台湾を100km歩いて、首狩り族の痕跡を探した

  • 更新日: 2020/04/02

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首狩りの風習があった

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昔、台湾北部の先住民には、首狩りの風習があったらしい。

日本が台湾を統治していた時代、政府はそれを恐れ、台湾先住民と領土の境界線があったという。その「知られざる境界線」は台北の南部にあり、その周囲では激しい戦いが繰り広げられていた。

2年前に境界線近辺に滞在したことがあるが、穏やかな田舎の町並みに市場が賑わう道などが広がっており、そこに背筋が凍るような緊迫した状況があったとは考えにくい。

まさかそんな話があるということは、全く知らなかったのだ。



その「知られざる境界線」の歴史を僕に教えてくれたのは、台湾の大学教授だった。

その方は、学生時代からアクティブで、中国の秘境に長期間住み込み調査を行ったり、台湾の先住民の狩りについて研究したりしたそうだ。何かの拍子にこの「知られざる境界線」と出会ったそうで、僕が何人かでお店で飲んでいるときに、そう言えば台湾にはこんな道もあるんだと教えてくれた。

文献を読み漁ったところ、どうやら桃園国際空港から大渓を通って、新北市の烏來に抜ける約100kmの道のりがその境界線と一致するようだ。日本が台湾を統治していたのは1895年から1945年。その期間内で、徐々に境界線が形成され、また消滅していったと考えられる。

その教授は僕が以前、東京から石川まで500km歩いたことを知ってくれていて、「ぜひこの境界線も歩いてみないか?」と声をかけてくれた。「ぜひやりたいです」とその場で即答した。



歩く本番は、2019年11月21日から23日と決まった。歩くコースの距離は約100kmで、桃園国際空港から烏來を目指す。期間は3日間なので、1日30kmちょっと歩けば良い計算になる。ちなみに、コース上の南西に位置する源古本舗からゴールの烏來瀑布までの道は山沿いを歩くことになるのだが、この道より北側が日本の統治政府の土地、南側(山側)が先住民の土地で、まさに両者の境界線を歩くコースとなっている。

体力的には自信があったが、土地勘のない台湾を歩くことになるので、迷ったら大変だ。僕は方向音痴なので、まず携帯のグーグルマップをきちんと確認ながら歩けるように、携帯の充電器を事前に3つも用意した。また、荷物は軽い服を選ぶなど、極限までどう重量を減らすかを考え、当日への準備を進めていった。



準備万端で、11月23日の午前3時に桃園国際空港に降り立った。歩く当日、バカ早い朝に到着する飛行機に乗ってしまって若干後悔をしたが、歩くモードに入ってしまえば気にならないだろう。大丈夫、大丈夫。あと、前日に「今、台湾には台風が来ています。」と連絡が入ってかなり焦っていたのだが、着いてみると少し風が強い程度で雨は降っていなかったので安心した。眠い目をこすりながら、さあ勢いに任せて、ワクワクする冒険の旅に出発だ。



少し休んで朝食を食べて、21日のお昼前には歩き始めた。大渓近くは看板の海。もはや、看板に看板がくっついているように見える。



檳榔(びんろう)の看板4つが密集。檳榔は日本でいうタバコのようなものだが、基本お店で売り子のセクシーなお姉さんが誘惑してくる。桃のイラストがお尻を想像させる。



大渓には、日本の明治や大正時代の建築を思わせるような建物がたくさんある。日本統治時代があったことの証しだ。つまり、ここは、台湾先住民の区域ではなく、日本の区域であったということだろう。



バイク用の安全帽のお店がたくさんある。種類も多い。店に入ると、圧倒される。99%交通安全のためだと思うが、もしや首狩りから身を守るためなのか…と想像せざるを得なかった。



道端には、丸焼きの鴨が売っている。ところどころ、おどろおどろしい物がある。



夜。とりわけ、何か大きな発見があるわけでもなく、1日が終了。まだ都会だからか、首狩りに関する大きな手がかりは少ない。



その夜、台湾の教授が用意してくれた宿の個室になんとも可愛らしいクマさんが寝ていた。異国の地で寂しい自分を気にかけてくれたのだろうか。



22日の朝は早かった。8時には歩き始めていた。徐々に田舎道となり、雲行きが怪しくなっていく。



こちらはセブンイレブン。大渓の郊外でもヤマハ、ホンダ、日産、ヤマト運輸、など日本でお馴染みの企業をよく見かける。日本統治時代の名残だろう。



獅子舞の劇団のようなものがあるらしい。立ち寄ってみた。



ふさっふさのゆるキャラのような獅子舞がどさっと保管されていた。ダイブしたいくらいモサモサしている。日本と少なからず獅子舞のルーツは近いが、造形が違う。



突如、ロードレーサーの大軍が押し寄せてきた。戦闘に挑む兵士のようにギラギラとものすごいスピードで走り去っていった。



途中から、だんだん怖い感じになってきた。朽ち果てたボロ屋が出現..。「出租」って台湾語で貸すみたいな意味らしいけど、余りにホラーすぎるので借りる人などいるのだろうか。もしかしたら首狩りの霊の誘いかもしれない。



しばらくして、奇妙な幼稚園を発見。巨大な守護神のようなものが入り口の両脇に立つ。小洒落た窓に統一された黄色の色調。幼稚園の前の信号機は一灯式…。子供は見なかった。



よくみると、幼稚園の入り口はかなり急坂。所狭しと大胆に仏像のようなものが並べられている。幼稚園児の勇気を試しているのだろうか。中まで入る気力はなかった。



途中、記念碑があった。読めなかったが、慰霊碑かなんかだろうか。日本が建設したらしい。丁寧にベンチとテーブルまで設置してくれている。



周辺の道路が黄色い土や金属の色に染まり、ただ事でないような空気感。いよいよ首狩りの本場に突入したような気配が漂う。



突如、生き物の気配を感じた。しかし、よく見たらヤギだった。のんびりと、水を飲んだり草を食べている。



入口がかなり厳重に見守られているお店を発見。中を見てみたいが、ためらってしまい、勇気の一歩が踏み出せない。



雨が降りそうな天気になってきた。重たい雲が空を覆い、のんきに走っているバイクのおっちゃんの真横には、ゴーストタウンのような高層ビルが立ち並ぶ。さあこいと僕を誘い、ジ・エンドの落書きを見たような気がする。



夕方に雨が降り出した。凍えそうである。肉まんを食べて、日本のものと同じような味であることを確認して、どことなく正気を保つしかなかった。



火葬場のようなものがあった。あれ、火葬場ってこんなに豪華な作りだっけ?柵が張り巡らされており、圧倒的聖域感...。



ガードレールに、南無阿弥陀仏。何かぶつけてしまったんだろうか。膝をこんっとぶつけた程度であってほしい。それにしても、この道はよく念仏の文字を見る。



泥だか、液体だかをブワッと被せられたような車。きちんと綺麗な家の前に収められているという違和感が残る。



小学校の塀沿いに埋め込まれた卒業生の顔。$の目をした子供は、お金が好きだったんだろうか。ウルトラマンのような顔やぐちゃっとなって原型がわからない顔もちらほら。



洞窟っぽい家を発見。勇気を出して、横の庭付近で15分くらい休憩をとってみたが、誰も出てこなかった。



日も暮れてしまった。夜道に爆音の歌声が聞こえてきたので、身震いしながら足取りを早め、恐る恐る覗いてみるとレストランの看板。外観はプレハブだが、入り口は美容院のごとく小洒落ている。奥で、カラオケでもできるのだろう。



近くの民家の水道管にCDが挟まっている。妙なコレクションの仕方だと思いきや、光の反射で何か獰猛な生き物を追い払いたいのだろう。もしや、首狩りか…。



歩き疲れ、徐々に意識は朦朧としていく。



こちら、台湾の先住民戦線へ向かう日本統治政府の基地があったとされる小学校。薄明かりに文字が浮かび上がる…。



肉が殺伐と並べられ、ハエが飛び交うような市場。ハエが集らないように、紐がゆらゆらと回転するが、それでも集ってしまう。鶏がこうべを垂れているのを見て、リアルな首狩りが本当にあったら..と考えると身震いする。



その日の夜は、焼肉を食べて寝た。




次の日の朝、最終日。新店の川沿いの道からスタート。



あれ、よく見ると、川を呑気に泳いでいるおじさんが…。



バイクの顔ってよく見るとカマキリっぽい。



徐々に田舎感が増していく。工場かと思いきや大量のバス。いざという時の出動に備えているのか。



ゴール付近まで、あと9kmかなり近くなってきた。茶色い看板は博物館がある目印で、首狩りについての手がかりが得られるかもしれない。



日本がこういう感じのダムも作っていたらしい。



突如、道端に物置が現れる。秘密基地にしたくなっちゃう穴。防空壕?



お寺の門に謎のマーク。鼻?



どどーん。鼻?家紋?カモン?



日本のライオングループなるものが作った記念碑。水と森の保全について思い出させるために作ったんだとか。はて、獅子舞のグループかな?と思ったが、無関係らしい。台湾の人に聞いたら、笑われてしまった。



さて、そろそろゴール付近の烏來エリアに入ってきた。このひし形のマークが先住民のシンボルらしく、至る所に見られる。祖先の目を表すらしい。見守られている感が半端ない。



こんなところにも。



え、こんなところにも。



おお、先住民発見と思いきや、像だった..。自分より背の高い像に驚く。昼間だったから良かったが、夜に通りかかったらかなり恐怖。



ぬいぐるみがありすぎて、ごみ山と化してしまった家。シマウマ率が高い。



さて、博物館に到着。大きな顔面がどーん。展示を見てみると、どうやら先住民にとって、首狩りは死後に霊界に入るための保証とされていたらしい。狩られた者は狩った者を守る霊となるようだ。また、狩った者は特別な衣服や装飾の着用を許され、入れ墨を入れられたらしい。なるほど、1つの尊い死生観だ。



イノシシの肉。こういうのも、狩るらしい。



ついに、烏來の街にゴール。結局、首狩りには出会えなかったものの、道中、疑心暗鬼になり様々な首狩りの痕跡(妄想)を見つけることができたのは収穫であった。同時に、日本統治下で台湾と日本がどのような関係にあったのかを垣間見ることができ、それは長い距離を時間をかけて歩いてみないとわからない日常の何気ない生活風景の中に、ひっそりとヒントが隠されているということもわかったのである。




次の日、教授の案内で、日本が整備した電力会社へ。



この周辺には、首狩り族を恐れた日本政府が、周囲に柵を張り巡らしていたらしい。今ではのどかにススキがたなびいている。

今はなき、戦場にたなびく、ススキかな。

素敵な徒歩の旅だった。




後日、台湾の政治大学というところに招いていただいて、この今回の徒歩の旅のお話をさせてもらった。実は、この政治大学に様々な面でサポートいただき、台湾の中にある日本を再発見するというテーマのもと、今回の徒歩の旅が実現していた。本稿では触れていないが、道中、台湾在住の日本人インタビューなども織り交ぜながら、日本と台湾の文化比較なども念頭に置きつつ、実際に歩いていたことを最後に触れておきたい。1回の徒歩も視点を変えれば、どうにでもなる。首狩りという新しい視点で、台湾での旅を振り返ってみたくなった僕のワガママをお許しいただきたい。







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稲村行真

文章を書きながらも写真のアート作品を製作中。好奇心旺盛でとにかく歩くことが好き。かつてはご飯を毎食3合食べてエネルギーを注入していた。

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