ご注意めされよ

  • 更新日: 2024/10/03
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 帰りの電車でインスタグラムを起動する。誰かの投稿した古い商店街、個性的な建築、妖しげな路地。歩行のスピードでスクロールする。パッチワークの街を僕は歩く。ページの末端まで到達すると次のコンテンツが自動で読み込まれる無限スクロールという技術は誰が発明したのか知らないが本当に素晴らしくて本当に困る。リアルの散歩と違ってこちらの散歩にはやめるきっかけがない。

 タグを検索する。フォローしているタグはいくつかあるが「#貼り紙」のタグをよくチェックしている。「#貼り紙」タグの検索結果には、ユーザがグッときた各地の貼り紙が集まっている。僕は、お店や家主が自作した注意喚起の貼り紙が好きだ。看板と違ってすぐ作れるからだろうか、貼り紙というものは刹那の感情や癖が出やすい。怒りすぎていたり、丁寧過ぎていたり、表現が独特だったり。だから投稿される写真は基本的にボケ体質であり、それにつくコメントは自然と、その尖った個性や誤字脱字に対してのツッコミとなる。街のボケ・ツッコミ、そういうものもまあもちろん好きだが、もっと好きなものは別にある。例えばこういうものだ。ある住宅街に貼られた「瓶をここに捨てないで」という貼り紙にはワインのボトルの絵が描いてあり、ラベルにわざわざ「ロマネ・コンティ」とカタカナで書かれていた。明らかに要らない情報だ。何故書いたのか。貼られていた場所はある臨海タワマンのゴミ置き場だった。場所がそれを書かせたのだ。このように「別の力」によって、街のもの(この場合は貼り紙)がすこしだけ「歪む」ことがある。普通とは少し違う、街の歪み。僕にとってこれが最高に面白い。そういうわけで、全国の貼り紙をオンライン観賞して、妙な歪みを発見したらそれの理由を考えることにしている。僕はこれを「街の謎解き」と呼んでいる。謎解きはなにもクイズ作家が作るものだけではない。街にいくらでもある。そういうわけで僕は日本に何人居るか分からない「街の謎解き屋」を自称している痛い人間だ。

 

  ご注意めされよ

 

 黒いマジックの文字が目に入った。四隅に穴をあけた縦のA4用紙が、生け垣にビニール紐か何かで括られている。A4用紙は雨で悪くならないようにビニールに包まれているようだった。文字は紙の上部に横書きで書かれている。明朝体っぽく太字にレタリングされているので少しこだわって作られたように見えるが、フリーハンドであることは明確に分かるレベルのものだ。「ご注意めされよ」の7文字が均等に割り付けられているわけではなく、「注意」の漢字二文字に結構なスペースを使ってしまったため後半が詰まっている。

 紙の下半分には、絵が描かれていた。子供の落書きのようなタッチだ。赤いペンで描かれた棒人間が黄色いギザギザのようなものを持っている。稲妻だろうか。その足下に黒いペンで描かれた棒人間が居て、こちらは体に黄色のギザギザが刺さっており、吹き出しで「死ぬ~」と言っている。なんとか好意的に解釈すれば、雷についての注意喚起だろうか(雷について注意喚起が必要かは分からない)。赤い棒人間の不気味さ、タッチの拙さ、死の文字の強さがすべてちぐはぐで散漫だ。一言で言えば雑だ。

 この貼り紙の第一印象は最悪のものだった。「ふざけている」と思ったからだ。本当の狂気や怒りは見れば分かる。例えばさきほど「ここに駐車をしたらタイヤの空気を抜いた上レッカーする!」と書かれた貼り紙の写真を見た。このように、本物には一貫した強さがある。レッカーしてからタイヤの空気を抜いたほうがいいのではと思ってしまうが、そこに考えが及ばないほどの怒りなのだ。描かれていたタイヤがほぼ四角だった。丸が描けないほど角が立っている。本物は、噛めば噛むほど味がする。

 一方でこの「ご注意めされよ」はどうだ。「死ぬ」とは強い言葉だ。普通の感性の持ち主ならば使うのをためらうくらいの。それが「死ぬ~」と傍線で引き延ばされている。絵に至ってはフニャフニャで拙い。こういう言動不一致の貼り紙には芯が無い。誰かがいたずら目的で作ったんだろうと想像がつく。こういうものは謎解きに向かない。すべての理由が「ふざけて作ったから」に集約されてしまうからだ。つまらない。だから無視することにしている。

 これを撮るほうも撮るほうだ。こういう養殖の狂気を甘やかしては駄目だ。投稿者はAというアカウント名だった。この貼り紙が最新の投稿で、ひとつ前はダジャレみたいな名前の風俗案内所の看板を「www」というコメントとともに投稿していた。看板、せめて水平に撮ったらいいのに。

 

 ところで、この嫌な感じの貼り紙は前にも見た気がした。「#貼り紙」の検索結果を過去へスクロールする。するとやはり二日前に「ご注意めされよ」の貼り紙が投稿されていた。そのときはもっと冷淡にスルーしたのだろうけど、なんとなく目が覚えていたのだ。二日前の投稿者もAだった。同じネタを何回も投稿しているのかと思ったが、よく見ると少し違う。一覧の写真をタップして大きく表示する。やはり違う貼り紙だ。生け垣に括り付けられていることや、上部に「ご注意めされよ」の文字が書かれていることは同じだが、下の絵が違う。川から水があふれ、流された棒人間が吹き出して「助け!」と言っている。水の中にはもう一人、大きな青い棒人間が立っている。その大きさのせいでこちらは川よりも強そうに見える。雑な絵なのに川だと分かったのは、お椀のような形状の黄緑色の山から流れてきているからだ。「ご注意めされよ」と合わせると、川の氾濫に注意ということだろうか。

 そんな貼り紙が「住宅街に川の注意があったwww」というAのコメントとともに投稿されていた。もしかすると川が近いのかもしれないのでこれだけではふざけているかどうかは分からない(それにしても緊張感の無い絵なのだが)。ここで初めて、僕は興味を持った。といっても、貼り紙自体に興味を持ったわけではない。同じスタンスで二回もふざける理由が気になった。この二枚の貼り紙は別の力で歪んだ結果、稚拙でちぐはぐな狂気を秘めるに至ったような気がしたのだ。ちょうどタワマンの住人が「ロマネ・コンティ」と書かなければいけなかったような別の力だ。解くに値する街の謎ではないだろうか。

 

 川の「助け!」の貼り紙をもういちど眺める。雷で「死ぬ~」の貼り紙と同じく、生け垣にビニール紐のようなもので括られている。同じ家の写真だろう。定期的に貼り替えているのだろうか。二つの写真をいったり来たりする。何かが違う。生け垣の後ろに木が見切れている。この木が違う。これはどういうことだろうか。おそらく二つの貼り紙は、ぐるっと家を囲んだ生け垣の、違う面にある。貼り替えたのではなくて、二枚あるのだ。他にもあるんだろうか。

 実物を見てみたい。勢いで、AにDMを送ってしまった。いきなり場所を聞くなんてかなり不審な奴だと我ながら思う。普段なら絶対にやらない。しかしそのときはちょっと興奮でどうかしていた。自分の怪しさを最大限殺すために、近藤という街歩きライターであることや個人ブログなど、こちらを簡単に特定できるレベルの素性を明かしつつ長文を送った。次の日、Aからあっさりとその場所の情報を得ることができた。勢いは大事だ。場所は都内S区の住宅街、N町だった。

 

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 次の日の午後、僕は早速現場へ出向いた。S駅前は混沌としている。働く人と遊ぶ人が同じくらいの割合で交差する希有なスクランブル交差点を抜け、ボウリング場の脇を曲がると突然街が落ち着く。ノイズキャンセリングイヤホンをつけるときの感覚と似ている。このあたりに「S駅近くでありながら絶対に座れるカフェ」がある。僕はそういうカフェをいくつか知っている。気ままに歩くスタイルの散歩好きとして得られる知識は殆ど生活の役に立たないが、これだけは奇跡的に役に立つ知識だ。

 

 Google Mapを見ながらN町に入っていく。生活道路がほぼ東西南北に走っているので、そこの家々は方位に対して正確に建てられていた。古くからある住宅街だと聞いていたが、道路には綿密な計画の痕跡があった。歴史のありそうな大きな邸宅がいくつかある。車庫の奥には見覚えのあるエンブレムが光っている。これがこの街の重低音ならば、主旋律は小さな家だ。同じデザインのパステルカラーの家が三軒、または五軒と、連符のように並んでいる。大きな家の跡地に複数の建て売り住宅を作ったときの特徴だ。玄関先には子供用のキックボードが立てかけてある。この二つの層は相容れるのだろうかとふと思った。

 件の家はすぐに見つけることができた。大きくはないが、家の作りからいってこの地に代々住んでいたほうのタイプだろう。屋根よりも高い椎の木が一本生えていることもそれを裏付けている。イヌマキの生け垣が家をぐるっと取り囲んでいた。生け垣の上が少しピンピンと伸びはじめており、手が回っていないように見えた。人ん家を勝手に見に来て、全く余計なお世話だ。「調査されるという迷惑」という本がある。勝手にフィールドワークの研究対象にされる人たちのまなざしを紹介し、研究者を戒める内容の本だ。僕は研究者でも何でもないが、街の観察者として勝手に観察して申し訳ないという気持ちは常にある。怒られたらサッと引っ込めようというヘタレの信念をしっかり持っている。街を作っている人達への敬意もたぶんある。一方で、公道でものを見て記録する権利は大切にしたい。その境界で生きている。

「ご注意めされよ」の実物があった。雷で「死ぬ~」と書かれた注意喚起の貼り紙だ。雑な貼り紙なのに、聖地巡礼のような妙な感動があって少し腹立たしくなった。A4用紙をビニールで丁寧に包んでいる。ビニールはピンと張り詰めており隙が無かった。特筆すべき点は、ビニール紐を通す穴のところにハトメを使っていることだ。ビニールなどに穴を空けたあと、そこから浸水しないように穴の周囲を補強する金属やプラスチックの輪のことをハトメと呼ぶ。文字通り鳩の目に似ているからこう呼ばれるらしい。絵の粗雑さと比べて、外装は不釣り合いなほど丁寧な手仕事。長持ちさせたい気持ちがあるということだ。これも「歪み」だと思った。

 

 そのまま生け垣を回ってみようと思った。どこかの面で川の貼り紙が現れるはずだ。壁に沿って進む。そのまま左に折れると貼り紙が突然現れた。突然現れたというのは、まさにその折れた角に、四隅が若干浮いた感じで無理矢理括り付けてあったからだ。川の貼り紙は生け垣の「面」にあったはずだから、この角の貼り紙は別のものだとすぐに分かった。果たして、新種だった。「ご注意めされよ」の文字の下で、赤い色の棒人間が火のついた棒を持って踊っている。なるほど、今度は火の用心か。A氏がこれをまだ投稿していないということは、ここ最近増えたものだろうか。ますます面白い。この貼り紙は増えている。僕は一応写真を撮った。

 火の用心の貼り紙を眺める。火の用心という注意喚起は、雷への注意喚起に比べて有用なように見える。でもやはり、少し妙だ。火の用心、確かに大事だが、いち家庭が町内や通行人に向けて言うことだろうか。少し昔の注意喚起のようにも見える。昭和の中頃までは「火の用心~ マッチ一本火事のもと~」なんて言いながら組合が町内を回っていた、なんて話を親父から聞いたことがある。そうなると、これを書いたのはお年寄りだろうか。世話焼きのおじいさん? ご注意めされよ。おっ、少ししっくり来た。

 

 しかし世話焼きのおじいさん、だけでは説明できないものがある。この雑な絵のちぐはぐさ。実物を見ると、ますますそれが鼻についた。馬鹿にしている、もしくは悪目立ちしようとしているのではと思った。その目的は何だろう。僕と貼り紙の間をスケボーの少年が走り抜けていった。そういえば住宅街でありながら、この家の前は結構な人通りがあった。しかも若者がよく通る。この先には音楽イベントなどが開かれるライブ会場を内包するS公園があり、この生活道路はそこへの抜け道になってしまっているのではないかと思った。Google MapでS駅からS公園の経路を検索すると、この道路が示された。やはりそうだ。ナビが人の流れを変え、住宅街の生活道路を通路にしてしまっている。「なにこの絵キモいんだけど」という声がした。「ご注意めされよだって、怪しくね? 宗教?」女子高生が足を止めずに貼り紙の写真を撮って、そのままS公園のほうへ去っていった。その瞬間にひらめいた。もしかして……この貼り紙の目的はこれなのではないだろうか。この時代、変な貼り紙は写真を撮られる。目を合わせてもらえる。反応がある。一人暮らしのおじいさん(一人暮らしのおじいさんと決まったわけではないが)が世間と繋がりを持つための歪んだ方法の一つとして、奇妙な貼り紙を作ってリアクションを待つというのはありえる話ではないだろうか。

 今のところ一番しっくり来る。

 

↓続きます↓

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ヤスノリ

サンポー主宰。最近おちつきがある。

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