田端 / 芥川龍之介が愛した町は、きっといい街。

  • 更新日: 2018/04/10

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田端駅の隣に突然の崖。その理由は……

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どうも、今日は田端に来ております。


来たか、田端。友達が山手線ゲームで「田端」って言ったら「は? そんな駅ねーから!」とか声の大きなギャルに言われて負けになったらしいですよ。


山手線の正しい駅なので安心して田端って答えてくださいね。ところで、前回は三鷹で太宰治さんやったじゃないですか。今回は、そんな太宰さんが敬愛していた人物にフォーカスしたいんですよ。


はい。


本を全く読まない人であってもその名を知らぬ者はいないくらいのビッグネームな人ですよ。文学賞にもなってる……


直木三十五さんですか。


あ、そっち来た。そっちの方だとあれですよね、下の名前知ってる人少ないじゃないですか。正解は芥川龍之介さんですよ。


まあ、太宰さんが敬愛した人っていうので分かったけども、有名な話ですよね。


そうそう。ノートの端っこに何度も何度も「芥川龍之介」って書いてたり、死後に創設された芥川賞も欲しくてたまらずに、選考員に長さ4mにわたる書簡を送ったり。


美容室でも「芥川龍之介みたいにしてください」って言ってたらしいですからね。


嘘を、混ぜないでくださいね。そう、芥川さんの話ですよ。1913年から、自殺してしまう1927年までこの田端に住んでいたんですね。東京帝大在学中の14年に処女作「老年」を発表しているので、田端は芥川さんの小説家としての生活があった街です。




陽当たりが良好すぎる田端ふれあい橋



北口駅前はこんな感じ。ガストにマクドナルドが駅近にあるのは、ファーストフードイーターからすればかなりの好印象。



北口出て左手に行くと田端ふれあい橋に出ます。ここの橋は陽当たりがめちゃくちゃいいんですよ。



橋の案内板が反射しまくって直視できないのもご愛敬です。陽当たりは正義。



あれ、これさあ、車道は違う橋なんだ。歩道と車道で分断されている。


今居る左の歩道橋は「田端ふれあい橋」で、右の車が走る橋は「田端大橋」ですね。


ふれあい橋のほうが後にできたのかな?


名前の成分が平仮名多めだと歴史浅めに感じますよね。実はふれあい橋のほうが先に出来ました。


ええー? そうなんだ? ええー? ゼロベースで「ふれあい橋」なんて名前をつけることある?


や、田端ふれあい橋の旧名が、田端大橋なんです。当時の軍艦建造技術を活かした全溶接橋として、昭和10年に建設された珍しい橋なんですよ。当時はここに車も通ってました。


軍艦建造技術。よくわかんないけど、すごそうな感じを出すときに使う言葉としてストックしておこう……


で、経年劣化が進んできたということで昭和62年に撤去して新・田端大橋を架けようということになったんですけども、地域住民からの要望もあって、旧・田端大橋は歩行者専用のふれあい橋として残されることになりました。ちなみに芥川さんは昭和2年に亡くなってしまったので、どちらの橋も見ていません。





東北新幹線の200系の車輪が展示されていました。初期に活躍した車両ですね。




この銅像、森と同調しているというか浸食されているというか。見る人によって解釈が分かれそうな銅像ですね。


昔はこんなに緑に押されてなかったんだと思う。数十年後にどうなってるかね。


完全に森に籠っちゃうかもしれない。


せめてこう、森から首だけ出してほしいな。





ちなみに、ここの花と緑はホテルメッツ田端さんが大切に育てているそうです。




橋を降りまして、



田端駅通り商店街を歩きましょうか。




なんか不気味な手形がついてない?


泥のついた両手をついてそのまま崩れ落ちた感じですね。一体何が……。


田端……存在した……の……か……ギギ……


誰?


山手線ゲームで「田端ねーから!」って言ったギャルです。





美容室EM(エム)。店名の由来がなんとなく想像できてしまいます。




一窓に一文字入れてお店のアイデンティティを主張する形式はよくあるパターンですが、ここの塾は一窓に二文字。窓の開け閉めにも気を使いそうです。




初恋屋さんですって。どんな初恋が売ってるんでしょうか。




レンタルビデオショップ S商会ですって。なんかものすごいビデオありそうですね。


「黒の章」とか。


幽☆遊☆白書のアレ。


今まで人間が行ってきた罪の中でも最も極悪で非道のものが何万時間という量で記憶されていて、人間に対する価値観が変わるとされるビデオ。


何万時間だと、ビデオ何本あるんだろうな。幽☆遊☆白書の連載時期からすると、VHSの想定ですよね。


ブルーレイで画質落としても結構いきますよ。


似たような悪行とかカットして、せめて3本くらいに収めたいですよね。良い編集者居なかったのかなあ。








とにもかくにも、味のある商店街でございました。


芥川龍之介が嫌がっていた坂を見にいく



さて、今度は田端駅の東側にやってきたのですが、見てください、この突然の高低差。



この正体は武蔵野台地。田端駅の東は台地が広がっています。



駅の隣に突然の崖、面白いですよね。ここらのJRが武蔵野台地の際を走っていることもあり、実はお隣の西日暮里、日暮里、鶯谷などもこんな感じではあるのですが。




そして、台地を貫く切通の道。田端大橋から続くこの道は、昭和11年の地図に初めて登場します。芥川さんが亡くなったのが昭和2年だから、もしかすると見ていないかもしれません。



上歩いてるときに下の方で友達見かけたらもどかしい思いをしそう。近くて遠い、この距離。

さて、この高低差のおかげで、田端には味のある坂がいくつかあるのですが、その中に、芥川さんゆかりとされている不動坂があります。



ここですね、不動坂。


芥川さんが愛した坂であると?


その逆なんですよ。不動坂は現在は階段になってますけど、昔は道幅の狭い急な坂だったんですよ。雨が降ってるときに雪駄で降りるの嫌だなぁ~、ちょっと学校休みたくなっちゃうなぁ~って友人宛ての手紙に書いてます。


おっ、こっちサイドの発言じゃないですか。もっとストイックかと思ってたら。急に親近感湧いた。こんどみんなで鳥貴族行きましょうよ。


僕も分かります。大学生の頃は、学校前の坂が嫌で休んでたことがありました。


原付買いなよ。原付いいですよ。そういうのも含めて鳥貴族で話そう。


鳥貴族行きたいだけでしょ。





そんな芥川さんが嫌がっていた坂は、現在、斎場建設問題で揉めています。




これ見て思ったんだけど、経年劣化体、っていう書体どうかな。


いいと思います。






居心地の良さを売りにした野菜専門店?


食べログ調べてみたけど居酒屋みたいですね。そこまで野菜野菜してるわけでもなく、5時~7時までにタイムサービスあるっぽい。


余計なお世話だけど、野菜専門じゃないのに野菜っぽい名前つけるの損じゃないですか? 昔、温野菜をしゃぶしゃぶの店だと知らなくて、茹で野菜のお店とかOLかよ、一生縁のない店だわーって思ってたんですけど、行ったら、えっ? お肉、あるの? えっ? むしろメインがお肉? みたいな、そういう事故あるでしょ。


あるかなあ。


無いか……


なんで弱気に。




芥川さんの詠んだ山茶花を見に行く



さぁ、不動坂を登り切ったところから、芥川さんの旧居を探しに行きましょう。




細っこい坂道が分岐しています。




ここは上の坂っていう名前がついている。駒込方面が見えます。この西側に芥川さんの旧居跡が。




さぁ来ましたよ。ここが芥川さんの旧居跡です。引っ越しの翌年に書いた「羅生門」は絶賛されて、この家の書斎は文士がよく出入りしてたんですってよ。


でもさあ、実際、スター小説家の家に行って何するんだろう。


勉強会的な感じなんじゃないですかね? もっと小説に対する考え方とかこういう作品を書きたいとか。


友達の家で勉強しようぜってなると絶対途中から勉強しなくなるんだけどな。


ちょっと休憩にと思ってマンガやらゲームに手を出しちゃったりするんですよね。で、もう眠くなってきたから帰るわーみたいな感じで結局ほとんど何も勉強しなかったりして。あ、でもマンガじゃないですけど外国の本が所々に散らかってたみたいな話はありました。


集中できなくなったときには外国語の本を読みだすところにエリート感がある。


芥川さんの主治医である下島勲さんが書いた「芥川龍之介の回想」の一節によると、芥川さんってめちゃくちゃ本読むスピードが速くて、人としゃべりながら本読んでも全然平気みたいな特殊能力の持ち主だったらしいですよ。そのうえ、芥川さんは話題が広くてトークがうまかったもんで、しょっちゅういろんな人が出入りする活気あふれた書斎になってたみたいですね。






この山茶花の木は芥川さんが住んでた頃からありました。「山茶花の莟(つぼみ)こぼるる寒さかな」っていう句を詠んでいます。




山茶花の木の隣にある掲示板。芥川さん絡みの情報に特化した掲示板なのかと思ってチェックしてみたところ、




収穫できた情報は江戸野菜にもゆるキャラが存在していたという点でした。ちなみに「滝野川にんじん」の「滝野川」とは田端と同じ、北区に流れる川および地名です。滝野川は石神井川と同じなのですが、下流付近に滝があり「滝野川」と呼ばれていたんだとか。

たきのがわにんじんちゃんとたきのがわごぼうくん。素材の良さをそのまま生かしたネーミング。


親しみやすくデフォルメされてますけれども、けっこう野菜界では大御所っぽいんですよこのコンビ。滝野川ニンジンは長さ1mにも及ぶロングにんじん。滝野川ごぼうっていうのは、現在世の中で見かける国産ごぼうの9割以上の祖先なんですよ。


世の中のごぼうの9割が、滝野川ごぼうの血を?


そう! 現在の日本の競走馬の6割以上がサンデーサイレンスの血を受け継いでますけども、それ以上にすごいんですよ!


こっちのほうが全然ビッグダディですわ。






自宅から、芥川さんが結婚式を挙げたという場所の跡地まで歩いてみます。相変わらずせまっこい路地が続きますね。




ここはかつて芥川龍之介さんが結婚式披露宴を行った天然自笑軒の跡地です。田端界隈に住む芸術家や文士たちがよく顔を出していた懐石料理店でした。森鴎外や斎藤茂吉、宮本百合子などの著作物にも天然自笑軒に関する記述があったらしいですね。



芥川さんは奥さんである文さんを、それはもう深く深く愛していたんです。芥川龍之介さんが文さんに、愛ゆえの純粋で情熱的な思いをつづったラブレターを送ったというのも有名な話。ちょうどとある場所に芥川さんのラブレターが展示されているというので見に行きます。


田端の偉人たちの功績を展示した無料ミュージアム

天然自笑軒から駅前の方面まで戻っていますが……



Bistro WATANABE。



シチューに定評のある「がらんす」。天然自笑軒の通りはヨーロピアンな料理店が多く、お昼時には財布を持ったOLやサラリーマンが今日入るお店を選んでいます。古い街並みですが、この通りはいまも賑わっています。




突き当たりの広い道、これは先の田端大橋からの切通を越えたところの道なのですが、この付近の名前が……



りゅうのすけくん通り。芥川通りとか龍之介通りではなくりゅうのすけくん通り。
桃色の河童と緑色の河童はおそらく芥川さんの「河童」に出てくる世界の生き物かな。人間のように一定の皮膚の色を持っていなくて、草むらに潜んでいるときは緑色、岩山でウロチョロしているときは灰色に変化して、その場の環境に合わせて色を変えていくんですって。



「河童」は1927年に発表した作品で、それにちなんで同年7月24日の芥川さんの命日は「河童忌」と呼ばれています。芥川さんの遺書に書いてある「将来に対する唯ぼんやりとした不安」というフレーズは有名ですが、この小説も、芥川さんの自殺の動機を考えるうえで重要な手がかりであると考えている人が多いんですよ。
そのころの心の中にあった厭世的な思いというのが「河童」の文中の随所に表れているとされています。人間の世界と河童の世界とは価値観が真逆であることが多く、たとえば、雌が雄を追いかけまわしていたり、クビになった職人河童たちを屠殺して、彼らの肉体でサンドイッチを作ったりしていたり。




無料ミュージアムに行く前にちょっと気になるスポットがあったので寄り道を。




田端八幡神社です。謂われは古く、源頼朝が奥州の藤原一族を倒した後の帰り道に駐留した証として、鎌倉八幡宮の神仏の来臨を願ってこの地にも八幡神社を建立したとあります。



自治会ごとの神輿庫。ここにある神輿が一斉に出撃したらすごい迫力になりそう。




一段一段と踏み面の面積が不均一ですから、足元を見ないで急いで登ったら大変なことになります。




保護樹木のネームプレートと共にくくりつけられているタワシと柄杓。木の溝にうまい具合にタワシの取っ手がフィットしています。




気を取り直してミュージアムに向かいます。




仲睦まじげに並ぶ「そば処 開高庵」と「インド料理FUL BARI」ですけども、



開高庵にもカレーライスが売っています。でも良いんですよ。インドのカレーとそば屋のカレーは別物です。だから共存できるのです。






やってきました。その名も田端文士村記念館。



展示内容は「芥川龍之介の結婚と生活」。2018年2月2日は芥川龍之介と文さんが結婚してちょうど100周年目だったんですね。残念ながら2月4日に展示は終了していますが、奥さんに向けたラブレターやら結納の目録やらがありました。
最も興奮したのは、田端の家復元模型1/30スケール。なんか布団の敷いてあった部屋の奥で誰かが寝ていました。あれは芥川さんだったのでしょうか……。

芥川さんは自殺前日、近所に住んでいた親友の作家・室生犀星さんの自宅に顔を出したのですが、室生さんは取材で自宅に不在。彼は「もし自分が外出していなかったら……」と後年まで悔やんでいたそうです。
何度か触れましたが、同じ作家であった室生さんをはじめ、田端にはたくさんの文化人が住んでいました。

芥川さんの死後、友人達が回顧録を出版しています。
親友の宇野浩二さんの「芥川龍之介」や、小穴隆一さんの「芥川龍之介の囘想」など。室生犀星さんは「憶芥川龍之介君」などの随筆を書いています。

芥川さんにとっての田端は、友達いっぱいの街だったんですね。





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山川悠

誰もいないバッティングセンターで数百円分の素振りを楽しむのが好きです。
いや、本当は好きじゃない。みんなが見てる前でカキンカキンしたい。高校時代は帰宅部。

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