野良庭散歩9
- 更新日: 2022/06/30
道南の野良庭(帰郷に際して)
5月、2年半振りに北海道に帰っていた。コロナ禍に入ってから初めての帰郷である。帰郷と言っても、私が育った街からは遠く離れている。今両親が暮らしているのは母方の祖母の家で、馴染みはあるものの「実家」とはまだ思えない。前回ここを訪れたのは2020年1月。祖母の葬儀のためだった。その頃はまだコロナのコの字も知らなかった。翌年、私が思春期を過ごした家はなくなり、祖母の家はリフォームされた。私はその間、東京から出ることができなかった。
北海道の桜はGWに咲く。この時期に帰省すると東京でさんざん見た満開の桜をまた見ることになる。上京して数年はその体験が物珍しく、ワンシーズンで2度桜を見られるなんて得だと思っていたが、今やすっかりありがたみが薄れてしまった。
滞在中は父の車であちこち連れて行ってもらったが、ぽっかりと空いた予定のない一日があった。その日は概ね晴れていたが時々空が暗くなりにわか雨が降った。天気予報アプリを見てみると次に雨が降るまで1時間くらいある。私は散歩に出ることにした。
家の近所にあるコンクリート塀にて早速、野良庭名物『穴から湧き出る植物』に出会えた。長く厳しい冬を越え、春を待ちわびていたのだろう。芽吹き方に勢いを感じる。
民家の前にムスカリとツクシが競い合うようにして生えている。庭から逃げ出したものと荒地を好むものが共存しているのが面白い。時折、林の方からキジの鳴き声が聞こえる。住宅地に「ケーン!」という威勢の良い声が響き渡るのは少し妙で、思わずにやけてしまう。
川沿いの道を歩くことにする。カモたちがグワグワ鳴きながら飛んでいく。この辺りのタンポポは東京のタンポポより花びらの密度が高くて色鮮やかな気がする。種類によるものか環境によるものか、私には判断がつかない。
桜と同じく、ユキヤナギも満開で辺りに香りを漂わせている。これも1ヵ月前に東京で見たのと同じ景色だ。春はちょうど、1か月遅れでやってくる。
枝の先からきれいなヒダのある新芽が出ている。タラの芽かもしれないと思って調べてみると少し違って、どうやらオニグルミの新芽のようだ。タラの芽に似たコシアブラの芽、オニグルミの芽、どれも食べることができるらしい。どんな味がするのだろう。
不気味に大きなタンポポを見つけた。この現象は帯化といって、植物に時々起きるエラーのようなものらしい。キク科の植物には起こりやすいとのこと。子供の頃、変な形のタンポポを見つけては喜んでいたことを思い出す。
北海道と言えばフキ。幼い頃に行った森林公園には背丈を越す巨大なフキが群生していて、そこにいるカタツムリまで大きくて驚いたのを覚えている。あれはラワンブキだったのだろうか。あの大きな葉の下ならコロポックルも暮らせそうだ。
この辺りはどこにでもスイセンが咲いている。民家の庭にも畑のふちにも空地にもとにかくスイセン。昔住んでいた家の軒下にも毎年勝手に生えてきたものだった。よほど環境に合っているのだろう。
ヒメオドリコソウをそのまま大きくしたような花が群生している。どうやらヒメオドリコソウの仲間の園芸種が、どこかの庭から逃げ出してきたようだ。葉の模様からして、多分これはラミウム・マクラツム。ラミウムとはオドリコソウの学名らしい。
こちらは本物のヒメオドリコソウ。紫から緑へのグラデーションが美しい。私にはこの葉が中世ヨーロッパ風のドレスに見えるのだが、名前の由来を調べてみると、花の部分を編み笠をかぶった踊り子(阿波踊りなど)の姿に重ねているらしい。純和風。
スイセンに次いで多くみられるのがチューリップ。ムスカリもそうだが、球根の植物は強いということか。東京では、冬から春にかけてツバキ→スイセン→ソメイヨシノ→チューリップ→ツツジというような順で咲いていくのだが、ここでは全部いっぺんに咲いてしまう。
川上へ歩くうちに大きな道へ出た。道路を渡り、このまま上っていくことにする。通りがかった畑の端にシバザクラが茂っていた。祖父母が元気だった頃には庭からあふれ出るように咲いていたものだが、この地域で人気なのだろうか。よく見かける。
山へ続く坂道にぽつぽつ家が建っていて、擁壁のふちに青い花が咲いていた。園芸種風だなと思って調べてみるとやはりそうで、アジュガという名前らしい。黒っぽい葉のイメージ通り耐陰性・耐寒性があるらしく、こんな場所でも逞しく生きていくのだろう。
上っていくにつれ建物はなくなり、道の両脇には広大な畑が広がっている。空は暗くなり、風も強くなってきて、連なったビニールハウスが震えている。道路と畑の間が土手のようになっていて、そこにはびっしりと雑草が生えていた。ヒメオドリコソウ、ハコベ、ナズナ、タンポポなど。
予報より早めに雨が降ってきて、上着のフードをかぶる。いつの間にかだいぶ高いところまできていた。人通りは全くない。霧雨が降る山道で、ワンピースの裾をはためかせながらずんずん歩いていく女。通りかかった車から見た私はさぞかし怪しかっただろう。車ばかりがビュンビュン走る道路を渡り、トンネルに入る。
トンネルを抜けるとこんな景色だった。開発された現代の里山の風景、という感じ。散歩に出る前にグーグルマップを見たとき、眺めの良い緑地公園のような場所があることを知り、なんとなく今回の目的地のように思っていた。その場所にかなり近づいている。この先は完全に山道で、しんとしているのが不安だがとりあえず進むことにする。
山道の脇に立派な邸宅があり、その手前に植えられていたレンギョウが満開だった。無数の黄色いリボンのような花びらがさわさわと揺れる。さらに上っていくと不意に道の舗装が途絶えた。木々の中に、錆びて潰れた古い車が見える。入ってはいけない場所に来てしまったようで怖くなってくる。でもきっとこの先に公園があるはずだと信じて、土むき出しの道を私は歩き続ける。
オニゼンマイの若芽がふさふさして可愛らしい。呑気に写真を撮りながらも不安は募る。何か物音がしたらダッシュで山を下ろうと身構えながらさらに上るとついに目的地の看板を見つけた。看板は枯れた蔓で半分くらい隠れていて、その向こうはただの山の一部だった。とても公園には思えない。改めてマップを開き、口コミを確認してみるとそこには一言「もうありません。」それすらも3年前の投稿だった。私はくるりと向きを変え、足早にその場を後にした。
先ほどのトンネルを再び抜け、眺めのいい場所で立ち止まる。ここからは、函館山と海が見える。なかなかの景色なのだが、在りし日の公園からはもっときれいに見えたのだろう。残念だ。でも少しだけスリルを味わえたから、良しとする。
帰りは別のルートを辿る。畑ゾーンを抜けたあと川から離れた道を選んでみると民家ばかりで、花壇はあっても野良庭は見かけなかった。空地にもタンポポが咲くばかり。
馴染みのあるバス通りに出ると道端にツルニチニチソウが茂っていた。紫の花は可憐だが生育は旺盛そうだ。雨が降るまでの散歩のつもりが思わぬ冒険になってしまった。再び日がさしてきて、冷えた体を温めてくれる。このまま家に帰ろう。
家。それにしても家というのは不思議なものだとつくづく思う。祖父が建てたあの家を「おばあちゃんち」と呼んで子供の頃は年に2、3回訪れていた。必ずではないが、盆と正月には親戚が集まった。私と弟と従兄弟たちは走り回り、母と祖母と叔母たちは台所に立ち、父と祖父と叔父たちはのんびりしていた。夜にはご馳走を食べ、寝る前に布団で漫画雑誌を読んだ。私は賑やかなこの家が大好きだった。
時が経ち、祖父が亡くなり、数年は祖母が一人でこの家に暮らした。祖母が亡くなって葬儀に集まったのは大人ばかりで、子供は私の娘だけだった。可能性はゼロではないが、もしかしたらもうこの家を子供たちが走り回ることはないのかもしれない。漠然と、自分や兄弟や従兄弟の子供たちがいつかここに集まると思っていたから、少しだけ寂しい。時代は変わるし、家も変わる。振り返ることはできるけれど、未来のことは誰にもわからない。今大切なものがあるなら、それを大事にするだけだ。月並みながら、そういう実感が湧いてくる帰郷だった。
最後までご覧くださりありがとうございました。世界情勢的にはまだまだ安心できない状況が続いていますが、日本ではやっと日常を取り戻しつつありますね。今年はお祭りやフェスに行けるでしょうか。皆様の平穏をお祈りします。函館名物、イカ(のマンホール)をどうぞ。
北海道の桜はGWに咲く。この時期に帰省すると東京でさんざん見た満開の桜をまた見ることになる。上京して数年はその体験が物珍しく、ワンシーズンで2度桜を見られるなんて得だと思っていたが、今やすっかりありがたみが薄れてしまった。
滞在中は父の車であちこち連れて行ってもらったが、ぽっかりと空いた予定のない一日があった。その日は概ね晴れていたが時々空が暗くなりにわか雨が降った。天気予報アプリを見てみると次に雨が降るまで1時間くらいある。私は散歩に出ることにした。
家の近所にあるコンクリート塀にて早速、野良庭名物『穴から湧き出る植物』に出会えた。長く厳しい冬を越え、春を待ちわびていたのだろう。芽吹き方に勢いを感じる。
民家の前にムスカリとツクシが競い合うようにして生えている。庭から逃げ出したものと荒地を好むものが共存しているのが面白い。時折、林の方からキジの鳴き声が聞こえる。住宅地に「ケーン!」という威勢の良い声が響き渡るのは少し妙で、思わずにやけてしまう。
川沿いの道を歩くことにする。カモたちがグワグワ鳴きながら飛んでいく。この辺りのタンポポは東京のタンポポより花びらの密度が高くて色鮮やかな気がする。種類によるものか環境によるものか、私には判断がつかない。
桜と同じく、ユキヤナギも満開で辺りに香りを漂わせている。これも1ヵ月前に東京で見たのと同じ景色だ。春はちょうど、1か月遅れでやってくる。
枝の先からきれいなヒダのある新芽が出ている。タラの芽かもしれないと思って調べてみると少し違って、どうやらオニグルミの新芽のようだ。タラの芽に似たコシアブラの芽、オニグルミの芽、どれも食べることができるらしい。どんな味がするのだろう。
不気味に大きなタンポポを見つけた。この現象は帯化といって、植物に時々起きるエラーのようなものらしい。キク科の植物には起こりやすいとのこと。子供の頃、変な形のタンポポを見つけては喜んでいたことを思い出す。
北海道と言えばフキ。幼い頃に行った森林公園には背丈を越す巨大なフキが群生していて、そこにいるカタツムリまで大きくて驚いたのを覚えている。あれはラワンブキだったのだろうか。あの大きな葉の下ならコロポックルも暮らせそうだ。
この辺りはどこにでもスイセンが咲いている。民家の庭にも畑のふちにも空地にもとにかくスイセン。昔住んでいた家の軒下にも毎年勝手に生えてきたものだった。よほど環境に合っているのだろう。
ヒメオドリコソウをそのまま大きくしたような花が群生している。どうやらヒメオドリコソウの仲間の園芸種が、どこかの庭から逃げ出してきたようだ。葉の模様からして、多分これはラミウム・マクラツム。ラミウムとはオドリコソウの学名らしい。
こちらは本物のヒメオドリコソウ。紫から緑へのグラデーションが美しい。私にはこの葉が中世ヨーロッパ風のドレスに見えるのだが、名前の由来を調べてみると、花の部分を編み笠をかぶった踊り子(阿波踊りなど)の姿に重ねているらしい。純和風。
スイセンに次いで多くみられるのがチューリップ。ムスカリもそうだが、球根の植物は強いということか。東京では、冬から春にかけてツバキ→スイセン→ソメイヨシノ→チューリップ→ツツジというような順で咲いていくのだが、ここでは全部いっぺんに咲いてしまう。
川上へ歩くうちに大きな道へ出た。道路を渡り、このまま上っていくことにする。通りがかった畑の端にシバザクラが茂っていた。祖父母が元気だった頃には庭からあふれ出るように咲いていたものだが、この地域で人気なのだろうか。よく見かける。
山へ続く坂道にぽつぽつ家が建っていて、擁壁のふちに青い花が咲いていた。園芸種風だなと思って調べてみるとやはりそうで、アジュガという名前らしい。黒っぽい葉のイメージ通り耐陰性・耐寒性があるらしく、こんな場所でも逞しく生きていくのだろう。
上っていくにつれ建物はなくなり、道の両脇には広大な畑が広がっている。空は暗くなり、風も強くなってきて、連なったビニールハウスが震えている。道路と畑の間が土手のようになっていて、そこにはびっしりと雑草が生えていた。ヒメオドリコソウ、ハコベ、ナズナ、タンポポなど。
予報より早めに雨が降ってきて、上着のフードをかぶる。いつの間にかだいぶ高いところまできていた。人通りは全くない。霧雨が降る山道で、ワンピースの裾をはためかせながらずんずん歩いていく女。通りかかった車から見た私はさぞかし怪しかっただろう。車ばかりがビュンビュン走る道路を渡り、トンネルに入る。
トンネルを抜けるとこんな景色だった。開発された現代の里山の風景、という感じ。散歩に出る前にグーグルマップを見たとき、眺めの良い緑地公園のような場所があることを知り、なんとなく今回の目的地のように思っていた。その場所にかなり近づいている。この先は完全に山道で、しんとしているのが不安だがとりあえず進むことにする。
山道の脇に立派な邸宅があり、その手前に植えられていたレンギョウが満開だった。無数の黄色いリボンのような花びらがさわさわと揺れる。さらに上っていくと不意に道の舗装が途絶えた。木々の中に、錆びて潰れた古い車が見える。入ってはいけない場所に来てしまったようで怖くなってくる。でもきっとこの先に公園があるはずだと信じて、土むき出しの道を私は歩き続ける。
オニゼンマイの若芽がふさふさして可愛らしい。呑気に写真を撮りながらも不安は募る。何か物音がしたらダッシュで山を下ろうと身構えながらさらに上るとついに目的地の看板を見つけた。看板は枯れた蔓で半分くらい隠れていて、その向こうはただの山の一部だった。とても公園には思えない。改めてマップを開き、口コミを確認してみるとそこには一言「もうありません。」それすらも3年前の投稿だった。私はくるりと向きを変え、足早にその場を後にした。
先ほどのトンネルを再び抜け、眺めのいい場所で立ち止まる。ここからは、函館山と海が見える。なかなかの景色なのだが、在りし日の公園からはもっときれいに見えたのだろう。残念だ。でも少しだけスリルを味わえたから、良しとする。
帰りは別のルートを辿る。畑ゾーンを抜けたあと川から離れた道を選んでみると民家ばかりで、花壇はあっても野良庭は見かけなかった。空地にもタンポポが咲くばかり。
馴染みのあるバス通りに出ると道端にツルニチニチソウが茂っていた。紫の花は可憐だが生育は旺盛そうだ。雨が降るまでの散歩のつもりが思わぬ冒険になってしまった。再び日がさしてきて、冷えた体を温めてくれる。このまま家に帰ろう。
家。それにしても家というのは不思議なものだとつくづく思う。祖父が建てたあの家を「おばあちゃんち」と呼んで子供の頃は年に2、3回訪れていた。必ずではないが、盆と正月には親戚が集まった。私と弟と従兄弟たちは走り回り、母と祖母と叔母たちは台所に立ち、父と祖父と叔父たちはのんびりしていた。夜にはご馳走を食べ、寝る前に布団で漫画雑誌を読んだ。私は賑やかなこの家が大好きだった。
時が経ち、祖父が亡くなり、数年は祖母が一人でこの家に暮らした。祖母が亡くなって葬儀に集まったのは大人ばかりで、子供は私の娘だけだった。可能性はゼロではないが、もしかしたらもうこの家を子供たちが走り回ることはないのかもしれない。漠然と、自分や兄弟や従兄弟の子供たちがいつかここに集まると思っていたから、少しだけ寂しい。時代は変わるし、家も変わる。振り返ることはできるけれど、未来のことは誰にもわからない。今大切なものがあるなら、それを大事にするだけだ。月並みながら、そういう実感が湧いてくる帰郷だった。
最後までご覧くださりありがとうございました。世界情勢的にはまだまだ安心できない状況が続いていますが、日本ではやっと日常を取り戻しつつありますね。今年はお祭りやフェスに行けるでしょうか。皆様の平穏をお祈りします。函館名物、イカ(のマンホール)をどうぞ。