神楽坂 / 泉鏡花が愛した街は、きっといい街。

  • 更新日: 2018/10/25

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あらよいですね、神楽坂。

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どうもこんにちは。今日は飯田橋にきています。


それ買ってると思ったんだよ。っていうかさっきちょっと見えたんですよ。それ、触れないですよ。


ええっ。


何であるか、も、言わないで大丈夫です。それはもう、ネットに情報いっぱいあるから。俺らみたいなもんが言わないでも大丈夫なんですよ。全然大丈夫なやつです。旨いし。





(ヤスノリさんの分も)買ってあるのに?





これは頂きます、頂きますし、旨いですけど、無言で食べます。





……





……





他の話します?


今日は何で飯田橋なの?


飯田橋、といっても今日歩くのは神楽坂方面で、この街には、かつて泉鏡花さんが住んでたんですよ。


泉鏡花って、青空文庫でア行で上のほうに居るし作品数めちゃくちゃ多いんですよね(2018年10月時点で207)。だからおっ? って作品群見るんだけど、こう、ちょっと最後まで読み終えたことないっすね。そういう人多いんじゃないかな。


読んだほうがいいですよ。ハニートラップに引っかかった男を動物に変化させてしまう妖怪女の話「高野聖」とか、「麻酔をかけられたら秘密をしゃべっちゃいそうだから、麻酔掛けずに手術してください!」って懇願する夫人が出てくる「外科室」とか。


外科室めっちゃいいじゃん。夫人の秘密なんて全員聞きたいですよね。


短編なので読んでみるといいですよ。




神楽坂は今日も賑わっている



そんなわけで、神楽坂です。



神楽坂よりも大きな文字で「プリ」と書かれていたので、もしかするとここは神楽坂ではなくプリかもしれません。
プリを歩いて、泉鏡花さんとゆかりのあるスポットに行きましょう。




助六は明治43年創業の履物・袋物・傘の専門店だそうですが、なんかミストが出てます。
雨と誤認させて傘を売る作戦かなと思ったのですが、暑いからだと思います(行ったの8月です)。




ここは明治5年から創業しているお店。当初は糸を売ってたんですけども、現在はインテリア用品とかフトン用品を売っています。
こんな感じで、神楽坂には歴史あるお店、しかも生活雑貨を売るお店が多いです。



あとで行きますが、神楽坂の路地はとても風情があることで有名で、外国の観光客も大勢います。
外国人受けを狙ったような商品もちらほら見かけます。




このUFJ、美しいまん丸の窓をお持ちですね。どうやってつくったんだろう。




文房具屋なのにめちゃくちゃぬいぐるみ居るな。





一応全部売り物ですね。値札ついてます。





このミッキーだけペンを持ったりメガネかけたり、なんとなくの文房具屋感がある。リーダーっぽい。


値札貼ってないから非売品ですかね。チームとしてもキャプテンシーのある選手を放出するのは痛いですからね。






ここは善国寺。毘沙門天と言ったほうが通じるでしょうか。
そういえば夏目漱石の坊ちゃんで縁日の様子が描かれていました。夏目さんの生まれた場所も割と近いので、随筆の『硝子戸の中』に神楽坂の話が出てきたり、『それから』の代助の家もこのあたりにあったりと、神楽坂は夏目さんにとってもゆかりの深い街ですね。



あの狛犬、これまでの狛犬とは全然違う。いかにも戦闘タイプって感じだ。





狛犬じゃないんですね。石虎。


絶対に襲い掛かってこないはずなのに、威圧感がすごい。




泉鏡花と北原白秋が一緒にアレして?

こんな感じで賑やかなのが神楽坂のメイン通りですが、東の路地に入りましょう。



イタリアン・アズーリをまっすぐ進んでちょっとしたところに泉さんの旧居跡があります。ちなみにアズーリは男子スポーツチームあるいは男女混合チームのイタリア代表を意味しているらしい。




理由と、署名をちょい足し。




いい銭湯ですね。



この自販機のデザインもいいですね。


鯉の配置がいいですよ。それぞれジュースと、小銭に寄っていってる。こういうところ、とても鯉っぽい。






若宮八幡神社でお祭りがあるらしいですね。


福引き、ヨーヨーつり、ポップコーンはもぎ店3点セットで100円。安い。あ、でも金魚すくいは別なんだ。


金魚の原価の高さを感じる。






お祭りのポスターに気を取られて気づきませんでしたけども、そのすぐ後ろに案内板があって、



ここが泉鏡花さんの旧居跡です。



そしてバックに東京理科大がある。いろいろ忙しい。

この案内板にも書いてありますけど、同じくかつてここに住んでいた北原白秋さんは、「物理学校裏(現在の東京理科大)」という詩を残しています。


えっ!? 泉鏡花と北原白秋が一緒に住んでたの!? あ、よく見ると違うのか。


泉さんは明治39年7月までこの地に住んでいたんです。その2年後に少しの間、白秋さんがここに住んでいたことがあると。ニアミスですね。


なんだー。文豪BL案件かと思いました。


泉さんがここに暮らし始めたのは明治36年3月ですね。遊女だった伊藤すずさんと同棲をはじめます。でも師匠の尾崎紅葉さんに交際を反対されて同棲もいったん終了します。


なんか、若い話だなあ。


さらに同年の10月に師匠の尾崎さんが亡くなって、その3年後に伊藤さんと正式に入籍します。


邪魔者が居なくなった的なこと?


まぁこの話だけ聞くと泉さんが師匠に背いた薄情な人みたいな感じなんですけど、師匠への姿勢は崇拝に近かったそうですよ。尾崎さんは、泉さんの無名時代からずっと面倒を見続けてくれた人なんです。尾崎さんの死後「お菓子の食べ過ぎで死んだんだ」って言った同門の徳田秋声さんに、激昂して泉さんが殴りかかったって話は有名ですね。「婦系図」では伊藤さんがモデルになった遊女も出てきますが、主人公の師匠にあたる人物も出てくるんですよ。で、全然ハッピーエンドで終わらなくて。泉さんの実体験も重くてしんどいものだったんじゃないかなと僕は思いますね。






しかし、祭り前の街の雰囲気っていいですよね。小学生の頃とか、お祭り数日前に提灯が並んだり、櫓が建てられてるのとか見て「早く当日にならないかなぁ」って思ってました。


泉鏡花常連のお店に行く

さて、次は泉鏡花さんおすすめのお店へ行ってみましょう。



今度はメイン通りの西側の路地。老舗の料亭がズラリと並びます。このあたりがいわゆる「神楽坂」として知られる風景でしょうか。



なんか僕の知らない日本がある感じで。

Post from RICOH THETA. #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA

路地の交差点。たまらないですね。石畳がイカす……




料亭にもセットメニューがあるんだな。



お風呂に入れて遊びたくなる感じのアヒルですが、こんなところにいるとこれもなんだかよく見えてきます。



店名は『おいしんぼ』。新鮮な季節の料理がいただける趣のある懐石料理屋です。店内は『美味しんぼ』で見たことのある高級感のある雰囲気。美食倶楽部の大御所が出入りしてそう。




来ました。かつて泉さんのいきつけの魚屋だった「うを徳」。今ではミシュラン1つ星を獲得するほどの料亭になっていますが、創業当初は魚屋さんだったんです。


魚屋さんから料亭っていうジョブチェンジありなんだ。あ、でも魚屋併設の丼屋とか旨いから、あるか。


でもミシュランに載るまで行くのはなかなか無いんじゃないですかね。ちなみに魚屋を開店した時には泉鏡花さんも祝辞を送っています。「魚よし、酒よし、鹽梅(あんばい)よし、最一つ威勢の好い事は、此屋の亭主俠勢にして、人間活きたる松魚(かつお)の如し。」と評しています。


活きたカツオのような魚屋店主は褒め言葉なのか。


カツオは泳ぎ続けないと死ぬらしいですからね。お魚くわえたドラ猫を包丁持って永遠に追いかけていきそうな感じのね。


なるほど。いいですね。


魚屋時代の「うを徳」ですが、こちらも『婦系図』では「めの惣」という名前で登場します。主人公と別れることになった遊女のお蔦さんがここの2階に身を寄せるって形で。


けっこう大事な場面で出てくるんだね。


それだけ愛着のあるお店ってことですかね。





裏手にまわると、



なんとも良い香りが鼻孔を刺激します。これは魚を焼いておりますな。何かこう、脂身の多い……鯖でしょうか。香りでご飯を食べるネタは使い尽くされている感じありますけど、これは本当にご飯いけそうです。


師匠の旧居跡を訪問する

先ほどから何度か名前が出てきている、泉鏡花さんの師匠、尾崎紅葉さん。
師匠の家の最寄り駅は牛込神楽坂。もうちょっとだけ神楽坂を登ります。




神楽坂上の交差点。坂上って書いてますけど、直進すればまだまだ神楽坂の商店街は続きますし、神楽坂駅はこの先です。
ちなみにここは早稲田通りでもあり、そのまま行けば早稲田駅にも着きます。

今日はここを左折します。




どうでもいいけど左折したら「神楽坂」のフォントが変わった。




ごみ捨て禁止
ごみを捨てないでください

訳す必要ある?




いいビル。




いいドア。




フレンズ。


レベッカね。






牛込神楽坂駅です。
奧に駅のアイコンがあるけど、手前はよく見ると違う。



ワインを一気飲みしている。




この手形……





常人の2倍近い手のデカさだ。牛込神楽坂にはヤバいのが住んでいる。





お疲れ様セットで泥酔して、壁に手を付きながら崩れ落ちたんじゃない?






ホビットの出入り口?



袖摺坂を上る。
道幅が狭くてすれ違う時に袖が摺れるっていうことで袖摺坂という名称になったと。
現在は階段になっています。袖摺階段。



誰ともすれ違いませんでした。ちょっと安心。
この高台は古い住宅街なんですね。神楽坂のまた違う顔。




このあたりは横寺町と言うんですね。



左手の路地にひっそりとありました。尾崎紅葉さんの旧居跡。泉鏡花さんの家からそんなに遠くない。歩いて7分くらいの距離。

尾崎さんは早い時期に流行作家になり、20代の頃から弟子をたくさん抱えていて、面倒見が良かったんですね。その中でも小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声、泉鏡花は尾崎門下四天王と言われていました。


四天王は合計4人ですか?


どういうこと? 4人ですよ。四天王って言ってんだから。


ほら、ものまね四天王はビジーフォー(グッチ裕三・モト冬樹)が居るから計5人じゃないですか。ああいうのが本当に嫌なんで、四天王の話が出たときはいつも合計人数を聞くことにしてるんです。


そうですか。尾崎門下四天王には、ゆでたまごみたいに2人のペンネーム、とかの人は居ないです。


それは良かったです。






尾崎さんは『うを徳』の初代ご主人同様にさっぱりとした性格でやさしさと短気さを持ち合わせている感じだったそうで、説教の際には口の悪さとユーモアが入り混じって、弟子たちは怒られながらもつい感心してしまうことも多かったとか。
病床に伏しても限界まで弟子の原稿を添削してたという話です。最期は、自分の周りで号泣している人たちを眺めて「どいつもまずい面だ……」って遺して亡くなりました(諸説あり)。36歳。若い。
尾崎さんの代表作のひとつである『金色夜叉』は未完だったので、弟子の小栗風葉さんが物語を締めくくりました。




ところで、神楽坂は飯田橋方面から見るとちょっとわくわくするので、最後に行ってみましょうか。



江戸城方面からかつての花街神楽坂へ行くには、外堀に架かる牛込橋を渡ります。
現在の牛込橋は1996年にリニューアルしたものですが、橋は1636年(寛永13年)からあります。




牛込御門を抜けて橋を渡りきるとここは城外。そして遠くに神楽坂の上り坂が見えてきます。
なんとも高揚感を誘う、すばらしい天然の演出だと思うのです。
たとえば2009年に出来た広島カープの本拠地マツダスタジアムも、スタジアムに向かうまでの道はなだらかな上り坂になっていて、これは高揚感の演出なのだそう。
江戸時代の人も、ウッハウハで神楽坂に繰り出したのではないでしょうか。

時代は下り、泉鏡花さんが尾崎紅葉さんと師弟関係を育み、伊藤すずさんと静かに関係を育てた神楽坂。
ところで神楽坂、実はほかにも沢山の有名人が住んでおり、偉人の旧居密集地帯なんですよね。



あちこちに偉人旧居マップが貼ってあるほど。
今回は泉さんと尾崎さんを採り上げましたが、ほかにも夏目漱石さんや作曲家の田村虎蔵さんなどが住んでいました。
坂は偉人を引き寄せる。何度か当サイトで採り上げている「文豪は坂に住みがち」は今回も成立した格好です。




お堀の脇を電車が走り、サクラテラスがそびえ立つ。
牛込橋の真下はいま、飯田橋駅のホームを新宿方面にずらす工事をしていてなにやら騒々しい。
それでもなんとなく落ち着く景色なのは何でしょうね。
景色はきっと変わってしまいましたが、かつての偉人も、こうやって物思いに耽っていたのかもしれません。



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参考資料

里見弴「二人の作家」
泉鏡花「魚德開店披露」
http://kagurazaka.yamamogura.com/uotoku/





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山川悠

誰もいないバッティングセンターで数百円分の素振りを楽しむのが好きです。
いや、本当は好きじゃない。みんなが見てる前でカキンカキンしたい。高校時代は帰宅部。

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