30代からはじめる内海

  • 更新日: 2025/07/08
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瀬戸内海の内海は「ないかい」だが、内海町の内海は「うつみ」と読む。うつみは「うちうみ」が変化したものだ。うちうみ、海の内側。島や陸地に囲まれたようになっている海のこと。外海とはつながっているが波はいつも穏やかで、湖に近い。

広島県福山市内海町。

ここには2023年の夏にはじめて訪れてから毎年来ている。瀬戸内の風景やゆったりと流れる空気がとてもいいし、なにより大学時代の友だちが住んでいるからだ。友人は横島という車で行ける離島に暮らしている。

家族や友人が住む場所は、人の移動に大きくかかわる要素である。土地自体をかなり気に入ったとしても、そこに知り合いがいるといないとでは再訪率が大きく変わるだろう。つまるところ「瀬戸内の島に友だち住んでる」は人生の豊かさに直結する。私はそれをこの三年で確信した。

滞在最後の日、友人は東京から来た私たちを連れて散歩に出かけた。

春の瀬戸内ってどんな感じだろうと思って今年は4月の終わりに来た。私のなかで「春」と「瀬戸内」の概念はどちらもパステルカラーをしている。友だちん家の近所にある寺の藤棚が、ちょうど概念と同じトーンだった。この春から急に桜以外の花の美しさに目がいくようになってきて、ついに私も大人の仲間入りかもしれない。



藤棚のカーテンをくぐった先には石の階段。そこをずんずん登ると墓地になっていて、よく見ると同じ名字の墓ばかり並んでいる。田舎によくある風景のひとつだ。

佐藤姓を背負ってきた私がよく直面するシーンで、コミュニティ内に同じ名字の人がいる、というのがある。基本的には下の名で呼ばれるのだが、中学時代、ある男の子に「かんなのほうの佐藤」と背中から呼びかけられたことがあった。なにそれ、と思いつつ振り向いて現れた彼のぶすっとした顔。女子に声をかけること(しかも名前で)への懸命なあらがいを瞬時に読み取り耐えきれず、笑った。さすがに多感すぎるって! 思春期まっただなかの彼のために我慢すべきだったが、無理だった。だって抵抗の結果フルネームより長くなっちゃってんだもん。

といった細かいエピソードを思い出しながら墓と墓の合間を縫って歩いていたら高いところに出た。それで、この墓地から見える景色がなかなかよいというのを知った。でも寺の名前はいまも知らない。こうして人が教えてくれた部分のピースだけが集まって、内海町のパズルがほんのちょっとずつ埋まっていくのを私は毎回たのしみにしている。



名も知らぬ寺を出ようとすると、住職らしき男性が話しかけてきた。私たちが東京から来たとわかると「何区から?」とひとりにたずねた。いま出会ったばかりの通りすがりの人間が東京のどこの区の出身かを気にする(しかも市じゃなく区で前提されている)所作は、かつて函館の鮮魚市場でも遭遇したことがある。

相手を詳細に知ろうとする姿勢は存在そのものへの賛美だ。この「何区から?」には、都会からわざわざこんな遠くまで来てくれてありがとう、あなたを歓迎します、の気持ちが込められていると思う。

世田谷区なら親戚が住んでいる話、北区なら昔の職場の同僚が飲み屋を開いた話。こういう場面で話しかけてくる人というのは全国各地どこの名前を挙げてもかならずそこに知り合いがいる。誰かを知り合い判定することへの気軽さがうれしい。このあと酒を一杯やりながら話せば、私に人生初の住職の知り合いができそうだよ。

彼は地元民のテンプレである「ここにはなんにもない」発言をしたあと、いまはいっさい内容を思い出せないさまざまな世間話をしては自分で笑った。そこに暮らす友人はちょっとこちらに面倒そうな視線を送りながら、はーい、ねー、そろそろ行きますねーと永遠みたいな住職の話にうまく区切りをつけ、中年から老年の人に対する慣れを発揮していた。





車が通れないような路地を抜け、人んちの軒下を通る。私の地元にもこういう風景はないわけじゃないけれど、よその田舎だと風情たっぷりにまなざすことができるのはやっぱり知らなさの恩恵だ。自分のなかにあるどの記憶とも結びつかない場所は、肺に新鮮な空気が入るみたいにきもちよい。

その先にある友人がやっている畑を見たり、隣家のよく手入れされた庭を眺めたりした。東京から一緒に来た友人のひとりも去年からシェア畑をはじめたし、もうひとりの友人もこれから移住して畑をやるらしい。ここ数年、私のまわりで東京脱出の気運がいよいよ高まっている。どうやらみんな田舎暮らしにときめきを感じているようだ。

昨日の夜は、みんなが畑の話で盛り上がって正直ついていけなかった。

友人たちが畑を持つようになる事実を、私はまだうまく受け止めきれていない。畑ってばあちゃんがやってるもので、いやいや手伝わされるもので、おいしいけど食べきれないもので、親戚やら近所やらにおすそわけするものだ。畑は地面にある。土地のしがらみそのものなのだ。田舎のそういうところが性に合わず東京に飛び出したもんで、みんながいる、畑を楽しむ地点にまだまだ精神がたどり着けない。や、自分で育てたものを食らうよろこびとかはわかるんだけどね。


▲友人の畑に生えていたこの花、食べられるらしいです

それから海のほうへ。船着き場にはものすごい数のクルーザーが停泊していた。友人も「船あると便利だからいつかほしい」と言う。個人所有の船が当たり前にある暮らしはかっこいい。島がぽつぽつと浮かんでいる瀬戸内海では、陸路よりも海路のほうが直線距離で動けて楽みたいだ。はー、かっこいいぜー。



近くの浜には小さな鳥居があった。というか島じゅうそこらにあった。友人に聞くと、鳥居があると人がゴミをポイ捨てをためらうという理由でこの辺に住んでるおじさんたちが設置したそうで、調べてみると全国のいろんなところに同じ発想の鳥居があるらしい。

逆にいえば、鳥居が置かれている場所はゴミが捨てられやすいポイントということだ。人は砂浜の真ん中ではさすがに良心に咎められるから、端っこにゴミを捨てていくのだろうか。それとも、潮の満ち引きと海風でここまでゴミが運ばれるだけなのだろうか。



しばらく浜辺をぶらついたあと、最後はしっかりと勾配のきつい坂道を登った先の高台にある公園に案内された。海から公園へと歩くあいだ友人は、近所の「お友だち」と料理を作って食べる会をはじめたという近況を話した。友人が島で仲良くしているお友だちは、60代以上がボリュームゾーンらしい。

公園に着くと花壇はきれいに整備されていて、大きな鯉のぼりがはためいている。友人は植栽の一部を指さしながら「この辺は私が手入れしたんだ〜」と説明したあと、鯉のぼりは近所のおじさんたちが子どもたちのために設置したと教えてくれた。とにかくおじさんたちが島のためにいろいろやっていることがわかった。

私の友人も含めこうして島の人は島のことを大事にしているし、他にどんな人が住んでいるかをよく知っている。新しく誰かが引っ越してくれば、その人がなんの仕事をしているか、単身なのか家族なのか、そういうことをみんなで共有している。互いが心地よく暮らすために紡がれてきた、土地の人びとの絆である。





ま、厄介なこともあるけどねーと笑う友人を見て呆気にとられ、ただただ鯉のぼりをぼんやり見つめることしかできなかった。彼女はすごい。絆をしがらみと呼ばない価値観がすなおにうらやましい。やっぱり私にはまだ、田舎は、ちょっと息苦しい記憶が勝ってしまう。よそ者として迎えられてここにいるだけでわたしゃ精一杯よ……。

それでも私はたしかに感じはじめている。自分の地元にもあったはずの、有限の安らぎみたいなもの。それを三度目の内海で、はじめて何かこう、よいものとして受け取ることができたのだ。



東京に出た田舎者のアイデンティティなんて捨ててしまいたいのに、どうしても自分から切り離せない。小さな世界にいらだつ10代の私は東京に自分が求める夢のような何かがあると信じていたし、まだ見ぬ可能性が大きく手をひろげて待っていた。東京は私の外海だった。競うように20代を泳いだ、とにかく遠く遠く知らないところへ。

どこまでも広がる水平線のむこうには、無限の世界がある。無限はいつでも光っている。光は集魚灯みたいに人を引き寄せ、しかしどこまで近づいても無限は無限のまま眩く向こうにある。何年経ってもたどり着く先が見えない。

そうして無限の大海に不安を感じるようになっていった。夢の波間に漂っているのはきもちいいけれど、いったい私はいつあの先に行けるんだろう。どこまで行けば満足するんだろう。もしかして無限の先に陸はないんじゃないか。いつまでも、どこにも着けないんじゃないか。



友だちが東京からどこかへ移住して畑をはじめる、そのスピードに私はぜんぜん追いつけない。みんなに追いつく日は来ないのかもしれない。18歳で意気揚々と上京した自分自身や、東京に住みつづけることを否定してしまいたくはない。それでもいま瀬戸内の、向こう側に終わりがある小さな海を見ると安らぐ。

有限の海に自分が暮らすかどうかは考えなくていい。春にだけ内海を泳ぐ鯉たちのようにこの先また何度も来て、心は都市と田舎のあわいに佇んだまま、ただ内海を好きでいることだってできる。外海とはつながっているが波はいつも穏やかで湖に近い、内海のことを。











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