栃木で蔵をたくさん見た

  • 更新日: 2024/09/05

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蔵のある街並み

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用事のため、埼玉県越谷市へ出掛けた帰りに、ふと、「栃木に行ってみようかな」と思って、腕時計に目をやると、11時56分。この後、何も用事はない。
新越谷駅の蕎麦屋で、トロロ丼セットを食べている時に、どういうわけか、何年も前に見かけたポスターを思い出し、そんなことを考えついた。
栃木県栃木市という街の存在を知ったのは何年も前のことで、東武線の車内に、沿線の観光案内のポスターが掲げられ、栃木は蔵の街であることを知った。川沿いに古風な蔵が立ち並び、川の上にはロープが張られ、多数の鯉のぼりがなびく、そんな写真も印象的だった。
新越谷駅から栃木駅までは、途中の南栗橋駅で乗り継ぎする必要があるが、1時間半ぐらいで着く。



改札を抜け、真っ先に目に付いたのは電光掲示板に光る、「只今の外気温30℃」の文字。なぜこんな日に「栃木に行ってみよう」と思い立たったのだろう。




水分を調達しようとあたりを見渡すと、駅構内に「蔵」を発見した。白い自動販売機の頭に、それぞれ屋根が載せられて、「蔵」になりきっているようだ。




観光案内のパンフレットも「蔵」に納められ、真ん中に置かれたパンフには蔵のイラストまで描かれている。




マップを見てみると、予想以上に観光スポットがある。30℃の気温でもあるし、さて、どうするか。
でも観光スポットは、街の中心部に固まっているし、その辺りを散策すれば良いだろうと考え、街への一歩を踏み出す。




すると、また蔵がある。といっても、自動ドアを備えた近代的な蔵であり、これは観光案内所であった。クーラーが効いているだろうし、涼んでいこうと考えたが、30℃の気温に、心を決めて歩き始めた手前、ここはスルーした。




バス停の行先に、「国学院」と「京都・大阪」が同格に並んでいるのがちょっと面白いと思って、写真を撮った。
それ以外は、駅前は特に変わった物は無かったと思う。




駅周辺の街並みは、近年の駅舎高架化に合わせた再開発で出来たらしい。
先ほどの観光案内所の「蔵」を除き、交番・ロータリー・ビジネスホテル・学習塾・クリニックなど平凡なものばかり。しかし、5分ほど歩けば、昔ながらの街並みが現れ、「みつわ横丁 歌麿通り」の商店街のゲートと「栃木名産 かんぴょう」の文字に歓迎される。




古くからの街並みを見つけると、散歩のテンションが上がる。水道関連の商店、塗料の問屋、町中華などを見掛けるが、人通りは少なく、シャッターが閉ざされたものも多い。






先ほどの、「みつわ横丁 歌麿通り」のゲートまで戻り、この通りを進んでいくことにしよう。きっと、「みつわ横丁」と「歌麿通り」の商店街が続くのだろう。
最初に「みつわ横丁」が来るだろうと思ったが、入ってすぐの、のぼりには「歌麿通り」とある。これを抜ければ「みつわ横丁」か。





途中に古そうな橋があり、そばにはレンガ造りの立派な建物。ここだけ見ると、明治時代みたいだ。
町の郷土資料館のような施設だと見当をつけたが、看板を見ると写真館であり、明治2年創業とある。
建物は比較的新しく、おそらく明治時代の雰囲気を模したのだろう。店内には、昔の町の写真が展示されているそうだ。入って、見学すれば良かった。




明治の初めに廃藩置県が行われた時、栃木の町は、初代栃木県の県庁所在地だったそうだ。文明開化の象徴の一つだっただろう写真館が、明治早々に出来たのも、県庁所在地ゆえなのか。




七夕飾りを見上げながら行くと、再び、アーチ型の看板があり、「ミツワ通り共栄会」の色褪せた文字。
それほどの長い道のりではないが、歌麿通り・みつわ横丁・ミツワ通り共栄会と、名前がどんどん変わる。「歌麿通り」ののぼりは見かけたが、「みつわ横丁」の文字は見かけなかった。いつの間に通り過ぎたのだろう。




ビデオはソニーBetamax。




「ミツワ通り共栄会」には銭湯があり、看板には「金魚湯センター」とある。
ゲームセンター、バッティングセンター、多摩センター、日本文化センター、草加健康センターと、センターの付くものを思い浮かべるが、金魚湯センターは初めてだ。



ブルーの水中を泳ぐ金魚の絵が涼しげで、こちらを見る眼差しにキュートさを感じる。ここまでの道のりで汗をかいたので、ひとっ風呂浴びたくなるが、水曜日は定休日のようだ。



駐車場の看板の、金魚の絵も味わい深い。金魚湯に浸かってみたい。




ミツワ通り共栄会を抜けると、ようやく本物の蔵を見掛けた。
これは「見世蔵」と呼ばれる、蔵の一種らしい。倉庫としての蔵の建築技術を、店舗に応用したものらしい。二階の窓に付いた観音開きの窓が、いざとなれば耐火の役割を果たすのだろう。また、屋根の鬼瓦が重厚で、大風にもびくともしないだろう。

この見世蔵を皮切りに、「蔵の街」の風景が一挙に現れてきた。これこそ、何年も前に、東武線のポスターで見かけた風景だ。巴波川に沿って、白壁の蔵が立っている。



この一画だけ電柱がなく、黒塀には一切の貼り紙や看板などが無い。いつでも記念撮影OKの状態にスタンバイしている。
これらの建物は全て、塚田家という豪商のものだったという。塚田家は巴波川の水運を家業とし、日光から江戸へ木材を運び、財を成したそうだ。
現在は「塚田歴史伝説館」として公開されている。
入り口にの看板を見ると、なぜか「ハイテク ロボット」と、ホラーなフォントで書かれていて、「三味線ばあさんロボット」もいるらしい。水運で盛業したのは遠い昔のこと。今では、ロボットだ。時代は移りゆく。



三味線ばあさんロボットが気になったが、また今度お会いすることにして、今回は巴波川沿いを散策することにしよう。
巴波川には多数の橋が架けられ、いずれも年代物で、立派な物だ。
おそらくは戦前に架けられたと思しき、コンクリート造りの重厚なもの。当時は自動車も少ないだろうに、現代でも通用する強度と道幅で造られたのだ。今でこそ、中小規模の都市になっているが、かつての県庁所在地、そして塚田家のような豪商からの税収もあり、このような立派な橋が架けられたかもしれないな。





脇道に架かる小さな橋でさえ、年代物のコンクリートの橋だ。
蔵があり、絵になる風景。この小橋にも、荷馬車や大八車が行き交ったのか。






次に、街路灯を支えていたのであろう、古いコンクリートの柱を見つけた。
灯具は撤去されているが、柱の先端についた擬宝珠のような装飾と、コンクリートに付けられた模様が、今の時代には無い、お洒落を感じる。




川べりには四角い近代建築もあり、ハイカラを感じた。


水運で栄えた街ということで、巴波川沿いは見どころが多い。
「横山郷土館」と書かれた控えめな看板と、石造りの蔵が2棟、その間には商家がある。
歩いてばかりでは自分の少ない体力が持たないし、ちょっと見学してみようか。



横山家は、特産品である野州麻(やしゅうあさ)の問屋を営み、それで得た資金を元手に、銀行も経営した。そのため、横山家には二つの石蔵があり、右側は麻の保管庫、左側は銀行として使用したと、郷土館の方から説明を聞いた。
麻は衣類、下駄の鼻緒、漁網、蚊帳、また、携帯カイロの燃料など、生活必需品だったそうだ。
蔵の壁はすごく分厚い。蔵の内部には、かつての商売道具、生活用品、ひな人形や花嫁道具などの展示があった。
表からはその存在は分からないが、裏には広い庭園まである。
庭園の片隅には離れがあり、洋風建築であることが意外であった。メルヘンな色使いが、不思議と和風の庭に調和している。



近寄って、説明書きを見ると、大正時代にゲストハウスとして建てられたとのこと。当時からこのカラーリングだったそうだ。ずいぶんハイカラだ。



側面にも上げ下げ窓があり、この開放的な建物は、宿泊用というよりも、テーマパークや遊園地にありそうに思った。建物の前の花も、色合いがマッチして、一層のメルヘンな印象。表通りから見えない所に、メルヘンな空間を、しかも100年以上前に作るとは、相当お洒落なご主人だったのだろう。
母屋の縁側に腰掛け、庭をしばらく眺めると、どこからか心地よい香りが漂ってくる。





その香りの元を辿っていくと、白い花。花には疎いので、Googleレンズを向けると「くちなし」という回答。そういえば、荒井由実の「やさしさに包まれたなら」の歌詞に出てくる花だ。庭にくちなしの香り。あとは、雨上がりであったなら、100%の確率で歌詞を口ずさんでいた。






横山郷土館を後にし、近くには三階建ての、桜色の外観の洋館。メルヘンが続いている。




メルヘンの次は、「萬年筆病院」。これは、思わず立ち止まる。万年筆専門の修理屋だったのか?
だとすれば、今では失われた職業だろう。大昔は、鍋に空いた穴を塞ぐ職人がいたりとか、日用品は、壊れても修理して使うのが当たり前だったのだろう。最近はSDGsという言葉を聞くが、昔の生活から学ぶことは多い。




歩き疲れて、一服したくなってきた。
市街の中心には東武百貨店があり、ここなら涼めるだろう。
中小規模の都市に百貨店があるのが意外であるが、東武百貨店は1階のみの営業で、2階以上は市役所となっていた。東武の店内には日光金谷ホテルのベーカリーがあり、ご当地もの、かつ、甘味を味わいたく、菓子パンを買う。



菓子パンとアイスコーヒーが、身体に染みわたりる。汗でよれよれになった観光マップを眺めると、まだ街の半分も見ていないような気がして、焦る。
焦ったところで熱中症になっては敵わないので、マイペースが一番だと言い聞かせながら百貨店を出ると、重厚そうな四角い建物。これは元銀行だそうだ。




市街地の北側には、例幣使街道という道に沿い、古い街並みが残り、保存地区に指定されているようだ。
保存地区の入り口まで歩くと、看板建築がある。
昭和初期に建てられたそうで、かつては何の用途に使われた建物かは分からなかったが、バルコニー周りの装飾や、アーチのついた縦長の窓など、思わず、足を止める。



ローマの神殿を感じさせる柱のレリーフなど、細部も美しい。全体的には洋の印象を受けるが、バルコニーの窓は、古い旅館にありそうな木枠のサッシ。和と洋が絶妙に溶け込んでいる。



この看板建築を過ぎれば、おおむね白壁が基調の、和風の建物が連なる。見通しの効かないカーブが、いかにも旧街道な感じ。
既に1万歩を超えて、体力不足の身体からの、疲労をごまかし切れない。味わい深い通りなのに、日当たりを避けるように、早足に通り過ぎてしまった。勿体ない。










マリモのような、まん丸い植物がいる敷地があった。
風に吹かれたら、転がっていきそうだ。このような形状でも、根を張って生きているのか。大小さまざまなモフモフ。深夜、人間が寝静まると、彼らは動き回っていそうだ。



保存地区の全ての建物が、伝統的な建築というわけではなく、ごく普通の民家や店もある。
保存地区に立つこの美容院は、保存対象の物件ではなさそうだが、看板のネオンが良い。唇が赤く、夜になって、ネオンが灯されるとどんな感じだろうか。




電気屋さんのゾウさんのキャラも可愛い。




気付けば、保存地区のエリア外を歩いていた。なんの変哲もない住宅地に突如、黒壁に真紅の看板の妖しい建物があり、漆黒のブラックホールのように引き付けられた。黒壁にバンクシー(?)の絵。バンクシーはこんな所にも来たのか。


さて、そろそろ散歩の折り返しとしよう。スタート地点の栃木駅から市街地を北上してきたが、帰りは、「蔵の街大通り」という街のメインストリートを歩こうと思う。





蔵の街大通りは、古くから街のメインストリートだったのだろう。蔵だけでなく、その時々の流行りの建築様式の商店が並ぶ。レンガ造りの横には見世蔵の荒物店といったように、新旧・和洋の様々な建物が並んでいる。




横のラインが引き立ち、ひときわかっこいい理髪店の建物があった。
窓ガラスが3列に配され、建物の角のアールには曲面ガラスが使われていて、こだわりがある。
左側の端には何本もの直線の凸凹があり、アクセントとなっている。店構えと同様な、ダンディーな髪型にしてくれること、間違いない。入り口からちらっと、店内を伺うと、床のタイルがまた素敵で、内外抜け目なくお洒落だ。




大通りから横丁に入ると、渋い飲み屋の建物が目に付く。奥には寺。




「ヨーロッパの味」とあるご当地ハムメーカーのフレーズが、昭和の風景に、ひときわ食欲を引き立てる。




本日2本目の、コンクリートの街灯ポールを発見。この街は、街自体が蔵なのだ。路地裏にまで、思いがけないお宝がある。




大通りと横丁を行き来していると、蔵の街大通りと直交する通りの一つに、これまで見てきた街並みと雰囲気が異なるものがあった。




栃木の市街地は、個人商店や個人宅、あるいは豪商の建物など、建築年代もデザインも千差万別であるが、この並びだけ、同時代かつ同意匠の建物が連なっている。長さは100メートルほど。
ポケットから観光マップを取り出すと、ここは銀座通りと呼ばれる通りらしい。かつては、歩道にアーケードが掛けられていたそうだから、繁華な通りだったのだろう。
長い建物が連なる様子は、防火建築帯を連想した。

防火建築帯は、都市の不燃化を目的として昭和30~40年代に盛んに建てられた。建物自体が街の防火壁となるように、横に長いコンクリートの建物が連なるのが特徴だ。首都圏では、横須賀の三笠ビル商店街がその例だ。
この銀座通りが、防火建築帯なのかは分からなかったが、昭和30年代後半に、この一帯が火事に見舞われた後に再建されたのが、これらの建物のようだ。防火を意識しているのは間違いないだろう。




銀座通りを後すると、ブロック塀に色褪せた「安全太郎」を発見。



また、キリスト看板も発見し、文言と色合いにドキッとしつつ、栃木駅に帰着した。




2万歩余り歩き、見上げる駅舎は、三角形が多用されたデザインで、これは白壁の蔵が連なるイメージだろうと思った。




駅舎だけでなく、ロータリーを囲む屋根も三角三角しており、視界に多数の三角形。
出発時は気付かなかったが、無事に帰り着き、冷静になってみると、駅前の三角形の容赦ない数に驚く。




次の列車まで時間があるので、三角形がどれだけ多いのか、また、ロータリーの外側もそうなのか、再度歩き始める。
まず、駅前交番の屋根が三角形の屋根。




学習塾が集まる一角も、三角。




「理塾」も三角屋根で、四階部分だけを見ると、これは、白い土蔵に寄せているとしか思えない。




「ナビ個別指導学院」の建物も、ぱっと見は四角いが、庇がギザギザし、右肩には謎のピラミッド状の枠がある。一応、三角要素を兼ね備えている。




駐輪場の看板も言わずと知れた三角。三角形イコール、蔵という公式が、どうも成り立っている。




強引にその公式で駅前を眺めると、やっぱり三角形の多さが目に付いてしまう。




「蔵の街」は、栃木駅から少し離れた場所にあるが、”三角形=蔵”の公式で眺めると、駅前からすでに蔵の街が始まっているということか。


駅の反対側も気になってきた。栃木駅の北口は「蔵の街」の玄関口だが、南口方面は、観光マップを見る限り、めぼしい施設はなさそうだ。
南口に移動すると、確かに、人通りは少なく、住宅地がメインのようだ。だが、三角形の気配を感じる。



まず、向かって右のビルに載る、ピラミッド形状。




そして、左側のマンションは、側面が三角であった。




続いて、りそなクイックロビーの屋根、一応、三角。




三角。



三角。



三角だ。間違いない。


三角形は、蔵を象徴する記号であると信じ切った後では、なにもかもが見境なく蔵であると認識してしまう。
人通りのないことを確認し、頭の上に、腕で三角形のポーズをし、私も蔵の仲間入りをした。
駅に入り、電光表示の気温を見ると、まだ27℃もある。
このような日は、ぶ厚い壁に遮断された蔵の中の方が涼しいかもしれないな、などと考えているうちに、列車がやって来て、乗り込んだ。













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3街区

好きなもの:猫、古い建物、渋い店先、変わった看板、味わい深い駅舎、煤けた高架下、路地裏、休日のオフィス街のカフェ、年末年始の都心の静けさ

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