宇治にあった「垣間見」ミュージアム

  • 更新日: 2023/12/19

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垣間見るぞ

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京都の「宇治」といえば「宇治抹茶」や平等院鳳凰堂を思い浮かべる人が多いだろう。実は、そんな宇治にはもう一つ名物がある。それが「源氏物語ミュージアム」だ。

『源氏物語』は平安時代の女流作家・紫式部によって書かれた世界最古の長編小説。めちゃくちゃモテる光源氏という男がさまざまな女性と繰り広げる恋愛が軸となって進んでいく。その世界を味わうことができる博物館が宇治にあるというが、それはどういうものなのか。気になるので行ってみることにした。


宇治に来た


▲宇治駅に降り立つ

さっそくやってきた。宇治にはJRと京阪電鉄の二つの駅があって、それらは少しだけ離れている。「源氏物語ミュージアム」は京阪電鉄の宇治駅が最寄なのだが、今回は少し宇治の街を歩きたいということもあってJRの宇治駅から散歩をスタート。
駅前は、いわゆる地方のこじんまりとした駅のような感じで、ここが一大観光拠点だとは思えないほど、閑静だ。




茶、茶、茶

なにか、宇治っぽいものはないか、とぐるっと駅前を見渡すと、あった。



▲茶壺型のポスト

こういうの、好きだ。地元の名産が公共的ななにかに使われていることは、よくある。人によっては「安っぽい」と言うかもしれないけれど、それぞれの地方が自分の地域の名産なり名物なりをがんばって押し出そうとする姿がいとおしい。宇治といえば宇治抹茶。やはり宇治は抹茶要素が強い街なのか。

駅前から少し歩くと、



▲お?

なんか、看板が濃くないか?ファミマの緑が濃いのだ。ふつうのファミマと比べてみるとよくわかる。



▲普通のファミマ

宇治のファミマは深緑、つまり抹茶色、ということだろうか。そういえば京都のコンビニは周りの景観に合わせて看板が茶色のことがあるが、宇治のファミマは抹茶色だとは。これまた粋な話ではないか。

宇治、だいぶ「茶」を推してくる。



▲宇治茶の自販機

歩けば歩くほど茶を推している。これは宇治茶の自販機だ。最近自販機って結構、地元の名産とかいろんなものを売っている気がする。流行にも敏感な宇治のお茶なのである。


宇治、抹茶に頼りすぎ問題

ここで私が主張したいのが、「宇治、抹茶に頼りすぎ問題」である。
まずはこれを見てほしい



▲宇治抹茶ソフト。これはよくありますよね


▲ソフトの左隣には宇治抹茶たこ焼き。ここら辺から怪しくなる


▲ソフトの右隣には宇治抹茶餃子。とりあえず抹茶入れてない?


▲極め付けは抹茶ラーメン。抹茶必要……?


▲何色?

抹茶への依存度がすごいのである。とにかく「抹茶」を入れ込んでいる。そういえば駅前からずっとそうだった。「茶壺ポスト」に「抹茶色のファミマ」、「宇治茶自販機」ととにかく「茶」要素がすごい。とにかく宇治が一丸となって抹茶を押し出している様子が伝わってくる。

で、すみません。記事的にはここで絶対なにかしらの宇治抹茶系グルメを食べてレポートするべきなんでしょうが、今の時間は朝の9時。どこもやっていないんですよね。というわけで、いじるだけいじるタチの悪い冷やかし客みたいですが、そのまま源氏物語ミュージアムの方へ行きます。

これを見て興味が出た人は、ぜひ食べに行ってみてください。いじったけど、おそらく美味しいと思います。抹茶って結構、何にでも合うので。



▲大人の方には抹茶生ビールもおすすめです


源氏物語ミュージアムが始まるぞ

駅前の大通りをずっと歩いて行くと、橋に行き着く。その橋の手前から、平等院への参道が伸びていて、このあたりまで来ると観光地らしさが出てくる。



▲目の前の大きな鳥居を行くと、平等院。でも、今回は行かない



▲こういう看板が出てくると観光地らしさを感じる。こういうの、いいよね

源氏物語ミュージアムは橋を渡って少し行ったところにある。その前に行くと、思わぬ人に待ち構えられていた。



▲ミュージアムへいらっしゃい、的な

『源氏物語』の作者・紫式部だ。宇治は「源氏物語」の舞台の一つである。だからこの銅像もあるし、博物館もあるのだ。

いよいよ、源氏物語への道が始まるといったところだ。


宇治川の流れがすごい

橋の下が宇治川。横の方から河原へ降りることができるので、降りてみる。驚いたのは、流れがすごく急なこと。ゴウゴウと水が流れている。『源氏物語』の中で、ある女性が人生に絶望して宇治川に身を投げる、というシーンがあるのだが、この流れを見ると、そりゃ絶望したら身を投げたくなる急流だよな……と思う。ちなみにその女性は流されていたところをある僧侶に見つけられて助けられるのだが、それがいかに奇跡的なことであるのかも実感できる。



▲宇治川。写真ではあまり伝わらないけど、この流れが速いのだ。

アニメやマンガの「聖地巡礼」ってしたことがなかったのだが、こうして実際にやってみると、確かに現地に行くことの重要性というか、面白さが身に染みてわかる。現場に行くの大事。

そんなことを考えてから、橋を渡る。民俗学では「橋」というのは「異界への入り口」を表すものだとされているが、宇治川を超えて「源氏物語ミュージアム」という異界へ入って行く。期待度が増してくる。

住宅街の中を抜けて少し歩くと、



▲来ました

源氏物語ミュージアムです。なんだか鬱蒼としている感じだが、これもまた「異界」感を演出する。この奥に入り口があるのだろう。


さっそく中に入ってみよう

ここの展示は常設展示と企画展示、それから映像ホールで上映される映像展示から成り立っていて、結構広い。常設展示では源氏物語の概要がパネルで紹介されていたり、物語の中の場面がジオラマで再現されていたりする。



▲平安貴族が乗っていた牛車(ぎっしゃ)。今でも京都の祭で登場する。



▲『源氏物語』の主人公・光源氏が住んでいた邸宅、「六条院」のジオラマ。掃除が大変そう。


垣間見を学ぶ

特に面白いのはこのジオラマだ。



▲見ている……!

覗き見してますねえ。これ、平安時代の男性が行っていた「垣間見(かいまみ)」というやつ。現代風にいえば「覗き見」ということになるが、平安時代の女性は男性に顔を見せることがなかった。そこで男性たちは気になる女性の部屋を外から眺め、そこで顔を見てから恋愛が始まったりするのだ。これがちゃんとした社会的な行為になっているのだから平安時代はすごい。



▲じっくり見ている。

気になるのは、女性側からの見え方だ。こんなに至近距離から見られたら、いくらブラインドのようなものがあるとはいえ、その姿が見えるんじゃないか。その疑問を解決するために、こんなコーナーがある。



▲垣間見よう!

初めて聞く単語。「垣間見よう!」。そう言われてもねえ。
言葉のチョイスは独特だけれど、実はこのコーナーすごくて、垣間見の仕組みがわかるようになっている。

実は、垣間見で男が見えないのは、ブラインドで隠れているから、というのではなく、女性がいる室内と男性がいる室外との明度の差で見えなくなっているのだという。暗い場所からは明るい場所がよく見えるが、逆に明るい場所からは暗い場所はよく見えない。そういう光の性質を利用して、男性の姿は見えなくなっている。現代と違って、平安時代の屋外は、月の光ぐらいしか外を照らすものがなかった。そうすると、室内と屋外の明るさの差は今よりもより際立つ。そうした環境もあって「垣間見」は成立していたのである。



▲てなことがここには書いてあります。




実はこの箱は「垣間見体験マシーン」になっていて、明るさの差で相手が見えなくなることがわかるようになっている装置である。世界に一つだけの優れものだ。

では、さきほどのジオラマでも男の姿は見えなくなっているのか。と思って、女性側から見てみると



▲めっちゃ見えてる。

引くほど見えてますが、大丈夫でしょうか。ちょっと不安になるぐらいには見えております。

これはさっきの話でいえば、たぶんミュージアムの中で室内と室外の明るさの差がないのでバッチリ見えているということだろう。でも、明るさが変わっただけで、ブラインド越しにこれが見えるのは、なかばオカルトである。ベッドの下に男がいた、みたいな恐怖感がある。これが平安の日常だったと言うのだからなかなかびっくりする。


垣間見は続く

興味深いのが、垣間見に関する展示はこれだけで終わらないということだ。もう一つのジオラマも垣間見をしている。もはやここ、源氏物語ミュージアムというより、「垣間見ミュージアム」にしちゃってもいいのではないか、と思う。



▲こっちも大胆

こちらは、屋外の塀のようなものから中を見つめている。その視線の先にいる女性は大部分がすだれで隠されていて、こうなってくると、もはや見えているのかもわからない。



▲全体像。左側、少しだけ見えているのが、女性。

しかし、実際にこのように再現されているということは、少なくとも源氏物語にはこのような場面があるのだし、現実世界でもこのような垣間見が行われていたということだろう。


「垣間見」から想いを馳せて

一通り源氏物語ミュージアムを見て、外に出る。
源氏物語は一般的に三部構成になっているといわれていて、その第三部が「宇治十帖」といわれている。「宇治」を舞台にして物語が繰り広げられるのだ。いまミュージアムで見てきた世界が、この宇治の場所で繰り広げられていたのである。

ぼんやりしながら宇治駅へと向かう。せっかくだから、今ミュージアムでいやと言うほど学んだ垣間見でもしてやろうかと思うが、やめた。今やったら犯罪ですから。平安時代からずいぶんと時間が経ってしまったことを「垣間見」で感じるのだった。いや、「垣間見」で感じなくてもいいと思うのだけれど。



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谷頭和希

ライター・作家。チェーンストアやテーマパーク、日本の都市文化について、東洋経済オンライン、日刊SPA!などのメディアに寄稿。著書に『ブックオフから考える』『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』。

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