堺旧港で灯台を見た
- 更新日: 2024/12/05
旧堺燈台
旅行で大阪と和歌山へ行ってきて、そのとき堺に一泊した。
「大阪旅行で宿泊地に堺を選ぶ人初めて見た」と地元民に言われたんですけど、日中に堺東に用事があって、翌日は和歌山に泊まることになっているので、南海本線沿いという条件のもと数学的に決定されたものです。結果的に堺はものすごく面白かった。
堺といえば中世の貿易港くらいのイメージしかなかったけれど、いざ行ってみるとけっこう大仙古墳を推していた。
▲そば屋でも古墳を推してくるくらい
最近の旅行の行き先は、行ったことの無い場所から適当に決めることが多いんだけど、だいたい行った先に世界遺産が待ち構えている。これは僕の運が良いのか、世界遺産が増え続けているのかは知らないんだけど、今回は大仙古墳をはじめとする古墳群があった。自分の泊まった堺駅付近からはすこし距離があったのでシェアサイクルを借りて回った。
ところでシェアサイクルって何故あんなに「乗りやすい」んですかね? 何を言ってるかというと、あれです、子供の頃に友達の自転車ちょっと借りると五万パーセントの確率で乗りにくくなかったですか? なんかサドル高すぎたり、逆に低すぎたり、ペダル重すぎたり、ハンドルの形が触覚みたいになってたりして「こいつなんでこんなの乗ってんだよ……」みたいな自転車ばっかりだった気がする。基本、人の自転車ってめちゃくちゃ乗りにくい。
それなのにシェアサイクルってどれもスッと乗れる。経験則に反している。分からないものは怖い。
あとは博物館へ行って分かった気になった。5世紀に出土した土器に描かれた馬の絵が非常に個性的だったので手帳に模写していたんだけど、博物館の人に「ここ写真撮ってOKですよ」と言われた。恥ずかしかったので「あ、はい、へへ、ですよね」とか言いながら研究者みたいな顔をして"あえて描きたい人"を貫いた。
そのあとのコーナーではいくつか写真を撮った。
要はこのように、観光スポットを回った。観光スポットは、みんなを楽しませようというエンターテイナー気質があるので楽しい。みんなが行ってみろと言うところはだいたい面白い。
当たり前のことを言っている自覚はあるんだけど、最近はほら、どこにも載ってない場所を自分なりに楽しむとか、そういうのが持て囃される傾向にあるし、僕も今までザ・観光地は「答え合わせの旅になっちゃうから……」と少し敬遠してきたふしがある。
敬遠ばかりするのも良くないなと思い直している。観光地も想定外な面白さがある。今年の初めに行った富岡製糸場は土砂降りでメガネが曇りまくって解説員さんに「あそこのレンガ積みが……」とか言われても全然見えなくて、その説明が逆に記憶に残った。
そんなわけで、最近の旅の目的はみんなが行ってみろというところへ行くことで、今回も目的のない行動を取るつもりはなかったのですが、
竜神橋町のフェニックス通り。少年漫画の主人公住んでる?
見上げるとプチプチみたいなアパートが目に入ってきた。
アパート前の木が掃除用具を一手に引き受けていた。堺、さてはおもしろいな?
それでスイッチが入ってしまってちょっとうろうろした記録です。
この結果、計画が大幅にずれて、夕方に到着する予定だった和歌山にはけっこうな夜に着きました。
◆
うろうろするといっても「海」というゴールはあった。
かつて貿易の中心地であった堺に来たんだから境港は行くべきでは、という気持ちはあったので、このぶらぶらも、旅の目的をそれほど逸脱していない。
海はどっちだろう。こういうときは高いところに登ってみるのが定石です。
歩道橋に登ったらもうなにか海のオブジェっぽいものが見えている。海にありそうな像。これが市街地にあったら相当煩い。あそこが海であるべき。
別の方角を見ると、全く同じ感じで生えるボーリングのピンがあった。あそこは海でないべき。
ということで、海であるべきほうへ向かいます。
フェニックスヤシを植えているみたいだった。フェニックス通りが拡張されるってこと?
その隣に盛り土があったんだけど、なんか、良くないですかこれ。盛り土百選とかあったら絶対に選ばれる。
盛り土は機械的で美しいものもあるし、このように少し崩れていて良いものもある。富士山信仰のミニ富士みたいなやつの評価軸を援用できるかもしれない。どうだろう、盛り土。どうだろうってなんだろう。
盛り土の良さはどうでもいいんだけど、そのあと遠くにレンガ造りのゲートが見えてきたので、なるほど臨海の公園だ、境港の何かがあるのだと思って入ったらそこは海とは関係無かった。海ギリのあたりまで公園の敷地としては続いているけれど海側に出る口もなければ出入り口はここ一点しかないというウツボカズラみたいな作りの公園だった。
そんなことはつゆ知らず入ります。
大浜
公園
大浜公園。名前的に海の公園だと思うじゃないですか。海見たくて入るでしょ。そこが堺のウツボカズラですよ。
あとから調べたら、かつてそこに海岸があったけれど、高速道路や工場のために埋め立てた結果無くなった。
だから正確には、海に逃げられた海の公園だった。大浜公園は全く悪くなくて、悪いのは成長を止めると死ぬこの社会。
この公園にはでかいアリーナや運動場がある。剣道の格好をした人たちが行列で入っていった。
この先に海がある、とこのときは思っていたよね。
猿はいる。
終始落ち着かない様子で猿がいる。
近くに犬の像があるからじゃないかと思った。
これは昭和33年、第一次南極観測隊によって南極に置き去りにされた樺太犬たちの慰霊碑らしい。天候の悪化のためやむなく犬を残して人間だけ南極を脱出することになったけれど、翌年行ったらタロとジロが生き延びていたという話は映画「南極物語」とかで今も語り継がれている。
ただ、この慰霊碑の中には死んでないタロとジロも居るっぽい。というのも、この像は犬を置き去りにして国民から大バッシングを受けたその年にカッとなって作られたものらしい。全頭死んだと思って。まあ、ふつう死んだと思うよね。
バーベキュー味みたいな文字でバーベキューが禁止されている。
ところで、あとからこの公園名で検索したら登山記録アプリであるところのヤマップのページが引っかかって、なんでだろうと思ったら、この公園内に一等三角点のある日本一低い山「蘇鉄山」があるんだそう。標高6.97メートル。そんなのあったかなあ。まあ、あったんだろうな。登っておくんだったなー
というか、6メートルだったら気づかずに登り切ってる可能性ありますよね。けっこうぶらぶらしたんで、どうでしょう。結果的にうっかり登頂してないですかね?
どう? してない? 登頂。
どうです? これ蘇鉄山じゃない? 登り切ってない?
うっかり登頂したかもしれない山って面白いな。槍ヶ岳とかだと絶対に起こりえない。あーでも世の中に絶対はないか。夢遊病の登山家とか……
あ、この公園は海のほうへ出られないな? と気づき始めた頃です。のんきにテニスやってるなーって思った。テニスに恨みはないけど。
奥には高速道路の高架があって、どうやら現在の海岸線に沿って走っている。あのへんが海だなとは分かるのだけど、海沿いのこういうやつは徒歩で近づけないと相場が決まっている。シンプルに危ないからだと思うけど、海の景観が車勢に独占されている感じがしてなんか嫌だな。
シーサイドラインみたいなのもそうだけど、ああいうのは大体車のためにあって、歩いてると牽かれそうになる。歩行勢はもっと怒っていいのでは。江戸時代の東海道みたいなのを作るべきではないでしょうか。
それでは脇から公園を出ようと思ったら道路のほうにも出られないことに気づいたときの写真です。
あのゲートまで戻るしかない。
めちゃくちゃ損したなー
形の良い松たち。
気分が良かったらちゃんと褒めてたと思うけど、そんな気力もない。
ゲートに戻ってきた。
無い浜公園に名前変えたら?
と思ったのだけど、公園最奥の駐車場を抜けて海の方へ徒歩で出られた気がするという情報もあとから得た。それでしたらすみません無い浜とか言って。
道路に戻ってちょっと行ったらすぐに海があってびっくりしました。
ここは堺旧港というらしい。なんかの注意書きでその名前を知る。
こういうのよくある。3Fのトイレはしばらく使えません、という注意書きで3Fにトイレがあることを知るやつを最近やった。
堺旧港の船がちょっと「旧」の感じを出してきている。
どうせなら帆船とかであってほしいけど。
おだやかだ。こちら側は「堺旧港親水護岸」として整備されているらしい。
対岸には工場みたいなのがある。
奥のいけるところまで行ってみます。
カタシケテ。世界の堺旧港に直接書いちゃうほどの自信でツとシを間違える人。
世界の堺旧港に直接書いちゃう人はほかにも居た。みんなすごい自信ですね!
このあたりの海に落ちたらとんちで助けてもらえるっぽい。
死ぬことによって生きる苦しみから人を救いました~とか言いそう。あっぱれ。
かつての境港の賑わいを再現した巨大アートを向かいの工場の協力を得て壁に描いた! という堺市の説明板があったので見たけれど、大きな何かが干されていました。天気が良いし、そういうこともあるよね。
これ、さっき公園から見えた海岸線の高速道路だな。
桁下15Mって陸だと余裕だけど海だと注意しないといけないレベルなんだろうか。
このあたりの感覚が全然分からなくて面白いなと思った。
そういえばシロナガスクジラはゾウよりもはるかに大きいので、海のスケールはそんな感じかもしれない。
潜りますよ、何らかの高速道路を。
空のジッパー、ここを閉めると夜になるんだろ?
近くに大浜ランプがあるらしく、道路が入り組んでいて面白い。
土木とかメロンの飾り切りとか、作り方の想像がつかないものはハーすごいねーくらいしか言えないんだけど、鑑賞は自由ですから。
道路面白い。堺旧港を見に来たのに、高速道路の鑑賞になっている。
だって港って言っても水しかないんだもの。
あれっ、灯台があるらしい。灯台いいですね。僕は最近灯台に興味があります。
近代の灯台には凸レンズの原理そのままで薄く作れるフレネル・レンズがあって、灯台の等級はレンズの大きさの等級なんですよ。でかいのだと3メートルとかのレンズがある。それをモーターでゆっくり回転させるんす。僕はいま、最近知った知識の上澄みをそのまま垂れ流しています。
灯台かあ。いいですね。海も魅力を出してきた。
本当に灯台がある。旧堺燈台。
しかも佇まいが良い。明治10年に作られたもっとも古い洋式木造灯台の一つだって。五等灯台だそうです。レンズまだ中にあるのかな。
これは、来て良かったですね。
洋風っぽくもあり和風っぽくもあり。もしかして擬洋風建築ってやつに入る?
ところで灯台も良いけれど、灯台脇にせり出すこの曲線を無視するわけにはいかない。これは大浜ランプのカーブ。もしくは書道の大家の「し」を半紙の視点で見ているところ。
ここは灯台と高速道路が楽しめるいい所です。ただ、食い合わせは良いわけでもないんだよな。
ほら、なんかお互いがお互いを消しにかかっている。コラボ失敗ですよ。
いや、しかしこれ……もしかして夜は綺麗だったりするんじゃない?
そう思って画像を検索してみたところ、阪神高速のライトに照らされた灯台の写真がたくさん見つかった。夜の写真は皆あえて高速道路を背景に入れて撮っているように見える。こっちのほうが映えるという判断なんだと思う。
灯台が高速道路の光に照らされて映えるというのはおかしい感じがするけど、写真を見るとむしろ、背後で一定間隔に光るナトリウムランプを灯台が従えている感じがする。灯台とはライトのボスだと思った。
これを撮るために堺にもっと長く居られればよかったんだけど、旅程の都合上写真が撮れなかった。
思ったより時間を食ってしまったので急いで堺の別の用事(時系列的にはこのあと博物館へ行った)を済ませて、次の目的地である和歌山へ向かったんだけど、着いた頃にはすっかり夜だった。
灯台の代わりといってはなんだけど、和歌山についたあと、光っているものをいくつか撮りました。
和歌山市駅と図書館が一緒になっている、テレビデオみたいな建物。こんな建物があるなんて和歌山県民いいな。一階の本屋とスタバが混ざったやつも、賑やかで、座れる、というちょうど良さだった。都内だとこういうちょうどいい感じにならない。ちょうどいい人口に、ちょうどいい建物。
橋と川がライトアップされていた。ずっとこうなのか、今日たまたまなのかは分からない。
少し歩いたらそれよりもさらに強い黄色い光が見えたので、近づいたらこれだった。
和歌山でたぶんこれが一番明るかった。
このあと風呂なしの妙な宿に泊まって帰りました。
「大阪旅行で宿泊地に堺を選ぶ人初めて見た」と地元民に言われたんですけど、日中に堺東に用事があって、翌日は和歌山に泊まることになっているので、南海本線沿いという条件のもと数学的に決定されたものです。結果的に堺はものすごく面白かった。
堺といえば中世の貿易港くらいのイメージしかなかったけれど、いざ行ってみるとけっこう大仙古墳を推していた。
▲そば屋でも古墳を推してくるくらい
最近の旅行の行き先は、行ったことの無い場所から適当に決めることが多いんだけど、だいたい行った先に世界遺産が待ち構えている。これは僕の運が良いのか、世界遺産が増え続けているのかは知らないんだけど、今回は大仙古墳をはじめとする古墳群があった。自分の泊まった堺駅付近からはすこし距離があったのでシェアサイクルを借りて回った。
ところでシェアサイクルって何故あんなに「乗りやすい」んですかね? 何を言ってるかというと、あれです、子供の頃に友達の自転車ちょっと借りると五万パーセントの確率で乗りにくくなかったですか? なんかサドル高すぎたり、逆に低すぎたり、ペダル重すぎたり、ハンドルの形が触覚みたいになってたりして「こいつなんでこんなの乗ってんだよ……」みたいな自転車ばっかりだった気がする。基本、人の自転車ってめちゃくちゃ乗りにくい。
それなのにシェアサイクルってどれもスッと乗れる。経験則に反している。分からないものは怖い。
あとは博物館へ行って分かった気になった。5世紀に出土した土器に描かれた馬の絵が非常に個性的だったので手帳に模写していたんだけど、博物館の人に「ここ写真撮ってOKですよ」と言われた。恥ずかしかったので「あ、はい、へへ、ですよね」とか言いながら研究者みたいな顔をして"あえて描きたい人"を貫いた。
そのあとのコーナーではいくつか写真を撮った。
πの鳥良すぎないですか pic.twitter.com/MSmqMHhcrW
— yasunori@文フリ東京 え-8 (@yasunori) November 8, 2024
要はこのように、観光スポットを回った。観光スポットは、みんなを楽しませようというエンターテイナー気質があるので楽しい。みんなが行ってみろと言うところはだいたい面白い。
当たり前のことを言っている自覚はあるんだけど、最近はほら、どこにも載ってない場所を自分なりに楽しむとか、そういうのが持て囃される傾向にあるし、僕も今までザ・観光地は「答え合わせの旅になっちゃうから……」と少し敬遠してきたふしがある。
敬遠ばかりするのも良くないなと思い直している。観光地も想定外な面白さがある。今年の初めに行った富岡製糸場は土砂降りでメガネが曇りまくって解説員さんに「あそこのレンガ積みが……」とか言われても全然見えなくて、その説明が逆に記憶に残った。
そんなわけで、最近の旅の目的はみんなが行ってみろというところへ行くことで、今回も目的のない行動を取るつもりはなかったのですが、
竜神橋町のフェニックス通り。少年漫画の主人公住んでる?
見上げるとプチプチみたいなアパートが目に入ってきた。
アパート前の木が掃除用具を一手に引き受けていた。堺、さてはおもしろいな?
それでスイッチが入ってしまってちょっとうろうろした記録です。
この結果、計画が大幅にずれて、夕方に到着する予定だった和歌山にはけっこうな夜に着きました。
うろうろするといっても「海」というゴールはあった。
かつて貿易の中心地であった堺に来たんだから境港は行くべきでは、という気持ちはあったので、このぶらぶらも、旅の目的をそれほど逸脱していない。
海はどっちだろう。こういうときは高いところに登ってみるのが定石です。
歩道橋に登ったらもうなにか海のオブジェっぽいものが見えている。海にありそうな像。これが市街地にあったら相当煩い。あそこが海であるべき。
別の方角を見ると、全く同じ感じで生えるボーリングのピンがあった。あそこは海でないべき。
ということで、海であるべきほうへ向かいます。
フェニックスヤシを植えているみたいだった。フェニックス通りが拡張されるってこと?
その隣に盛り土があったんだけど、なんか、良くないですかこれ。盛り土百選とかあったら絶対に選ばれる。
盛り土は機械的で美しいものもあるし、このように少し崩れていて良いものもある。富士山信仰のミニ富士みたいなやつの評価軸を援用できるかもしれない。どうだろう、盛り土。どうだろうってなんだろう。
盛り土の良さはどうでもいいんだけど、そのあと遠くにレンガ造りのゲートが見えてきたので、なるほど臨海の公園だ、境港の何かがあるのだと思って入ったらそこは海とは関係無かった。海ギリのあたりまで公園の敷地としては続いているけれど海側に出る口もなければ出入り口はここ一点しかないというウツボカズラみたいな作りの公園だった。
そんなことはつゆ知らず入ります。
大浜
公園
大浜公園。名前的に海の公園だと思うじゃないですか。海見たくて入るでしょ。そこが堺のウツボカズラですよ。
あとから調べたら、かつてそこに海岸があったけれど、高速道路や工場のために埋め立てた結果無くなった。
だから正確には、海に逃げられた海の公園だった。大浜公園は全く悪くなくて、悪いのは成長を止めると死ぬこの社会。
この公園にはでかいアリーナや運動場がある。剣道の格好をした人たちが行列で入っていった。
この先に海がある、とこのときは思っていたよね。
猿はいる。
終始落ち着かない様子で猿がいる。
近くに犬の像があるからじゃないかと思った。
これは昭和33年、第一次南極観測隊によって南極に置き去りにされた樺太犬たちの慰霊碑らしい。天候の悪化のためやむなく犬を残して人間だけ南極を脱出することになったけれど、翌年行ったらタロとジロが生き延びていたという話は映画「南極物語」とかで今も語り継がれている。
ただ、この慰霊碑の中には死んでないタロとジロも居るっぽい。というのも、この像は犬を置き去りにして国民から大バッシングを受けたその年にカッとなって作られたものらしい。全頭死んだと思って。まあ、ふつう死んだと思うよね。
バーベキュー味みたいな文字でバーベキューが禁止されている。
ところで、あとからこの公園名で検索したら登山記録アプリであるところのヤマップのページが引っかかって、なんでだろうと思ったら、この公園内に一等三角点のある日本一低い山「蘇鉄山」があるんだそう。標高6.97メートル。そんなのあったかなあ。まあ、あったんだろうな。登っておくんだったなー
というか、6メートルだったら気づかずに登り切ってる可能性ありますよね。けっこうぶらぶらしたんで、どうでしょう。結果的にうっかり登頂してないですかね?
どう? してない? 登頂。
どうです? これ蘇鉄山じゃない? 登り切ってない?
うっかり登頂したかもしれない山って面白いな。槍ヶ岳とかだと絶対に起こりえない。あーでも世の中に絶対はないか。夢遊病の登山家とか……
あ、この公園は海のほうへ出られないな? と気づき始めた頃です。のんきにテニスやってるなーって思った。テニスに恨みはないけど。
奥には高速道路の高架があって、どうやら現在の海岸線に沿って走っている。あのへんが海だなとは分かるのだけど、海沿いのこういうやつは徒歩で近づけないと相場が決まっている。シンプルに危ないからだと思うけど、海の景観が車勢に独占されている感じがしてなんか嫌だな。
シーサイドラインみたいなのもそうだけど、ああいうのは大体車のためにあって、歩いてると牽かれそうになる。歩行勢はもっと怒っていいのでは。江戸時代の東海道みたいなのを作るべきではないでしょうか。
それでは脇から公園を出ようと思ったら道路のほうにも出られないことに気づいたときの写真です。
あのゲートまで戻るしかない。
めちゃくちゃ損したなー
形の良い松たち。
気分が良かったらちゃんと褒めてたと思うけど、そんな気力もない。
ゲートに戻ってきた。
無い浜公園に名前変えたら?
と思ったのだけど、公園最奥の駐車場を抜けて海の方へ徒歩で出られた気がするという情報もあとから得た。それでしたらすみません無い浜とか言って。
道路に戻ってちょっと行ったらすぐに海があってびっくりしました。
ここは堺旧港というらしい。なんかの注意書きでその名前を知る。
こういうのよくある。3Fのトイレはしばらく使えません、という注意書きで3Fにトイレがあることを知るやつを最近やった。
堺旧港の船がちょっと「旧」の感じを出してきている。
どうせなら帆船とかであってほしいけど。
おだやかだ。こちら側は「堺旧港親水護岸」として整備されているらしい。
対岸には工場みたいなのがある。
奥のいけるところまで行ってみます。
カタシケテ。世界の堺旧港に直接書いちゃうほどの自信でツとシを間違える人。
世界の堺旧港に直接書いちゃう人はほかにも居た。みんなすごい自信ですね!
このあたりの海に落ちたらとんちで助けてもらえるっぽい。
死ぬことによって生きる苦しみから人を救いました~とか言いそう。あっぱれ。
かつての境港の賑わいを再現した巨大アートを向かいの工場の協力を得て壁に描いた! という堺市の説明板があったので見たけれど、大きな何かが干されていました。天気が良いし、そういうこともあるよね。
これ、さっき公園から見えた海岸線の高速道路だな。
桁下15Mって陸だと余裕だけど海だと注意しないといけないレベルなんだろうか。
このあたりの感覚が全然分からなくて面白いなと思った。
そういえばシロナガスクジラはゾウよりもはるかに大きいので、海のスケールはそんな感じかもしれない。
潜りますよ、何らかの高速道路を。
空のジッパー、ここを閉めると夜になるんだろ?
近くに大浜ランプがあるらしく、道路が入り組んでいて面白い。
土木とかメロンの飾り切りとか、作り方の想像がつかないものはハーすごいねーくらいしか言えないんだけど、鑑賞は自由ですから。
道路面白い。堺旧港を見に来たのに、高速道路の鑑賞になっている。
だって港って言っても水しかないんだもの。
あれっ、灯台があるらしい。灯台いいですね。僕は最近灯台に興味があります。
近代の灯台には凸レンズの原理そのままで薄く作れるフレネル・レンズがあって、灯台の等級はレンズの大きさの等級なんですよ。でかいのだと3メートルとかのレンズがある。それをモーターでゆっくり回転させるんす。僕はいま、最近知った知識の上澄みをそのまま垂れ流しています。
灯台かあ。いいですね。海も魅力を出してきた。
本当に灯台がある。旧堺燈台。
しかも佇まいが良い。明治10年に作られたもっとも古い洋式木造灯台の一つだって。五等灯台だそうです。レンズまだ中にあるのかな。
これは、来て良かったですね。
洋風っぽくもあり和風っぽくもあり。もしかして擬洋風建築ってやつに入る?
ところで灯台も良いけれど、灯台脇にせり出すこの曲線を無視するわけにはいかない。これは大浜ランプのカーブ。もしくは書道の大家の「し」を半紙の視点で見ているところ。
ここは灯台と高速道路が楽しめるいい所です。ただ、食い合わせは良いわけでもないんだよな。
ほら、なんかお互いがお互いを消しにかかっている。コラボ失敗ですよ。
いや、しかしこれ……もしかして夜は綺麗だったりするんじゃない?
そう思って画像を検索してみたところ、阪神高速のライトに照らされた灯台の写真がたくさん見つかった。夜の写真は皆あえて高速道路を背景に入れて撮っているように見える。こっちのほうが映えるという判断なんだと思う。
灯台が高速道路の光に照らされて映えるというのはおかしい感じがするけど、写真を見るとむしろ、背後で一定間隔に光るナトリウムランプを灯台が従えている感じがする。灯台とはライトのボスだと思った。
これを撮るために堺にもっと長く居られればよかったんだけど、旅程の都合上写真が撮れなかった。
思ったより時間を食ってしまったので急いで堺の別の用事(時系列的にはこのあと博物館へ行った)を済ませて、次の目的地である和歌山へ向かったんだけど、着いた頃にはすっかり夜だった。
灯台の代わりといってはなんだけど、和歌山についたあと、光っているものをいくつか撮りました。
和歌山市駅と図書館が一緒になっている、テレビデオみたいな建物。こんな建物があるなんて和歌山県民いいな。一階の本屋とスタバが混ざったやつも、賑やかで、座れる、というちょうど良さだった。都内だとこういうちょうどいい感じにならない。ちょうどいい人口に、ちょうどいい建物。
橋と川がライトアップされていた。ずっとこうなのか、今日たまたまなのかは分からない。
少し歩いたらそれよりもさらに強い黄色い光が見えたので、近づいたらこれだった。
和歌山でたぶんこれが一番明るかった。
このあと風呂なしの妙な宿に泊まって帰りました。