終わりのない昭和、この空間にだけ流れる永遠
- 更新日: 2025/07/24
仄明かりが照らすアーチの連続美
街中に潜む秘境駅とも言うべきか、知る人ぞ知るディープスポット・国道駅。
戦火の傷跡もそのままに100年近く姿を変えず在り続ける場所だ。
廃墟や遺構に特別興味はないし、まして歴史に関心があるわけでも無い。それでも行きたいと思ったのは、ここが今もなお鉄道駅として稼働しながら今を生き続ける場所だからだと思う。

一旦鶴見駅で降車。駅前の居酒屋に集まって以来なのでここ以外の景色を知らない。街並みを眺めながら国道駅まで向かってみる。昇りきった太陽が沈みかける頃、平日な事も相まって往来は賑わっている。

隙間なく緩曲線に沿って留まる二輪車たち。この辺りは平地が多いのだろうか。

ここがランドマークタワーと言わんばかりに地名を標芳。

線路に沿ってずんずんと進むだけなので地図を見る必要が無い。ふと横目に見る街路がいい雰囲気。ひと気の少なさも手伝って何となく侘しさを感じる。

大通りが斜陽を照り返し目の前が霞む。まだ気配は感じられない。

いきなり現れた物物しい雰囲気の高架。

国道駅と対面。構えていてもなお迫力に圧倒される。この空間にだけ流れる永遠に迷い込んだかのような感覚に陥る。

人止めに使うであろうコーンはどこかで剥がれ落ちたらしい瓦礫とともにしまわれもせず雑然と道横に寄せてある。この空間にだけ適用される不文律を示すかのような光景だ。

室外機が平然と道沿いに置かれているのも異様だ。”National”の絶妙なカラーリングがまたいい。

ところどころ横道が存在していて、その壁面には時間の経過を物語る記録が残されている。まだ次の元号を迎える前、昭和82年という存在しない日時。歴史や過去に興味は無いと言いつつも、ここまでリアルな痕跡を目の当たりにすると揺らぐものがある。


換気扇に書かれた謎の筆跡。アルファベットの意味自体は不明だが、この”STYX”というグラフィティは二俣川や渋谷の裏道など至る所に出現しているらしい事が分かった。推測ではアメリカのロックバンド「スティクス」なのではという説があるそうだが確証はない。

その流れでこちらの落書きを見ると見方が変わる。あれらも訪日外国人による筆跡なのでは?...と思ったがエンジェルの綴りをわざわざ間違えるだろうか。怪しくなってきた。

いくつかの飲み屋とともに住居も入っている。駅の中に住むと考えると異常に感じるが何かやむを得ない理由があったのかと思い調べると、昭和初期は高架下に住居や店舗を入れる設計がなされておりその名残だという。つまり住むべくして住んでいるという話だ。

剥がれた瓦礫の下に覗く木材が朽敗している。煤を受けてか黒ずんだ場所のトーンが魅力的。

抜けた先の通りでは高架の下支えに挟まる形でバラックが立ち並ぶ。ここもまた住居としての敷地と道との境目が曖昧で、隅にはスクラップになった何かの什器が積まれていた。

この辺りにいくつか残されている船着場の一つに出会う。鶴見川は東京湾に繋がっており、かつては水運のルートに使われた河川だそうだ。奥に停泊する船には「警戒船」とあるがこの辺りをパトロールして周るのだろうか。

ここで見た景色のすべては、当時のアイデンティティやマナーを抱えたまま現世のそれなど露知らずという様でそこにあった。ある意味では強さだなとすら感じた。その強さをもって、ほつれを引き摺り履くジーンズのように、シワを刻むレザーのように、長い年月とその歩みを風体に刻みながら今に存在している。この場所に訪れた理由を答え合わせするような時間だった。
戦火の傷跡もそのままに100年近く姿を変えず在り続ける場所だ。
廃墟や遺構に特別興味はないし、まして歴史に関心があるわけでも無い。それでも行きたいと思ったのは、ここが今もなお鉄道駅として稼働しながら今を生き続ける場所だからだと思う。

一旦鶴見駅で降車。駅前の居酒屋に集まって以来なのでここ以外の景色を知らない。街並みを眺めながら国道駅まで向かってみる。昇りきった太陽が沈みかける頃、平日な事も相まって往来は賑わっている。

隙間なく緩曲線に沿って留まる二輪車たち。この辺りは平地が多いのだろうか。

ここがランドマークタワーと言わんばかりに地名を標芳。

線路に沿ってずんずんと進むだけなので地図を見る必要が無い。ふと横目に見る街路がいい雰囲気。ひと気の少なさも手伝って何となく侘しさを感じる。

大通りが斜陽を照り返し目の前が霞む。まだ気配は感じられない。

いきなり現れた物物しい雰囲気の高架。

国道駅と対面。構えていてもなお迫力に圧倒される。この空間にだけ流れる永遠に迷い込んだかのような感覚に陥る。

人止めに使うであろうコーンはどこかで剥がれ落ちたらしい瓦礫とともにしまわれもせず雑然と道横に寄せてある。この空間にだけ適用される不文律を示すかのような光景だ。

室外機が平然と道沿いに置かれているのも異様だ。”National”の絶妙なカラーリングがまたいい。

ところどころ横道が存在していて、その壁面には時間の経過を物語る記録が残されている。まだ次の元号を迎える前、昭和82年という存在しない日時。歴史や過去に興味は無いと言いつつも、ここまでリアルな痕跡を目の当たりにすると揺らぐものがある。


換気扇に書かれた謎の筆跡。アルファベットの意味自体は不明だが、この”STYX”というグラフィティは二俣川や渋谷の裏道など至る所に出現しているらしい事が分かった。推測ではアメリカのロックバンド「スティクス」なのではという説があるそうだが確証はない。

その流れでこちらの落書きを見ると見方が変わる。あれらも訪日外国人による筆跡なのでは?...と思ったがエンジェルの綴りをわざわざ間違えるだろうか。怪しくなってきた。

いくつかの飲み屋とともに住居も入っている。駅の中に住むと考えると異常に感じるが何かやむを得ない理由があったのかと思い調べると、昭和初期は高架下に住居や店舗を入れる設計がなされておりその名残だという。つまり住むべくして住んでいるという話だ。

剥がれた瓦礫の下に覗く木材が朽敗している。煤を受けてか黒ずんだ場所のトーンが魅力的。

抜けた先の通りでは高架の下支えに挟まる形でバラックが立ち並ぶ。ここもまた住居としての敷地と道との境目が曖昧で、隅にはスクラップになった何かの什器が積まれていた。

この辺りにいくつか残されている船着場の一つに出会う。鶴見川は東京湾に繋がっており、かつては水運のルートに使われた河川だそうだ。奥に停泊する船には「警戒船」とあるがこの辺りをパトロールして周るのだろうか。

ここで見た景色のすべては、当時のアイデンティティやマナーを抱えたまま現世のそれなど露知らずという様でそこにあった。ある意味では強さだなとすら感じた。その強さをもって、ほつれを引き摺り履くジーンズのように、シワを刻むレザーのように、長い年月とその歩みを風体に刻みながら今に存在している。この場所に訪れた理由を答え合わせするような時間だった。