夢で見た街を散歩する

  • 更新日: 2023/12/28

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秋だった。

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昔見て忘れられない夢がひとつある。
夢の中で、わたしはある学校の教師をしていた。
担当教科は国語で、霊園の近くのアパートに住み、生徒や同僚の教師の目を盗んで学内で煙草を吸い、授業をさぼってパンケーキめぐりをしていることがばれて炎上したことのある、三十代の女性の教師だった。
こんな夢を見たのはきっと現実世界でのわたしが金八先生と同じ髪型をしているからに他ならないのだが、それにしても折に触れて思い出してしまう変な夢だった。
霊園、と思って真っ先に頭に浮かんだのが、東京都豊島区雑司ヶ谷だった。
わたしは、この忘れられない夢を補完するために、夢の町の舞台であると思われる雑司ヶ谷へ赴くことにした。
阿佐ヶ谷駅から東京メトロ東西線直通の電車に乗って高田馬場で下車し、そこから徒歩で雑司ヶ谷界隈を目指すことにした。
なお、高田馬場には個人的な、ごく個人的な因縁があるため、写真は割愛させていただく。何卒ご容赦いただきたい。
高田馬場を降りて北上すると学習院大学に辿り着く。その周縁に沿ってしばらく歩いた。



大人になったらこういう段々のマンションに住めると思っていた。
いまのわたしは1階にガレージがあるアパートで慎ましく暮らしている。夢のなかのわたしもそれは同じだった。





前方から視線を感じてそちらを見やるとこいつがいた。
すっとぼけた顔だけどどこか憎めない趣がある落書きだ。きっとこいつとは仲良くなれそうだ。



歩いていてぱりぱりと音がしたのでうつむくと木から落ちたどんぐりが散らばっていた。
どんぐりを見て思い出すことが2つある。ひとつは言うまでもなく『となりのトトロ』で、もうひとつは、通学路に落ちたどんぐりを拾って食べていた同級生のMくんのことだ。
彼は生物と植物を研究するために京都大学へ行った。元気にしてるだろうか。まだどんぐりは食べているのだろうか。



さっきのあいつだ。
「全部うまくいくぜ」って言われてるような気がした。





すっかり秋めいている。大学の周りの小道に植えられたイチョウの木は、なんというか大学らしく整然と並んで黄色に染まっていた。



大学の南を端まで歩いて道を逸れると大きめの通りに出た。明治通りだ。
歩道橋の表示によるとここは豊島区高田らしい。雑司ヶ谷はきっとまだ少し先だ。





秋晴れの、散歩に相応しい日だ。



学習院下駅。東京で、このような簡素な駅舎が見られるのは幸せなことだ。
東京に残された唯一の都電。走る電車を見て、夢のなかでも、都電荒川線が走っていたような気がした。



ん……?



《壁》があった。
夢と現実との境に立っている壁みたいにわたしの往く手を阻んでいる。
今回の散歩もこれでおしまいかと思われたが、皆当然のように《壁》を登っていく。
思うに、《壁》を《壁》だと認識した時点で、それは《壁》として立ちはだかるのだろう。
わたしは《壁》を平坦な地上だと思い込み、先へ進むことにした。



《平坦な地上》? そんなわけなかった。肩で息をするわたしの背中を風が優しく撫でた。
壁の上から臨む現実の世界はちょっと綺麗に見えた。ここから先は夢の世界だ。



《壁》を越え、少し歩くと雑司が谷駅に到着した。
この地こそ、わたしが夢で見た街にちがいない。この辺り一帯を散策することが今回の散歩の目的だ。夢の要素を埋めるための散歩。胸が高鳴る。



案内図によると近くに公園があるらしい。
知らない土地に公園があると行きたくなるのは人の子の性である。(コメダ珈琲もそうだ。)まずは「雑司ヶ谷公園」を目指して歩くことにした。



映画『Dolls』にて、菅野美穂と西島秀俊が暮らしていた車を思い起こさせる。



工事中のときにのみ現れる特別な道がとても好きだ。
そしてこのような道は細ければ細いほど良い。からだを斜めにしないと通れないくらいでも。





雑司ヶ谷公園に到着した。
思っていたよりもこざっぱりとした公園だった。手すりやベンチ、看板など設備がとても新しい。さっき完成したみたいな公園だ。小学校の跡地を公園にしたらしい。
園内にはテラスもあり、そこで休む人もいくらか見受けられた。



夢のなかのわたしは、ときどきこの公園で昼食をとったり、本を読んだりしていたに違いない。





雨上がりのベンチが好きなのはわたしだけだろうか。
陽光を反射してきらめく水がとても綺麗だし、都内の公園ではベンチが埋まってしまっていることが多いが、濡れているベンチに座りたがる人は少ない。雨が降った翌日の昼下がりが落ち着いて過ごすことができるもっとも良いタイミングだ。
ベンチに座って、近くに咲いていた花をしばらく眺めて過ごした。夢のなかの自分になったような気持ちで。



わたしだ、と思った。



公園を出て散策を続ける。雑司ヶ谷霊園の方角へ歩いた。
この辺りは閑静な住宅街といった感じで、とても住みやすそうだった。



すごく怖いトラップを発見。かかったらひとたまりもないだろうな。



車に顔がついているとわたしはうれしくなる。



雑司ヶ谷霊園に到着した。まずは霊園の周りを散策してみる。空気が澄んでいてとても気持ちが良かった。夢のなかのわたしはここを一周、毎朝散歩していたことだろう。
霊園の周りに立ち並ぶ建物のどこかに夢のわたしが住んでいると思うと不思議な気持ちになる。



こちらこそメリークリスマス!



一周して、霊園に足を踏み入れてみた。高低さまざまな木々が秋の風に揺られて音を立てていた。みどりの匂いがする。
霊園を散歩すると決めたとき、すこしだけ緊張したのが正直なところだが、歩いてみるとそんなささやかな緊張はすっかり吹き飛んでしまった。



木彫りのふくろうの親子もわたしを見守っていた。



こちらの通りはいかにも秋らしく、みじかい秋を感じるのにこれほど相応しい場所はないだろうと思った。
黄色い落ち葉を踏みながら歩くとなんだかたまらなくなってくる。

歩いていて、ひときわ異彩を放つ巨大な墓石が目に入った。気になって、小道を逸れて木々の間を抜け、その墓石の方へ向かった。



夏目漱石の墓だった。
きっと、国語の授業で『こころ』を扱う前、夢のなかのわたしもここを訪れたのだろう。
授業をたびたび放り出す不良教師にもそのようなこころがあっていいものだ。
夢のわたしと同じように、夏目漱石先生へ祈りを捧げて、今回の散歩を締めくくろうと思う。

雑司ヶ谷周辺を散歩してみて、ここで暮らしてみたいと思った。夢のなかのわたしをすこしうらやましく感じた。
いつか、夢と現実の堺が融けてふたつが混じりあったとき、わたしは雑司ヶ谷の霊園の傍で慎ましい暮らしを送っているかもしれない。







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