ご注意めされよ
- 更新日: 2024/10/03
次の日、僕はいつも通り帰りの電車でインスタグラムを起動した。タイムラインやめぼしいハッシュタグを閲覧したあと「#ご注意めされよ」タグの検索結果に移動した。新しい貼り紙は現れているだろうか。果たして、検索結果には一枚の写真も無かった。おかしいなと思ってAのタイムラインへ飛ぶと、Aの最新の投稿は、ダジャレみたいな風俗案内所の看板になっていた。貼り紙の投稿がすべて消えているのだった。僕は「#ご注意めされよ」タグで盛り上がっていた別の調査隊員たちを直接フォローはしていなかったが、Aのフォロワーに居るピンク色の髪の毛の女性が自身でも貼り紙を投稿していることを覚えていた。ピンク色の女性のタイムラインを見ようとしたが、非公開アカウントになっていた。事態をようやく理解した。ご注意めされよの写真が一斉に消えたのだ。そんなことがあるだろうか。
数日後、やっぱり気になった僕はAにDMを送ってみた。
こんばんは。近藤です。貼り紙の投稿についてなにかあったんですか?
先日家主さんから連絡があって、それでひとまず消しました
えーっ。そうだったんですね。え、訴えられたんですか?
いえ、お金を請求されました。お金を払ってくれたらこれからも写真使って良いです、でもすでに使いましたよね、みたいな怖い感じのDMが来ました
えー
拒否したら訴えるってことなんですかね。怒ってる感じではなかったですけど逆に怖かったです。強いギャルっぽさがありました
でも、難しいと思いますけどね。明確にひどい言葉使わないと侮辱罪は成立しないって聞きましたけどどうなんでしょう。開示請求も通らない気がします。
めんどくさいので払って終わらせちゃいました
おっ、そうなんですね
払う必要無いってのは分かってるんですけど、これを言ったらアレなんですけど、先方が提示した金額が思ったより安くて、五千円でというので、それで終わるならいいかと思って
そうだったんすね……
近藤さんもお気を付け下さい
遂に家主から繰り出された意外なアクション。これをどう捉えれば良いのだろう。
ネットで騒がれるのが迷惑だったのだろうか。でもそうだとしたら「これからも使って良いです」ってどういう意味だろう。皮肉だろうか。それにしてもいろいろ違和感がある。
普通の人が普通にインスタグラムを閲覧しているだけでは、Aをはじめとする調査隊の小規模な活動を見つけることはできないだろう。SNSは島宇宙によく例えられる。興味の無いものは見えない仕組みだ。家主のおじいさんはよくAたちを見つけたなという感動すら覚える。「ご注意めされよ」で検索しない限り……いや、だから、検索していたのだ。「ご注意めされよ」で! そうでもしなければ見つかるものか。
では、何故検索していたのか。貼り紙がネットに放流されることを分かっていたからだろう。インスタを知っているならば、ふざけた貼り紙を公道に向けて貼るとどうなるかの想像はついたはずだ。つまり、エゴサーチだ。
このおじいさんは自分の貼り紙が通行人の話題になるだけに飽き足らず、SNSに投稿されることを狙っていたのではないだろうか。自分の作品が誰かの手によってタイムラインに流れてくる、これはSNSのゴールと言ってもいいかもしれない。ゾクゾクする体験のはずだ。
さて、ここからが分からない。投稿者にお金を請求した。
ある橋梁を撮影してインターネットに公開すると権利者を名乗る者から金の請求が来るという話を聞いたことがある。もっとも、権利者が居たとしても、実際にその行為を訴えるのは難しいらしい。橋に著作権が認められることはあるが、公道から見えるものならば、撮影して公開しても商用利用でなければ問題はないという。しかし実際に請求が来たら普通はびっくりしてしまう。払ってしまうかもしれない。
この貼り紙は、それと同じ罠だ。貼り紙をインターネットに公開すると、金の請求が来る。そういう仕込みだ。
もしかして、すべてはこれが狙いの「仕込み」だったというのだろうか。
一人五千円。あの家の貼り紙を投稿していたユーザのうち何割かが払ってしまったとして数万円くらいだろうか。端金に違いないが、まんまと手にすれば気持ちのいいものだろう。
おじいさんによる新時代の集金システムだったと考えると、狂気のちぐはぐさ、自己顕示欲、その驚くべき最終目的、一応すべてのつじつまが合う。
これが、あの貼り紙の違和感のすべてだ。とんだ暇人である。
僕はおじいさんが仕込んだ「街の謎」を、本気で追って考察してしまった。第一印象の嫌悪感、あそこで引き返せば良かったのだ。
シェア狙いの嘘は最近よく見る現象だ。たとえばSNSでお店のアカウントが「五十個のところを間違えて五〇〇〇個発注してしまいました! 助けてください!」とポストすると善意のユーザが拡散してくれる。それを見た近所のユーザが面白半分で買いに来てくれる。最初は本当だったと思う。しかしそんなことがあからさまに続くと、もしかしてわざとやっていないか、と思うようになる。最近はそういうものは拡散されなくなった。嘘が混じると、文化が廃れる。
街にも、本物のような嘘が混じってきた。「#貼り紙」の検索結果を眺める。興味深いオーラを放つものたちが、すべて仕込みに見えてくる。これも、これも、これも、わざとやってるんじゃないのか。これは散歩熱に冷や水を浴びせるのに十分な事実だった。ほどなく「#貼り紙」をパトロールするのを辞めてしまった。自分自身も「花がきれい」とかの投稿が増えた。花はきれいだし、本当だから。そのうち、インスタグラム自体を開かなくなった。
それから三ヶ月が過ぎた。だからその日の帰りの電車でのことは偶然だった。スマホでSNSを見ていたら運搬中のブタが逃げ出して町で大暴れ、というほっこりニュースが流れてきた。一体どこの話だろうと思ったらS区N町だった。それで、あの貼り紙のことを久しぶりに思い出したのだった。何気なくインスタグラムを開いた。それをしなければ、DからDMが来ているのをずっと見逃すことになっていた。日付は昨日だった。「あの貼り紙についてまた会って話しませんか?」と書かれていた。そういえばあれ以来、意見交換をしていなかったことに今更気づいた。Dは家主にインタビューできたのだろうか。正解は、分かったのだろうか。
一週間後、S駅近くのいつも空いているカフェで待ち合わせて、席に着くか着かないかの間にDは喋り始めた。
「あの家はあれからも追ってるんですか?」
「いやあ、実は最近あんまり。消された話はご存じですよね?」
「はい、Aさんから聞きました。残念ですよね……というかまあ、家主にしたら迷惑ですよね」
「迷惑、あ、いえ、それなんですけど……」
おじいさんの真の目的について話そうと思ったのだが、Dに遮られてしまった。
「近藤さん、あの貼り紙の現象についての近藤さんの考えは、前回お話したときと変わっていませんか? 」
「そういう意味では少し変わりましたね」
「私はだいぶ変わりました」
「そういえば、家主さんにはインタビューできたんですか?」
「いやそれが、あとで順を追って話しますけど、会えなかったんですよ。でも、今回は追加の調査報告があります。それからちゃんと近藤さんの言う『街の謎』も考えてきましたから!」
Dがまっすぐこちらを見ている。相当自信がありそうだ。思わず唾を飲み込む。
「私は、パパ活女子がやったと思います」
「は?」
「あの貼り紙は、パパ活女子が描いたんです」
「それは……えっ、実在するんですか?」
「パパ活女子が存在すると仮定するとすべて説明がつくんです」
何だそれは。前は小さい娘で、今度はパパ活女子。これは長くなりそうだ。ピザを頼んでしまった。
ピザは意外なほど早く来た。予想よりもはるかに大きかったのでシェアすることにした。
ピザを頬張りながらDは喋り始めた。
「先日、インタビューしようと思ってあの家に行ったら、更地になってたんですよ」
「ええっ? ちょ、ええっ? マジっすか。もう無いんですか?」
「もう無いんです。家も、貼り紙も。それで近くに犬の散歩をしているおじさんが居たから聞いてみたんですけど、この人本当にいろいろ教えてくれて。よっぽど暇してたんでしょうね、この人からいろいろ仕入れましたよ。で、あの家。あそこは小薮さんというおじいさんが長いこと一人で住んでいるらしいです」
「それが、なんで更地に?」
「火事があったんですって」
「ちょっとちょっと、えっ? あの人は無事なんですか!」
「それが、けが人は居なかったんですけど、そのあとから? よくわからないですけど小薮のおじいさんを見かけなくなってしまったんですって。それなのに解体業者がやってきて工事を始めたんで、近所の人が不審に思って。それで工事責任者に聞いたら、施主は重田さんという女性だというんですね。小薮さんじゃなかったんですよ」
「娘とか?」
「私もそう思ったんですけど、あの家はおじいさん以外住んでるのを見たことないって言うんです。するとこの女性は誰なのか」
「それがパパ活女子……?」
「そうですそうです。多分、全部毟られちゃったんですよ、で最後火をかけられて追い出されたか、それとも……」
「おわー。えー。ちょっと待ってくださいよー。えー」
貼り紙に興味を持っただけなのに、僕たちはいま、恐ろしい事件に足を踏み入れているのか?
「それで、」
「ちょっと待って、一旦落ち着くんで、ピザ食べます。うへー。展開はえー」
僕はピザを食べたりトイレへ行ったり無意味にヤフトピを見たりした。知らないモデルがブログで大御所女優の悪口を言った、というニュースがトップだった。よし、世界は平和だ。
「はい。続きをお願いします、なんでしたっけ」
「えっと、パパ活女子の存在が明らかになったので、これからパパ活女子がこの貼り紙を作った理由を話しますね」
「明らかにはなってないですけどね、はい」
一応釘を刺しておかないと、既成事実になってしまう気がした。
「その前に、小籔家の迷惑行為をお話しないといけないですね。小薮のおじいさんは怪文書を近所にポスティングしていたらしいんですね。『カササギさんを信じないものは無間地獄』みたいな」
「カササギさんって何なんですか?」
「これが、S区のあたりだけで信仰される土着仏教らしいんですよ。私の得意分野なので郷土史を調べたんですけど、カササギさんとかカササギ教とかいうそうです。真言宗と浄土真宗と土着信仰が混ざったようなもので教義に一貫性はないようなのですが、まあどこの地域の仏教もそんなものですよね。だいたい仏教にはどの宗派にも先祖供養の概念はもともと無いですからね。成仏してるのにお盆に魂が戻ってくるとか、明らかに矛盾してますし……」
Dはピザに手を伸ばした。チーズがなかなか切れずにくるくるやっている。
「あと、カササギ教には、病人が出ると護摩を焚いて祈る風習が残っているんだそうですよ。このあたりは密教を引き継いでますね」
密教。十二天が思い起こされた。
「それでいて、踊り念仏のようなものもあるんだそうです。護摩を焚いて一心に祈る一方で、念仏さえ唱えれば浄土へ行けるって、どう考えても食い合わせ悪いと思うんですけど、一緒くたにして信じているって面白いですよね。それで、その踊り念仏の最初のかけ声というのが『ご注意めされよ!』なんだそうです」
「おおーすごいー」
思わず歓声を上げて拍手してしまった。
「いやあ、私も図書館でガッツポーズしました」
Dが郷土資料のコピーを見せてくれた。昭和のはじめに撮られたというカササギ教団の写真には白装束の集団が写っていた。「ご注意召されよ」と書かれたのぼりを背負っている者が数名いる。
「カササギ教では行事のときなどに十二天がクローズアップされて祀られることがあるそうです。庶民が覚えやすいように歌があったそうで、それがこの歌詞です」
Dが資料のページを何枚かめくった。
ご注意召されよ 南東の火事 火天様
ご注意召されよ 西の水害 水天様
ご注意召されよ 死んだら南の焔摩様
「生活の注意喚起と一緒に、仏様の名前と方角が出てきます。ただその近所のおじさん、十二天の名前も『ご注意めされよ』のかけ声も知らなかったです。だからまあ、古い人だけギリギリ知っている感じなのかなと思いました」
「それで、小薮のおじいさんはこれの熱心な信者だったというわけですね」
「実は、私はそこを疑っているんです」
「えっ。でも怪文書をポスティングするしてたんですよね?」
「近所のおじさん曰く、カササギさんはおとなしい教団らしいんですね。葬式仏教の延長くらいに捉えている人しかいないと。あ、そのおじさんもカササギ教らしいですよ。というより、菩提寺の住職がその宗教結社の会長を兼ねているそうだから、そこの住民はみんなそうらしいです。毎年曼荼羅の描かれたカレンダーが配られるんだって」
「ああ、のめり込む感じではないと」
「そう、だからなんかその怪文書には違和感があったって言ってましたね。どうしちゃったんだろう、ボケたのかな、って」
「すると?」
「この怪文書は、おじいさんを追い詰めて家から追い出すためにパパ活女子がやったのではないでしょうか」
僕は唸った。土着仏教の緻密な調査結果と、パパ活女子という妄想の産物が悪魔合体した話を聞かされている。
「おじいさんが熱心な信者ではないと思った理由はもう一つあって、地獄に落ちるとかいう熱心な信者ならパパ活はしないです! どうだっ!」
Dが勝ち誇ったようにピースサインを作る。
「それは無効ですよ。本当にパパ活をしていたならそうですけど、まだ決まったわけではないですから」
「それは確かに」とDは意外と素直に受け入れた。
「それで、例の貼り紙はどう絡んでくるんですか?」
「それも怪文書と一緒で、パパ活女子がやったと考えると、とてもシンプルになりませんか? 全部、家主を追い詰めるためにやったと。変な貼り紙を貼って、頭のおかしな家だと思わせるんですよ。家主はここ一年ほどは近所の集まりにも姿を見せずに引きこもっていたそうですから、外に何かを貼るのは難しかったのではないでしょうか。よほど追い詰められていたのでは」
「パパ活女子はカササギ教を知ってたということですか?」
「それは何度も家に行って、曼荼羅のカレンダーを見つけたらそんな話になったりもするんじゃないですかね。それで、おじいさんを近所から孤立させるのに使おうと思いついたとか。あの気の抜けた舐めきった感じの絵、パパ活女子の作だと思うとそう見えてきませんか?」
パパ活女子というピースの存在を仮定すると、見えてくる新しい絵が確かにあった。