ご注意めされよ

  • 更新日: 2024/10/03
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 家に帰ってDMでAにお礼をして、火の用心バージョンを見つけたことを報告するとすぐに返信が来た。「火の用心、僕も見ました。お金に注意は見ませんでしたか?」僕が行ったあとに増えたのだろうか。

 Aの投稿した写真は二枚。ひとつは既知の火の用心で、もうひとつは札束をたくさん抱えて「金がすべて!」と言う棒人間の絵。その隣で、大きな棒人間がそれを睨み付けている。お金に執着するなという注意喚起だろうか。それが「#ご注意めされよ」というタグとともに投稿されていた。遂にご注意めされよ専門タグが生まれた。

 タグをクリックすると、Aのほかにもこの貼り紙を投稿している人が大勢いた。彼らは「#貼り紙」タグをつけていないので僕の観測範囲から漏れていた。僕はずっと見逃していたわけだ。「#ご注意めされよ」を投稿しているのはざっと五十人くらいだろうか。あの貼り紙はS公園へ行く通行人にわりと見つかっているのだろう。五十人がこの貼り紙に注目している。ちょっとした規模の調査隊だ。

 

 何度かタップを繰り返して、Aが投稿した金への注意喚起? の貼り紙に戻ってきた。これは僕が現地で見ることのできなかった新しい貼り紙だが、背景の少し枯れた生け垣は見覚えがある。みっちりと生えていた生け垣だったが、確かに一箇所だけ枯れている場所があった。あそこに、僕が帰ったあとに貼られたのだ。その枯れた場所から民家の様子が少しだけ見えた。縁側と座敷だろうか。障子が少しだけ開いていた。そう、写真の、ちょうどこんな感じで。どんな人が住んでいるんだろう。おもしろおじいさんで正解だろうか。いたずらに障子の隙間を拡大してみる。真っ黒だ。しかし黒のなかにも、少しの濃淡があるように見える。何かある。Aの画像をダウンロードしてAdobe Lightroomで開く。シャドウ機能のツマミをマイナス方向へ動かし、影を除去していく。露出が低すぎたときに調整できる便利な機能だ。一見真っ黒でも大抵ちゃんと写っている。障子の隙間の闇が明らかになってきた。男が、片眼を出して、こちらを覗いていた。拡大しながら作業していたので男の目がPCの画面に大写しになった。思わず声が出た。貼り紙に対する通行人の反応を、こうしてずうっと見ているんだろうか。何故? 僕も、見られていただろうか。

 

 次の日にもAの投稿があった。例によって「ご注意めされよ」の文字の下に絵が描いてある。刀を持った赤い鬼が黒い棒人間を追っている。背景から、この貼り紙は火の用心と同じく生け垣の角にわざわざ貼られていることが分かった。

 ひとつ普段と違うところがあって、写真にコメントがついていた。「#ご注意めされよ」タグによって、調査隊員たちが連帯し始めたのだ。Aの写真にはすでに四つもコメントがついていた。

 

「鬼にご注意めされよ」のコメント欄

 

  ・鬼に注意www

  ・確かに鬼は危ないから

  ・Rākṣasa

  ・鬼はどうしようもないwww

 

 みんな楽しそうでなによりだ。三つ目の「Rākṣasa」は最近よくある海外からのスパムコメントだろうか。そのわりにハンドルネームが普通なのが気になった。そういえばこの人は前にもAの投稿にスパムコメントをしていた。ところで「Rākṣasa」ってどういう意味なんだろう。もしかして卑猥な言葉だったりするんだろうか。読めないので、文字をそのままコピーして検索窓に入れてみた。意外にも日本語のサイトが引っかかった。

 

【ラークシャサ・羅刹天】

羅刹(らせつ)、速疾鬼(そくしつき)、可畏(かい)とも呼ばれる、人を食うといわれる悪鬼であり、由来はヒンズー教の鬼神である。

 

 意味のある単語なんだ。へえ。どうやら神の名前らしい。コメント主は、この貼り紙の鬼が羅刹だとでも言いたいのだろうか。

 

のちに仏教に採り入れられ、十二天では羅刹天と呼ばれる。西南を守護する。

 

 西南を守護。生け垣の角に貼られた貼り紙。西南。「ん?」気になったので前のコメントを遡ってみた。

 

 

「金への執着にご注意めされよ」のコメント欄

 

  ・お金は悪

  ・お金は悪ではないだろ

  ・Vaiśravaṇa

 

 彼のコメントは三番目にあった。Vaiśravaṇaを調べてみる。

 

【ヴァイシュラヴァナ・毘沙門天】

由来はインド神話のヴァイシュラヴァナである。もともとは財宝神とされる。仏教に取り入れられたあとは毘沙門天と呼ばれ、北方を守護する。

 

 財宝神。北を守護する。これは枯れた生け垣のところにあったものだ。もしかして、北に貼ってあったかしら。多分そうなのだろう。こうなると止まらない。夢中でその前のコメントを辿る。

 

 

「火事にご注意めされよ」のコメント欄

 

  ・火の用心www

  ・Agni

 

 彼のコメントは二番目。Agniを調べてみる。

 

【アグニ・火天】

古い時代の火の神だとされ、全ての火の象徴。赤色の体、七枚の舌を持つ。仏教では東南の方角を守護する。

 

 これは僕も現地で見たものだ。赤い体。東南。だから角にあったのか。もう疑いようがない。この貼り紙は方角に関係がある。

 

 このコメント主はDと言った。Dはアイコンこそ登録していたが、自分では写真を一枚も投稿していなかった。アイコンはタバコをフカしている後ろ姿のモノクロ写真。肩幅の広いスーツ姿の男は斜め下から撮影されており、丸いアイコンの半分以上を背中が占めて安定した構図になっている。これがDだろうか。このままシルエットにすれば何かのロゴマークになりそうな論理があると思った。そこに美の訓練の跡を感じて、端的に言えば、僕なんぞが話しかけて良い人物ではないと思った。AにDMして成功した経験が無ければ、Dにコンタクトを取っていなかったかもしれない。結論から言えば僕はDに連絡を取った。Dは隣県に住んでいるが、先日フェスに参加するためにS区を訪れていた。S駅を降り、Google Mapが示したS公園までの最短経路に従ったところ例の家の前を通りかかって貼り紙を発見、興味を持ったらしい。僕もあれは別の目的があると考えていると伝えると、会って話さないかということになった。人ん家の貼り紙についての意見交換会だ。

 

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 Dとは、N駅の駅ナカのカフェで待ち合わせた。一般的にカフェの最も混む時間は昼下がりだが、駅ナカのカフェは意外と座れる。しかし今回ばかりは当てが外れ、カフェは満席だった上に女性が一人並んでいた。並ぶほどのコーヒーを出す店でもないのだが、約束してしまったので僕もその次に並んだ。行列の出現にカフェが天狗になってしまったらどうしよう、といつも思う。アプリでDに居場所を伝える。隣の女性と目が合う。目力に圧倒されて思わず反らした。全てを見通すプロビデンスの目。その意匠を正確には思い出せないが、なんとなくそう思った。それがDだった。

「近藤さんですか?」

「はい、いや、すみません、アイコンからてっきり男性だと思ってました」

「SNSって女性だと面倒なこと多いんですよ。あのアイコンは父です。魔除け的な意味で使ってます」

「お父さん! シュッとしてますね!」

「実物はそれほどでもないんですけど、ちょっと前にカメラに凝ってたときに撮れた奇跡の一枚というか……」

 ああ、そうか、肩幅の広い男を後ろから撮ったのが彼女だったのか。彼女はあの背中に隠れてしまうくらい小柄で、細かい柄のワンピースを着ていた。シュッとした茎に、釣り鐘型の花がいくつもついている。

「それは、スズランですか?」

「あっ! そうですそうです! お花お詳しいんですね!」

「いや、実は花の名前は全然覚えられないんですよ……でもスズランは覚えていて、あの、僕は散歩が趣味なんですけど、全国にスズラン商店街っていっぱいあるんですよ。それで、スズラン商店街の街路灯ってだいたいスズランの形してるんです。ちょうどこんな感じの」

「えっスズランの街路灯なんてあるんですか? 」

「ありますよ、花がこう下を向いて、もうすでに照明っぽくないですか?」

「確かに。見てみたいな。わたしスズラン好きなんです」

 お待ちのお客様どうぞ、と声が掛かった。駅ナカのカフェは回転率が高い。

 

 彼女は専門書を手がける出版社の編集をしているらしい。すごい、と僕が言うと、

「出版社って言っても、大学とかで使う専門書を細々と出している会社だから絶対に知らないですよ。父も大学教授で、まあコネといえばコネかな……、全員知り合いのような世界です」

 と言って、最近編集したという本を見せてくれた。

「日本の土着仏教。土着っていうと、なんか本家とは違う、みたいなことですか?」

「そうですそうです。中世に民間に浸透した仏教って、比叡山や高野山で花開いた厳格な仏教とは実はかなりかけ離れているんです」

「へええ」

「高野聖などの僧侶や山伏が地方を回って、真言宗や浄土宗のエッセンスを伝えていったんです。すべての人を救う要素のある、言ってしまえば汎用性の高い地蔵菩薩や観音菩薩ばかり取り出されて拝まれるのは、その当時の民衆の期待の裏返しだと思うと面白くないですか?」

「ああ。学生街でデカ盛りの店だけ生き残るみたいなのと一緒ですね」

「そうそう、需要と供給の関係です」

「それで、ピンと来たんですね、これが十二天だと」

 僕は、インスタグラムの画面を開いた携帯をテーブルに置いた。

「はい。平安時代の儀式で方角を守る守護神として重宝されてから、世に知られ始めたみたいですね。ですから、それを高野聖が伝え歩いてこの地に定着していてもおかしくないと思います。ところで十二天ってもともとインド土着の神様―バラモン教、ゾロアスター教、ヒンズー教とかの神様を仏教の守護神として採り入れたものなんです。例えば『アグニ』はインド神話に出てくる火の神ですが、仏教では『火天』と呼ばれ、東南を守護する仏とされます」

「護法善神ってやつですよね。少し調べました」

「そうですそうです! で、そうやって取り込まれたインドの神様達が仏教に紛れて輸入されたあと、また日本で取り出されてこうやって個別に拝まれているのはなんだか面白い! って感動しました。 仏教という船に乗ってきたインドの神様って考えると面白くないですか? 巡り巡って、S区にインドの神様が祀られているんですよ?」

「確かに。面白いですね。しかし……良く分かりましたね。こんな絵で」

「大きなほうの人が赤や青のペンで書いてあったでしょう、あまり人には使わない色ですよね。色のペンしか無かったのかなとも思ったんですけど、溺れている人や死にそうな人は黒だったし、字も黒で書かれていたから、わざわざ使ったのかなあ、と違和感を持ったんです。ちょうど担当していた先生に、仏様の体の色は様々で、インドの神様由来の仏様は赤や青が多い、みたいな話を聞いていたからですかね。それで仏様だったらこれは何だろう、なんて妄想を始めたら、あの家の周りの貼り紙が全部十二天で説明できてしまったので、ぞわっとしました」

「僕も読んでぞわっとしました。一度だけ見に行ったんです。それでイラスト自体はすごく雑ですよね。それでいて防水対策バッチリなところとかなんだろうなって……」

「へえ。あの家に詳しいんですね」

 ちょっと引かれたかもしれないと思った。確かに住所を特定して出向くのは気持ち悪い。

「いや、普段はこんなことしないんですけどこれは特別というか、ちょっとこの貼り紙の意図というか」と早口で取り繕ったが、

「私もすごく興味あります!」

 元気に言われてしまった。特に引かれてはいなかった。

「私も興味あって、他に考察してる人は居ないかなと思って『ご注意めされよ』でインスタを検索して、Aさんという方があの貼り紙を追っていたのでフォローしたんですけど。でもいまのところ面白がるだけで、解釈するほうには足を踏み入れていないから、なんかすごく歯がゆくなって、あんな思わせぶりなコメントを残しちゃったんですけど、今考えるとかなりキモいですよね」

「いえいえ、でもはじめ海外からのスパムコメントかと思いました。知らない文字だったし」

「あ、なるほどそう取られるかー、それは考えてなかったです。あ、それで」

 Dが急にニコニコしてこちらを見るので、僕は思わずアイスコーヒーを吹きそうになった。グラスを置き、口に溜まった分を一息に飲み込んだ。

「それで、近藤さんの考えも聞きたいなって。近藤さんはあれが何だと思ったんですか?」

 何? 何か、は特に考えてはいなかったな。そう伝えると、

「えっ? 私とは別の考えがあるんじゃなかったんですか?」

 その表情には明らかに失望の色が見て取れた。ここでようやくDと僕の興味の違いが明らかになった。

「僕は、何故そうなったか、に興味があるんです」

「んー、何故十二天を貼ったかということですか?」

「それもそうですし、なんであんな雑で狂った感じの貼り紙なのか、ですね。十二天を持ち出すような信仰の篤い家だったらシンプルに十二天の貼り紙を貼ったらいいですよね」

「ああ、確かに気になりますね。そうか。私は十二天だ! ここに十二天の信仰がある! すごい! となったところで満足しちゃってました」

「いや、普通そうですよ。というか、そこまでが有益な思考です。僕の興味は役に立たないところにあって」

「なぜ普通に十二天を貼らなかったのか……推理小説で言うところの『ホワイダニット』なぜそれをやったか、ですね、なるほどなるほど、街の現象はそうやって考えるんですね。面白いです。その謎、興味あります!」

 Dに伝わったようでほっとした。

「それで、なぜだと思っているんですか?」

 改めて問われると緊張してきた。学術的な考察のあとに、ただの散歩愛好家の妄想などを披露する価値があるんだろうか。

「あー。でも、僕は専門家でもなんでもないので……」

「そういうのがいいんですよ!」

 Dが急かす。僕は気後れしていたので、

「Dさんはどう思います? あの貼り紙が十二天だとして、何故あんな貼り紙になったのか」と逆質問してしまった。

「そうですねえ……きっとあの家には小さい娘さんが居て」

「えっ! 居るんですか?」

「いや知らないですけど、想像です」

「想像ですか」

「居ると説明がつくと思ったんです。子供がダーッグワーッて描いた感じだったから。多分信心深いおじいちゃんに教わりながら描いて、描けたものから貼っていく感じ」

「想像の娘……」

「あっ、バカにしたでしょ今!」

「いえ、してないです、想像は自由だから」と、本当にバカにはしていないので慌てて否定したのだが、

「絶対してた! 今笑ってた!」

「いや、面白かったんですよ。僕は新しいキャラを持ち出す発想が無かったから、こう、発想が豊かだなあって。そう、豊か。すごい」

「私ばっかりずるいです! 近藤さんもなんか意見言ってくださいよ! 街の謎解きをしてるんでしょう。謎解き屋さん、謎、解いてくださいよはやく!」

 街の謎解き屋なんて恥ずかしい肩書きをインスタのプロフィールに書くんじゃなかった。

 

 少しずつチューチュー吸っていたアイスコーヒーが終わってしまったので、僕は観念してしゃべり始めた。

「まず、僕はあれは大人の筆跡だと思います。でも、何かの理由によって、幼稚で不気味で分かりにくくなったと思ったんです。僕は路上のこういう現象を『歪む』と呼んでいるんですけど」

「歪む? どういうことですか?」

「街にあるものって、なにか別の力が働くと歪むんですよ。例えばそうだな、ああ、ちょっと前に住宅街の玄関先で見た看板なんですけど、犬がスタイリッシュに座っているだけのデザインで。はじめは全然意図が分からなかったんです。でも、よくよく見ると小さく『ここにFUNをしないで』と書いてあって、ファン? FUN? あ、フン? ここに糞をしないでってこと? ってようやく分かったんですけど、あの、この看板ってきっと、全然役に立ってないんですね」

「一瞬で読めないなら目に入ってこないですもんね」

「なぜこんな意味の無い看板が生まれてしまったんだろうと考えたんですけど、自慢の我が家の玄関に、犬がウンコをしている看板なんて置きたくないんですよ。なんなら『フン』という文字も書きたくない。汚いから」

「なるほど。それはそうですね。ああ、確かにそうだ!」

「つまり『糞の放置を注意したい』という力によって生まれるはずだった看板が『玄関にフンとか書きたくない』という別の力によって歪むんです」

「なるほど……すると、あの貼り紙もなにかの意思で歪んでいる?」

「そう思いました。ウンコの看板と一緒で、おおっぴらに宗教的な絵を貼るのってなんか憚られたりするんじゃないでしょうか。ほら、あんまり、宗教宗教している家に思われたくないとか。ただのふざけた貼り紙ですよ~面白いですよ~とうまくボカして」

「それすごく面白いですね! おふざけに信心を隠す。隠れ切支丹鏡を思い出しました。一見ただの鏡なんですけど、光を反射させるとキリストが壁に浮かび上がるんです。するとこれは現代の隠れ信心ですよ! 」

 専門家であるDに褒められたので調子が出てきた。

「あと一つ、別の理由もあると思っていて、あ、ちなみにここの家主はこの方です」

 僕は障子の隙間から片眼を出してこちらを覗く例の写真を見せた。

「こわこわこわこわ! なになになになに!」

 Dは仰け反って顔を手で覆ったが、改めて指の隙間から画面を見ていた。隙間で覗き合っている。

「Aさんが投稿した写真に写っていた障子の隙間を拡大してみたんですけど、家主がこうやってAさんを見ていたんですよ。貼り紙の写真を撮っているところを、じっと」

「私も見られたのかな……って、なんで? 監視してるってこと?」

「これは想像ですけど、『俺の作った貼り紙、見られているかな?』みたいな気分で監視しているんじゃないでしょうか。僕はこの家主について今のところ、変な貼り紙で通行人の気を引くことを楽しむ一人暮らしのおじいさんを想像しています。あそこ、ライブ会場への最短経路になっていて、若い人がよく通るでしょう。いまの人はみんなスマホ持ってますから、変なものを見つけるとキャーとか言って写真を撮るじゃないですか。実際撮られてましたし。通行人の気を引きたいとかあるんじゃないかなあ、と思いました」

「あー、それでこの絵かあ。なんか、分かりますね。そういえば実家の近くにもありました。小学校時代の話なんですけど、変な俳句? 川柳を自分の家の壁にべたべた貼っている家。たまにちょっと卑猥な題材を扱うので友達の間でかなり話題になってました。まあ結局その家のおじさん、小学生を家に連れ込みかけて逮捕されたんですけど……えっ、そうすると、ここの家主は、十二天をこっそり信仰することと、通行人と交流することを両立させたってこと? 現代の歪んだ信仰の表現、すごくいいですね」

「そうですか?」

「私はその説気に入りました。街の謎解きって面白いですね。何かおかしいと思ったものを状況から解釈していくんですね」

 そう言うとDは残りのケーキを一気に口に放り込んだ。

 

「ところで、正解を知りたくないですか?」とDは言った。

 正直なところ、僕はこの時点では正解にあまり興味が無かった。理由は二つある。街の謎解きは想像の遊びで、観察者が納得すればそれでいいと思っていたからだ。もう一つは、そのような「どうでもいいこと」で街に干渉することが躊躇われたからだ。「あなたの絵は妙ですね、なぜですか?」余計なお世話だ。僕の疑問は大抵くだらない。だから僕は大抵、その「正解」を調べ(ることができ)ない。

 しかしDはどこまでも、学者気質のようだった。Dは続けた。

「今度、家主さんにインタビューしてみようと思ってるんです。そのときにさりげなく貼り紙の『歪み』の理由を探ってみますね。『気を引きたい』なんて正直に言わないだろうし、正解にたどり着くかは疑問ですが」

 なるほど、今回は土着信仰の調査として、家主に怪しまれないようにコンタクトが取れるかもしれないのか。その流れで「歪み」の理由を聞き出せるならば、それは興味深い。一方で、知らないままの方が楽しめる気もする。

 

「何か分かったらまたDMしますね! 」

 帰りの電車でDとの会話を反芻する。確かに「本当のところどうだったか」は魅力的だ。かくいう僕も正解を求めてちゃんと調べることがある。真面目な考察、その正解が意味を持つものであれば、誤解のないように調べることが街への敬意だと思っている。一方で、くだらない街の謎に正解は必要だろうか。世界を曖昧なまま楽しむことは悪いことだろうか。

 ところで一つだけ、Dとの会話によって新たな心配が生まれてしまった。Dの言っていた卑猥な川柳おじさんは、小学生と交流を持つのが目的、ではなくて連れ込むことが最終目的だった。交流を持つために悪ふざけをする人は、それだけで終わらない可能性があるのだ。それでは、十二天おふざけ貼り紙おじいさんは、若者と交流することが目的、ではなくて、その先の目的があるのだろうか。

 

↓続きます↓

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ヤスノリ

サンポー主宰。最近おちつきがある。

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