岩本町を散歩しました
- 更新日: 2021/02/18
神田川
神田川でおなじみ、神田のあたりは町名がいっぱいある。
神田乗物町、神田紺屋町、神田富山町、神田ナントカという住居表示未実施の小さなエリアがたくさんあって、1,2区画歩くだけで町名がコロコロ変わる。
町名それぞれに由来があって、職人が固まって住んでいただとか、そこにお屋敷があった武士の名前だとか、足は冷やさない方が良いだとか、そういうの好きな方に聞くといろいろお話が出てくるエリアです。
神田駅以外に独自に駅を有している町があって、なんとなく頭一つ抜けている感じが個人的にする。神田神保町、神田小川町、神田岩本町とかがそうなんだけど、あれだ、意外と知らないなって。神保町以外そんなになじみなくない? そんなことないか。そんなことあれ。
まあとにかく、僕はそんなことを思ったものですから、試しに岩本町で降りてみた。
というかこの駅、僕は本当に用が無い。
ここって、ほぼ秋葉原なんだよね。
秋葉原にはたまに来るけれど、岩本町って何があるのか確かめたことないな、何があるんだろ。
パン?
駅の地図で確認したところ、なんかしらんけど、駅の北側は山崎パン関連の建物ばっかりだった。
本社もここらしい。
世が世なら「神田山崎町」だっただろうに。
とりあえず外に出る。
昭和通りと靖国通りの交差点からスタート。
岩本町という交差点名。地図で確認すると、首都高の東側は町名から"神田"がとれて「岩本町」になっていた。
その岩本町はあとで行くとして、しばらくは首都高のこっち側、神田岩本町をぶらぶらする。
川が流れている。
何川だろって、今まで神田神田いっておいて、これ神田川じゃなかったら君ら怒るでしょ?
赤い手ぬぐいで後ろから首絞めにかかるでしょ? ゴリラガラス程度は簡単に捻り切るでしょ? ゴリラガラスって何なの?
落ち着いてください。神田川です。
和泉橋という橋がかかっている。このあたりの神田川に架かる橋としては万世橋が圧倒的知名度だけど、和泉橋も古い。江戸時代から「いつみ殿橋」としてここにある。今の橋には大正5年と書いてあった。
対岸に、新しそうな護岸と古そうな護岸が1:3で在る。
特に言うことがなかったので、比率を申し上げた次第です。
ところで、神田岩本町をぶらぶらする、と言ったものの、ここらはうっかりするとすぐ別の町に入ってしまう。
紛争地域だったら国際問題に発展するけど、そのあたりは大目に見てほしい。
なんかさっき川を渡ったし既に逸脱している気がする。
船着き場のようなものがある。
果たして船着き場だったんだけど、
船着き場をポンツーンと呼ぶという知識を得た。
ポンツーンがある。
案内板を見ると「和泉橋」のほかに「佐久間橋」という文字が見える。
別の橋があったのか?
1万分1地形図 1916-21
あった。
大正時代の終わりあたりの地図に「サクマ橋」というのが登場する。
神田川から秋葉原駅の貨物取扱所までモノを運ぶ水路があって、そこに架かっていた橋なんだそう。
地図の上側、貨物取扱所の船着き場みたいな広い水のとこ、いまヨドバシがあるところかな。
あいつ、びしょびしょですよ。びしょびしょ。
佐久間橋の欄干が残っていて、このまっすぐの道が多分その水路跡です。
この水路は昭和の終わりくらいに無くなっています。
秋葉原にWindows95を運んだのがこの水路からだったら良かったのにな。
そうだな。
っていうかここ完全に岩本町じゃないな。神田川渡って戻ろう。
冬らしい虫の転がり方だなと思った。
だ眼科って何? って一瞬思っちゃった。
駄眼科かなあ、とか思っちゃった。
駄眼科は駄菓子屋感覚の眼科で、10円とかで見て貰える。
視力検査するときのメガネの縁にマーブルチョコが埋まっている。
めがわるい
0てん
みたいなおみくじで結果を伝えてくる。
素晴らしい交番があったものです。
Y字路も素晴らしいんだけど、上よ。上にある絵は、あれか、国家のワンちゃんチャチャっと解決、みたいな自虐めいた独自のマスコットなの? と思って近づいたところ、前の交番と後ろのビルは違う建物で、交番の後ろがChaChaビルという名前というだけだった。偶然だと思うけど、なんか意味が出てきてしまっている。
首都高をくぐりますと神田ではない岩本町だと伺いましたので、そちらへ行ってみます。
果たして何があるのか?
えっ空き地……? 千代田区って空き地あんの? くれ。
とりあえずくれって言えば、100回に1回くらいは「いいよ」と言われるかもしれない。
この三角地帯です。くれ。
説明板があった、良かった、歴史的価値のある空き地だったのかあ、と思って読んだけれど、これが全然納得いかなかった。
牛馬の水飲み広場だった、とのことなんだけど、そんな場所、全国にいっぱいあるのでは。
もぐもぐ
既製服問屋街発祥の地、というのがあった。
江戸時代は古着問屋、戦後は洋服問屋街として栄えたらしい。
隣の馬喰町も問屋街として有名だけど、なるほど、岩本町に問屋街があった。
行ったのは正月だったので飾りが出ていたんだけど、これ、どうやってくっついてるの?
ガムテだった。
ところでこの建物は愛媛銀行東京支店だって。
まあまあ、遠路はるばる……
おみかんでもどうぞ。はい、三ヶ日みかん。
いまのは愛媛の人に静岡の三ヶ日みかんを勧める人の真似です。
それはいいんだけど、
その近くに千葉銀行と、
高知銀行、山ちゃん銀行があった。
岩本町、地方銀行が集積してんのかな。
さて、次どっちいこうかな。
こっちか。OK。
違うのかよ。簡単にあきらめんな。
IMONって蒲田でボウリング場やってるIMONグループだろうか。
だから何だと言われても困ってしまうんだけど。
その脇の路地が良かった。
特にこのしましまビル。
右側の正方形の窓がパタンパタンしているのもいい。
最上階からリンゴを落として一撃でぜんぶ閉めたい。そういうゲーム、プレステで出ないかな。
おいしそうなチョコの包みが落ちてた。
突然路地終わって開けた。
おお、そこ、岩本町歯科じゃないんだ。
これが東京のリアル。
この建物かっこいいな。特に雨戸のところがいい。
このあたりに来ると、古くからの商店や問屋が多そうだった。
お玉が池通りというのがあって、このあたりにお玉が池があったみたい。
お玉が身を投げた池として有名だけど、池のほとりには文化人の住居や剣術の道場やらがたくさんあったそう。
まあ、そういうのは多分すでにネットにいっぱい情報あると思うので、っていうかさっきからその黄色い線は何なの。
ミニストップか。
何だろう。第二工程くらいの気がする。
この空間すごくいいな。居たい。
俺、小学生だったらここに居ると思う。
お玉が池を湧かしてたらいいな。午前中だからやってなかった。
あとお玉が池はもうない。
これもお玉が池にちなんでいるのか、いないのか……
ところで同じビルの建て書きがすごく良かった。「ル」がいいな。
ちょっとこの柱、ギリシャ入ってない?
ちょっと引いて見てみる。
うーん。ギリシャ入っているような、入っていないような……
職人が前日テレビでアテネの神殿を見てちょっと影響された、くらいの感じで、入ってないだろうか。
金山神社。このあたりの金物組合が分霊したんだと。職人の町の感じが出てきた。
金
金
なんとなくですけど、まじめに祈願するべきだと思ったので、しました。
ナビオコンピューターだって。
宇宙の絵だ。宇宙に関係する仕事だろうか。
と思って会社のホームページを確認したところ、一年に一言ずつ、ナビオ社長の言葉が刻まれていました。
お言葉は1999年からはじまっており、なぜか2022年、2023年と未来の分まで掲載されている。
https://www.navio.co.jp/president/
しかし、ナビオ社長のお言葉は2033年で終わっている。
そういえば、マヤの暦は2020年3月で終わっていて、これが世界滅亡を意味するという説をMMR(マガジン・ミステリー・ルポルタージュ)が唱えていた。
その思考でいくと、ナビオ暦が示すもの、それは2033年の世界滅亡ということにならないだろうか。
突然金魚。
香田晋のデビュー曲、突然金魚。
このすべりどめのやつ、通常より薄いな。
自分でおわんパカパカして作ったのかな。
ば
多分だけど、まほろばの「ば」じゃないかな……
「まほろ」が見つかったわけではないんだけど、状況的に。
なんとなくだけど、口から飛行体がビュンビュン出てきそう。
ロボットの足みたいでかっこよかったです。
さっきのやつの足なんじゃないかな。
さようなら岩本町。俺は首都高を再び潜り、神田岩本町へ帰る。
首都高のすぐ下に昭和通りを渡る歩道橋がくっついている。
えっこんな楽しそうなとこ通っていいの? タダで?
なんか料金箱でも置いておいてもらえれば100円くらい払うのに。
迷走する東京オリンピック、ここへきて神田単独案が浮上した。
なんでこんな規則的にうねうねしているのだ?
規則的に穴をあけているからか。そうか。そうだな。
そんなこんなで岩本町駅に戻ってきましたとさ。
岩本町に何があったかわりと忘れたけど、オリンピックが神田単独で行われる可能性と、2033年に世界が終わるかもしれないということは刻んだ。
神田乗物町、神田紺屋町、神田富山町、神田ナントカという住居表示未実施の小さなエリアがたくさんあって、1,2区画歩くだけで町名がコロコロ変わる。
町名それぞれに由来があって、職人が固まって住んでいただとか、そこにお屋敷があった武士の名前だとか、足は冷やさない方が良いだとか、そういうの好きな方に聞くといろいろお話が出てくるエリアです。
神田駅以外に独自に駅を有している町があって、なんとなく頭一つ抜けている感じが個人的にする。神田神保町、神田小川町、神田岩本町とかがそうなんだけど、あれだ、意外と知らないなって。神保町以外そんなになじみなくない? そんなことないか。そんなことあれ。
まあとにかく、僕はそんなことを思ったものですから、試しに岩本町で降りてみた。
というかこの駅、僕は本当に用が無い。
ここって、ほぼ秋葉原なんだよね。
秋葉原にはたまに来るけれど、岩本町って何があるのか確かめたことないな、何があるんだろ。
パン?
駅の地図で確認したところ、なんかしらんけど、駅の北側は山崎パン関連の建物ばっかりだった。
本社もここらしい。
世が世なら「神田山崎町」だっただろうに。
とりあえず外に出る。
昭和通りと靖国通りの交差点からスタート。
岩本町という交差点名。地図で確認すると、首都高の東側は町名から"神田"がとれて「岩本町」になっていた。
その岩本町はあとで行くとして、しばらくは首都高のこっち側、神田岩本町をぶらぶらする。
神田岩本町
川が流れている。
何川だろって、今まで神田神田いっておいて、これ神田川じゃなかったら君ら怒るでしょ?
赤い手ぬぐいで後ろから首絞めにかかるでしょ? ゴリラガラス程度は簡単に捻り切るでしょ? ゴリラガラスって何なの?
落ち着いてください。神田川です。
和泉橋という橋がかかっている。このあたりの神田川に架かる橋としては万世橋が圧倒的知名度だけど、和泉橋も古い。江戸時代から「いつみ殿橋」としてここにある。今の橋には大正5年と書いてあった。
対岸に、新しそうな護岸と古そうな護岸が1:3で在る。
特に言うことがなかったので、比率を申し上げた次第です。
ところで、神田岩本町をぶらぶらする、と言ったものの、ここらはうっかりするとすぐ別の町に入ってしまう。
紛争地域だったら国際問題に発展するけど、そのあたりは大目に見てほしい。
なんかさっき川を渡ったし既に逸脱している気がする。
船着き場のようなものがある。
果たして船着き場だったんだけど、
船着き場をポンツーンと呼ぶという知識を得た。
ポンツーンがある。
案内板を見ると「和泉橋」のほかに「佐久間橋」という文字が見える。
別の橋があったのか?
1万分1地形図 1916-21
あった。
大正時代の終わりあたりの地図に「サクマ橋」というのが登場する。
神田川から秋葉原駅の貨物取扱所までモノを運ぶ水路があって、そこに架かっていた橋なんだそう。
地図の上側、貨物取扱所の船着き場みたいな広い水のとこ、いまヨドバシがあるところかな。
あいつ、びしょびしょですよ。びしょびしょ。
佐久間橋の欄干が残っていて、このまっすぐの道が多分その水路跡です。
この水路は昭和の終わりくらいに無くなっています。
秋葉原にWindows95を運んだのがこの水路からだったら良かったのにな。
そうだな。
っていうかここ完全に岩本町じゃないな。神田川渡って戻ろう。
冬らしい虫の転がり方だなと思った。
だ眼科って何? って一瞬思っちゃった。
駄眼科かなあ、とか思っちゃった。
駄眼科は駄菓子屋感覚の眼科で、10円とかで見て貰える。
視力検査するときのメガネの縁にマーブルチョコが埋まっている。
めがわるい
0てん
みたいなおみくじで結果を伝えてくる。
素晴らしい交番があったものです。
Y字路も素晴らしいんだけど、上よ。上にある絵は、あれか、国家のワンちゃんチャチャっと解決、みたいな自虐めいた独自のマスコットなの? と思って近づいたところ、前の交番と後ろのビルは違う建物で、交番の後ろがChaChaビルという名前というだけだった。偶然だと思うけど、なんか意味が出てきてしまっている。
独立国家・岩本町へ
首都高をくぐりますと神田ではない岩本町だと伺いましたので、そちらへ行ってみます。
果たして何があるのか?
えっ空き地……? 千代田区って空き地あんの? くれ。
とりあえずくれって言えば、100回に1回くらいは「いいよ」と言われるかもしれない。
この三角地帯です。くれ。
説明板があった、良かった、歴史的価値のある空き地だったのかあ、と思って読んだけれど、これが全然納得いかなかった。
牛馬の水飲み広場だった、とのことなんだけど、そんな場所、全国にいっぱいあるのでは。
もぐもぐ
既製服問屋街発祥の地、というのがあった。
江戸時代は古着問屋、戦後は洋服問屋街として栄えたらしい。
隣の馬喰町も問屋街として有名だけど、なるほど、岩本町に問屋街があった。
行ったのは正月だったので飾りが出ていたんだけど、これ、どうやってくっついてるの?
ガムテだった。
ところでこの建物は愛媛銀行東京支店だって。
まあまあ、遠路はるばる……
おみかんでもどうぞ。はい、三ヶ日みかん。
いまのは愛媛の人に静岡の三ヶ日みかんを勧める人の真似です。
それはいいんだけど、
その近くに千葉銀行と、
高知銀行、山ちゃん銀行があった。
岩本町、地方銀行が集積してんのかな。
さて、次どっちいこうかな。
こっちか。OK。
違うのかよ。簡単にあきらめんな。
岩本町の路地
IMONって蒲田でボウリング場やってるIMONグループだろうか。
だから何だと言われても困ってしまうんだけど。
その脇の路地が良かった。
特にこのしましまビル。
右側の正方形の窓がパタンパタンしているのもいい。
最上階からリンゴを落として一撃でぜんぶ閉めたい。そういうゲーム、プレステで出ないかな。
おいしそうなチョコの包みが落ちてた。
突然路地終わって開けた。
おお、そこ、岩本町歯科じゃないんだ。
これが東京のリアル。
この建物かっこいいな。特に雨戸のところがいい。
このあたりに来ると、古くからの商店や問屋が多そうだった。
お玉が池って聞いたことあるな
お玉が池通りというのがあって、このあたりにお玉が池があったみたい。
お玉が身を投げた池として有名だけど、池のほとりには文化人の住居や剣術の道場やらがたくさんあったそう。
まあ、そういうのは多分すでにネットにいっぱい情報あると思うので、っていうかさっきからその黄色い線は何なの。
ミニストップか。
何だろう。第二工程くらいの気がする。
この空間すごくいいな。居たい。
俺、小学生だったらここに居ると思う。
お玉が池を湧かしてたらいいな。午前中だからやってなかった。
あとお玉が池はもうない。
これもお玉が池にちなんでいるのか、いないのか……
ところで同じビルの建て書きがすごく良かった。「ル」がいいな。
ちょっとこの柱、ギリシャ入ってない?
ちょっと引いて見てみる。
うーん。ギリシャ入っているような、入っていないような……
職人が前日テレビでアテネの神殿を見てちょっと影響された、くらいの感じで、入ってないだろうか。
金山神社。このあたりの金物組合が分霊したんだと。職人の町の感じが出てきた。
金
金
なんとなくですけど、まじめに祈願するべきだと思ったので、しました。
ナビオコンピューターだって。
宇宙の絵だ。宇宙に関係する仕事だろうか。
と思って会社のホームページを確認したところ、一年に一言ずつ、ナビオ社長の言葉が刻まれていました。
お言葉は1999年からはじまっており、なぜか2022年、2023年と未来の分まで掲載されている。
https://www.navio.co.jp/president/
しかし、ナビオ社長のお言葉は2033年で終わっている。
そういえば、マヤの暦は2020年3月で終わっていて、これが世界滅亡を意味するという説をMMR(マガジン・ミステリー・ルポルタージュ)が唱えていた。
その思考でいくと、ナビオ暦が示すもの、それは2033年の世界滅亡ということにならないだろうか。
突然金魚。
香田晋のデビュー曲、突然金魚。
このすべりどめのやつ、通常より薄いな。
自分でおわんパカパカして作ったのかな。
ば
多分だけど、まほろばの「ば」じゃないかな……
「まほろ」が見つかったわけではないんだけど、状況的に。
なんとなくだけど、口から飛行体がビュンビュン出てきそう。
ロボットの足みたいでかっこよかったです。
さっきのやつの足なんじゃないかな。
帰る
さようなら岩本町。俺は首都高を再び潜り、神田岩本町へ帰る。
首都高のすぐ下に昭和通りを渡る歩道橋がくっついている。
えっこんな楽しそうなとこ通っていいの? タダで?
なんか料金箱でも置いておいてもらえれば100円くらい払うのに。
迷走する東京オリンピック、ここへきて神田単独案が浮上した。
なんでこんな規則的にうねうねしているのだ?
規則的に穴をあけているからか。そうか。そうだな。
そんなこんなで岩本町駅に戻ってきましたとさ。
岩本町に何があったかわりと忘れたけど、オリンピックが神田単独で行われる可能性と、2033年に世界が終わるかもしれないということは刻んだ。