東京チェーン散歩~ドンキ府中一号店と武蔵野を歩く

  • 更新日: 2019/03/14

東京チェーン散歩~ドンキ府中一号店と武蔵野を歩くのアイキャッチ画像

ドン・キホーテの変装をして勇壮なドンペン

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ロードサイドを行く

ロードサイドという言葉を聞いて、みなさんは何を思い浮かべるだろうか。

イオン?マクドナルド?洋服の青山?それともドン.キホーテ?

いずれにせよチェーン店が延々と立ち並ぶ、そうした風景を思い浮かべるのではないだろうか。

第3回目を迎える東京チェーン散歩、今回はこんなロードサイドの風景の中にある一店。

それが、こちら……。



東京西部は府中の



第1回目に引き続き、ドン・キホーテ、それも、「ドン・キホーテ府中一号店」である。

ドンキ府中店は国道20号、甲州街道沿いに立地していて、駅でいえば京王線東府中駅が最寄りになる。ロードサイドの風景を楽しみたいという人は府中駅から東府中駅に向かって国道20号線沿いに歩くことをオススメする。延々と大型チェーン店が立ち並び、「これが、ロードサイドってやつか……!」と身をもって体感できるからだ。



とはいえこの歩行にはわりかし覚悟がいる。つまり、「これがロードサイドってやつか……!」というのは「何もないってこういうことか……!」と感じることと同義だからである。ぼくはみなさんに、何もない風景を歩くことをオススメしたというわけだ。

とはいえこの「東京チェーン散歩」は、そんな「何もない」風景の中に面白さを見つけていこうという試みなのだから、ロードサイド、どんとこい、という感じである。

さて、そんなこんなで国道20号線をずっと歩いていると、突如、おかしな風車が目に入る。
その風車がある建物は、真っ黄色の外壁をしていて、垂れ幕があちらこちらに垂れていて、めちゃくちゃに派手。

これこそが、ドンキ1号店である。


▲国道20号線を歩いていると突然ドンキが表れる。写真上には風車が見える


ちなみに最初に目に入った風車、これは言うまでもないかもしれないが、スペインの文豪セルバンテスが書いた小説の方の『ドン・キホーテ』に出てくる重要なモチーフである。たぶんこの話はあとでもするから、今はとりあえず店内に入ってみよう。


ドン.キホーテ濃度高め



早速店内に入ると、いきなり「驚安の殿堂発祥の地 第1号店・府中」というプレートに出迎えられる。



それに、いつもはサンタ帽で無邪気な顔をしている、ドン.キホーテのキャラクター、ドンペンもキリっとした表情で甲冑なんか着ている。小説『ドン.キホーテ』の主人公、ドン・キホーテに扮しているのだろうか。

チェーン店の一号店は、そのチェーンで重要になる「精神性」、もしくは「志」みたいなものをもっとも色濃く持っている。ドンキ府中店もまた然りだ。だからこのドンキ府中店はぼくたちが「ドンキらしい」と感じるありとあらゆるものが詰め込まれている。それらを一つずつ見ていくだけでも頭がオーバーフローしてしまいそうになるほど店内は情報過多。ここに来るまでの、何もなかった風景がまるで嘘みたいに感じられる。

その代表例が、色とりどりのPOPたちである。



POPとは上の写真に載せたような、ドンキ特有の商品宣伝プレートのことなのだけれど、たぶん言葉で説明するよりいろいろと見てもらった方が早いと思うので、いくつか載せてみよう。





ぼくはこの誇張された、不可思議な文字を「ドンキ文字」と呼んでいるが、府中店はこのPOPだけ見ても相当な力の入りようである。過多なのは文字の形だけでない。情報量もだ。



それぞれのコーナーでこんなにも親切な、あるいはおせっかい(?)なプレートがドンキ府中店には大量に存在していて、お客さんの目を楽しませている。

さらにこのPOPにはもう一つの楽しみもある。ドンキのイメージキャラクター、ドンペンの「百変化」である。

ダンディになってみたり、



かわいくなってみたり、



救世主になってみたり……



と、まさにその伸縮自在な姿は百変化ともいわんばかりである。このドンペンが地域地域でどんな姿になってるのかを見るのも、ドンキめぐりの一つの楽しみだ。全国各地にいろんな姿のドンペンがいるが、ドンキ府中店、さすが一号店なだけあってドンペンの変身っぷりもなかなか気合が入っている。

何にでもなるポテンシャルを持っているもの、それがドンペンであり、そしてドンキ府中店もまたどんな姿にでもなれるポテンシャルを持っているとでもいわんばかりだ。


サバゲ―とエアガン

今度は売っているものにも目を向けてみよう。まず気になったのはこちら。



モデルガンがとっても多い。都内のドンキではこんなにたくさんの種類はないし、ここの棚には丁寧にモデルガンの使用方法を説明するパネルまでぶら下げられている。

なぜだろう。一つ考えられるのは、「サバイバルゲーム場」の存在だ。サバイバルゲームと(以後、サバゲ―)は、疑似戦争ゲームみたいなもので、チーム対抗でエアガンなどを使って実際に相手チームの人間を撃ったり、あるいは弾をかわしたりしながら遊ぶ日本発祥のスポーツゲームのことで、当然のことながらゲームにはエアガンとそこに詰めるBB弾が必要になる。



サバゲー場のフィールドがまとまっているサイトを参考にしながらその分布を調べてみると、最もサバゲ―場が多いのが千葉の北西部(佐倉周辺)、そして次に分布が多いのが八王子を中心とした23区外の東京、つまり府中を含む西東京なのである。そう考えると、府中のドンキにエアガンが多く置いてあってもそこまで不思議ではない。

そういえば、知人から聞いた話だが、八王子のドンキにはエアガン売り場どころか、その専門店までが付属しているらしい。

でその八王子市をさっきのサイトで見てみると………あった。サバゲ―場が3つ、密集しているのだ。やはりこの推測、案外当たっているのかもしれない。


競馬

ドンキ府中店に目を戻してみよう。ちょっとドンキ一号店の店内マップを見てみてほしい。



一階の左側を占めている催事場、ここで面白いものを見かけた。

ふつう、「催事」というと人は何を思い浮かべるだろうか。
クリスマスか、バレンタインデーか、あるいは節分やひな祭りのような日本の伝統的な行事を思い浮かべる人もいるだろう。

しかし、ドンキ府中店の催事は一味違う。

それは、



競馬である。

ドンキ府中店の近くには都内に2か所ある競馬場のうちの1つ、府中競馬場(正式名称は東京競馬場)がある。そしてぼくがドンキ府中店へ取材に行った日(2月11日)は、ちょうど東京競馬開催の日で、それにちなんだコーナーが設けられていたのである。

確かに競馬も催し物といったら催し物だけれど、しかしこの競馬コーナー、競馬にちなんだ売り場というよりも競馬にかこつけて在庫処分の500円均一セールを行っているところがまたドンキらしい。



競馬場が近くにあるドンキなんてあまり存在しない。だから催事場でこうした試みを行っているわけだが、これもまた、ドンキ府中店の地域ならではの特徴といえるだろう。


広々とした土地?

サバゲ―場と、競馬場。

ドンキ府中店をよく見つめると、この2つの「場」が見えてきた。一見するとこの2つは関係なさそうに見えるが、実はこれらが「西東京」のこの地にあるということは深い意味を持っている。

なぜならそれはどちらとも「広い土地」があるからこそ成立する「場」だからなのである。

屋内型のサバゲ―場が都心で増えつつあるが、それでもやはりサバゲー場は広いフィールドがあってこそのものだし、競馬場もまた、都心のビルやら建物やらが密集している地域では作りえない、広い土地があってこその産物である。

広々とした土地。この言葉にぼくは、かつてこのあたりの地域について書かれた作品を思い出すのだ。
それは、国木田独歩の「武蔵野」という作品。この中で彼は武蔵野について何度も繰り返し「広い平原である」と書いている。



▲国木田独歩「武蔵野」の表紙。表紙の絵だけでも、「広々とした武蔵野」がイメージされている


▲明治の画家菱田春草が描いた武蔵野。このようにいろいろなジャンルにおいて広々とした原野としての武蔵野が表された


この「武蔵野」という言葉、「武蔵野線」やら「武蔵野劇場」なんて言葉で一般に知られている言葉である。しかし、よくよく考えてみると一体「武蔵野」とは具体的にどんな範囲を指すのだろうか?

いろいろと調べてみると、どうもこの定義、各所によってかなりばらつきがあるみたいだ。
でも、広辞苑を引いてみると、驚くべきことに武蔵野とは「府中まで」と書いてあるではないか!

ドン・キホーテがある府中は、この「武蔵野」のキワだったのである。なるほど、そうすると、広々とした土地がある「武蔵野」のドン・キホーテには、その土地にふさわしい品ぞろえやら、店内装飾がなんとはなしに施されていたのである。


2つのドン・キホーテ(ドン.キホーテ)

武蔵野のキワにあるドン・キホーテ。

それが、このドンキ府中店である。
そういえば、もう一度、あの、派手な店外装飾に目を向けてみよう。



いやはや、この「ドン・キホーテ」度は高い。騎士物語を読みすぎて自分がホンモノの騎士だと勘違いしてしまったドン・キホーテに扮するドンペンと、後ろには彼に付き従うサンチョ・パンザに扮したドンペン。



彼らは店外装飾にもある、風車を目指して突き進んでいる。
そもそも、みなさんはドン・キホーテの物語を読んだことはあるだろうか?

実はあまりにも有名なこの物語、生まれの国であるスペインでも、そのあまりの長さのためにすべてを読み切る人は少ないのだそう。かいつまんでいえば(本当にかいつまんでいるので悪しからず)、騎士物語を読みすぎて夢と現実の区別が付かなくなってしまったドン・キホーテが忠臣サンチョ・パウザを連れて虚実ない交ぜになった冒険に出かける、とそんな話だ。

ここでぼくたちははっと気づかなくてはならない。
そうなのである。(なにが?)

ドン.キホーテが武蔵野の「キワ」にあるのと同様、この「ドン・キホーテ」の物語も「現実と虚構のキワ」にあるのだ!

そうすると、武蔵野の「キワ」に初めて出現したドン.キホーテは、びっくりするぐらい的を得た立地だったのではないか?

「キワ」としてのドン.キホーテ/ドン・キホーテ。予想以上に、ドンキ府中店は奥が深いのかもしれない。


「キワ」としてのドン.キホーテ

このドンキは「武蔵野」という空間の「キワ」にあるだけではない。時間の「キワ」でもあるのだ。時間の「キワ」とはなにか。それは、現代に過去の痕跡が色濃く残る、そんなポイントだ。でもそんなことをいったら、だいたい東京であればどんなところでも「過去の痕跡」は、遺跡やら史跡といった形で残っているだろう。

でもこのドンキ、ただ過去の痕跡が残っているだけでない。というか、過去の痕跡なんだかどうなんだかわからない形でその姿は現れ出ているのだ。

これを見てほしい。



これはドンキ府中店の店内の写真だ。このように店内はお城風の店内デザインが施されており、階段のところも、



こんな感じであたかも宮殿の大食堂のような絵が描かれている。

そういえばさきほども紹介したが、ドンペンもまた、こんなかっこいい騎士――ドン・キホーテのイメージなのだろうが――に変身している。



しかしこの中世のお城のイメージ、いったいどこからやってきているのだろうか?

単純に考えるならば、ドン・キホーテの物語が連想させる「中世」のイメージをそのまま、そのデザインに使用したのだろう。しかしぼくはここでとある妄想にふけってしまう。

時をさかのぼること奈良時代。この府中の地にはヤマト政権が全国を統治する際に各地域に作った国府が存在していた。それは一種の政治機構であり、そして軍事的な拠点でもあって政治・経済・文化の中心地となっていた。まさに「城」だったのである。


▲国府のイメージ。このような宮城が全国に存在していた(「世界の歴史まっぷ」より)


この国府は現在の東府中から府中のあたりにかけて存在していたと思われており、「武蔵国府跡」として古墳やら、建物の遺構やらが府中の周辺でたくさん発見されている。


▲ここで武蔵国府跡の様々な情報が見られる


ある意味でそうしたかつての古代宮城の名残が形を変えてドンキ府中店には表れているのかもしれない。

そうした意味においてドンキ府中店とは、現代の中に(捉えようによっては)古代的な意匠がそっと表れていて、現代/古代という時間の臨界面、つまり「キワ」に存在しているのではないだろうか?


武蔵野からチェーン店を眺めて

もちろん今までの東京チェーン散歩と同じく、これはぼくが抱いた一種の妄想に過ぎない。でも今回ドンキ府中店を眺めるに当たって考えてみた「武蔵野」という視点は、チェーンを考えるにあたってもとても重要になる視点だと思う。

というのも、そもそも現在ぼくたちがよく知っているようなチェーン店の始まりは、その多くがロードサイド、つまり国道の広い道沿いに作られたものが多いからである。ドンキ府中店もまた、国道沿いにそれなりの広い土地があったからこそ、その立地が決定されたのだ。

そしてこうしたロードサイド沿いにある街の多くは、かつては栄えていた街であった場合が多い。例えば西東京の八王子であっても、現在はいわゆる「郊外都市」に分類されてしまうわけだが、その由緒は非常に古く、厚い歴史の地層がある。

これはなぜだろう。理由の一つとして考えられるのは、国道が通されるような広い道は、奈良時代のような昔から、中央への貢ぎ物などを運ぶために整備された道の名残り(これを古道という)を受け継いでいるものが多いからである。
かくいうドンキ府中店が立地している甲州街道も、その一部は古甲州街道というヤマト政権が通した街道の一つと被っているし、近くには品川道という、これまた古道の一つの名残が残っている。

古い歴史の地層を持っているロードサイド。



しかしそこは、現在において――初めに見てきたように――「何もない」郊外の代表例であるかのように扱われている。もちろん実際、そこに足を踏み入れてみれば口を突いて出るように「何もないなあ」といってしまうことは事実である。見たことのあるチェーン店には、見たことのあるような商品ばかりが並べられている。

しかしそこに「歴史」のフィルターを通してみるとどうだろうか?

そこには、ドンキ店内のド派手なお城の装飾が、古代の宮城の跡に重なるように存在しているのが、たしかに見える。



「何もない」郊外など存在しない。むしろ、「何も見ていない」ぼくたちがいるだけで、「どのように見るか」を工夫すれば、そこには豊饒な風景が広がっているのではないか。
そしてチェーン店もまた、「歴史」というフィルターを通すことによってより豊かに見ることが出来るのではないだろうか。

そんなことを、府中で一人考えていたのだった。






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谷頭和希

ライター・作家。チェーンストアやテーマパーク、日本の都市文化について、東洋経済オンライン、日刊SPA!などのメディアに寄稿。著書に『ブックオフから考える』『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』。

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