奈良でタイムスリップ!古代人になったつもりで2時間の散歩

  • 更新日: 2020/09/01

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大黒様?

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たまたま、一日奈良で時間を潰すことになった。
新型コロナウイルスの影響で、自宅で過ごすことも多かったので、
運動不足もあり散歩をすることにした。

奈良と言えば、1400年前には日本の中心地だった。
古代の貴族が歩き回っていたことだろう。
自己肯定感が上がるかもしれないと思い、
自分も貴族になった気分で歩き始める。




出発は、近鉄とJRが通る桜井駅。昨日はあまり寝られず早く目が覚めてしまったので、まだ朝の6時だ。曇り空だが、空気が澄んでおり気持ちが良い。上の写真に注目。「JR桜井駅」と文字が書いてある部分が鼻だとすれば、左右の階段がある通路はお髭だ。髭を生やした貴族が、オッフォッフォと微笑んでいる姿を勝手に想像した。

ところで奈良県桜井市は、奈良時代に大陸から船の到着する船着場があった場所だ。まず大阪に着き、大和川を遡って、この地に上陸したとされる。様々な物資が海外から送られてきたため、周辺には日本初の〇〇という場所がたくさんある。今回の散歩では、この日本初に着目して歩く。

▼スタート場所の桜井駅の地図





まずは桜井駅から徒歩20分のところに、土舞台という場所があるらしい。日本初の国立劇場が作られた所で、芸能発祥の地とされている。日本の芸能といえば、歌舞伎、浄瑠璃、猿楽、雅楽、獅子舞などバラエティ豊かで趣味人も多い。しかし、発祥の地と言われると知る人は少ない。どんな場所なのか気になり、行ってみることにした。駅からはずっと一本道。歩道橋の形が骨格のズレた人間みたいで面白かったので、写真を撮っておいた。




歩道橋の上から周囲を眺めると、山や雲に迫力を感じる。まるで、東方が怪しかった時代のまつろわぬ者たちの軍が押し寄せて来たようだ。一方で、街並みは整備されていて美しく、小さな車が呑気に走っている。




土舞台の看板があった。石碑っぽい形をしている。どうやら右に曲がるらしい。観光客でこの場所を知る人は少ないだろうが、地元の人々の間では有名な場所なのだろうか。




右に曲がると、いきなりとても険しい山道になった。本当にこっちの方向で合っているのだろうか。鬱蒼とした茂みに囲まれ、蚊がブンブン飛んでそうな闇の中に吸い込まれていく。




地面にヒビが入り、ところどころ禿げている。しかし、昔は天皇がピクニックに来るくらい整備された道だったのかもしれない(※)。このように、視界が森で遮られると妄想が膨らんでいく。道の脇に紫陽花が咲き乱れている様が美しい。

※後日調べたところ、近くの桜井市黒埼には雄略天皇の時代に泊瀬朝倉宮があったとされ、万葉集に掲載された和歌を読んだ場所もある。




しまいにコンクリートの道はなくなり、木の根っこがむき出しだ。枯れ草や枯葉が山積みになっており、足がすっぽりとはまってしまいそうである。茂みから、時代と場所を間違えた貴族のオバケが出てきそうな雰囲気だ。




山道を登りきった。まだ、土舞台は見えない。蜘蛛の巣に足を生やしたような謎の建物があるのみだ。ベンチがあるので、これは休憩所なのだろうか。でも、屋根がないので雨風や日光は防げない。作り途中の建物かもしれないが、宇宙人の基地のようでもある。




近くに「安倍山城跡」の看板。この近くに土舞台があるらしい。




つ、ついに到着。森に囲まれた所にぽっかりと空いた広場。ここが土舞台という場所らしい。晴れた日に日向ぼっこをしたら気持ちが良さそうだ。ここが聖徳太子の時代に、日本初の国立劇場が作られた場所である。当時、百済から伎楽(ぎがく)という芸能がこの地に伝えられ、地域の子供達に教えられたこともあったようだ。伎楽とは、行道という一種のパレードと、滑稽味を帯びた無言劇で構成される芸能らしい。




今ではとてもひっそりした場所だが、土舞台の石碑が作られた昭和47年には、伎楽の獅子が踊り狂う盛大な式典が開かれたとのこと。




土舞台から橿原神宮方面に向かって、山を下る。次に向かうは、「日本初のお寺」である。そこまでの道のりが長いので、詳細は後ほど紹介する。森に囲まれていて薄暗く、異界を突き進んでいるようで恐ろしい。茂みが道にはみ出しすぎており、かき分けて進まねばならない。




やっと街に帰ってきた。壁に張り付く植物たちにゾッとする。おいしいものに群がるアリのように無数の葉が重なり合っている。




この辺りは、木の街らしい。先ほどから見てきたような奥深い森は、街で材木となり消費されるのだ。桜井木材協同組合のHPによれば、この謎のロゴマークは年輪を模しているとのこと。また、円形は地球を舞台にしたグローバル展開を、オレンジ色はぬくもりや暖かみをイメージして作ったらしい。一目見たときは、宇宙人が通信に使う暗号かと思った。




材木が保管されている場所があり、木の側面には、ここにも暗号のような文字が書かれている..。




木の重なり具合に目がチカチカする。



木材はどでかい倉庫に入れられ、保管されていることもある。




周辺の家は特徴的な形をしている。まずは、奥行きが非常に長く、屋根の形が入母屋造(△型)と切妻造(くの字を右に90度回転させた形)の混在でできている。しかも左側の庭空間はとても狭く、庭木がひょっこり顔を出している。家の中はきっと迷路ができるほど広いのだろう。ぜひ探検してみたい。




家見物をしていると、田んぼの向こうを歩いている人と目が合った。




屋根にいるのは大黒天さんだろうか。とても縁起が良さそうだ。パイナップルを持っていると思ったら、袋か何かだった。ここまで見所のある屋根はなかなか珍しい。




昔、使われていたリヤカーのタイヤだろうか。このタイヤがあるだけで、建物が格段におしゃれに見える。




工事に向かう人。腰につけている道具の量が半端なく多い。どこに何が挿してあるのかわからなくなりそうだ。




ここにも、大量の木材。後ろの森はモコモコしていて、オバケが住んでそうだ。




銘木協同組合を発見。注意!という看板が突っ込みを入れている。これでは不審者が中にいるみたいではないか。




実際は、お城のような建物で殿様とかが住んでそうだ。




山の上にあるのは、小学校?天空の学校ラピュタみたいな感じ。




田んぼが鏡になっている。




ツッコミどころがありすぎな商工会の看板を発見。作成者は、奈良と鹿が好きなのだろうか。よく見ると、MINSHOにヘボン式ローマ字のマクロン(伸ばし棒)がついている。鹿がサッカーに参戦したら、敵チームはツノが怖すぎて近けなさそうだ。しかもヘディングしたら、ボールが串刺しになってしまう。最強ストライカー・鹿が居れば、「たしかなゴール」は間違いなさそうだ!




歴史街道が整備されたらしい。この辺りは、奈良時代ゾーンとのこと。街道の要所を結ぶと、Wの文字のようになるようだ。




道端に突然、桃太郎を発見。桃太郎って、岡山の方じゃなかったっけ。この辺は敵がいないのだろうか、やけにみな目が純粋そうでキラキラしている。




もう一時間以上歩いている。僕は暇なのだろうか。若干雨が降ってきた。




これも大黒様?色が所々変わっている。顔の両脇に着いているのは髪の毛(ミズラ)かと思いきや、おそらく福耳だろう。




強そうな地名に出会う。その名も「雷」。

近くに日本で初めて作られたお寺があるらしいので、行ってみることにした。お寺はコンビニの数よりも多いと言われ、日本人にとってかなり身近な存在だ。日本初のお寺と言われると、インパクトが強い。そのお寺が作られた当時は、日本にまだ一軒もお寺が存在しなかったのだから。




道端の建物が所々、朽ちている。竹を交差して、壁を作っているようだ。古民家はこうやって造られているのか、と興味津々だ。




古民家の畑に花が点在していて美しい。秩序があるかの如く綺麗に並んでいて、目をひく。




屋根が分厚くて硬そうな家を発見。




もしゃもしゃもしゃ。




ついにお寺に到着!今は「向原寺」というお寺になっているが、日本で初めてお寺が建てられた時は違う名前だったらしい。




552年に朝鮮半島から仏像が伝来して、それを安置した場所のようだ。しかし、その後疫病が流行。すぐに仏像は捨てられ、お寺は焼却されてしまったらしい。仏教を日本に取り入れるか否か、揺れていた時代の話だ。Twitterで大炎上みたいな現象が起こったのかもしれない。先ほどは芸能の始まりの場所に行ったが、ここはお寺と仏教の始まりの場所。奈良を歩いていると、様々な日本の始まりに出会うことができる。




お寺を外から見るとこんな感じだ。屋根の瓦に曲線美を感じる。




また、このお寺の近くには、難波池がある。先ほどの仏像が捨てられてしまった場所らしい。




近くから見るとこんな感じだ。沼はとても深そうで、ただならぬ気配が漂っている。




少し歩くと神聖なる神社を発見。ここら辺では、5世紀に盟神探湯(くがたち)という儀式があったらしい。これは裁判方法のことで、煮えたぎったお湯に手を突っ込み、「正しき者にはヤケドなし、偽りし者はヤケドあり」という判断が下されていた。手の皮の厚さや敏感さで正偽が決定しちゃうように思われるが...実際はそこに見えざる力が働いていたのだろうか。




そろそろ歩き始めて2時間。奈良の古代人散歩もそろそろ終わりの時間だ。橿原神宮前駅の方角に向かう。

道路脇のポール(デリネーター)が乱立。ニョキッと生えたもやしのようだ。「建造物を守らん!」とする勇ましさがありながら、生える角度がバラバラな感じが可愛らしい。




帰りに「大和まほろばの味」を確かめるべく、五平餅を買った。どら焼きまでついてきて、ラッキー。




橿原神宮前駅に到着。かなり充実した2時間の散歩だった。奈良の散歩は5世紀から7世紀までの時代にタイムスリップできるのが魅力。道端の何気ないものに対して、時代の歪みを感じられるのが良い。今自分はどこにいるんだろう?2020年だよね?まさかの浦島太郎?みたいなよくわからない気分になってくる。これからも、ちょっと勘違いしちゃうような散歩を楽しみたい。






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稲村行真

文章を書きながらも写真のアート作品を製作中。好奇心旺盛でとにかく歩くことが好き。かつてはご飯を毎食3合食べてエネルギーを注入していた。

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