多摩川沿いを歩いていたら生き別れの布田と出会った〜人気駅の隣駅さんぽ〜
- 更新日: 2023/07/13
わがままバデー
こんにちは、生年月日です。
突然ですが「布田(ふだ)」という駅をご存知でしょうか?
調布市にある京王線の駅なのですが、各駅停車しか停まらないためなかなかに影が薄い駅なのです。
私はこの各駅停車しか停まらない駅というのが大好きで、ラッシュアワーの快速電車に揺られながら人気のない駅のホームを通過する際には、なんともいえないむず痒さを感じてしまいます。
ということで、以前より気になっていた京王線布田駅周辺を散歩することに。

「布田」の由来は、かつてこの辺でエラい量の布が生産されてたらしく、布の田んぼという意味でこの地名になったそう。

駅前は広々しています。情報量が少なすぎて頭が狂いそうです。

地上の線路跡地はまだ殺風景。いつか下北沢みたいになるのでしょうか。

駅の北側は、“あの”三鷹市。鉄道空白地帯と化しており、一度進むとしばらく駅にたどり着くことができないため、

布田駅の南側に向かって歩みを進めます。

駅前の通りは「布田南通り」という通りなのですが、脇道の方がオモロそうなので、脇道をゆきます。

こういう跡、なんだかそそられますね。

脇道を歩くのは楽しいです。ぐんぐん進んでしまいます。
たとえその先が行き止まりだとしても。

申し訳程度の送りがな。

さっきは「行キ止リ」だったのにこっちは「行止マリ」。
ミステリーなのです。

自販機を実家の冷蔵庫みたいにしてるヤツがこの辺にいる。

先ほどの線路跡地に来てしまいました。

調布〜布田間は駅間が狭いので、普通に調布駅前のビルを目視できます。そのくらいの距離感。

む...。

出待ちとかされんのかな。

住宅街の狭間に突如として公園が出現しました。

かなり生い茂っていますが、ベンチまでの道のりだけ雑草が生えてませんでした。きっとこの公園の利用者は成人が大半なのでしょう。

タンポポが生えています。とても可愛い。

種ぇ、飛ばしてみますか。

フーッ

フーッ

シクシク...ポロポロ...

情緒不安定になってしまったので、一旦大通りに出て体勢を立て直します。

と、言いつつまた脇道へ。そういう性分なのです。

公園にはバネ系の遊具が。例によってパンダの目がイっています。公園の遊具の動物は目がイきがち。

パンダ公園を後にすると、また公園らしきものに出会いました。

立て看板がザッと一通り注意してきます。そして、「公園」の2文字。やはりここも公園のようです。

平成生まれの石碑が佇んでいます。私より年下なので敬意は払いません。

何やら意味ありげな広場ですが、概要説明してそうな看板が大破しており確認不能。

入り口付近にまた立て看板が。見に行ってみましょう。

おや、どうやらここは古墳だったようです。
5世紀前半〜7世紀前半にかけて造られた「下布田古墳群」のうちの一つで、都内最大級の円墳だそう。
ピラミッドやら古墳やら、実用性の有無に関わらず何かを積み上げて高い建造物を作るというのは、人間の性なのでしょうか。不思議です。

雲行きがガンガン怪しくなっていきます。

また公園が現れました。また古墳チャンスなのかもしれない。

あたりを見渡すも、入り口の注意看板の他に立て看板は見当たらず。謎に包まれています。

パンツが落ちており、不快です。

ベンチ近くには空き缶とタバコの吸い殻。謎は深まるばかりです。

先ほどの公園から坂を下った場所に水田がありました。ふるさとを思い出します。「望郷じょんから」でも歌ってみせましょうか。

水面に映る雲が綺麗です。

写真だと分かりにくいですが、オタマジャクシが泳いでいます。サイズ的にアマガエルでしょうか。かわいい。

また布田南通りに出てきてしまいました。うっかり。

注意喚起の上に辛辣さをプラス。

何やら気になる看板がありました。

どうやらこの道沿いに計9点の彫刻作品が設置されているようです。ちょっくら観察していきましょう。

一つ目は「harmony」という作品。まさにハーモニーといった感じで、何かが私の中で調和したような気がします。嘘ですが。

横から見ると知恵の輪っぽくてよいです。見てて楽しくなりますね。

二つ目の作品はこちら。作品名が予測できません。

「生命の樹と授かりものたち」。初見クリアは不可能です。

えらくヘソのえぐれたふくよかな女性に、鳥が2羽停まっているところが気に入りました。

何があったんだよ。

なにか...鬨の声が聞こえます...。

奥のグラウンドで、若者たちがアメフトに興じていました。「ガチッ!」という力強い音が響き渡っています。

先ほどの散歩道に戻り、彫刻巡り再開。三つ目の作品はこちら。
お魚くわえたドラ猫系のデザインですね。

「花の柱」。柱は分かるんですが、柱の中身のヤツらは誰なんでしょう?鬼滅の刃みたいなこと?花柱ってことでいいのでしょうか。

すみませんでした...。

四つ目の作品はこちら。もうすでにフォルムがいい。

めっっっちゃ煽ってきてますが、腹を立てたら負けです。大人ですから。

背中にも顔らしきものやら何やらがひしめき合っています。今の所この作品が1番好きです。

「リバイアサン」という名前だそう。ヴァではないのです。

お次はお月さんのようなこちら。こちらは先の看板に書いてあった9つの彫刻には含まれない番外編らしいです。

町村制100年・平成元年記念として造られたオブジェだそうです。このオブジェもまた私より年下です。

隣のあいつが存在感を放ってきます。5尺6寸(170cm)はあろうかという巨体です。

五つ目のオブジェが現れました。ポコポコ穴が空いていて可愛らしい。

「風のフォルム」という作品。そう聞くと若干「翼」感があるようにも感じます。

計1キロの散歩道に彫刻が転々としているのですが、それぞれの彫刻間に結構距離があるのと、周囲に観察できるところがあまりないので、チベットスナギツネみたいな顔になってしまう。

六つ目はこちら。可愛いおかっぱちゃんが頬杖ついて空を眺めています。

「童の夢」。1992年生まれだけど、まだ「童」なのです。

散歩道の脇に紫陽花が咲いていました。とても綺麗。

虫取り少年大喜びの彫刻がやってきました。上に乗ってる風神みたいなやつもかなり気になる。

「プリアテル(友達)」
プリアテルという単語は、旧ユーゴスラビアの言語で「友達」という意味らしい。
フォルムといいテーマといい好きすぎる。リバイアサンからプリアテルに推し彫刻を変更します。

8つ目はこちら。多分伝わらないと思いますが、ビーストウォーズを思い出すんダナ。

「大地の使者」というそう。ライノックスじゃなかった。

あれ...なんか怖い...。

9つ目は夜に見かけたらチビりそうなこちらの作品。

「Nymph」ギリシャ・ローマ神話に出てくる妖精の名前だそうです。
諸事情で「Nympho」という単語なら知っていたのですが...。自分の無知を痛感しました。

ついに彫刻のある散歩道も終わりを迎えました。残念。普通に楽しかった。

ついに多摩川に辿り着きました。下流なので川幅が広くて見応えがあります。

勢いで向こう岸まで渡ってしまおうと思いましたが、なかなか橋が見当たらず。
どうやら和泉多摩川駅の辺りまで歩かないと橋がないようです。

かなり長いこと歩きましたが、無事対岸に渡ることができました。土手の側ではナイン(野球少年)達が綺麗な汗を流しています。

こちらではイレブン(サッカー少年)達が、声を上げて熱いプレーを見せています。

しばらく歩くと「中野島の渡し」と書かれた柱が。
かつてここから船が出ていて、東京に野菜や果物などを運搬する役割を担っていたそう。
「東京に」ということはつまり、ここは既に神奈川なのです。多摩川が都県境になっていたんですね。

なんだか今の時代に生きていると、川を渡るのに舟が必要とはなかなか考えられませんが、この景色を見ると納得。
普段の自分が、当たり前じゃない当たり前を享受しまくっている事を実感します。

ふとフェンスに目をやると、街区表示板には「布田」の2文字が。しかし私は多摩川を渡り、既に神奈川県に突入したはずなのです。
もしかして、私は布田から一生脱出することができないのではないか。
ゼルダシリーズの迷いの森みたいに、強制的に振り出しに戻されてしまうのではないか。
そんな恐怖に駆られて、地名について調べてみました。

実はこの辺り、元々は一つの地域だったそう。
しかし、多摩川の流路の変化につれて次第に地域が分断されていったようです。江戸時代には既に現在に近い地形になっていたとか。
そののち、明治末期に東京府と神奈川県の境が多摩川に沿って引き直され、それが現代まで続いているとのこと。
なんだ、迷いの森じゃないのか。
しかし、生き別れのきょうだいみたいでアツいですね。

17時を知らせるチャイムが街に響き渡っているので、駅に向かいましょう。

ということで、布田散歩は終了。
今回の記事は、情報界の「中野島の渡し」になれたでしょうか。
…。
お後がよろしいようで。
突然ですが「布田(ふだ)」という駅をご存知でしょうか?
調布市にある京王線の駅なのですが、各駅停車しか停まらないためなかなかに影が薄い駅なのです。
私はこの各駅停車しか停まらない駅というのが大好きで、ラッシュアワーの快速電車に揺られながら人気のない駅のホームを通過する際には、なんともいえないむず痒さを感じてしまいます。
ということで、以前より気になっていた京王線布田駅周辺を散歩することに。
散歩開始

「布田」の由来は、かつてこの辺でエラい量の布が生産されてたらしく、布の田んぼという意味でこの地名になったそう。

駅前は広々しています。情報量が少なすぎて頭が狂いそうです。

地上の線路跡地はまだ殺風景。いつか下北沢みたいになるのでしょうか。

駅の北側は、“あの”三鷹市。鉄道空白地帯と化しており、一度進むとしばらく駅にたどり着くことができないため、

布田駅の南側に向かって歩みを進めます。
さっそく脇道に逸れる

駅前の通りは「布田南通り」という通りなのですが、脇道の方がオモロそうなので、脇道をゆきます。

こういう跡、なんだかそそられますね。

脇道を歩くのは楽しいです。ぐんぐん進んでしまいます。
たとえその先が行き止まりだとしても。

申し訳程度の送りがな。

さっきは「行キ止リ」だったのにこっちは「行止マリ」。
ミステリーなのです。

自販機を実家の冷蔵庫みたいにしてるヤツがこの辺にいる。

先ほどの線路跡地に来てしまいました。

調布〜布田間は駅間が狭いので、普通に調布駅前のビルを目視できます。そのくらいの距離感。

む...。

出待ちとかされんのかな。
公園が出現

住宅街の狭間に突如として公園が出現しました。

かなり生い茂っていますが、ベンチまでの道のりだけ雑草が生えてませんでした。きっとこの公園の利用者は成人が大半なのでしょう。

タンポポが生えています。とても可愛い。

種ぇ、飛ばしてみますか。

フーッ

フーッ

シクシク...ポロポロ...
大通りに戻る

情緒不安定になってしまったので、一旦大通りに出て体勢を立て直します。

と、言いつつまた脇道へ。そういう性分なのです。

公園にはバネ系の遊具が。例によってパンダの目がイっています。公園の遊具の動物は目がイきがち。

パンダ公園を後にすると、また公園らしきものに出会いました。

立て看板がザッと一通り注意してきます。そして、「公園」の2文字。やはりここも公園のようです。

平成生まれの石碑が佇んでいます。私より年下なので敬意は払いません。

何やら意味ありげな広場ですが、概要説明してそうな看板が大破しており確認不能。

入り口付近にまた立て看板が。見に行ってみましょう。

おや、どうやらここは古墳だったようです。
5世紀前半〜7世紀前半にかけて造られた「下布田古墳群」のうちの一つで、都内最大級の円墳だそう。
ピラミッドやら古墳やら、実用性の有無に関わらず何かを積み上げて高い建造物を作るというのは、人間の性なのでしょうか。不思議です。

雲行きがガンガン怪しくなっていきます。

また公園が現れました。また古墳チャンスなのかもしれない。

あたりを見渡すも、入り口の注意看板の他に立て看板は見当たらず。謎に包まれています。

パンツが落ちており、不快です。

ベンチ近くには空き缶とタバコの吸い殻。謎は深まるばかりです。
田んぼが見えてきた

先ほどの公園から坂を下った場所に水田がありました。ふるさとを思い出します。「望郷じょんから」でも歌ってみせましょうか。

水面に映る雲が綺麗です。

写真だと分かりにくいですが、オタマジャクシが泳いでいます。サイズ的にアマガエルでしょうか。かわいい。

また布田南通りに出てきてしまいました。うっかり。

注意喚起の上に辛辣さをプラス。
「彫刻のある散歩道」に出会う

何やら気になる看板がありました。

どうやらこの道沿いに計9点の彫刻作品が設置されているようです。ちょっくら観察していきましょう。

一つ目は「harmony」という作品。まさにハーモニーといった感じで、何かが私の中で調和したような気がします。嘘ですが。

横から見ると知恵の輪っぽくてよいです。見てて楽しくなりますね。

二つ目の作品はこちら。作品名が予測できません。

「生命の樹と授かりものたち」。初見クリアは不可能です。

えらくヘソのえぐれたふくよかな女性に、鳥が2羽停まっているところが気に入りました。

何があったんだよ。

なにか...鬨の声が聞こえます...。

奥のグラウンドで、若者たちがアメフトに興じていました。「ガチッ!」という力強い音が響き渡っています。

先ほどの散歩道に戻り、彫刻巡り再開。三つ目の作品はこちら。
お魚くわえたドラ猫系のデザインですね。

「花の柱」。柱は分かるんですが、柱の中身のヤツらは誰なんでしょう?鬼滅の刃みたいなこと?花柱ってことでいいのでしょうか。

すみませんでした...。

四つ目の作品はこちら。もうすでにフォルムがいい。

めっっっちゃ煽ってきてますが、腹を立てたら負けです。大人ですから。

背中にも顔らしきものやら何やらがひしめき合っています。今の所この作品が1番好きです。

「リバイアサン」という名前だそう。ヴァではないのです。

お次はお月さんのようなこちら。こちらは先の看板に書いてあった9つの彫刻には含まれない番外編らしいです。

町村制100年・平成元年記念として造られたオブジェだそうです。このオブジェもまた私より年下です。

隣のあいつが存在感を放ってきます。5尺6寸(170cm)はあろうかという巨体です。

五つ目のオブジェが現れました。ポコポコ穴が空いていて可愛らしい。

「風のフォルム」という作品。そう聞くと若干「翼」感があるようにも感じます。

計1キロの散歩道に彫刻が転々としているのですが、それぞれの彫刻間に結構距離があるのと、周囲に観察できるところがあまりないので、チベットスナギツネみたいな顔になってしまう。

六つ目はこちら。可愛いおかっぱちゃんが頬杖ついて空を眺めています。

「童の夢」。1992年生まれだけど、まだ「童」なのです。

散歩道の脇に紫陽花が咲いていました。とても綺麗。

虫取り少年大喜びの彫刻がやってきました。上に乗ってる風神みたいなやつもかなり気になる。

「プリアテル(友達)」
プリアテルという単語は、旧ユーゴスラビアの言語で「友達」という意味らしい。
フォルムといいテーマといい好きすぎる。リバイアサンからプリアテルに推し彫刻を変更します。

8つ目はこちら。多分伝わらないと思いますが、ビーストウォーズを思い出すんダナ。

「大地の使者」というそう。ライノックスじゃなかった。

あれ...なんか怖い...。

9つ目は夜に見かけたらチビりそうなこちらの作品。

「Nymph」ギリシャ・ローマ神話に出てくる妖精の名前だそうです。
諸事情で「Nympho」という単語なら知っていたのですが...。自分の無知を痛感しました。

ついに彫刻のある散歩道も終わりを迎えました。残念。普通に楽しかった。
多摩川に到着

ついに多摩川に辿り着きました。下流なので川幅が広くて見応えがあります。

勢いで向こう岸まで渡ってしまおうと思いましたが、なかなか橋が見当たらず。
どうやら和泉多摩川駅の辺りまで歩かないと橋がないようです。
当然橋を渡る

かなり長いこと歩きましたが、無事対岸に渡ることができました。土手の側ではナイン(野球少年)達が綺麗な汗を流しています。

こちらではイレブン(サッカー少年)達が、声を上げて熱いプレーを見せています。

しばらく歩くと「中野島の渡し」と書かれた柱が。
かつてここから船が出ていて、東京に野菜や果物などを運搬する役割を担っていたそう。
「東京に」ということはつまり、ここは既に神奈川なのです。多摩川が都県境になっていたんですね。

なんだか今の時代に生きていると、川を渡るのに舟が必要とはなかなか考えられませんが、この景色を見ると納得。
普段の自分が、当たり前じゃない当たり前を享受しまくっている事を実感します。
何かがおかしい

ふとフェンスに目をやると、街区表示板には「布田」の2文字が。しかし私は多摩川を渡り、既に神奈川県に突入したはずなのです。
もしかして、私は布田から一生脱出することができないのではないか。
ゼルダシリーズの迷いの森みたいに、強制的に振り出しに戻されてしまうのではないか。
そんな恐怖に駆られて、地名について調べてみました。

実はこの辺り、元々は一つの地域だったそう。
しかし、多摩川の流路の変化につれて次第に地域が分断されていったようです。江戸時代には既に現在に近い地形になっていたとか。
そののち、明治末期に東京府と神奈川県の境が多摩川に沿って引き直され、それが現代まで続いているとのこと。
なんだ、迷いの森じゃないのか。
しかし、生き別れのきょうだいみたいでアツいですね。

17時を知らせるチャイムが街に響き渡っているので、駅に向かいましょう。

ということで、布田散歩は終了。
今回の記事は、情報界の「中野島の渡し」になれたでしょうか。
…。
お後がよろしいようで。