板橋熱帯環境植物館に行った

  • 更新日: 2023/08/31

板橋熱帯環境植物館に行ったのアイキャッチ画像

ここは、板橋のジャングルだ

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植物園好きとディズニーランド

昔から「植物園」が好きだ。植物が好きでもないのに、なぜか「植物園」になると興奮するタチだった。なんでだろう、と考えてみると、たぶん私はジオラマが好きで、その延長線上にこの「植物園好き」もあるのだと思う。そこに行くと、だいたいジオラマの滝があってそれがそのまま温室全体を流れる川につながって、周りに植物が生えていたりなんかする。その、ジオラマ感あふれる植物の展示の仕方が、私の心をとらえるのだろう。そういえば、ディズニーランドが好きなのもほとんど同じ理由で、本物同然のジャングルと本物同然の動物が本物同然のようにそこにいるそのさまが大好きで、だから私は、植物園とディズニーランドをほとんど同じモチベーションで見ているのだと思う。
で、植物園の話である。団地で有名な「高島平」という駅がある。路線で言うと、都営地下鉄三田線の、ほぼ終着点の駅であるが、この「高島平」駅から10分ほど歩いたところに「板橋熱帯環境植物園」というのがある。私が好きな「植物園」で、しかも案内の写真を見ると、中にはちゃんと滝が流れている。私が好きな植物園だ、と思って、さっそく行くことにした。


高島平・南栗橋・オフ会

私は都営三田線の沿線に住んでいて、だから、電車の行き先表示としていつも「高島平」とかその隣の「西高島平」という駅名は見ていた。けれど、人の世の常で、その駅には降り立ったことがない。いつも乗る電車の終着駅に行ったことがあるひとはどれぐらいいるのだろう、といつも思う。最近、仕事で田園都市線を使うのだけれど、「急行 南栗橋行き」という表示をしばしば見る。「南栗橋」に私は行ったことがないし、それがどこにあるのかも曖昧だ。あと、「中央林間」とかも同じ。それと同じカテゴリーに「高島平」は入っている。
だから、初めて「高島平」で降りた時は、なんだか不思議な感じがして、なんというかTwitter(今はXか)のタイムラインだけで見ていたフォロワーとはじめて会う、みたいな、そんなオフ会みたいな感じさえする。なるほど、これは「植物園」への散歩であるのと同時に「オフ会散歩」なのかもしれない、とも思う。


高島平のモノリス

高島平の駅前には商店街があって、その商店街を抜けていくつか道を曲がると、すぐに植物園はあるらしい。案内通りに歩いていくと、視線の先に大きな塔が見えた。それはまるで『2001年宇宙の旅』で出てくるような、モノリスみたいな形をしていて、高島平に見られるごくごく普通の住宅が並ぶリズムを突如として乱している。天気が良くなかったこともあり、モノリスの横にドス黒い雲が浮かんでいる。



その風景はまるでここが魔王の棲家でもあるような、そんな感じさえある。と言っても、このモノリスの正体はだいたい予想が付いていて、おおかたこういう塔はゴミ処理場の煙突なのである。普通の街に植物園があったり、温水プールがある時、だいたい同じ場所でゴミ処理をしている。ゴミ処理の際にでた熱で、植物園の温室を暖めたり、温水プールを作ったりしているのだ。だから、この塔が見えたと言うことは、植物園も近いということである。歩けば歩くほど、この塔は大きくなっていって、それが視界に収まりきらなくなったぐらいに、「板橋熱帯環境植物園」と書かれた建物が目に入ってきた。ここが、目当ての植物園である。




天王寺動物園のオッサン

中に入ると、さっそく熱帯らしい植物が飾ってある。入ってすぐのところに館内案内図があるが、どうやら中はそこそこの広さがありそうでだ。館内展示は複数階にまたがっていて、植物を見ながらスロープを上がる構造になっているらしい。既に入口の館内案内図に、見どころやら展示のポイントやらが書いているけれども、それ以上は見ないようにする。実際に入ったときの楽しみを取っておくためだ。



入場料は大人・260円。安い。しかし、私が行った日、小中学生は無料であった。夏休みだからであろう、私以外は全員、子ども連れのファミリーだったと思う。私は、平日の昼間に一人で植物園に来る成人男性ってどう思われてるのだろう……と内心気が気ではなく、入場券を渡す受付の人の視線に痛みを感じる。その人の目から見ると、私は明らかに「無職で、平日に暇を持て余しプラプラしている奴」だと思われており、また、それだけではなく、そのような成人男性であれば黙ってパチンコ屋にでも行ってれば良いものを、そうではなく、なぜか植物園とかいう、現代日本でも特に大きな地位を持たない施設に行く変人、ないしは危ない人間だと思われているのではないか。「ではないか」どころじゃない、きっと思っている、いや、ぜったい思っている。ふと思い出したのだが、大阪に天王寺動物園という動物園があって、そこに平日の昼間行くとなぜかスーツを着たサラリーマンがベンチに座っている、という話を聞いたことがある。しかもそのサラリーマンは動物たちにエサをやっているという。なぜ、彼らは平日の昼間なのに動物園にいるのか。会社をクビになったのか、それとも出社しようとして、いつも足が動物園に向いてしまうのか。なにより、どうして動物にエサをあげているのか。すべてが不可解だ。かつて、その話を聞いたときは、「奇特な人もいるもんだなあ」と他人事のように思っていたが、今や、それは私自身である。しかも、動物園よりよほど不可解だ。
「平日の昼間にスーツ姿で植物園にいる人」
かろうじてスーツ姿でないのだけが救いかもしれないが、とにもかくにも不可解である。そんな不可解さを他人に与え続けないよう、私は足早に展示スペースへと降りていった。


エイになりたかった

まず最初に一人の成人男性を迎えてくれるのは、植物ではなく、ミニ水族館であった。「ミニ」と名は付いているが魚の種類は豊富で、クマノミやその他海水魚、あるいは絶滅危惧種に指定されているカメなども見ることができる。





と書いてみたものの、実は私は「生きているもの」にはさほど興味をひかれないタチで、そもそもここには「ジオラマ」を見に来ているフシがある。本物の生物はもちろんジオラマではないのだから、そういう意味で動物園や水族館にはあまり興味がないのかもしれない。とはいえ、このミニ水族館はそんな私でも、おおっ、と思わせる生物を飼っており、それが、世界最大級の淡水エイ、ヒマンチュラ・チャオプラヤである。





説明を見ると、なんと日本でここにしかいないらしい。なぜ板橋に、とおもうが、エイの方もまさか自分が板橋に来るとは思ってもみなかっただろう。だが、エイはそんな動揺を全く見せず、華麗かつ優美にゆったりと泳いでいる。人目を気にしてせせこましく展示を見る私との差が際立つというものだ。この瞬間だけ、エイになりたかった。
彼(彼女?)が泳いでいる水槽は、既に植物園の展示の一部になっていて、その水槽には、私が好きなジオラマの滝と川から水が注がれている。この水槽を上がって行ったところから、とうとう植物園の展示が始まる。


植物園で神になる

板橋熱帯環境植物園の展示は、いくつかの気候帯に応じたエリアに分かれていて、それぞれその気候帯に応じた植物が展示されている。順路の最初は熱帯地域の河口域、マングローブ林に育つ植物を見ることができる。もちろん、私が大好きな川のジオラマもあって、その横には大量の植物が生えている。植物園の植物というと、どこまでも人工環境を邪魔しないように作られていて、通路の邪魔にならないように植栽されているのが普通だ。しかし、ここの植物たちはどこまでも荒々しい。通路にまで葉が飛び出しているところもあって、植物が伸び伸び育っている。だから、通路を歩くときは、本当にジャングルを歩いているかのような気分になってくる。



そんな板橋のジャングルを歩いていくと、見えてきたのは、滝だ。今回のメインディッシュと言ってもよい。どうして、私はここまで滝、いや、「人工の滝」に心打たれるのだろう。それがどうしてなのか自分でもよくわからないし、とにかく今、私の目の先には「人工の滝」がある。しかも、なんという趣向だろうか、この滝は裏側から見ることができるようになっている。滝の裏側に回ると、水飛沫が飛んできて、涼やかなその水滴を浴びながら滝の裏を通ることができるのだ。



この滝はどこから流れているのだろうか。そのままずっと通路を進んでいくと、水が湧いているところがある。



本来ならば、水が湧き出るところから滝、そして河口までは何キロ、いや、何十キロと距離があるのが普通だ。しかし、ここでは違う。それらは、実際の何十分の一、何百分の一というスケール感に縮小され、わずか数メートルで、この水の流れのダイナミズムを体感することができる。ここでふと私は気付いたのだが、もしかすると私がこのジオラマの自然環境にどうしようもなく心を打たれるのは、本来はあまりにも壮大で自分の認識を超えてしまう自然環境を、この目、そして体で把握できるからなのではないか。私の体が巨人にでもならない限り、本物の自然をまるっと認識するのは難しい。でも、それが植物園だと可能になる。そのことが、私を満足させてくれるのかもしれない。いわば、植物園で私は神になっているのに等しい。何を言っているのだと自分でも思わずにはいられないし、読んでいる人は突然何を言い出したのかと怒るかもしれないが、ふと、そう思ったのだ。
植物園で、私は神になる。
そういうことだ。




植物園はもっと自由でいい

不意に神になってしまったので、人間界に戻ろう。人間界にある、植物園の話に戻りたい。植物園にいるのに、なぜか私は植物の話をしていない気がする。いや、いいのだ、別に。植物園に来たからといって植物の話をしなければならないという義理はなく、私は好きなように、自分のペースで植物園を楽しみ、それを書くのだ。
水の発生源のすぐ近くには、マレーハウスと称された、東南アジア地域の小屋が再現されている。小屋の中にも展示があって、そこでは熱帯地域にいるヘビやらトカゲやらが飼育されていた。植物園の中に小屋が再現されている場所は初めて見た気がする。自然がジオラマになっているのはどこの植物園でも普通だが、なかなか小屋までは作らないだろう。というより、小屋まで作り始めたらそこはもう一種のテーマパークである。この場所を板橋のディズニーランドと命名したい。





そのまま小屋を抜けると、次の部屋は「冷室」だと書いてある。植物園で冷室。大体、植物園といえば相場は「温室」と決まっている。実際に、ここまでは「温室」が続いていた。でも、よくよく考えたらなぜ植物園は温室でなければならないのだろうか。植物は温かくない地域にだってたくさん生えている。であれば、必ずしも温室でなくて良いはずだ。そんな、当然のことをこの冷室から教えられた。それはつまり、植物園はもっと自由でいい、ということである。
冷室に入ると、ひんやりとした風が吹いてきて、ふと視線を上げると、そこには大量の霧が噴射されている。



ここで再現されているのは、「雲霧林」という雨や霧が多い、熱帯の山地の環境らしい。山地だからなのか、通路はスロープになっていて徐々に上がっており、まるで熱帯の山の中を歩いているかのような気分。実際にこの植物園、通路の高低差が、実際の自然環境の高低差と同じようになっていて、河口から水源、そして水源のさらに上の山へと、どんどん高いところまで登っていく通路構造になっている。


はじめての大人買い

そのまま冷室を抜けると、地下から始まった熱帯の散歩はこれにて終了である。登った先には、疲れを癒してくれるかのように休憩コーナーがあって、そこには喫茶室も付いている。喫茶室のテーブルのひとつに小学生ぐらいの女の子がいて、ちょこんと座りながら、植物園の方を見ていた。この子もまた、私と同じようにこの植物園の山を登り切った同志である。本当の山だったら挨拶したいものの、疑似的な山だし、ここで挨拶するといよいよ不審者だからやめた。それに忘れてはいけない。私はこの場所において不可解な人物なのであった。そういえば、展示室の中ではほとんど他の人に会わなかった。だからか、私は人の視線を気にせず、自分のことを神だなんだと言えたわけだが、ここに来て久々に人と会うと、いよいよ現実世界に戻ってきた感が強い。
休憩コーナーを抜けると、そこには展示室がある。季節ごとに企画展をやっているらしく、今回は熱帯に生息する生き物が特集されているようだった。展示室の中に、熱帯の昆虫たちをジオラマで再現したコーナーがあった。ガラスのショーケースの中を見ると、なるほど、木にたくさんの昆虫たちが集まっているのがジオラマで展示されている。中でも私の目を引いたのは、カブトムシ同士の戦いのシーンであった。一匹のカブトムシがそのツノで、もう一方のカブトムシを持ち上げ、今にも振り落とさんとする勢いである。そのちょうど持ち上げ、振り落とそうとする瞬間が、永遠の瞬間として固定されている。



しかし、こんなシーン、ムシキングでしか見たことがない。ムシキング。それは、かつてゲームセンターの一角にあって、カブトムシのカードを使って対戦をする、というカード系ゲームの走りにもなったゲームである。ゲームを一回やると最初にカードが出てきて、そのカードにはそれぞれカブトムシの名前が書いてある。レアなカードはキラキラしていて、たしかヘラクレスオオカブトが1番強かった思い出がある。だいたいこういうものは子どもがハマって、両親がそれを諌めるというのが筋だと思うが、我が家では逆だった。逆、というか、私もハマっていたが、何より両親が大好きだった。ヘラクレスオオカブトが出るまでゲームをやり続けるのである。私がはじめて知った「大人買い」だった。そんなムシキングの思い出をふと思い出しながら歩いていくと、なんと、いた。ヘラクレスオオカブト。実物で。生きてる。



今回の企画展の目玉は、外国にしか生息していないカブトムシたちが一世に集結していることらしく、このほかにもオウゴンコガネクワガタ(これもレアだった思い出がある)などが飼育され、展示されていた。しかし、なんと言いますか、こう、実際に生息している姿を見ると、やはりムシキングや先ほどのジオラマのような躍動感というか、カッコよさがあまり無いなあ、と思う。というか、まあ、普通にカブトムシなのだ。フォルムは確かにゲームで見た通りなのだけれど、やっぱり実際に生きている姿は穏やかだし、思った以上に動かない。ヘラクレスも普通に昆虫なのである。私が勝手に神聖化して、興奮していただけで、これはあれだ、芸能人の日常生活を見てしまったときの感覚に近い。ただ、ずっと見ていると、なんというか、この本物のヘラクレスのどっしりと構えている感じも、どこか好きになってくるのだから、やはりこのカブトムシには人を捕らえて離さない何かがあるのかもしれない。ヘラクレスオオカブトのケースを一人でじっと見つめる成人男性。それは周りの目からどう映っていたのだろう。


理想の熱帯

全部見終えて、外に出る。夏だったからだろう、外が暑い。というか、温室の中よりも暑い。もはや日本が熱帯になっているのかもしれないとさえ思えてくるし、実際に沖縄ぐらいはそろそろ熱帯になるかもしれない。ただ、やはり植物園の中にある熱帯は、あの、人工的な滝と同じように、どこか虚構世界の理想としての熱帯で、だからこそ、私は植物園に行きたくなるのだし、その人工的な空間に、どうしても心惹かれるのである。
そんなことをぼんやりと思いながら、うだるような暑さの中を、あの、名前だけよく知っている高島平に向かって歩いていくのであった。












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谷頭和希

ライター・作家。チェーンストアやテーマパーク、日本の都市文化について、東洋経済オンライン、日刊SPA!などのメディアに寄稿。著書に『ブックオフから考える』『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』。

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