上野 / 森鴎外が愛した街は、きっといい街。
- 更新日: 2017/07/25
森鴎外旧居は鴎外温泉になっている。どういうことだよ。
どうもこんにちは。今日は上野に来ています。あ、駅は京成上野ですけど。
上野と名の付く駅多いですよね、上野広小路とか、上野御徒町とか。ところで今日は何しに上野へ?
今日は7月11日ですけど、僕この時期になると森鴎外を思い出すんですよ。読書感想文で、何度か森鴎外のお世話になりました。短編が多いですし。
そこかー。
それだけじゃないですよ。薄暗い苦悩を描いた作品も多いので、悩みの多い思春期の中高生に最適の題材だと思うんです。ぜひ今の中高生にも読んでもらいたいですね。鬱な気分になりながら、夏休みの終わりと終わらない宿題に震えて眠ればいいんですよ。
っていうか、森鴎外っていえば、駒込のイメージがあったんだけど違うの? 森鴎外記念館も駒込のほうですよね。
あー。そうですねぇ。駒込は30歳から60歳の亡くなるまでの間、ずっと住んでましたからね。
じゃあ、この企画の趣旨「偉人の愛した街」としてはさあ、駒込なんじゃないの?
もう上野に降りちゃったから。あと、ほらもう、始めちゃってるから。
既成事実からのゴリ押し?
真面目な話、森鴎外の上野時代は28歳の時で結婚してから少しの間だけなんですけど、上野公園周辺は鴎外にちなんだスポットがたくさんあるんですよ。
上野は観光地であることを再認識する
京成上野口駅正面口を出てみました。修学旅行生に外国人観光客。
そういえば、ここは日本を代表する観光地、SEKAI NO UENOであった。
今となっては東京駅からも東北新幹線に乗れますが、かつては北の玄関口といえば上野駅でした。
「あゝ上野駅」は、上野駅で見かけた北からの集団就職の少年たちを題材にした歌です。
森鴎外あんまり関係ないですけど、アメ横を無視するのもどうかと思うので、来ましたよ。
いつ来ても良いですよね。昔よくアメ横センタービルの地下で香辛料買ってたなあ。ガード下のほうの飲み屋街は今工事入っちゃってますけど、あそこも良い。美術館の帰りに飲むのとかが良い感じです。
ここらへんはやっぱり闇市から来てるんですか?
やっぱり、がよくわからないけど、やっぱり闇市から来てるそうですよ。
そういえば2017年6月に上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれたので、上野は今お祝いムードに包まれているのでした。
ここでもパンダ赤ちゃん誕生の垂れ幕が。
パンダ誕生は、ヨドバシカメラが特別セールをやるレベルのめでたさ。
とにかくめでたい。麺もいつもより多めに上下しております。
じゅらくといえば、上野駅前に聚楽台っていうレストランがあったんですけど、西郷会館の老朽化によって2008年に無くなっちゃったんですよ。結構目立つ建物だったのでなんか寂しい。ここは同じ会社がやってるレストラン。
東京名物を売りにしているってことですけど、そういえば東京名物ってなんだろう?
上野バーガーと「大人のお子様ランチ」を推しているので東京名物はこれかな。これが東京……。
薩摩の食材にこだわる居酒屋、薩摩魚鮮。やっぱり上野公園の西郷隆盛像の影響なんでしょうか。
しかし「西郷さんの溶岩焼き」は1番人気ではなく、2番人気。
ちなみに上野公園の西郷隆盛像も身内には不評だったらしい。完成像を見た西郷の奥さんは「主人は浴衣で人前に現れるような人ではありませんでした」と言っていたらしい。
森鴎外スポットの多い上野公園へ
さて、そろそろ上野公園に向かいます。上野駅の一角はまるっと上野公園です。上野公園の正式名は上野恩賜公園。恩賜(おんし)とついている公園はよくありますが、これは皇室の土地を賜ったものです。さらに東京に限って言えば、その前は江戸幕府ゆかりの土地であったことが多いです。
ここはかつて上野山と呼ばれ、江戸城の鬼門を封じる東叡山寛永寺があった場所です。江戸末期には、幕府の治安維持部隊である彰義隊がここに立てこもり新政府軍と対峙、上野戦争の舞台となったところでもあります。
今では、美術館、博物館をはじめとする文化施設、上野動物園、神社などを内包した巨大な公園になっています。
JR上野駅の脇を通っています。ここらの上野公園の側道はぐっと高くなっていて、だいたいホームと同じ高さ。京浜東北線が停まっているのが見えます。
地形図を見るとこんな感じ。上野公園がある台地は武蔵野台地の東端です。JRは台地に沿って走っているんですね。
不忍池は谷に当たります。谷は北に伸びていまして、ここらは「谷中」「根津」「千駄木」、通称「谷根千」なんて呼ばれていまして、散歩の聖地のようなスポットです。良い街は谷にできるの法則ですね。
ちなみに上野戦争のとき、寛永寺(上野公園)に籠城した彰義隊を殲滅するために、新政府軍のアームストロング砲が東大のあたりに配置されたそうです。地形図でいうと、谷を超えて左隣の山です。確かに、狙えそうだなぁ……。
全然関係ないけど、この飲食店の入り口、なんか懐かしい感じがすると思ったらあれだ、マリオカート64のレインボーロードだ。近道失敗して落っこちるやつ。
そのうちJR上野駅公園口に着きます。今日はこっちで待ち合せたほうが良かったんじゃないか。
上野の森美術館では、今は片岡鶴太郎展がやっている。
橋に絶対使わないフォント使ってきたなあ。ところでパンダ橋ってどこ?
あの階段上ったところで、JRの線路の跨線橋です。災害発生時に、反対側の人が上野公園にすぐ避難できるように作られたんですって。
公園の中はマイナス3度くらい。涼しい……。
さて、来ましたよ。本日一発目の森鴎外スポット・日本芸術院会館です。
こんなとこあったっけ。俺けっこう上野公園来てるんだけど、お目にかかったことないですよ。先週できたの?
昭和33年からありますよ。確かにここは用事ないかもしれないですね。
で、これは何なの?
日本芸術院ってのは、優れた芸術家を優遇顕彰するっていうところで、今だと映画監督の山田洋次さんとかが会員にいらっしゃいます。日本芸術院はその昔帝国美術院という名前だったのですが、森鴎外は帝国美術院の初代院長だったんですよ。
森鴎外は芸術方面もイケるわけ?
そうですね、オペラの翻訳とかもしてましたし、演劇に関する評論も残されています。あと芸大で非常勤講師として美術解剖学を教えたんですよ。
全知全能感がすごい。
ちなみに森鴎外記念館を作ったことで、設計者の陶器二三雄さんは日本芸術院賞を受賞しています。
少し歩くと、正岡子規記念球場が。
正岡子規って野球めちゃくちゃ好きだったみたいですね。
ベースボールを野球と翻訳したのは正岡子規だっていうトリビアと、実は正岡子規じゃない、みたいなトリビアがあった気がして、どっちだったかいつも忘れちゃう。
今調べたら、中馬庚(ちゅうまんかなえ)という人が初めて「野球」と訳したそうです。野球用語を翻訳した数で言えば正岡子規もけっこうあるそうですけどね。
合格大仏だって。
あの中ですかね。でも大仏にしては建物小さくないですか?
これはパゴタ(仏塔)といって、経文を安置するところなんだってさ。じゃあ大仏どこなのよ。
想像と違う感じで居た。普通を装ってますけど、今年一番びっくりした。
通称「顔だけ大仏」だって。なんでこんなことになってるの?
関東大震災で倒壊しちゃったんですって。もう修復せずにこれで行く感じなんですかね。
「顔だけ大仏」でブランディング出来ちゃってますしね。今更胴体出来ても、なんかねぇ。
ところで、さっきのパゴタ、寄進者:大成建設って書いてある。大成建設って仏塔みたいなのも作れちゃうんだ。それともスカイツリーの練習で作ったのかしら。
精養軒。明治5年創業の西洋料理店です。さっきから上野公園、名所が渋滞気味です。
なかなか次の森鴎外スポットにたどり着きませんが、全部上野のせいです。
上野東照宮。東照宮とは東照大権現(徳川家康)をお祀りする神社で、一番有名なのは日光東照宮でしょうか。
公式サイトによれば、上野東照宮は、日光まで行けない江戸の人のために日光に準じた豪華な社殿を建立したそうです。
確かに、お金かかってそう。
おびただしい程の数の灯篭が並んでる。それぞれ背の高さも違うし、月と太陽が彫られてる。
これ、あれですね。ドラクエでよく見かける謎解き要素のあるダンジョンですよ。いろいろ推理して灯篭を動かすと、徳川の埋蔵金の在処が分かるんですよ。
でも灯篭動かす筋肉ないからなぁ。
答えが分かっても、そこで脱落ですね。筋肉は正義。
しかし灯籠多すぎません? っていうかこれ、余ってません? よく道路の端に不要になったガードレールがこんな感じで置いてあるよ。
この狛犬、ものすごく筋肉質でたくましい。
毛を刈ったら実はガリガリで、トイプードルみたいに刈り込むと可愛くなるパターンかもしれない。
東照宮の入り口付近は露店も充実しています。カレーそうめんもぼちぼち気になるのですが、特に気になったのは……
もんじゃまんです。今どきのもんじゃはまんじゅうに包んで食すものらしい。
聞いたことないけど、上野の人がそう言うんだから、そうなんでしょう。
まだまだ時代に乗り遅れるわけにはいかない。頂きます。
中身はこんな感じ。「あん」にする必要があるので、普通のもんじゃよりも若干固まっている気がする。そのせいか、かなりこってりしてた味付け。
もんじゃは数年間食べていないのでイマイチ自信ないですが、もんじゃってこうでしたっけ?
ワーワー言いましたが、ホクホクしてるのは大体おいしい。ごちそうさまでした。
おっ! これが上野動物園か!
東京都民でしょ。来たことないんですか?
なんか小さい頃にあった気がするんですが、全然覚えてないです。パンダも見たはずなんですけど、全然記憶がない。
俺は静岡県民だから、東京観光は鮮明に覚えてますよ。5歳の頃来たんですけど、今はあるか知らないですけど当時パンダアイスってやつ売ってて、それを一口も食わないままパンダの前で落としたのを覚えてる。んで、パンダの前って立ち止まっちゃいけなくて、俺のパンダアイスを、後ろの人がどんどん踏んでくんですよ。だからアイスばっかり見てて、パンダを見た記憶がない。
パンダの記憶が無いっていう点では一緒じゃないですか。
えっ? これを一緒って言える?
信号を超えて……
国立博物館に来ましたよ。ここも森鴎外スポットです。
またなんか偉い役やってたんだ?
初代ではないですけど、総長をやってました。あと図書頭(ずしょのかみ)という役職も兼任してました。務めたのは亡くなるまでの4年の間だけでしたが、職務をこなしつつ、50年ほど続いた博物館を時代に見合うように、改善・改革をしていったんですよ。あとは、館蔵の古典籍の解題に取り掛かったとか。
なんでもできるんだな本当に。弱点とかってないの?
森鴎外の仇敵かなにかですか。あ、潔癖症で野菜も果物も生では絶対に食べなかったらしいですよ。
ほう、そりゃいいこと聞いた!
こんな情報仕入れてどこで活かすというのか。
森鴎外の旧居へ
さて、上野公園はまだまだ続くのですが、一旦公園を出て、森鴎外の旧居を目指しましょう。現在は「水月ホテル鴎外荘」として運営されています。
公園を出ようとうろうろしていたら……
偉人たちの手形が飾られている。どこかから来たおばちゃんたちがキャッキャ言いながら自分の手を当てはめて、大きさを比べ合っていた。比べて、どうするというのか。
Qちゃんこと高橋尚子さんの手が意外と大きい。給水掴みやすそう。
手形以外でもOKみたい。指紋認証などで悪用の不安がある偉人たちでしょうか。
まだまだスペースがある。なんとかしてボクの手形も。量子力学的には確率はゼロではない。
不忍池の東岸を北へ進んでます。
向こう岸は湯島で、最近は高層マンションが立ち並んでいます。高そうだけど、目下に不忍池なんて、気持ちいいだろうなぁ。
うわっ、なんすかあれ?
上野動物園のモノレールですよ。懸垂式のまあまあ珍しいやつ。常設型では日本初だそうですよ。
動物園のモノレールがなんでこんなとこ通ってるんですか?
ほんとに上野動物園の記憶が無いんだな……。上野動物園は東園と西園があって、さっき見たのは東園です。西園は不忍池のほうにあるんですけど、モノレールが繋いでるんですよ。
そこからすぐに、「水月ホテル 鴎外荘」の看板が見えてきます。
森鴎外の旧居ですが、現在はホテルになっています。森鴎外の何かは残っているんだろうか、とちょっと不安だったのですが……
近づいたらめちゃくちゃ鴎外推し。すごい鴎外率で、むしろホテルであることが分からないくらい。本当にホテルなの?(ホテルです!)
献立も森鴎外が絡んでますね。鴎外懐石と鴎外プレミアム懐石がある。
森鴎外の顔が書いてあるTシャツも売っている。
台東区コミュニティバス「めぐりん」でお越しの際は、鴎外旧居跡ですよ。
ここに住んでたのは短い間でしたけども、ここで「舞姫」、「うたかたの地」、「於母影」を執筆したんですよ。
舞姫ってけっこう有名ですよね。
そうです、よく学校とか入試のテストの文学史問題でよく出てきた記憶があります。大学生の頃に読んだんですけど、最後の一文がなんとも鬱っぽくて、それが心地よかったですね。
なんて書いてあったんですか?
いや、オチを言うのはちょっと。気になるけど本屋とか図書館行くの嫌だなって人は、青空文庫ってサイトで全文公開されてるので、そこで読んでみてください。
森鴎外の行きつけだった蕎麦屋・蓮玉庵へ
森鴎外の行きつけの蕎麦屋があると聞いて、ちょっと寄ってみます。仲町通りにやってきました。不忍通りから一本南、水商売風のお店も多く、ちょっと怪しい雰囲気もある通りなんですけど……
そんなところに突然現れた貫禄ある建築。これはいいですぞ……
じゃあ、入りましょうか。
店主の佇まいじゃないですか。
ギャー! 店内の雰囲気が意外すぎる! まさかのリノベ物件であった! とはいえ、おばさん曰く、味はずっと変わらないとのこと。
蓮玉庵は江戸時代後期1859年からずっと続く老舗のそば屋。森鴎外の短編作品「雁」でも登場人物たちがこのお店に寄っている描写があります。鴎外もよく来ていたとか。当時は、天ぷらだのとろろだのといった具材は蕎麦の上にはのっておらず、シンプルなものだったそう。
であれば、鴎外も食べたであろうシンプルなやつを頼もうかと思ったのですが、おばさんが執拗に勧めてきたのが新メニューの鳥せいろ。
新メニューだから! 美味しいから! とすごく勧めてくるので、鳥せいろにしてしまった……
鶏肉は生で食べられるやつとのこと(もちろん火は通しています)。プリプリで美味しい。これは大満足のやつです。
蕎麦も、時代を生き抜いてきただけあって文句なしの旨さ。鳥せいろで良かった!
俺、20代の頃、上野に住みたかったんですよ。当時の仕事の都合で叶わなかったんですけど。
なんで上野なんですか。
上野公園って、博物館とか美術館いっぱいあるでしょ。一時期ハマって、毎週のように来てたんです。
そんなに。
そのうち、微妙な展示がわりとあることに気づくの。それがまた面白くて。テレビでCMやるような展示は完成度の高いやつなんで安心なんですけど、たまに、ひっそりとやってるやつがあって。それがキュレーターの腕なのか予算なのかわからないですけど、えっ? みたいなやつがあるんですよ。いつだったか、ロボットに関連する企画やってて、目玉にはASIMOとかも来てたんですけど、なんか、展示品が足りなかったんでしょうね。最後のほうで、ドラえもんのぬいぐるみと、どらやきのオブジェを、大層なガラスケースに別個で並べてて。あっ! 水増し! って思った。
そういう楽しみ方もあると。
そう。上野は面白い。
上野の森鴎外はその後離婚、駒込千駄木へ居を移すことになります。しかし上野と縁が切れたわけではなく、前述のとおり、文化施設などに携わりながら多くの業績を残しました。文化・芸術の街であるところの上野、その一端を担ったのは、森鴎外だったと言っていいのではないでしょうか。上野公園は今日も人がいっぱいでした。僕も上野に住んで、文化のシャワーを浴びるのもいいなあ、なんて思ったのでした。
そろそろ、帰りますけど、
そうだった、今この街はパンダ誕生に浮かれていて、文化どころではないのでした。
京成上野駅のホームでは2回に1回の割合で赤ちゃんパンダ誕生のお祝いが流れていて、遅延情報とかよりパンダになっていました。
これは、ちょっと浮かれすぎだろ。
(おしまい)