいいかもしれない。大きくてかっこいいから私は好きだ。
白い実が物珍しいシロナンテン。今回は冬の木の実を探しながら歩いてきた。スマホカメラの限界で、撮れなかった実もいくつかあって無念である。シロヤマブキの四つ一組になったつやつやの黒い実だとか、名前のわからない細い枝にたくさんのついた小さな実だとか。何事も続けていると欲が出てくるものだなあとしみじみ思う。
祝祭と流行り病に右往左往させられた2021年もそろそろ終わりですね。来年もこの星の植物たちのようにしぶとく生き延びましょう。冷たく透き通った水の中に咲く凛としたカラーをどうぞ。
写真を撮ったりメモをしたりとスマートフォンを扱うため、手袋は置いてきた。コートのポケットに突っ込んだ手が冷たい。毎日マスクをするようになってから、吐く息の白さで冷え込みを実感することもなくなったな、とふと思う。
ハコベの茎が放射状に伸びている。冬の弱い日光を効率的に浴びるための手段だろうか。花はないがホトケノザもちらほら混じっている。葉の形だけでもひらひらとして可愛らしい。
クリスマスの時期にぴったりなヒイラギ!と思ったがよく見るとヒイラギモクセイのようだ。この辺りの生垣でよく見かける。本物のヒイラギとは葉の形が微妙に違う。これの他にヒイラギモチというモチノキ科のそれっぽいものもあるらしい。
民家の敷地と道路の段差に色々な植物が生えていて見入ってしまう。このシダは寒さで枯れて茶色くなってしまったのだろうか。それにしてはきれいに見えるから、もしかしたら紅葉なのかもしれない。シダも紅葉するのだろうか?
シダの隙間から伸びていたヤマユリの実。茎をつかんで振ると薄い鱗のような種がさらさらと大量に出てくる。以前別の場所で娘が種をまき散らし、その中から少し拾って持ち帰ってきた。育ててみたいというので調べてみると、花が咲くようになるまで数年かかるらしい。誰に世話されるわけでもなく咲いていても、育てるのが簡単なわけではないのだと知り驚いた。
道路沿いの畑にマンリョウの実がたわわに実っていた。なんてつやつやなんだろう。もう少し実の小さいセンリョウもよく知られているが、十両と百両もあるらしい。江戸の人たちが好きそうな呼び名だなと勝手に思う。
緑道に入っていくと、様々な木が植えられていた。この木はヒサカキだろうか。それにしては実が小さく茶色いのが気になる。若い実なら緑色をしていそうなものなのに。別の種類なのだろうか。樹木の同定は見る箇所が多くて難しい。時期によっても姿が変わるし、図鑑を買ったばかりの初心者は苦労してしまう。
野良庭の連載を始めて半年、私はすっかり自然観察にとりつかれてしまった。散歩だけでなく自然の多いところによく足を運ぶようになった。図鑑は次々買うし、図書館でも自然関連の本ばかり借りている。見たものの名前をいちいち調べるなんて野暮だと思っていたのに、もはや調べなければ気が済まない。「カメラにだけは手を出さない」とも決めていたのに最近は小さな花や実にピントが合わないことがいちいち悲しく、スマートフォン用のマクロレンズの購入を検討している。私はどこへ向かっているのだろうか。
つややかな葉の奥に楕円形の実が集まって色づいている。私はこの葉と実を見るとコーヒーの木を連想するのだが、実際は全く関係ないアオキという植物のようだ。コーヒーはアカネ科、アオキはミズキ科。
ヤブミョウガの実の灰青色と背後の赤い実のコントラストが美しい。ヤブミョウガの実は真珠のような控えめな艶も好ましく、見つけると嬉しくなってしまう。藍色に熟してからさらに時間が経つとこのような灰青色になるらしい。不思議なことだ。
緑道から雑木林へ続く階段の途中に立派なシダがあった。裏返してみると、胞子のうが点々と整列していて可愛らしい。シダと見れば裏返すのがすっかり癖になってしまった。
階段を上がりきると、雑木林の散歩コースにつながっていた。地面には多様な種類の落ち葉が敷き詰められ靴の裏がふかふかする。歩くうちにまたヒイラギに似た葉を見つけた。ヒイラギナンテンという名前らしいが、ヒイラギでもナンテンでもない、葉がヒイラギ風で実がナンテン風というメギ科の木。メギとは何だろう。聞きなれない言葉。
放射状に広がる葉の中心から実が出ていて面白いな、と気楽に写真を撮ったがこの植物の名前を調べるのには苦戦した。おそらくフカノキの仲間。熱い地域に自生しているらしいが当たっているだろうか。ヒヨドリが鳴き叫んでいるのがあちこちで聞こえる。冬になると彼らは元気だ。
赤いモミジはやっぱりきれい。立札によればこれはイロハモミジらしい。木の名前には本当に弱い。ドングリの木の種類すら、子供の頃は覚えていたはずなのに忘れてしまった。それにしても、見つけて調べて覚えることは楽しい。いつまでも自由研究をしている子供のような気分でいられるなんて、私は贅沢者だと思う。
トウカエデが羽つきの種を無数にくっつけている。あれがいっぺんにくるくる回りながら落ちてきたら、などと空想しながら見上げると空が明るくなっていた。作りかけの綿あめのような薄い雲の隙間から柔らかい光が漏れている。
エノキの実がなっている。実の付き方に、なんとも言えない愛らしさがある。枝つきであちこちに落ちてほかの木の実のふりをしているのもとぼけた感じがして愛おしい。
雑木林を出て住宅地を歩き出した途端ヒメツルソバの群生に出会ってしゃがみこんだ。ピンクで丸くて可愛いけれど、寒い中こんなに広がって花を咲かせるなんて、逞しすぎてちょっと怖くなる。
これはいつもの野良庭。オニノゲシのつぼみが触覚のよう。背景のツートンカラー、地面に敷かれた石の雰囲気も相まって異星の趣を感じられる。
付近の別の駐車場にあったオリヅルランもいい味を出していた。こうして一株だけで生きているのが野良らしくて非常に良い。
東京に来てから菊は冬に咲く花なのだと知った。白や黄色やピンクの菊があちこちに植えられていて、色の少ない風景を明るくしてくれる。
駐車場の隅でセイタカアワダチソウが綿毛になっていた。私が野良庭に求めるテーマのひとつに「生命力」がある。セイタカアワダチソウの花言葉は「生命力」。野良庭の王と呼んでもいいかもしれない。大きくてかっこいいから私は好きだ。
白い実が物珍しいシロナンテン。今回は冬の木の実を探しながら歩いてきた。スマホカメラの限界で、撮れなかった実もいくつかあって無念である。シロヤマブキの四つ一組になったつやつやの黒い実だとか、名前のわからない細い枝にたくさんのついた小さな実だとか。何事も続けていると欲が出てくるものだなあとしみじみ思う。
祝祭と流行り病に右往左往させられた2021年もそろそろ終わりですね。来年もこの星の植物たちのようにしぶとく生き延びましょう。冷たく透き通った水の中に咲く凛としたカラーをどうぞ。