すみませんでした、板橋
- 更新日: 2025/02/25
街灯まみれ
こんにちは。王田土人です。
約1年ほど前、「ごめんね、板橋」という記事を書きました。
初めて就職した会社(まあまあブラック企業)が板橋にあり、退職してから訪れたことがありませんでした。しかし、そろそろ板橋と和解すべく三田線の板橋本町駅からスタート。
駅前の商店街は旧中山道であり、ずっと歩いていくと、なんと巣鴨駅まで続いていることが判明。隣の板橋区役所前駅まで歩いて途中セーブしたのでした。
ここまでが前回のあらすじです。

ということでセーブポイント、板橋宿不動通り商店街から再開です。

改めて見ると、都内の街灯でこのオリジナリティは屈指ではないでしょうか。
このウサギは「ラッピー」というらしい。なぜウサギなのかはよく分かりません。
ラッピーが街灯になっているだけでも十分只者ではないのですが、


バリエーションもすごい。なぜか念力で時計を動かしている。
あの戸越公園の「ゆたか通り商店街」をちょっと思い出します。

ちょっとしたテーマパーク感。
夜はもっと楽しいことになりそう。

スーファミ時代のヨッシーはこんなシルエットだったかもしれない

ヒエログリフかもしれない。
めんどくさい飲み会とかで「加賀藩はクレオパトラの末裔なんだぜ!」とか言おう。言って話しかけられないようにしていこう。

あ!ラッピーが概念を持っているぞ。
いや、よく見たら持っているようで持っていないぞ。
最近、形を備えた具体的な物と概念が混在して、世界観がねじれている様子を集めようと思っているのですが、目を凝らさないとなかなか見つからない。
これと似たパターンで、概念にふきだしを付けることで概念がしゃべったことになるやつもある。
ふきだしはどんなものでもしゃべったことにできるからとてもすごい。
そもそも言語によるコミュニケーションが可能な生き物は人間だけであるとすると(諸説ありますが)、ふきだしには概念に人格を付与する効果があるといえる。
本来、言葉というのは発する主体がなければ存在しないという点で従属的であるが、その言葉を発していることを示す記号にすぎないふきだしが、なぜか人格を与える機能を持っている。そうだとすると、ここでは主従関係が逆転しているのである。とにかくふきだしはとてもすごい。

このまま追っかけてきそう。
むしろ追っかけられたいまである。
そうしたら、文字通り「ホワイトハウスに追われている」が使える。

板橋宿不動通り商店街を後にします。

次の商店街はこの大通りを挟んだ反対側です。

マンションに住むなら欲しい窓No.1。
ちょっと昔の人が未来を想い描いてデザインしたかもしれない感じがする。レトロフューチャーというやつですね。
レトロフューチャーの趣というのは、「ああ、昔の人はこういう未来をイメージしていたんだなあ」と思いながら(未来である)現在と引き比べて「答え合わせ」をするところにあるかもしれない。
しかしそれは「答え」ではなく単なる「結果」であって、もしかしたら昔の人がイメージした未来こそ「答え」なのではないか、みたいなことを考えるまでがレトロフューチャーなのかもしれない。さっきから世迷い言ばかりですみません。


道路を渡ると、独特なデザインの街灯が迎えてくれます。

先ほどのは入り口にあるシンボル灯で、こちらが通常の街灯でしょう。

こちらも初めて見たデザイン。金の玉が味わい深いなあ。

街灯にもQRコードが付けられる時代


だけど、レオ板橋にはレオ板橋のままでいてほしいし、ゆ~らんどにはゆ~らんどのままでいてほしい。

もちろん、あぶきんにもあぶきんのままでいてほしい。


ちょっとわき道にそれると別の街灯を見つけました。


あれ、また違うやつが。

なんだなんだ




次々と新しい街灯を浴びせかけてくるのです。どうなってるんだ。

ちょっとバーリントンの石で一休みして立て直そう。

あ、これは「バーリントンの石」です。
バーリントンは地名らしいので、要は「甲子園の土」みたいなことです。

バーリントンの木。

バーリントンのグミ。
まあいいや、板橋の街灯に戻りましょう。

こちらを見てください。
板橋本町から旧中山道をずっと歩いてきたのですが、この一帯は新板橋、板橋、下板橋と3つの駅が集中しています。
そのため、新しい街灯がわらわら出てくるのです。

ふきだしはこうやって概念に人格を付与してきます。油断も隙もない奴め。
もったいないので、街灯をちゃんと味わっていきましょう。

光の三原色と白と黒が全て揃っている世界

新選組って本当に「誠」の鉢金つけていたのかなあ。つけていたらちょっと面白くないですか。「誠」が〇で囲んだあったらもっと面白い。

シンボル灯の情報量がえぐい。
こいつが新選組だったら「剰」の鉢金をするにちがいない。

街灯関係ないけど、麺て面でいけるの?
麦を背負わせされている面の気持ちを考えられる大人でありたい。

とても好きな風景。
住んだことがないのにどこか懐かしく感じる。不思議と自分がこの街に住んでいたような。


ゲートがすごくよかった。
短い距離に入口と出口のゲートがあるので、ここだけ切り取られた世界のよう。

ほら、絶対に迷い込んでいる。

時間の流れが違う感じがする。
いやあ、板橋はすごい街だ。
「ごめんね、板橋」というカジュアル謝罪をしたのが失礼な気がしてきた。
「すみませんでした、板橋」とか「板橋様 この度は大変申し訳ございませんでした。」とか、本来はそうあるべきでした。大変申し訳ございませんでした。

めっちゃ歓迎してくれる。自分が転校生だったらクラスにいてほしい。
一方で、いちいち「友達だよね」と確認してくる奴は逆に信用できない説もあって難しい。

一瞬だけ街灯のない空白地帯がありました。
まあ今まで街灯が多すぎましたでしょう。緩急を付けていきませんと。

ここまで来るともう巣鴨の縄張りなんですね。

味のあるシンボル灯だ。
シンボル灯は商店街の入り口にあることが多く、大体は普通の街灯より少し豪華だったりして、通常版とデザイン上の関連性があるのですが、こいつは文字情報で一点突破しに来てる。潔い。
ところで潔いという漢字も随分と潔い。「潔」に四文字込めているところが潔い。


これが通常の街灯です。

初めて見るメーカーだ。

フラッグを案内板にするパターンも初めてだ。
「区民ひろば 西巣鴨第一」は倒置法?
倒置法は言いたいことを前に持ってくることで強調する技法なので、「区民ひろば」であることを強調したかった可能性がある。
したがって「区民ひろぱ」とか「区民ひ3ば」とかが近くにある可能性がある。

とか言ってたら出口。

そして巣鴨地蔵通商店街のお出まし。
正月に行ったので正月感がすごいですが、このゲートは一年中正月のような祝祭感があります。特に扇とか。
「いつまで正月気分でいるつもりだ」と言ってやりたい。1月16日頃に。

街灯も凝っています。
あまり隙がない。人間でいうとめっちゃ話しやすいけど心を開かないタイプだ。

車が入ってこないようにするもの。
こういうところにも個性がはっきり表れていると、商店街の愛を感じる。

などと意識の高いことを抜かしておりますが、この時私はポケットにカレーパンを忍ばせており、どこか座って食べられるところはないものかとカレーパンに思考を乗っ取られているのです。

出口に着いてしまった。扇がカレーパンに見えてくる。
ああ...カレーパン...カレーパン...

これはさすがにアンパン。
カレーパンによる洗脳を受けたとはいえしかし、こんな雑に巣鴨歩きを終えていいものか。否である。それならば、ちゃんと謝りましょう。
ごめんね、巣鴨。
約1年ほど前、「ごめんね、板橋」という記事を書きました。
初めて就職した会社(まあまあブラック企業)が板橋にあり、退職してから訪れたことがありませんでした。しかし、そろそろ板橋と和解すべく三田線の板橋本町駅からスタート。
駅前の商店街は旧中山道であり、ずっと歩いていくと、なんと巣鴨駅まで続いていることが判明。隣の板橋区役所前駅まで歩いて途中セーブしたのでした。
ここまでが前回のあらすじです。
板橋区役所前

ということでセーブポイント、板橋宿不動通り商店街から再開です。

改めて見ると、都内の街灯でこのオリジナリティは屈指ではないでしょうか。
このウサギは「ラッピー」というらしい。なぜウサギなのかはよく分かりません。
ラッピーが街灯になっているだけでも十分只者ではないのですが、


バリエーションもすごい。なぜか念力で時計を動かしている。
あの戸越公園の「ゆたか通り商店街」をちょっと思い出します。

ちょっとしたテーマパーク感。
夜はもっと楽しいことになりそう。

スーファミ時代のヨッシーはこんなシルエットだったかもしれない

ヒエログリフかもしれない。
めんどくさい飲み会とかで「加賀藩はクレオパトラの末裔なんだぜ!」とか言おう。言って話しかけられないようにしていこう。

あ!ラッピーが概念を持っているぞ。
いや、よく見たら持っているようで持っていないぞ。
最近、形を備えた具体的な物と概念が混在して、世界観がねじれている様子を集めようと思っているのですが、目を凝らさないとなかなか見つからない。
これと似たパターンで、概念にふきだしを付けることで概念がしゃべったことになるやつもある。
ふきだしはどんなものでもしゃべったことにできるからとてもすごい。
そもそも言語によるコミュニケーションが可能な生き物は人間だけであるとすると(諸説ありますが)、ふきだしには概念に人格を付与する効果があるといえる。
本来、言葉というのは発する主体がなければ存在しないという点で従属的であるが、その言葉を発していることを示す記号にすぎないふきだしが、なぜか人格を与える機能を持っている。そうだとすると、ここでは主従関係が逆転しているのである。とにかくふきだしはとてもすごい。

このまま追っかけてきそう。
むしろ追っかけられたいまである。
そうしたら、文字通り「ホワイトハウスに追われている」が使える。

板橋宿不動通り商店街を後にします。

次の商店街はこの大通りを挟んだ反対側です。

マンションに住むなら欲しい窓No.1。
ちょっと昔の人が未来を想い描いてデザインしたかもしれない感じがする。レトロフューチャーというやつですね。
レトロフューチャーの趣というのは、「ああ、昔の人はこういう未来をイメージしていたんだなあ」と思いながら(未来である)現在と引き比べて「答え合わせ」をするところにあるかもしれない。
しかしそれは「答え」ではなく単なる「結果」であって、もしかしたら昔の人がイメージした未来こそ「答え」なのではないか、みたいなことを考えるまでがレトロフューチャーなのかもしれない。さっきから世迷い言ばかりですみません。
街灯まみれ


道路を渡ると、独特なデザインの街灯が迎えてくれます。

先ほどのは入り口にあるシンボル灯で、こちらが通常の街灯でしょう。

こちらも初めて見たデザイン。金の玉が味わい深いなあ。

街灯にもQRコードが付けられる時代


だけど、レオ板橋にはレオ板橋のままでいてほしいし、ゆ~らんどにはゆ~らんどのままでいてほしい。

もちろん、あぶきんにもあぶきんのままでいてほしい。


ちょっとわき道にそれると別の街灯を見つけました。


あれ、また違うやつが。

なんだなんだ




次々と新しい街灯を浴びせかけてくるのです。どうなってるんだ。

ちょっとバーリントンの石で一休みして立て直そう。

あ、これは「バーリントンの石」です。
バーリントンは地名らしいので、要は「甲子園の土」みたいなことです。

バーリントンの木。

バーリントンのグミ。
まあいいや、板橋の街灯に戻りましょう。

こちらを見てください。
板橋本町から旧中山道をずっと歩いてきたのですが、この一帯は新板橋、板橋、下板橋と3つの駅が集中しています。
そのため、新しい街灯がわらわら出てくるのです。

ふきだしはこうやって概念に人格を付与してきます。油断も隙もない奴め。
もったいないので、街灯をちゃんと味わっていきましょう。

光の三原色と白と黒が全て揃っている世界

新選組って本当に「誠」の鉢金つけていたのかなあ。つけていたらちょっと面白くないですか。「誠」が〇で囲んだあったらもっと面白い。

シンボル灯の情報量がえぐい。
こいつが新選組だったら「剰」の鉢金をするにちがいない。

街灯関係ないけど、麺て面でいけるの?
麦を背負わせされている面の気持ちを考えられる大人でありたい。

とても好きな風景。
住んだことがないのにどこか懐かしく感じる。不思議と自分がこの街に住んでいたような。


ゲートがすごくよかった。
短い距離に入口と出口のゲートがあるので、ここだけ切り取られた世界のよう。

ほら、絶対に迷い込んでいる。

時間の流れが違う感じがする。
いやあ、板橋はすごい街だ。
「ごめんね、板橋」というカジュアル謝罪をしたのが失礼な気がしてきた。
「すみませんでした、板橋」とか「板橋様 この度は大変申し訳ございませんでした。」とか、本来はそうあるべきでした。大変申し訳ございませんでした。
再び中山道へ
戻ってきました。
めっちゃ歓迎してくれる。自分が転校生だったらクラスにいてほしい。
一方で、いちいち「友達だよね」と確認してくる奴は逆に信用できない説もあって難しい。

一瞬だけ街灯のない空白地帯がありました。
まあ今まで街灯が多すぎましたでしょう。緩急を付けていきませんと。

ここまで来るともう巣鴨の縄張りなんですね。

味のあるシンボル灯だ。
シンボル灯は商店街の入り口にあることが多く、大体は普通の街灯より少し豪華だったりして、通常版とデザイン上の関連性があるのですが、こいつは文字情報で一点突破しに来てる。潔い。
ところで潔いという漢字も随分と潔い。「潔」に四文字込めているところが潔い。


これが通常の街灯です。

初めて見るメーカーだ。

フラッグを案内板にするパターンも初めてだ。
「区民ひろば 西巣鴨第一」は倒置法?
倒置法は言いたいことを前に持ってくることで強調する技法なので、「区民ひろば」であることを強調したかった可能性がある。
したがって「区民ひろぱ」とか「区民ひ3ば」とかが近くにある可能性がある。

とか言ってたら出口。

そして巣鴨地蔵通商店街のお出まし。
正月に行ったので正月感がすごいですが、このゲートは一年中正月のような祝祭感があります。特に扇とか。
「いつまで正月気分でいるつもりだ」と言ってやりたい。1月16日頃に。

街灯も凝っています。
あまり隙がない。人間でいうとめっちゃ話しやすいけど心を開かないタイプだ。

車が入ってこないようにするもの。
こういうところにも個性がはっきり表れていると、商店街の愛を感じる。

などと意識の高いことを抜かしておりますが、この時私はポケットにカレーパンを忍ばせており、どこか座って食べられるところはないものかとカレーパンに思考を乗っ取られているのです。

出口に着いてしまった。扇がカレーパンに見えてくる。
ああ...カレーパン...カレーパン...

これはさすがにアンパン。
カレーパンによる洗脳を受けたとはいえしかし、こんな雑に巣鴨歩きを終えていいものか。否である。それならば、ちゃんと謝りましょう。
ごめんね、巣鴨。