集合住宅歴史館へ行ったあと、晴海へ行った
- 更新日: 2020/02/20
晴月橋をわたる。
集合住宅とは他の建築と比べて他人事ではない気持ちにさせる、そんな建築である。
『都市住宅』の元編集長である植田実さんの本『集合住宅30講』の裏表紙に書かれていた言葉で、とても印象に残っている。
由緒ある西洋建築や歴史ある茶室とか見ても「古い」「すごい」みたいな薄い感想しか持たない人も、古いアパートなんかにはなぜかグッときて「えっあの窓どうなってんの?」とか「庇かわいい!」とか楽しくなってしまう。
あっ、僕のことです。
▼佇まいが好きな都営小豆沢三丁目アパート29号棟
殆どの人が人生のどこかで集合住宅を吟味したり実際に住んだ経験があって、生活の延長で想像できる。
それが集合住宅への眼差しなんだと思う。
新しいのはもちろんわくわくするし、古いのもなんだか愛おしい。
散歩の横好きの僕が「いいなー」と思う集合住宅が世界にいっぱいあるのだから、研究者はもちろん、ファンが多いのも頷けます。
▼旧中川の流路跡に沿って建つ外務省平井住宅
▼湯島ハイタウンの室外機
みんな大好き集合住宅。
その集合住宅の歴史について実物とともに解説してもらえる場所があって、集合住宅歴史館というのですが、これはつまり現代に生きる人類全員が楽しめる希有なパークなのではないかと思うのです。
北八王子にあり / 平日のみで / 要予約 という少々高いハードルではあるけど、会社休んで行く価値はあるんじゃないかしら。
一人から予約可能で、なにしろ無料です。
運営しているのはUR都市機構です。
その前身のひとつは日本住宅公団で、戦後の住宅不足を解消するために設立されました。
日本住宅公団などが手がけた集合住宅のいくつかが完全再現され、時代別に展示されています。
古いねー、こんな時代があったねー、という話ではないのです。
日本住宅公団のアウトプットの凄みというのは、そこに明確な意思がある。
例えばDK(ダイニングキッチン)。
建築学者の西山夘三先生が提唱した、住宅が確保すべき最低レベルの条件「食寝分離」の現実解として、ダイニングを広くしてテーブルで食べてもらうことをしたのが公団であり、DKの始まりなのだそう。
しかも、入居者に絶対にDKでご飯を食べてもらうために、当時高かったダイニングテーブルを最初から備え付けた。
そうしないと、入居者は手持ちのちゃぶ台を寝室で使ってしまうからだそう。
この想いの強さ……
公団が存在しない並行世界では、いまも星一徹のようなものがちゃぶ台をひっくり返し続けていると思う。
そんなお話を、ガイドの方がついて全部してくれるので詳細を書くのはやめておこうと思います。
この解説がとにかく素晴らしくて、どこをクリックしても想定以上の長さの答えが返ってくる。
たとえばこのカレンダーでも返ってくる。
ガイドの方と一緒に回る、約1時間半の行程。いちいち立ち止まっていると全然時間が足りない。
今回は、まず説明を聞くために一周し、そのあと写真撮影のために二週目を許可して頂きました。
二周目は既に薄暗かったのでナイトミュージアムみたいな写真が撮れたし、
歴史館を出たら闇が迫っていた。
この歴史館は令和3年のどこかで一旦無くなってしまうらしい。
令和4年度内に赤羽台に移動する予定なのですが、いくつか移設するか不明なものもあるとのこと。
移設前に一度行ったほうがいい、これは本当に楽しい。
知識があればもっと楽しいんだろうけど、横好きでも十分楽しい。
集合住宅は他人事ではないのです。
UR都市機構 集合住宅歴史館のご案内ページです。
晴海団地のこと
その赤羽台に移設するかどうか今のところ不明なものの一つがこれ。これは晴海団地の15号棟「晴海団地高層アパート」の2階へ上がるための階段室。
北海道の牧場などにそびえ立つサイロをイメージしてデザインしたのだそう。
こんなかっこいい螺旋階段あるかよ。
背骨がちょっとずつずれていくような造形。
それから台形の入り口。これが時代独特の優しさを出している気がする。
ところで、この晴海団地高層アパートの2階への階段は、設計段階では無かったものらしい。
本来ならば、2階へ行くためには一旦3階へエレベータで行き、そのあと階段で降りなければいけなかった。
えっと、何言ってるか分からないかもしれないけど、そうだった。
エレベーターが3階、6階、9階しか停まらず、途中階へはそこから階段でアクセスする仕組み。
スキップフロア型と言われてるやつで、初心者は来訪がすごく難しい。
エレベーターアクションにこんな面あった気がするな。
晴海団地高層アパートは日本住宅公団にとって初めての高層住宅の一つで、エレベータ採用も初めて。
前川國男氏の設計で、1958年竣工。
前川氏のすごさについては僕が語るようなアレもないので専門家に譲るとして、在りし日の晴海団地高層アパートのお写真をUR都市機構様からお借りしました。
集合住宅30講において、著者の植田さんは晴海団地高層アパートのことを「建築そのものを踏み抜くような」と表現していた。
なんとなく分かる気がする。
実物見たかったな。
僕も散歩で前川さんの建築に何度か偶然遭遇したことがあります。
これはただごとではないな……と撮っていたところ、あとで調べたら前川國男さん、ということがあった。
歴史館にあった廊下側の手すり。これがやっぱり特徴的だよなあ。
こういった断片が、ああもシュッとまとまっていると考えると、改めてすばらしく思えてきます。
歴史館には晴海団地の室内も移設されていました。
ところで、僕は晴海の展示が一番グッときた。
晴海団地と僕、生まれはかなり違うんだけども、僕らがよく知っている生活というのは、晴海がルーツの感じがすごくする。
例えばステンレスキッチンはこの頃大量生産の目処がついたために晴海団地に採用され、そこから広がっていったんだそう。
こんなのおばあちゃんちにあったわー!
洋式トイレも公団が採用してから広まったんですよね。
OTIS製のエレベーターも晴海で稼働していた本物。
今おじいちゃんと呼ばれはじめているかもしれない人たちの落書きですよ。
書いた人いちいち特定して破片を届けたらどんな顔するだろうな。
ここからは晴海の海が見えたんですって。
解説の方によれば、晴海団地は「立地が良すぎた」ために現在は取り壊されてしまいました。
公団の団地は広い敷地に相当なゆとりを持って建てられるので、一等地でさすがにもったいない、ということらしい。
晴海団地のあった場所は今は「トリトンスクエア」になっているのだそう。
そういえば、僕は晴海へ殆ど行ったことがない。
毎年晴海ふ頭で行われる奇祭「バスまつり」でしか行ったことがない。
ふ頭のあたりはとても無機質だから、晴海ってお出かけスポットの認識だったけど、そこに住んでいた人が居るし、今も居るんだよなあ。
晴海は今どうなってんだろ。
行ってみた
それで後日、月島駅に来ました。
月島にはもんじゃがある。
それらが連なったもんじゃストリートがある。
下町の底力スーパーがある。
路地には自転車がある。
そして、晴海へ続く晴月橋がある。
トリトンスクエアへの最寄り駅は勝どき駅なんだけど、月島駅で降りたのには訳がある。
月島と晴海を結ぶ晴月橋(せいげつばし)から行きたかったのです。
晴月橋は1959年竣工で、晴海団地高層アパートのすぐ後に出来たのでした。
▼UR都市機構様からお借りした航空写真
写真中央にある大きな橋が晴月橋で、渡ってまっすぐ先(右)にあるのが晴海団地です。
ほら、晴海団地の正面玄関はきっとこの橋。
橋を渡った一本道の先に、トリトンスクエアが出迎えてくれるのでは。
と思ったら!
当時の航空写真だと晴月橋からまっすぐ団地へ向かっていた道は、今なぜか不可解に曲がっていた。
カーブの内側には猫の額ほどの緑地がある。
車のスピードを落とさせるために、再開発時に曲げたんだろうか。
晴月橋から朝潮橋を見る。
このあたりには船がいっぱい留まってたらしいけどなくなっちゃったなと、橋の上で佇んでたおじいちゃんが言ってた。
そうなのでしょう。
トリトンスクエアに来た。
オフィスタワーの一つ。
あそこ通れるの!? ヒョ~! 通りたい! と思ったけど制震装置で通路ではないらしい。
ところでトリトンスクエアというのはオフィス棟と商業施設のほかに住宅棟がある。
ということは、晴海団地跡に住んでいる人も居るわけだ。
晴海の民の血統よ……
今もOTIS製のエレベーターに落書きをしていますか……
というわけで、住宅棟のほうへ。
当時の道は無くなっているんだけど、このぐにゃっとした歩道が、ちょうど晴海団地15号棟の北側の道に相当するのではと思った。
このあたりには、晴海団地の9-11号棟があったと思う。
今は、難しい名前の草が生えている。
住宅棟の裏にある、晴海第一公園。
ここが、高層団地であった15号棟の跡らしい。
立地の関係で昼でも薄暗いのですが……
その公園に、歴史館で見た、廊下側の手すりがひっそりとあった。
知らなかったら見落とすやつだぜ。
こちらはバルコニーの手すりだ。
本当に無造作にあるな。
知らなかったら「ベンチの背後霊かな」とかコメントつけてるところだった。
無知が罪になる事例だ。
これまたひっそりとプレートがありました。
「公園内にはこの建物の思い出を後世に伝えるために、外廊下手摺りパネル、バルコニー手摺り等の部材を記念として保存しています」とある。
その2つは見たけど、「等」って、思わせぶりだなあ……
その他にも、この公園には晴海団地の遺構が置いてあるってことかしら。
まあ、これかな……
ところで、さっきから気になっていたんだけど、この晴海第一公園を上から見下ろす人が居るなーって。
トリトンスクエアC棟、晴海ガーデンコートさんだ。
さん付けしたくなる顔だ。
晴海の海
歩道橋で晴海通りを渡ると、海はすぐそこ。
せっかくだから行ってみる。
当時の晴海団地からも見えたであろう日東製粉の工場だったところは「パークハウス晴海タワーズ」になっていました。
海についた。向こうに見えるのは豊洲。
振り返って、海から晴海を見る。
中央に、晴海ガーデンコートさんを含むトリトンスクエアの皆様が見える。
新しく生えた高層マンション群は、トリトンスクエアの正面を避けているかのようです。
あれっ、ということは、晴海団地の場所からは、今でも海が見えるのか!
銀座に近く 東京湾を望む 10階建アパート
晴海団地は銀座に近かったため、家賃はそれなりにしたんだそう。
しかも公団住宅に住むには家賃の3倍の月収が必要であったので、住める人は限られておりました。
晴海団地高層アパートは1997年に惜しまれながら解体されてしまったのですが、元祖晴海の一等地からの眺めは2020年の今も健在でした。
晴海団地がまだあれば、このふねがきっと見える。
お前がふねを見ているとき、ふねもお前を見ているのだ。
いや、ふねは前を見て運転しているのだ。
近くで工事が始まっていて、ここはオリンピック・パラリンピック関係者の駐車場になるんだそう。
そういえばオリンピック。
晴海の西側には選手村が出来て、その跡地には晴海フラッグとして4145戸のマンションが誕生することになっている。
商業施設だけでなく小中学校ができる予定があり、完全に新しい街ができる規模の話ですごい。
ところで、ひばりヶ丘団地入居者向けの映画「団地への招待」というものがあって、集合住宅歴史館へ行くと最初に観賞することになるんだけど、そこに、「団地は独立した全く新しい街なのね」というセリフがあったことを思い出しました。
昭和34年に造成されたひばりヶ丘団地にも、名店街、スーパーをはじめ、学校などが内包されていたのでした。
たくさんの人の住みやすさを考えていくと結局街作りの話になって、URはそういうことを昔からやっていたんだなあとか、そんなことを思ったりする。
そんなことを、もち明太チーズもんじゃを食べながら思ったりする。
オワリです。
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参考
植田実 / 集合住宅30講(みすず書房)
集合住宅歴史館
HARUML FLAG