赤坂 / 勝海舟が愛した街は、きっといい街。
- 更新日: 2016/12/06
勝海舟と坂本龍馬の師弟像。勝邸跡にある。
こんにちは、山川です。今日は赤坂に来ております。あ、すいません、今読書中なんで。
ちゃんと趣旨説明くらいしなさいよ。
今日赤坂に来たのは、他でもない。この本ですよ。
その前に、何その背景。
これは赤坂サカスの「カップル専用フォトスポット」ですよ。
そうですか。で、その本は何なんすか。
『氷川清話』っていって、勝先生がここ赤坂の自邸で人物評とか当時の時局とかを歯に衣着せず語ったトークをまとめた本です。この本読んだら胸がアツくなってきたんですよ。
はあ。なんでまた、勝海舟なんて読んだの?
呼び捨てにしないで、勝先生と呼んでください。
ええっ。えっと、じゃあ、なんでまた、突然、勝先生の本なんて読んだの?
12月って言ったらもう年末じゃないですか。大河ドラマも終わる月だし、一年も終わるし、なんか日本の歴史を振り返りたくなりませんか。で、なんかいろいろ見てたら、勝先生にぶち当たったんです。江戸城を無血開城させた功労者だっていうし、江戸末期に国内で争っていたら、どこかの国に攻め込まれて植民地してたかもしれない。もし、そうなってたら、日本に大晦日って言葉がなかったかもしれないし、お正月におせち料理を食べる文化が続いてたかどうかも分からないじゃないですか! おせちが! 無かったら! どうですか!
まあ、はい。うん。悲しい。
赤坂は、勝先生が長年住んだ街なんです。今日は、勝先生の軌跡を赤坂で辿りながら、勝先生が愛した赤坂はこんなにすごい、っていうのを肌で感じる企画です。
へえー。
へえー、じゃなしに。ところで、ヤスノリさんは赤坂は?
半蔵門に通ってた期間があって、飲みにこっちまで来てましたね。あと、たまに友達と肉食べに来ます。旨い焼肉屋があって。だからなんとなく土地勘はあります。
なるほど。ちなみに僕は、赤坂初めてです。
大丈夫なの?
オフィス街と飲食店街を抜けて
赤坂・赤坂見附付近は、国会議事堂や首相官邸にも近く、政治、ビジネス、文化の中心地であります。意気揚々と歩き始めたのですが、気後れするものばかり。
赤坂駅周辺は2008年に再開発されました。TBSのあたりは「赤坂サカス」という複合施設になっています。
夜には美男美女がハッピーに歩いてそうなおしゃれロード。
赤坂見附付近はオフィス街。出来る風のサラリーマンとたくさんすれ違います。
アートな感じのビルにも面食らう。
これの反射が原因で付近の草むらでボヤとか起きないか心配。
なんかとんでもなくハイレベルなところに来てしまった気がする。こんなところに勝海舟の史跡なんて残ってるの?
ビルの間に巨大な鳥居。日枝神社です。
知らない街で知ってる牛丼屋見つけるとなんだか安心する癖は直したい。
おっ、これ食品サンプルじゃない。本物だ。
ちょっとめくれば食べられちゃう。
それでも誰も手を出さないところに民度の高さを感じる。
勝先生の教えが今も息づいている……さすが勝先生……
これも? 勝海舟の影響なの?
赤坂は坂の町
赤坂は「坂の街」と呼ばれていて、ちょっと調べたんですけど、25か所以上の坂があるんですって。さっきの赤坂サカスも、坂の複数形「サカs」という意味が入っているんです。
あれ、アイドルとかが坂を駆け上がる「全力坂」って番組はTBSでしたっけ。
あれは、確かテレビ朝日。
TBSがやるべきやつだったな。
古地図を見てみると、坂の下の方には広い畑がたくさんあります。
江戸時代には、坂の下は小役人や庶民の街、高台は大名・武家屋敷が多かったそうです。
この坂に沿って斜めっている塀は報土寺の築地塀。港区の文化財に指定されています。
あれ、この寺、雷電為右衛門のお墓もあるんですね。
うおー。相撲史上最強と言われる力士じゃないですか。
突然何の説明もなく手形がある。まあ、この流れだと雷電為右衛門のだと思うけれど。
でもこの掲示板の下にあることを考えると、親鸞の手形の可能性もゼロではないですよね。
親鸞の手、大きい〜。
勝海舟の邸跡に来た
あ、ここだ。
普通のマンション。「ソフトタウン赤坂」だって。
地図によると、ここが勝先生の住んでいたところですよ。長崎で蘭学や航海術を学んで帰郷したあと、ここに住んだそうです。
何号室に住んでたんですかね?
ソフトタウンは当時無いから! ここに昔邸宅があったってこと!
ほら。碑がありました。
「勝海舟勝邸跡 ソフトタウン赤坂自治会」だって。勝っていう字とソフトっていう字が同居してるの面白いな。
勝先生の強さと優しさを感じられますね!
ソフトタウン赤坂の101号室である喫茶店は開いていなかった。残念。
氷川神社と四合稲荷
勝邸の脇からはじまる本氷川坂。
この坂をぐいぐい上っていくと、
氷川神社に着きます。勝邸の裏山にあった感じなんだろうなあ。
氷川神社の敷地内に「四合稲荷(しあわせいなり)」という稲荷がありまして、なんとこの名前は、勝海舟がつけた、とされています。
なんでも、古呂故稲荷、地主稲荷、本氷川稲荷、玉川稲荷という、この地域の4つの稲荷を合祀する話が持ち上がって、その名前を地域の名士・勝海舟に相談。「四合(しあわせ)稲荷」としたんですと。
いまでは「しあわせ」「縁結び」の神様として参拝客が絶えないとか。さすが勝先生、ネーミングの妙ですなあ。
神社を出て、もうひとつの勝邸跡に向かいます。
赤坂ってすごいお金のかかりそうな町だと思ってたけど、なんだか住みやすそうな街並みもあるんですね。
確かに。すっごい建物ばっかりかと思いきや、このあたりは落ち着いてる。
ちょっと歩けばTBSだし、赤坂サカスだし、ここに住んだら人生楽しそうだなあ。
そうはいっても赤坂ってけっこう家賃高いと思いますよ。
ちょっと背伸びしたら行けるんじゃないですかね。この辺住んじゃおうかな……。
やっぱムリっぽい。
勝海舟の晩年の邸跡
ここも勝邸のあったところ。晩年を過ごしたそうです。
氷川清話に載っている話を弟子たちにしていたのは、この邸宅でしょうか。
その後、この地には氷川小学校が建ちましたが、平成5年3月31日に閉校。
そして現在は港区立赤坂子ども中高生プラザが建ってます。
「なんで〜も」と呼ばれてるらしい。
まとめると、勝邸→氷川小学校→なんで〜もという流れ。
資料によれば、ここに勝海舟の銅像があるはずなんだけど……
これのこと? 勝海舟の展示って書いてあるし。
僕の知ってる勝先生とだいぶ違うな……
そもそもこいつは何なんだよ。「シルバーナイト、銀色の騎士の意味です」だって。
何の回答にもなってない。意味を知りたい人はそれを知りたいんじゃないと思う。なんでナイトなのか、とか……。
昭和53年生まれの34歳だって。生々しい年齢だなー。
えっ、それはおかしい。俺も昭和53年生まれだけど今38歳だから。
若作りした意味はなんなんだ……。
あれでしょ。この張り紙作ってから年齢更新してないんでしょ。こういうのに年齢書くと毎年作りなおすことになるから生まれ年だけ書けばいいのに……
銅像は外にありました。2016年9月10日に除幕されたもので、結構新しい。
坂本龍馬と一緒の「師弟像」。坂本龍馬は勝海舟を殺しに行ったのですが、説き伏せられて弟子入りします。勝は龍馬の人柄を、なんとなく冒しがたい威権があって、よい男だったと述懐しています。
これ、防弾ガラスですかね。
そういや、勝海舟って20回ほど敵に襲撃されたそうで。官兵に銃撃されたときには、弾が外れたもののウマがびっくりして後ろ足をあげたらしく、落馬して気絶したんですよね。それを見て、官兵が死んだものと勘違いしたので一命をとりとめたっていう逸話がありますね。
龍馬も殺されてますしね。そんな経験してたら防弾ガラスも張りたくなりますよね。
勝邸の近くにある喫茶店・弾豆実に入ってみました。
読み方は「はずみ」。ビルの建て替えで残念ながら11月をもって閉店してしまうらしい。
勝さん絶対ここ来てましたよね。歩いてすぐだし。
当時、無いから!
勝先生は、おしゃべり好きの良いおっちゃんだったと思うんですよ。氷川清話の勝先生は、すごく生き生きとしている。
なんか本の中で好きな話とかあったんですか?
人間の価値の話ですね。自分の相場が下落したと思っても、じっと屈んで我慢していれば、また勝手に上がってくる。あらゆるものの価値は長くて10年くらいで変動する。苦しい時には、急いでも仕方がないから寝ころんで待つのが一番。自分で自分を殺すようなことをしなければそれでいいってところに心を打たれましたね。
俺もNISAで株やったらすげえ下がってるんだけど、これも我慢してたら上がるってことか。
それは知らない。
……
…
勝海舟の住んでいた町・赤坂は、今でも、政治とビジネスと文化の拠点として君臨しています。ちょっと通りを外れると静かな街並みが広がっていて、住み心地もよさそう。
勝海舟のように、世の中の流れを感じながら、じっくり考えるのには最適の街なのかもしれません。
街が人を変えるとするならば、僕も赤坂の外れにでも住んだら、世界を語れるようになるんだろうか。
そうそう、勝先生の面白い話、まだあるんですよ、どこだっけかな……
つうかこれだけ勝勝言っておいて図書館かよ! 買えよ!
(おしまい)