国道16号線全部歩いてみた - エピソード2 「片倉・橋本峠越え」

  • 更新日: 2019/09/24

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国道16号線にあるとは思えない峠の茶屋、もといコーヒーショップ。スイスのよう。

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前回のまとめ
国道16号線計251キロメートルを全て歩く。

そんな無謀な企画をぼくはスタートさせた。「郊外」「ロードサイド」「何もない」と語られることが多い16号線は、ほんとうにそうなのか。全部歩いてその真相に迫る。
前回は相模大野から相模原まで、ザ・ロードサイドの風景を堪能しながら、しかしそこにあるちょっと変わったもの――突然の森や慰霊碑――を見た。どうやら16号線は何もないわけでは決してない――この風景を通してなんとなくの、淡い実感を得たのである。
前回は書かなかったが、そんなこんなで最終的に相模原までついたぼくは、実はその勢いのまま、相模原から16号線をさらに進んだ橋本まで歩いて散歩を終えたのだった。
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国道16号線全部歩いてみた-エピソード2「片倉・橋本峠越え」

というわけで、橋本である。





乗る電車を間違えた(上の写真は前回の散歩の終わりに撮ったもの)

どういうこと?

前々回は、降りる駅を間違えたが、今回は乗る駅を間違えたのである。もう散々である。自分で情けなくなる、この計画性の無さには。
どう間違えたか。下の路線図を見て欲しい。


△京王グループホームーページ(https://www.keio.co.jp/train/map/index.html)より

これは京王線の路線図である。知っている人も多いかと思うが、京王線は新宿を始発として2つの行き先がある。その一つが今回の目当てである「橋本行き」、そしてもう一つが「高尾山口行き」である。路線図の通り、この2本は調布で分岐し、どんどん離れていく。

そう、どんどん離れていくのだ。

どんどん…

どんどん……

ぼくは、高尾山口行きに乗った。つまり、目当てでない方に。

絶望。

気づいたのは、北野という駅を出発してからだった。電車のアナウンスが、「この先、高尾山口まで各駅停車でございます」と言ったのを聞いて、(あれ、高尾山口までもう少しなのか?橋本ってそんなに遠かったっけ、そういえば結構長く電車乗ってるよな)と思ったぼくに雷のような衝撃が走る。

「高尾山口行きじゃん、これ」

橋本行きと高尾山口行きがあるということ、その2つの行き先がかなり離れていることを知っていたから、その事実を認識したときの暗雲たる気持ちといったらない。動転したぼくはすぐに次の駅で飛び降り(何のプランもなく)、すぐに引き返そうとした。しかし調布方面に戻る電車が来るのは10数分あと、今思えば別にすごく長い間電車がこないというわけでもなかったのだけれど、よほど気が動転していたらしい。
「待てない」と思った自分はすぐにグーグルマップを調べた。




すると、なんと幸いなことに駅のすぐ近くを16号線が通っていたのである。しかもそのまま16号線沿いを南下すれば橋本駅にたどり着く。なんと幸運なことか! 16号線の神(そんなのいるのか)に守られているのかもしれない。すぐに16号線に入れるのならば、向きは逆になるがここから橋本方面へ歩けば良い。それで、次回はこの駅からまた出発して、反対方面(八王子向き)に16号線を歩けばなんの問題もない。完璧な計画。完全犯罪。



ですぐにぼくは改札を出た。駅名は、「京王片倉」。聞いたことない。



駅前の風景。えっ、16号線あるの?



あった。
これが、「片倉の16号線」だ。相模原の16号線とぜんぜん違う。


△相模原の国道16号線。比べてみてほしい。片倉の国道16号線と。

とても国道とは思えない狭い道。しかし標識によれば「相模原まで10キロ」らしい。さほど遠くはないようだが、随分と田舎にきた感じがする。空気の匂いもなんだか違う。



さて、標識に従って相模原の方まで歩こう。その途上に今回目指している橋本もあるのだから。


片倉には城があった

しかしこの片倉という地名、全く聞いたことがない。なんでも八王子市に属しているらしいのだが、私は聞いたことがなかった。国道の幅もそれを反映しているように、小さい。というか国道を歩いている気がしない。

そんなことを思いながら歩いていると、こんな看板を見つけた。



「片倉城址」。

つまり、片倉には城があったらしい。この場所に?城が?にわかには信じがたい。しかしバス停の駅名にもなっているんだからどこかにあるんだろう。さらに、



「湯殿川」

いかにもである。いかにもだよ、湯殿って。絶対に片倉城にいた殿様か何かが関わっているに違いない。確かに片倉城というのはどこかにあるらしい。しかし、どこに?



あった。歩いていたらすぐあった。16号線沿いにあるから歩けばすぐわかる。この公園の跡地に、かつて片倉城があったのだろうか。とにもかくにも入ってみよう。

すると、



彫刻がたくさん。しかし、



これはどう考えても片倉城にいないタイプの兵士だろう。と思ったら、タイトルは「アテネの騎士」だった。兵士違いだ。なぜかこの公園には彫刻が多い。





しかもツッコみたくなるような彫刻ばかりなのだ。
ここで問題。次の彫刻の名前は何でしょうか?



正解は、










「ダンシングオールナイト」








…………………


ダンシングオールナイト!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?


はぁ……

まあ、そう言われてみれば、踊っているわけですが、なんでこの公園でよりによってダンシングオールナイトなのか。ここだけバブルをひきずっているのか。意図がわからない。怖い。



踊り明かそう、今夜は。

そんなこんなで彫刻に囲まれながら公園の奥へ進んでいくと、




山。


いかにも。かつてお城が立っていたかのような、そんな雰囲気を醸し出している。しかし、前回の相模原にあった緑地しかりだが、不思議な雰囲気を持つ緑地が多い。国道沿いの車とコンクリートに囲まれた景色を見慣れてしまったから、ちょっとの自然でもただならぬ雰囲気を感じるようになってしまったのか。

さらに奥へ行くと。



険しい山道が。いきなり、さっきほどまでここが国道であったことを忘れ始める。

登っていく。変な虫やら、植物やら、キノコやらで道はすっかり荒廃している。先ほどの公園には休息をとる人々が何人かいたのだが、この山道を登る人はほとんどいないらしい。すると



運命の分かれ道的な橋が出てきた。ゲームとかに出てくるやつだ。右の山道を進むか、それとも橋を渡って左に進むかでぼくの運命が決まる。

意を決して。


橋を渡る。


橋もボロボロだ。そのままずっと進んでいくと、登りが急に険しくなって本格的な登山のような様相を呈し始める。奇妙に、そしてきらびやかに咲く一輪の百合が山の雰囲気と相まって恐ろしく見える。



登る登る。



まだまだ登る登る。



そしてその先をずっと進んでいくと一筋の光が……

そして、



着いた。

何もない。原っぱだ。
でも不自然なぐらい平らな土地がずっと続いているから、ここにかつてお城があったのかもしれない。するとその側に今までずっと探していたけれど見つけられなかった公園の全体マップが。



マップによれば、ここは「二の丸広場」というらしい。二の丸というのだからここにはかつて、片倉城の二の丸があったのである。しかし今はもはやこんな状態。何があったのか。色々と調べてみるとこの片倉城、鎌倉時代の武将長井時広が築城したそうで(諸説あり)、その後は戦国時代末期までは使用されていたらしい。それからは推して知るべし。ほとんど振り返られることのないお城へと変わり、現在はこんな状況になった。

二の丸広場から少し歩いてみると、



なんて書いてある?

本、、丸、、、広、、、場、、

もはやホラーだ。

というわけで二の丸があれば本丸もあった。お城の中心部分である。かつての中心もこんなに文字がかすれて…

そんな看板の周りには



ああ、、、兵どもが夢のあと、とはこのことか。かつての栄華を誇った(かもしれない)お城も現在ではこのような姿である。

ぼうっとたそがれながらしばらく喧騒を忘れる。前の連載では、16号線が都市と田舎をそれとなく隔てているのではないか、という仮説を立ててみた。そういえば言い忘れていたが、この公園もまた左側車線――16号線における「隠されたもの」が集まる――だった。都会から離れたところにあって朽ち果てるもの、そんなものもまた、左側車線にあるのかもしれない。と言っても片倉という街そのものがもはや都市らしさとはかけ離れているのだけれども。

少ししてから本丸広場を降りてみる。すると神社がある。住吉神社というらしい。



人気はやはりない。いったいどれほどの人がここを訪れるのだろう。神社に続く参道(らしきもの)も荒れ放題である。



ホラーゲームか。
木が折れている。何かの拍子で折れてしまったのだろう。やっと国道に戻ってきた。

国道16号線をぼくは歩いているのだった。まさかこんな郊外らしくない場所があるだなんて全く知らなかった。16号線、やはり奥が深い。

しかし、驚くのはまだまだこれからなのである。


周縁としての16号線

さて、随分と寄り道をしてしまった。というわけで橋本に向けてどんどん歩いていこう。
すると、



なんかある。高い何かが。もしや、あれは現代の片倉城か?

どんどん歩いていく。近づいてくる。



きぬた歯科の若干抜けてそうなたぬきが気になって仕方ないが、その背後に先ほどの巨大な何かが。他が山だからだろうか、かなり目立つ。



かなり近づいた。

とうとうギリギリまで。すると、大きな広場が見えてきて、そこには



「東京工科大学」と書いてある。そのプレートを囲むようにして広がる広場と地続きで、先ほどのビルがある。ということは先ほどのビルは東京工科大学の持ち物なのか。そうなのか。調べてみた。すると本当にそうだった。これは「東京工科大学八王子専門学校」らしい。このキャンパスには工学部やコンピューターサイエンス学部が入っているという。文系のぼくには想像もつかないような研究がそこでは行われているのである。

しかし八王子、歩いていてもそう思ったし、あるいは調べてみてもそうなのだけれど、大学の数が多いのである。この東京工科大学の近くには日本文化大学、山野美容芸術短期大学、多摩美術大学、東京造形大学など多くの大学がひしめきあっている。中央大学もまた、八王子にキャンパスを持っている。

これはなぜか。

理由は主に2つある。1つは都心の土地が手狭になったために、郊外に移ってきたということ。もう1つは、1960年代に激化した学生運動を沈静化するために大学のキャンパスを一部郊外に移したのだという(下記のサイトを参照した)。

大学はなぜ「郊外」に移転したのか? (2015年2月18日) - エキサイトニュース

現在、新たに作られる大学のキャンパスは都市部に作られることが多くなっています。中には、都市部のビルの一角を借りてキャンパスとして展開することも多くなっています。さらに、一度郊外へ移転した大学も、再び都



この2つの理由から多くの大学が八王子などの郊外に移ってきた。

ということはこのあたりは都心から見たら辺境の地、あるいは流刑地のような場所なのではないか。大学にとって都合の悪い人間を置くのにちょうど良い場所。それがこの八王子であり、そしてそこを16号線が通る。なるほど、そう考えると16号線とは東京都市圏の「キワ」、都心とその外側を分ける境界を形作っているのではないか。
あるいは民俗学の知見を持ってきてもよいかもしれない。古来より彼岸と此岸の境界には、異形の者たちが集まるとされている。秩序を乱し、中央から遠ざけねばならないようなものたちがその辺境の境界には集まる。山口昌男はそうした周縁に集まるものたちが、世界を活気付けてきたのだと述べている(山口昌男『道化の民俗学』、「文化における中心と周縁」など)。なるほど、若者はそのエネルギーで世界に自らの主張を突きつける。学生運動を主導していたものたちもそうしてこの16号線沿いに集まっていたのか。そう考えるとなかなかに趣深い。

半ば妄想なわけですがね。


ここは山だった

現代の片倉城、東京工科大学に向かう途中、気になるものを見つけた。



ホテル御殿山……

これは、ラブホテルだ。しかも、あれだ、田舎にありがちな、荒んだタイプのラブホテルだ。しかも名前が「御殿山」。まだ片倉城の感じを引きずっているのか。御殿だから、どの様の住居がある場所だろう。東京の品川周辺にも「御殿山」なる地名があるが、この御殿山は地名なのか、それともホテルの名前として(高級感を出すために?)使われているだけなのだろうか。

とりあえずは進むしかないだろう。すると、



あった。
ホテル「御殿山」である。

しかし外観がお城っぽくなっていたり、豪華絢爛な感じになっているわけではない。ただひたすら「地方のモーテル」な感じしかない。うーむ、これが御殿山か。

と思っていると、



「御殿峠第二」

そうか、ここは御殿峠というらしい。だから、ホテルの名前も地名を借りた「御殿山」なのだろう。つまり今ぼくは、国道を歩くと同時に、峠を歩いているのである。なんと、国道16号線には峠があるのだ。このことを一般の人はどれぐらい知っているだろうか。国道といえば、平坦でまっすぐな道が延々と続くというイメージがあるかもしれない。しかしここは、平坦でもなければ、まっすぐでもない。

山だ。峠だ。峠越えだ。



そりゃ歩いてて疲れるわけである。


都会が見えた

東京工科大学を通り過ぎると、



「また、八王子へ」の看板が。

八王子市が終わるらしい。まあ、また八王子に向かって歩こうと思うから、本当のサヨナラではないのだけれど。そうして、八王子市を抜けると、次に入るのは町田市である。
そうしてどんどん歩いていくと、先ほどまで随分と登っていたと思ったのだが、今度は下り道が見えてくる。



下り道の手前にあったのは、なんともヨーロッパ風な珈琲屋さん。



なんだか、峠越えでこんないい感じの小屋に出くわしたら、本当にここがスイスの山の中にでもいるような感覚になる。いや、それは言い過ぎか、せいぜい山梨か長野か、そんな感じかもしれない。

これでとうとう峠越えは終了なのか?そんな期待を胸に抱いきながら、下っていくと、





ビルが



見えた!!!!!!!!!!!

街だ!!!!ビルだ!!!!!!都会だ!!!!!!!!!

あら〜〜。片倉から今までの山道、峠道が嘘のような突然のビル群。そして距離から察するに、あれが橋本の市街地に違いない。橋本、なんて都会だ。

しかしこの風景の移り変わりの差はすごい。山道を下ると突然、都会の風景が現れるのだから。前回の連載では、16号線を挟んで右側と左側で随分とその景色が違うということを述べていたが、今回は、左右ではない。道の向こう側とこちら側、いわば前後とでもいうべき区分けで、都会と田舎(あるいは自然豊かな土地)が急激に分かれているのである。

進もう、都会へと。



来た。国道16号線だ。片倉駅からは想像もできないような、あの、懐かしの国道16号線。チェーン店がひしめく国道16号。「コジマ」や「洋服の青山」や「すき家」の看板がなんとも懐かしい。片倉城周辺の様子と、この橋本周辺の様子は随分と違う。景観も違えば、人通りも違う。でも、その2つの風景は同じ国道16号線の風景なのである。

国道16号線。そこには私たちが思っている以上に様々な風景が存在する。でもそれは「国道16号線」という名称のもとで、十把一絡げにイメージされ、「郊外」「チェーン」「何もない」という印象が強く浮かび上がる。しかしそれは本当なのだろうか?

10数キロほどしか歩いていないにも関わらず、国道16号線に強く感じることは、この道がかなり多様な景色をその内に秘めているということである。片倉城だって、その起源は戦国の世にまで遡る。というよりか、そもそも江戸時代に現在の東京23区の一部に江戸という都市が置かれるまで、東京周辺において人々の交流や行き来が盛んだったのは現在の西東京を中心としてなのである。だとすればそうした西東京をも通る国道16号線には、何もないどころか、むしろ隠された、あるいは人々に意識され損ねるような豊穣な歴史の層があるのかもしれない。そして片倉城は顕著にその事実を表しているのだ。国道16号線を歩くということは、そうした時代や土地をまたぐ、隠された歴史を発見することなのかもしれない。



さて、橋本駅に着いたようである。今回の旅はここまでだ。
次に歩く国道16号線は、いかなる歴史の層を秘めているのだろうか。今から楽しみで仕方がない(次もこの橋本駅からスタートするのだけれども)。

(続く)

※前回に引き続き、一緒に国道16号線を歩いてくれる人を募集中です!なんと、この間「歩きたいです」というDMが僕の元に!次の散歩は3人で歩くことになりそうです。連絡はフォームまで!






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#歩く #ふつう散歩 #国道16号線 
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谷頭和希

ライター・作家。チェーンストアやテーマパーク、日本の都市文化について、東洋経済オンライン、日刊SPA!などのメディアに寄稿。著書に『ブックオフから考える』『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』。

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