国道16号線全部歩いてみた - エピソード4「ツルツル、FUSSAフッサ、ツルツル」

  • 更新日: 2019/12/24

国道16号線全部歩いてみた - エピソード4「ツルツル、FUSSAフッサ、ツルツル」のアイキャッチ画像

LANDSCAPE in FUSSA BASE SIDE STREET

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「フッサ」

いい響きだ。まずこの「ッ」がいい。「フ」ときて「ッ」だ。吹き飛びそうじゃないか。それから締めに「サ」である。なんだか、こう、サッとどこかに飛んでいきそうな感じだ。全体を通してこの軽さと疾走感が良い。

「フッサ」

なぜ2回くりかえしたのか、自分でもよくわからないが、とにかく私はこの名前が気に入ったのである。フッサフッサ。2回繰り返すのも気持ちがいい。なんだってフッサフッサなのだ。これがどうだ、2回繰り返すのがなんだか虚しくなる言葉だってあるだろう。

「ツルツル」

どうだ。これは、もう、言葉の上でも嫌な言葉である。できることならば発音さえしたくない。なんだか禿げそうな言葉だ。



おもむろに画像を出したのは話を戻そうと思ったからである。いや、戻すといったって、本題は始まってすらいないので、それはどうなんだ。そもそも私はこんな話をしようと思っているのではなかった。「フッサ」は「福生」のことであるとか、福生の町名の起源にはアイヌ語があるとも言われているとか、もっと有益な事柄から始めたかったのだ。カタカナから初めてしまったのがいけない。カタカナで書くと、何事も軽薄で、どこかばかな雰囲気になる。だからこそ、「フッサ」ではなにかおかしいのだし、「フッサフッサ」となればもう論外である。

しかし上に掲載した写真で、事態はより複雑になる。

FUSSA

英語だ。英語であろう。英語かもしれない。
だんだん自信が無くなっているのはそもそも「FUSSA」は英語ではないからだ。それはローマ字でしかない。当然のことだ。いやでも、これはアメリカ人には通じるはずだ。そうなってくると、これは日本語なのか英語なのか分からなくなってくる。「FUSSA」はよく分からない。

そして福生を歩いていると、そんな不思議な風景にたくさん出会う。やっと本題。第4回目となる国道16号線散歩について私は書くのだ。書かねばならない。まずは歩いた場所から。


        
基本的にはもう何度その言葉を発したのか分からない「福生」周辺を歩いたわけだが、出発はその下の拝島駅で、ゴールはその上にある箱根ヶ崎駅である。

さて、そこで問題となるのは、やはり「拝島」と「箱根ヶ崎」のことである。人はふつう、こうは言わない。

HAIJIMA

HAKONEGASAKI

冗談じゃない。読みにくいよ。しかし、人はふつう、こう言う。

FUSSA



なぜこの写真をこんなにも強調するのか。特に意味はない。

さて、今ここで「HAIJIMA」と「HAKONEGASAKI」の風景を見てみよう。もしかするとローマ字表記が似合う街なのかもしれない。

HAIJIMAから。





なんだ、このツルッとした感じは。グレーが基調、とでもいえばいいのだろうか。そんな感じだ。とはいえ、この光景はちょっとした郊外の駅だとよく見かける風景。
では「拝島」が「HAIJIMA」かと言われると、やはりそこには疑問が生じる。ローマ字はダメなんじゃないか。この街には。
ちなみにこの2枚目で写っている道路をずっと進むと、我々が目下進んでいる国道16号線に突き当たる。前回の記事でも触れたが、拝島周辺の国道16号線には音と振動を遮断する透明な壁が設置されている。



またもやグレー。そしてこれがずっと続いている。



無機質といってしまえばそれまでだが、やはり私はこう言いたい。

MUKISHITU

いや、なんの意味があるのだろう。無機質をローマ字に言い換えるだけのことに。でも、ただ「無機質」というとなんだか偉そうじゃないか。特に拝島をよく知っているわけでもない者がこう言う。

「この街は無機質ですね」

拝島に住んでいる者らはこれを聞いて怒るに違いない。お前に拝島の何がわかるのか、と。では、こう言ったらどうか。

「この街はMUKISHITUですね」

果たしてこれで拝島住民の怒りが治まるかどうか、私には分からない。いや、ことによると「このやろうなめてるのか」ともっと怒りだすかもしれない。なぜならそれはふざけているからだ。間違いない、ふざけている。ダメなのである、拝島のことでローマ字を使うのは。

では、HAKONEGASAKIはどうか。もうすでに、その長ったるい感じからだめな雰囲気が漂っているが、一応その風景を見てみよう。





拝島とそう変わらないではないか。グレーで、どこまでもツルッとしている。そうか、これこそが「フッサフッサ」に対抗するところの「ツルツル」なのである。フッサはツルツルに囲まれている。そう書くとなんだかばかのように思えてくるし、実際にこの表現を改まって書く意味は無い。
ただ一つだけ言えるのは、拝島から歩いていると突然周りの風景が変わり、そしてもっと歩いて箱根ヶ崎まで行くとその風景が元に戻るということである。その二つの駅に挟まれているのが、「FUSSA」という街であって、確かにそこは国道16号線の中では異質の風景が広がる「フッサフッサ」な地帯なのだ。そしてその街は、ローマ字がよく似合う。



だからもうこの写真はいいんじゃないか。飽きたよ。ちなみにこの写真が撮られたのは、「福生アメリカンハウス」。ローマ字が似合う街にふさわしい。



アメリカンハウスの前へ。「OPEN」が斜めになっていることに特段意味はなく、その上の「福生アメリカンハウス」のフォントにどこか昭和の雰囲気を感じるのは私だけか。



入り口。すでにアメリカンである。そして中がすごい。







アメリカンである。アメリカンであるとしか言いようが無い。一時代前のアメリカンな気もする。日本の団地のような、そんな雰囲気も漂っている。「福生アメリカンハウス」とは一体なんなのだろうか。「Google」で検索してみると、以下のような説明を得ることができた。

 米軍ハウスとは1951年の朝鮮戦争で基地の人員が増え、基地内に収まりきらなくなった米兵の為に作られた住宅です。


ここで引っかかるのはこの言葉だ。

「基地」

なんの基地だ。まさか地元の少年の秘密基地ではあるまい。

「福生少年隊」

なんだそれは。あるいはこうか。

「白虎隊」

もうこうなるとでたらめである。そもそも白虎隊は福島の少年たちによる組織だし、絶対にアメリカンではない。明治維新のときに、開国反対派の一つとして組織されたのだから、どちらかといえばアメリカンの真逆にある。
だが私は白虎隊の話などしたくない。なぜなら今私はアメリカンな気分に浸っているからだ。こんな蛇足をしているまでもなく、「基地」とは引用部の最初にある「米軍」の基地だとわかるはずだ。それなら最初からそう書けばよかったのに。

「米軍基地」

これこそ、福生のローマ字性を引き寄せている真の要因である。福生の国道16号線に沿って在日米軍の基地である「横田基地」がずっと続いている。そのためにかつてより福生にはアメリカ人が多くいたのだ。原則的にアメリカ人は基地の中に住むわけだが、いつの間にか人が多くなり、福生の街中に住む者らも現れるようになった。そんな彼らが住む場所として用意されたのが、このアメリカンハウスというわけである。
引用部の続きを見てみよう。

 その後朝鮮戦争が終結し、規模が縮小されるにつれ、1970年代頃には米兵が基地内に移り住む様になります。誰も住む事のなくなった米軍ハウスは自治体に返還されるなどし、日本人が住む様になりました。
 その中でも大瀧詠一さんや、桑田圭佑さん、村上龍さんなど数々のアーティストが住んだ事でも有名です。
 最盛期には2000棟も建てられた米軍ハウスですが、今では150棟ほどしか残っていません。


さて、ここで気になるのはこの一文である。

「大瀧詠一さんや、桑田圭佑さん、村上龍さんなど数々のアーティスト」

大滝詠一や桑田佳祐は確かにアーティストだろう。しかし村上龍はどうなんだ。彼は小説家である。あるいはカンブリア宮殿の主である。小説家はアーティストなのか。あるいはカンブリア宮殿の主はアーティストなのか。そう考えた場合、この文章は以下のようにした方が良いのではないか。

「大瀧詠一さんや、桑田圭佑さん、村上龍さんなど数々の文化人」

でも、これはだめである。やはり、福生はアメリカンな街だから、「文化人」という三字熟語は似合わないのだ。ここでは音楽家だろうが、芸術家だろうが、小説家だろうが、文化芸術に携わる者は全て「アーティスト」と呼ばれなくてはならない。たとえ、伝統工芸の職人がアメリカンハウスに住んでも「アーティスト」だし、米粒写経の名人が住んだとしても「アーティスト」なのだ。ローマ字や、カタカナが似合う街なんだ、福生とは。そういう街なんだ。

アメリカンハウスの中には、大きなレコードプレイヤーがある。そこに係の女の人がレコードを持ってきて、アメリカンハウスの見学BGMとして流してくれた。それがまたよかった。

「山下達郎」

大滝詠一や桑田佳祐ではない。山下達郎の「クリスマスイブ」である。いいじゃないか。ヤマタツだって。レコードの音質で聞くと、いつも聞くのとは違う風に聞こえるからなかなか不思議だ。クリスマスが近いということもあっての選曲だったが大満足だった。アメリカンハウスで聞けばなんだってアーティストだ。山下達郎も、竹内マリヤも、ことによるとカンブリア宮殿の主だってアーティストである。



さて、福生とはそういう街である。そういう街って言い方もないが、芸術家はすべからく「アーティスト」になる街だ。そしてそこには米軍基地の影響でアメリカンな街並みが広がっているのだ。先ほどから見ているアメリカンハウスにはアメリカンというか、もはや「アメリカ」なのではないか、と思われる物体がある。



「自由の女神」

これはどうなんだ。確かにアメリカである、確かにアメリカだよ。しかしよりによって自由の女神だけ立てることはないんじゃないか。この銅像は先ほどのアメリカンハウスの庭に堂々とおっ立っていた。これはアメリカである、確かにアメリカだが、しかし、どこか違和感がある。
例えばこう考えてみよう。

「富士山の模型が庭にある日本家屋」

博物館か。そりゃあ、富士山は日本のシンボルだ、たしかにシンボルさ。しかし富士山の模型を置いたからってそれが日本らしさを増させるかといったらそうはならないだろう。ことによると外国人は「ビューテホー!」とか言って感動するかも知れないが、日本人には違和感しかない。それと同じ違和感をこの自由の女神に感じるのだ。だから、この自由の女神を見て「アメリカだなあ」と感じる私のような日本人は、富士山の模型を見て感動する外国人とまったく同じなのだ。

こうなってくると、福生の16号線沿いにある「アメリカらしさ」がよくわからなくなってくる。たとえばこれはどうか。



なにがなんだかよく分からない。とにかく宇宙人がここにいる。これはアメリカなのか。エリア66だかなんだか忘れたけれど、アメリカはどうも宇宙人を匿っているらしいから、その関係なのかもしれない。ことによれば、基地の中にいた宇宙人が脱走してきて住み着いたのかもしれない。真偽のほどは定かではないがとにかく宇宙人がいることだけは確かである。

こうした一連のお店が立ち並ぶ16号沿いは、「FUSSA BASE SIDE STREET」と呼ばれ、各店が競うようにアメリカ感を出そうと競いあっている。







しかし、せっかくこうして各店が軒を連ねてアメリカンな雰囲気を出しているにも関わらず、その輪を乱すものがいる。「自由の女神」やグレイの置物だって本物のアメリカか、と言われりゃ怪しいが、しかし次にお見せするのはガチである。ガチで輪を乱しに来てる。どこにもいるんだよ、こういうのが。



増田屋ってことはないだろう。ちょっとはアメリカらしくしたらどうなんだ。やはりここはこうだろう。

「OSOBA MASUDAYA」

だめだ。この店構えだと、いくらローマ字にしても日本らしさが取れるはずもない。やはり外観も大きな問題だ。アメリカ色に染められたこの通りで、増田屋はどうにもだめだ。でも、なんだかこの足並みの揃わなさにほっとする。いいなあ、増田屋、いいじゃないか。このほっとする感じはどこから来ているのだろう。

それはやはりここが日本なのだ、どこかアメリカっぽいけど、それは幻想で、結局は日本にあるから日本なのだ、という当然のことがわかったからかもしれない。そういえばアメリカンハウスにあった自由の女神だって、ここが日本にあるアメリカであることを示すいい例だろう。ここがほんとうにアメリカだったらそんなことはしまい。もしそういうアメリカ人の方がいらっしゃったら一報欲しい。
一見英語に見えてしまう「FUSSA」だって日本語であって、福生とはまさにそういう街なのである。何を言っているのかよく分からないかもしれないが、「英語風」の中に隠れた日本的なるもの、あるいは英語になりきれないもの、それがここにはあって、福生とはそういう街なのだ。あるいは、村上龍だってそういう存在かもしれない。

福生に付きまとうイメージは「日本の中のアメリカ」とかそういうものが多い。しかし、本当にそうだろうか。増田屋はそうした私たちの決めつけに対して反旗を翻す。
「本当にそうですか?」と。厳密に言うなら、「本当にそれだけですか?」と。増田屋は本気だ。
それは、国道16号線が平板で均質でチェーン店だらけであるという認識が、そこを実際に歩いてみるとひっくり返される経験にも似ている。
国道16号線は多様だ。
私たちが知らない、見たことのない、未曾有の国道16号線と、そして福生があるはずだ。


▲さようなら、横田基地

さて、そうこうしているうちに、横目に見てきた基地がなくなり、そしてFUSSA BASE SIDE STREETも終わりを迎える。そうしてまた、あの風景が登場する。



「ツルツル」

フッサフッサを挟むように存在するツルツルである。
しかしこの風景だって、今まで何度も見てきたように、決してツルツルなだけではない。そこにはいくつものデコボコがあったはずだ。

やはり、私たちは、このデコボコを探しにもっと歩かねばならないだろう。まだ見ぬ「FUSSA」を求めて。カッコよくシメてみたが、やはり「FUSSA」の意味はよくわからない。わかる日は来るのだろうか。

(つづく)

やはり国道16号線散歩は、参加者を絶賛募集中です。なんとなく歩いてみたい方、国道16号線に興味がある方、記事で言及されたい方など、有象無象の参加を大募集中です!
次回散歩は12月15日(日)を予定。HAKONEGASAKIからIRUMAあたりまで歩くことになるかなー、と思っています。参加希望は下記の参加フォーム、または私のメールアドレス(improtanigashira@gmail.com)まで!

国道16号線全部歩く散歩 参加募集フォーム

サンポーにて企画されている、「国道16号線を全部歩く散歩」の参加者募集フォームです。参加希望の方は、下記のフォームを入力してください。後日、主催者より折り返しのご連絡を致します。






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谷頭和希

ライター・作家。チェーンストアやテーマパーク、日本の都市文化について、東洋経済オンライン、日刊SPA!などのメディアに寄稿。著書に『ブックオフから考える』『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』。

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