野良庭散歩10

  • 更新日: 2022/08/23

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野良庭と初夏の生き物たち

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記録的な早さの梅雨明けと共に猛暑がやってきた。まだ鮮やかに咲いている紫陽花や藤の花が午前中から容赦のない熱気に晒されている。初夏の野良庭を探しに私は散歩に出ることにした。

今日は川沿いを歩こうと決めている。川へ向かう途中で、バス停のベンチに座ったおじいさんが隣のおばあさんに話している声が聞こえてくる。「昔はこの辺りにもたくさんいたんだよ。」何がだろう。カエル?トンボとか?と聞き耳を立てていると「ヒバリ。」と彼は言った。その途端私が踏んでいるアスファルトが土になり、ぽつぽつ並ぶ商店の周りが畑になった。上空でヒバリたちが忙しなく羽ばたき、甲高い声で鳴きながら飛んでいる。そういう風景が、私の体を通り抜けていった。




コミュニティバスが通る道から細い脇道へ入る。規則的に並べられた植木鉢と壁の色が相まって涼やかな雰囲気を醸し出している。なんとなく、並べた人の人柄がうかがえる。




ガレージの手前で久々に暴れ朧月に出会った。これは多肉植物で、美しい和名(朧月:おぼろづき)と儚げな色合いに似合わず生き様は逞しい。放置されていても茎を伸ばして広がろうとするし、落ちた葉一枚からでも芽を出す。




側溝からタマサンゴが生えていた。自生はしていないはずだから、どこかの庭からこぼれ種で芽吹いたのだろう。オレンジ色のまん丸な実をつけている。ミニトマトのようで美味しそうだが、毒があるらしい。




ガードレールの下でマツバギクが花を咲かせていた。なんだか雅な名前だが、南アフリカから来た多肉植物の一種らしい。這って広がりやすいため、花壇を覆いつくしたりはみ出したりしているのをよく見かけるがこれは完全に野良化している。




塀の向こうにセイヨウニンジンボクが茂っていた。房になって咲いている紫の花からは甘い香りが漂っている。クマバチがその香りに惹かれて集まっていた。暑くなってから、一人で歩くときはマスクを外すようにしている。おかげで、自然の香りに気づきやすくなった。




住宅地を歩いていると、建築中の家から木材の匂いがしたり庭木のジャスミンやクチナシが香ってきてそれだけで楽しい。公園の植え込みに生い茂るサンショウの葉にアゲハチョウが卵を産み付けようとしていた。立ち止まってしばらく眺める。




川に着いた。護岸の階段を下りてみると、コンクリート壁にトキワツユクサが群生していた。白い可憐な花で名前も和風だが外来種で、その繁殖力から要注意外来生物に指定されているとのこと。意識してみると、確かにあちこちにその姿を見かける。




川の水が少なくてちょっと生臭いな、と思っていると岩の上に亀を見つけた。首を伸ばして日向ぼっこしている様子が可愛らしいが、これも外来種のアカミミガメだ。それに、亀の周りを涼やな緑で彩っているのはもしかしてミントではないだろうか。この川ではアメリカザリガニがよく釣れる。いかにも都市部の小川といった感じで、これはこれで面白いのだが、生態系はきっとめちゃくちゃなんだろう。
環境や生態系については時々考え込んでしまう。私が野良庭と呼んでいるのは「庭から逃げ出して野良化した植物」がほとんどで、そこに違和感を感じたり不思議な調和を見出すことを楽しんでいる。でもそれらは国立環境研究所(「侵入生物データベース」を公開している組織)の言葉を借りると「観賞用のものが逸出し野生化した外来種」である。野良庭を探す私の目は「人間と植物」や「文明と自然」の対比だとか、ゆらぎに向いている。人は、遠い場所から種を運び庭に植え水をやり花を咲かせ、管理した気になっている。しかし、制御しきれない生命力が植物にはある。以前も書いたが、SF作品に登場する「文明の滅んだ都市に栄える植物たち」の描写が好きだ。私はあの描写に触れるたび、人間が自然を蹂躙してきたという罪悪感から少しだけ救われる。
ただ、視点を「植物と植物」「植物と昆虫」などに切り替えると話は変わってくる。例えば、美しいからと持ち込んだ外国の植物が、いつの間にかこの国の土に群生しているとする。もともとそこに生えていた植物を追いやり、その植物に生活を預けていた昆虫の居場所がなくなる。その昆虫が減ればそれを食べていた鳥が減り…のように、生態系に乱れが生じてくるらしい。私はまだまだ勉強不足だが、人間の活動によって生態系が崩れるのは嫌だなと思う。結局人間もその生態系の一部であるわけだからいずれ影響を受けるのだろうし。好きな生き物がいなくなるとか、故郷の風景が変わってしまうとか、そういう気持ちの面だけでなく、もっと深刻なことに繋がっているのだろうと考えるとそわそわする。
街歩きだけでなく自然公園や山に行く機会も増えてきた。近付いた分、楽しんだ分だけ、無責任ではいられない気がしてくる。




川の向こう岸にヒメオウギズイセンがオレンジ色の花を咲かせている。水の中には黒くて大きな鯉がゆったりと泳いでいる。かと思えば私の影に気付いたのか素早く動いて草陰に隠れた。




背の高い草が風でざわざわと音を立てる。ガマの穂が揺れ、鴨が鳴きながら飛んでいく。葉脈だけ残した虫食いの葉がレース布のようだ。水面には体長1センチに満たないアメンボがたくさん泳いでいる。




この、左右対称の美しい葉を広げているのはネムノキの幼木だろうか。それにしても自然が生み出す規則正しさに、なぜこんなに惹かれるのだろう。大昔から人は自然の作る美に憧れ、学んできたのだろうと思いを馳せる。




ヤブガラシの葉の上にマメコガネのカップルがいた。辺りには、甘く饐えたような匂いが漂っている。護岸の上に生える街路樹の匂いだろうか。この辺りから蝉の声もちらほら聞こえてくる。




川に覆いかぶさるように枝を伸ばす桜の木から細く高い鳴き声が聞こえてくる。もしやと思って見ると、やはりエナガの群れがいた。白い小さな体でちょこまかと枝を跳ね回っている。メジロも少し混じっているようだ。可愛らしくて、しばらく見上げていた。




護岸の階段を上がって遊歩道へ出ると、高い柵に絡みつくノウゼンカズラが目に入った。この花を見ると夏が来たという感じがする。農家のビニールハウスを横目に進み、橋を渡って川から離れた。




交通量の多い通りに出た。道路には傾斜があり、私はその道を上って行くことにする。道の横は低い土地になっていて、そこに建っているアパートの二階部分と今いる歩道が繋がっているのが面白い。向かいのマンションの壁には帽子をかぶったヤブガラシのオバケがいた。




コンクリート擁壁の水抜穴の下にコケやシダが棲みついていた。一見汚らしいのだが、背景の色や模様も相まってどことなく神聖な雰囲気を醸し出しているのが不思議だ。行き場のないものたちを受け入れてくれそうな大らかさを感じる。




さらに進むと坂が急になり歩道橋のような階段が現れた。上っていくとベンチと樹木だけのちょっとした公園があり、その先は平坦な道になっていた。公園の付近でオオシオカラトンボを見つけた。濃い水色がとてもきれいだ。




大きい通りに出て少し行くと庭園があった。中に入ってみると、かなり鬱蒼としている。私以外に利用者はいないようで、蝉時雨と鳥の声だけが響いている。不意に足元でガサガサと落ち葉の擦れる音がした。驚いてその辺りを探すとカナヘビがいて、もう一匹のカナヘビに嚙みついている。共食いかとぎょっとしたが、調べてみるとどうやら交尾行動のようだ。トカゲの仲間は交尾の際メスに噛みつくものらしい。




大きな池は濁っているものの木々の影を映している様子はなかなかだった。ただ、立ち止まると一瞬で蚊に取り囲まれるため、ゆっくり観察する暇はない。私は早足で順路をたどり、庭園を後にした。虫よけスプレーを忘れたことを後悔したが、使ったところで太刀打ちできたかは怪しい。




帰り道、最寄り駅近くの花壇にハナヅルソウがぎゅうぎゅうに生えていた。多肉質の葉に赤い小さな花が咲いて可愛らしい。この南アフリカ原産の植物も、今はぎりぎり花壇に収まっているが、同郷のマツバギクと同じように逃げ出す機会を狙っているのではないだろうか。




こちらは道端に生えていたオニユリ。誰も世話をしなくても、こんな風に見事な花を咲かせる。その姿にはっとする。
私はこれからも野良庭を探すだろう。時にはそれが生態系に悪影響を及ぼすかもしれないと、複雑な思いを抱くとしても。その植物自体が見せてくれる健気で逞しい生命力には抗えない。




最後までご覧くださりありがとうございました。ブロック塀からあふれ出して芳香を放っていたクチナシの花をどうぞ。私はこの花の香りがどんなものより良い香りだと思うのです。
ひどく暑い日が続きますが、どうか皆さまご自愛ください。









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末埼鳩

少し奇妙な物語やエッセイを書きます。庭を逃れた野良植物の写真を撮るのが好きです。

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