じっくり渋谷さんぽ 第1回【2020年12月5日〜8日】

  • 更新日: 2020/12/22

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渋谷。行けるのか

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渋谷を歩く、その前に 2020年12月5日

ひさびさに渋谷を歩こうと思った。

”渋谷”

その響きに私たちはなにを思うだろうか。

いま、手元にあるタブレットでおもむろに”渋谷”と調べてみると、Wikipediaには次のような説明が出てきた。

渋谷(しぶや、英: Shibuya)は、東京都渋谷区の地名。

  1. 町名としての渋谷、渋谷一丁目から四丁目まである。JR渋谷駅を含む渋谷駅東側の地域。渋谷駅を中心とする地域の総称。

  2. 前述1の他に、「道玄坂」「宇田川町」「神南」「桜丘町」などが含まれる。東京を代表する繁華街の一つであり、最先端の流行やファッション、音楽、若者文化の街となっている。

  3. 近年では、渋谷駅から北西にやや離れているものの、個性的な店舗が住宅・企業オフィスの間に点在するエリアが「奥渋谷」(おくしぶや、オクシブ)と呼ばれることもある。町名としては松濤、富ヶ谷、神山町などである。

  4. 東京特別区の一つである渋谷区。

  5. 武蔵国の村を起源とする、明治時代以降に存在した渋谷村と渋谷町。


ここでわかることは、”渋谷”になされる説明がいやに多いことだ。それは、町名としての”渋谷”かもしれないし、あるいは”渋谷系”の音楽や”ハロウィンの渋谷に集う若者たち”といった言葉に代表される”若者文化”を表す一種のサインとしての”渋谷”かもしれない。

つまり、こういうことだ。

”いろいろな”渋谷”がある”

ところで、Twitterで”渋谷”と調べてみるとどのような結果が出てくるのだろうか。

”渋谷陽一”

人間だ。「ロキノン系」という言葉を作った音楽評論雑誌『rockin`on』を創刊したうちの1人で、現在はロッキング・オン・グループの代表取締役社長を務めている。
興味深いのは、Wikipediaの「ロッキング・オン」についての文章だ。

”「ロッキング・オン」は外来思想としてのロックを日本の風土と日常生活の中に根付かせようとする一種の思想運動だったと言える”

いきなり”思想運動”ときた。ただの雑誌ではない。しかし、外来のロックの思想を根付かせようとする動きは、グループサウンズの隆盛や”はっぴいえんど”の活躍など、『rockin`on』のほかにも数多くあったのだし、ことさらこの部分が強調される意味はあるのだろうか。そもそも、”渋谷”とはどのような男なのだろうか。

実はこの引用部は「Lmage.jp」というサイトの「もっとも成功したベンチャー誌 ロッキング・オンとその系譜」という記事から引用しているらしく、その引用元をたどってみることにした。

”404 Not Found”

たいへんだ。サイトが消えていた。これで私は、なぜ『ロッキング・オン』誌がことさら”思想運動”と称されるまでの大きな動きだったのかが、わからずじまいではないか。
気になる、いったい、ロッキング・オンとはなんだったのか。渋谷陽一とはどのような男だったのか。

いや、しかし私ははたと気づいた。私はそもそもなにをしようとしていたのか。そうだ、渋谷を歩こうとしていたのであった。それが、なぜ”渋谷”という男について考えていたのだ。わからない。

思い出したことによれば、私は次のような気づきを先ほど得たのだった。

”いろいろな”渋谷”がある”

そこには、rockin`onを創刊した”渋谷”もいれば、あるいは若者文化を指し示すサインとしての”渋谷”もあり、町名としての、あるいは区名としての”渋谷”もある。

それがなんだというのだろうか。はやく渋谷を歩いた方がいいのではないか。


渋谷を歩く、もう少しで 2020年12月6日

ひさびさに渋谷を歩こうと思った。

しかし、その前に、もう少し”渋谷陽一”について考えてみたい。なんだってまた”渋谷陽一”の話をするのか、と思うだろう。私もそう思っている、しかし、もう少し考えてみたいのだ、”渋谷陽一”について。
例のごとくWikipediaで”渋谷陽一”を調べてみると、そのエピソードとして次のようなものが書かれている。

”渋谷の出る杭的な言動が、いかに業界の反感を買っていたかを象徴するエピソードには事欠かない。業界の大物のパーティーで渋谷が挨拶に立てば、「バカヤロー」「いい気になってんじゃねえぜ」と大声で罵倒の野次が嵐のごとく降ってきたこともあったという”

かわいそうである。挨拶に出るだけで「バカヤロー」「いい気になってんじゃねえぜ」と怒鳴られる。こんな屈辱的なことがあってよいのか。しかし、これにはきっと事情があるのかもしれない。引用文を読むと、渋谷が非難されるのは彼の”出る杭的な言動”のせいだという。

”出る杭”

これはつまり、言い換えればこういうことである。

”野心家”

野心がある。平凡ではない。なにか斬新なことをやってやろうと出る。
しかし、それは他の平凡な人から見ればこういうことである。

”鼻持ちならないやつ”

鼻持ちならないのだ。なんだか人と違うことをやって、それをアピールしている。それがどうにも鼻持ちならない。だからこそ、つい、舞台で挨拶なんかをしていると「バカヤロー」と叫んでしまうのだ。

ところで、昨日、私はWikipediaの『rockin`on』についての文章から以下の部分を抜き出した。

”「ロッキング・オン」は外来思想としてのロックを日本の風土と日常生活の中に根付かせようとする一種の思想運動だったと言える”

もし、『rockin`on』が外来思想としてのロックを日本の風土に根付かせようとしていて、そして、その中心にいたのが渋谷陽一だとすれば、まさにその「外来思想としてのロック」こそ渋谷を「鼻持ちならないやつ」にさせた要因なのではないか。

例えば、次のような人間がいたとしたらどうだろう。

”やけに英語ばかり使う日本人”

いま、日本語は英語、あるいは外来語に溢れている。いかにも日本人らしい顔をした人が”スキームのアントンプレナーがキャッチアップできずにスタグフレーションしてしまった”などと言っていたら、それは”鼻持ちならない”。あまり話そうと思わない。

だからこそ、”渋谷”は挨拶をしたら、「バカヤロー」「いい気になってんじゃねえぜ」と言われる。ここには、日本人と英語、あるいは外来語をめぐる、どこか普遍的な構造がある。そうはいっても、私は”渋谷陽一”がほんとうに鼻持ちならない人間だったとは、まったく思っていない。ただ、Wikipediaの記述からこう考えられるわけだ。

ここで私はふと思い出した。ある坂のことだ。

”スペイン坂”

スペインにある坂のことではない。”渋谷”にある坂のことである。日本の坂なのに、そこには”スペイン”がある。ここにもまた、ある一つの”鼻持ちならなさ”があるのかもしれない。そうだ、私はスペイン坂に行かなければならないのではないか。

こうして私は、徐々に、渋谷へ接近している。


そろそろ渋谷を歩きたい 2020年12月7日

ひさびさに渋谷を歩こうと思った。

しかし私は、昨日思い出した”スペイン坂”について、ついネットで調べてしまったのだ。これでまた歩くことができない。

”東京都渋谷区宇田川町13番と16番の間にある道路の愛称。井の頭通りから渋谷パルコにいたる100メートル弱の勾配の緩い坂で、北側は階段となっている。”

スペイン坂とはこういう坂らしい。しかしどうしてスペインなのか。”オランダ坂”ではいけなかったのか、あるいは”アゼルバイジャン坂”とか”ペナン坂”だっていい。
スペイン坂の命名を決めたのは、内田裕夫という喫茶店の店主だという。以下に、また引用を載せよう。

”スペイン坂にあった喫茶店「阿羅比花(あらびか)」の店主・内田裕夫(やすお)は、写真で見たスペインの風景に心を惹かれ、店の内装もスペイン風で統一していた。1975年(昭和50年)、その2年前に渋谷に店舗を開業していたパルコから通りの命名を依頼された内田は、迷わず「スペイン坂」の名前を付け、命名後はスペイン坂の人々も協力して建物を南欧風にした

さて、ここでもう一つ”スペイン坂”の命名を決めるときに重要になってくるものが現れる。それが”パルコ”だ。西武グループの傘下として出発したパルコは、独自の文化戦略を行いながら、渋谷という街の礎を築いた存在だ。その戦略は、商業施設だけではなく、それらを囲む街全体を開発する独特の手法に支えられていたという。
紺野登はこんなことを述べている。

”この通り(注:スペイン通りのこと)で私たちが眼にするのはさまざまな「スペイン性」、「リゾート性」を表す記号である。たとえばそれは、南欧風の店舗デザイン、各国の国旗、植物、テラス、中庭(パティオ)……など、リゾートライフの換喩的記号(ある世界全体をパーツで表現する)群である”

まあ、平たくいえば、「海外のリゾートっぽい」あるいは「スペインっぽい」感じでスペイン通りを中心とする渋谷の街が開発されていったということだ。なるほど、たしかに私たちは”スペイン”ということばに、どこか”あこがれのリゾート感”を見出してしまう。だからここは”アゼルバイジャン坂”でも”ペナン坂”でもいけないのだ、ここは”スペイン坂”でなくてはならない。

そして、ここにも、あの”渋谷陽一”が壇上で「バカヤロー」といわれたような”鼻持ちならなさ”がある。つまりこういうことだ。

”スペインかぶれ”

なんでもスペインにかぶれている。たとえば、こうだ。

”朝からパエリアを食べる”

重くないだろうか。胃もたれしそうである。あるいは、

”週末は闘牛をする”

危なくないか。大丈夫なのか。

”時間にルーズ”

もはや、スペインでなくてもいいのではないか。というか、スペイン人に対する偏見ではないだろうか。
いずれにせよ、こんな人間がいるのかどうかわからないが、もしいるとすればそれはとてつもなく”鼻持ちならない”。いや、趣味嗜好は人それぞれだから好きにすればいいと思うのだが、やはりそこにはどこか”日本”らしくない”ある感じ”がつきまとう。

そして”スペイン坂”とはその”ある感じ”が色濃く凝縮された坂であり、そしてその周辺がすべて”スペイン”あるいは”リゾート”のように開発されたのだとすれば、渋谷にはこの、まだ私が言葉にできない”ある感じ”が渦巻いていることになる。

それはほんとうなのか、というか、歩いたほうがいいのではないか。歩くのか。


やっと渋谷を歩く、しかし 2020年12月8日

ひさびさに渋谷を歩こうと思った。

さて、私は渋谷にいる。ついにきてしまったのだ。
日本で一番有名な交差点といってもよい、スクランブル交差点の前には、これまた日本で一番有名だといってもいい”ハチ公広場”があり、そしてその周りにはテレビの取材班やら、あるいは”No マスクデモ”と謳った集団など、有象無象の人びとが群れをなしている。

しかし、私はそのような人びとにはさしたる興味はない。むしろ、私の興味は昨日ネットで調べてしまった”スペイン坂”にしかないといってよい。さあ、スペイン坂にいくぞ、あの”ある感じ”を探しに行くぞ、と思ってずんずん進もうと思った矢先、私はまた”ある感じ”に包まれた看板を見つけてしまった。

それが、これだ。



”渋谷駅”

妙にメタリックな、シュッとした看板である。私のつたない記憶によれば、昔ここにあった”渋谷駅”の看板は、普通のJRの駅の看板と同じようなものだったと思うのだが、いつの間にかこの看板に変わったらしい。”他の駅とは違うぞ”という謎の雰囲気に満ちた看板は、やはりどこか”鼻持ちならない”、いや、言い換えるならば私が昨日述べた”ある感じ”に包まれている。

そういえば駅の看板で思い出すのは、その奇抜な名前で有名になった”高輪ゲートウェイ”駅のことである。その名前もさることながら、話題に上がったのは、看板の字体である。それはたしか”明朝体”で書かれていたのだ。その高級感あふれる字体に対しては次のような意見が寄せられた。

”駅らしくない”、”なんだしゃらくせえ”、”気取りやがって”

これではまるで、壇上に上がって罵倒された渋谷陽一のようではないか。高輪ゲートウェイがかわいそうである。

ふつう、駅の看板は誰にでも見やすい”ゴシック体”で書かれている。それが、高輪ゲートウェイ駅ではどこか高級感があふれる”明朝体”だったという。それが、このような反応を引き起こしたのだろうか。

そういえば、もう一度渋谷駅の看板の字体を見てみよう。



おお、明朝体である。
ここで私は、”高輪ゲートウェイ”に人びとが示したような反応と、同じような反応をしたい。つまり、”なんだしゃらくせえ”と。
そこにもまた、あの、”ある感じ”がある。この、”鼻持ちならない”というような、なにかが。

さて、ここで私たちが考えなければならないのは、駅名におけるフォントの重要性である。たとえば、こんな字体を考えてみよう。

”ポップ体”

これはいやだ。つまり、それはこういうことだろう。



どこかまぬけな感じがする。

あるいはゴシック体で書いてみるとどうか。



これは、オーソドックスな渋谷である。どこかで私たちが見たような渋谷だ。



並べてみると、なんとも不思議な気持ちにさせられる。

私はふと、最初に書いたことを思い出した。

”いろいろな渋谷がある”

しかし、その中で今はこの”明朝体の渋谷”が選ばれているのだ。それはなぜか。どうして渋谷は”明朝体”なのか。そこにもまた、私が薄々感じている、あの、”あの感じ”が潜んでいる。では、”あの感じ”とはいったいなんなのだ。

渋谷の謎は深まるばかりである。


(続く)






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谷頭和希

ライター・作家。チェーンストアやテーマパーク、日本の都市文化について、東洋経済オンライン、日刊SPA!などのメディアに寄稿。著書に『ブックオフから考える』『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』。

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