東京チェーン散歩~ドン.キホーテ浅草店を歩く

  • 更新日: 2019/01/29

東京チェーン散歩~ドン.キホーテ浅草店を歩くのアイキャッチ画像

浅草六区のど真ん中にあるドン.キホーテ浅草店

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チェーン。

この響きにみなさんはどんな風景を思い浮かべるだろうか。

いつでも、どこでも、同じものが同じように買える店。それがチェーンである。チェーンは「同じ」であることが重要なのだ。
いつでも、どこでも、同じものが同じように買えなかったらそれはチェーンとはいわない。むしろ、それはローカルなお店、とでもいうべきだろう。

でも、広く「チェーン」と呼ばれているものを見つめてみると、そこには全然チェーンらしくない、つまり、「全然同じじゃない」店舗が実はたくさんあることに気が付かされる。この「東京チェーン散歩」では、そんな「同じじゃない」チェーン店をめぐりながら、普段は何気なく見過ごしてしまっているであろうその店舗を、その街の特徴や、場所の歴史と絡めながら歩いてみようという散歩である。

だから、最初に断っておかなければならないのは、この散歩では、いわゆる一般的によく知られているような場所や観光地を紹介するのでもなく、B級スポットとしてあまり知られていないマニアックな場所を紹介するのでもない。むしろ皆さんがよく見知っているようなチェーン店を、いつもとは異なる見方で眺めてみるというのがこの散歩の趣旨なのだ。

では、さっそくチェーン店をめぐる散歩に、出かけてみよう。


浅草へGO

記念すべき第1回目は、



浅草である。

すぐさっき、「一般的によく知られているような場所を紹介するのではない」と書いたくせに、いきなり東京の観光地でも屈指の人気を誇る雷門の写真を載せてしまった。しかし、仕方がないのだ。人は、浅草に来たら雷門に行ってしまう。そしてついつい、もう何度となく撮ったであろうに、雷門の写真を撮ってしまうのだ。
本当はここから仲見世に入って、ちょっとお参りなどしたいところではあるが、今回は「チェーン」を目指さなければならない。ここは我慢だ。

さて、今回浅草でめぐるチェーン店は、「ドン・キホーテ浅草店」である。

今にも倒れんばかりに積まれた商品で埋め尽くされた店内や、派手な商品紹介のPOP、あるいは「ドンドンドンドンキ~♪」という、あの、耳に付いて離れないテーマソングを思い浮かべる人もいるかもしれない。そんな自己主張が強いドン・キホーテであるが、地域によって違いなどあるのだろうか。どこでもイメージキャラクターであるドンペンくんが入り口の上の方に描かれていて、店内に入ったら、あの、おなじみの雰囲気に包まれるのではないか。

それが、そうではないのだ。

ドン・キホーテ浅草店をめぐる「東京チェーン散歩」の始まりである。


浅草ドンキは、元々映画館があった

ドン・キホーテ浅草店はかつての娯楽の中心地で、多くの映画館が立ち並んでいた浅草六区のど真ん中にでかでかと立っている。店内に入る前に一歩立ち止まって、その外観を見てみよう。それが、こちら。



いやはや、中々の存在感。この外観がすでに、浅草らしさをよく表しているのだ。「ASAKUSA DON.QUIJOTE」と英語で書かれたどでかい看板は、かつての浅草六区に見られたような映画館のどでかい看板をどことなく思わせる。ちなみに、かつての浅草六区を当時の絵葉書から見てみよう。



なるほど。そうすると、かつての浅草六区にあったような建物をまねるように、このドンキは作られているのである。そして実は、このドンキ、ただ映画館風の外装をまねているだけではない。実は、かつてこの位置には、「大勝館」という映画館が立っていたのだ。上の写真でいうと、左の奥側の位置にあったという。現在の写真と照らし合わせるとわかりやすいかもしれない。上の古い写真とおなじ角度から撮った現在の浅草六区はこんな感じだ。



右手前の「電気館」は古い写真でも見えると思うが、その斜め前、写真で言うと、左奥の位置にドンキがちらりと見え、そこが「大勝館」だったのだ。
この映画館は見世物小屋だった旧第一共盛館の後を引き継ぐ形で明治41年(1908年)に開館し、以後、電気館や富士館、千代田館と並んで浅草六区の花形映画館として大人気であったという。
当時の大勝館の姿は、国立映画アーカイブのホームページにいくつか載っているので、是非そちらを見てもらいたい。

NFC Digital Gallery - No.3 | 国立映画アーカイブ

国立映画アーカイブのNFC Digital Gallery - No.3のページ。


ここで大勝館のかつての姿を見てみると、驚くことに、現在のドンキ浅草店の形が、驚くほどかつての大勝館の姿に似ていることが分かる。大勝館は、街の角に面したところが丸みを帯びた形になっており、そこにはその時々の映画に合わせたオブジェが飾られていた。これは現在のドンキ浅草店が角に面しているところに、看板と、ドンペンくんのオブジェを置いていることに似ているし、また建物の形もこの角に面したところは丸みを帯びていて、それは大勝館のころからそうだったのである。ちなみに現在のドンキ浅草店の形は、店内にある避難経路の図を見れば一目瞭然である。



右下の丸い部分が、街路の角に面した部分で、かつての映画館もこのような角の形をしていたのだ。

ここまで建物の形が似ていると、もはや「居抜き」なのでは、と疑いたくなってしまうが、そんなことは全くない。なにせ、映画館と激安スーパーなのだ。その建物の形はそれぞれの用途に合わせて変えなければならないので、ドンキの本社はこの土地を取得したあと、一度大勝館の建物を取り壊して、新しくこのドンキを作ったのだ。しかしそこにはかつて勢力を誇った大勝館への目配せが十分に発揮されているのである。


店内にも映画館への目配せがたくさん

ちょっと外観を見すぎたかもしれない。そろそろ中に入ってみよう。ここまで、浅草六区の歴史とドンキ浅草店の歴史を重ね合わせてきた私たちにとって、この大きな入り口も、かつての映画館の一部だったのか、とちょっと思いを馳せてしまう。



入り口に入ると、もういつも通りの普通のドン.キホーテが広がっている。まるでここが浅草であることを忘れてしまうかのようだ。でも「東京チェーン散歩」では、こんな普通に見える店舗の中に、ちょっと普通とは違う視点を挟み込んでみたい。



私が気になったのは、まず、このエスカレーターである。エスカレーター自体はなんてことはない、普通のものだけれど、その周りの壁には映画のフィルムのイラストが目いっぱいに書かれている。そこの中にはかつての浅草六区の姿や、それ以外の浅草の観光名所も書かれており、「そうだ、私は浅草に来ているんだった」とふと思い出させてくれる。やはりここはかつての映画館「大勝館」なのだ。そういえば、そういうフィルターを通してみると、店内のこんな部分も気になる。



階段がでかい。

普通のドンキだったらここまで階段を広くとったりはしないだろう。もちろん広い階段の店舗もあるのだけれど、これが1階から4階まで各階すべてに付いているのだ。

ここで私は妄想を働かせてしまう。

かつて、大勝館は1,345人もの収容人数を持つ、巨大な映画館であったという。台東区が発行している『浅草六区』という本には、この平面図も掲載されているが、そこにはロビーから客席へ行く大きな階段も見える。大量の客をさばくためには、大きな階段がなければうまく客を流すことも出来ないだろう。もしかすると、浅草ドンキのこの階段は、そんなかつての大勝館の階段を思わせる用に作られているのだろうか……?

妄想は膨らむ。



ちなみに、この階段、ステップ幅に違いがあるらしい。下の方は広く、上に行くにつれてだんだんと狭くなってくる。これによって、下から見ると遠近法が強調されて、同じ高さでも随分と勇壮に見えるというわけである。そう考えると、あながちかつての映画館のような、豪華な雰囲気をまとわせたかったという推論も的外れではなさそうだ。

さて、しかしそんなことをしているうちに、4階までたどり着いてしまった。このドンキは少し変わったつくりをしていて、建物全体がドンキの持ち物ではあるが、ドンキが入っているのは4階部分までで、それより上の階はサイゼリヤや、レビューショーを楽しませてくれる「虎姫一座」の劇場が入っていたりする複合ビルになっているのだ。

建物の内観は存分に楽しんだから、次は、その売られている商品も見てみることにしよう。


「いやげもの」に満たされて

浅草ドンキで売られている商品を見てみると、もちろん地域住民が普通に買い物をするためのスーパーとして、食料品やお菓子、日用品などがおなじみの圧縮陳列(一つの棚にいろんな商品をぎっしりと詰める売りかた)で売られているが、そうしたもの以外で目に付くのが、大量の「東京みやげ」だ。

海外からの観光客によって、インバウンド需要が増える昨今。東京のメジャー観光地の一つとして知られる浅草にも多くの外国人観光客が押し寄せている。そういえば、さっきから店内にはちらほらと外国人の姿が見えていて、そんな彼らのために大量に用意されたのが東京みやげである。



これが、その売り場だ。すでに怪しいにおいがぷんぷん漂っている。中をいろいろとみてみると……







大変な量である。こういう外国人向けのお土産ものはよく意味が分からないものが多いことで有名だが、この棚に陳列されている土産物も摩訶不思議なもののオンパレードだ。



刀を模したハサミらしい。かっこいいが、使いにくそうではある……。



なぜ5円玉なのだろう……。昔、「5円玉チョコ」なる、5円玉を模したチョコを食べたことがあるが、人は5円玉になぜか惹かれるらしい。外国の人はこれをバッグなどに付けて自慢するのだろうか。

みうらじゅんが昔、地方のさびれたお土産物屋さんに置いてあるよく分からない、もらってもあまり嬉しくない土産物のことを「いやげもの」と呼んでいたが、ドンキ浅草のこのコーナーはまさに「いやげもの」に満たされている。誰が買うんだ……、と思っていたら、隣の外国人が大量に買っていたので、こういう人たちが買うのか、と妙に納得する。

観光客が多く訪れる東京の名所に近い場所にあるドンキでも、こんな量のいやげものは見たことがない。この場所は観光客がよく来て、そしてそうしたものが多く売れるから、他のチェーンと違ってこんなにも多くのいやげものを取り揃えているのだろう。ドンキの商品はその街の特徴をよく表しているのかもしれない。


ストリップ劇場があった地下空間は今……

今までドンキ浅草店の外観と内部を見ながら、そこに幽霊のように現れるかつての映画館の姿を見てきた。実は、この「大勝館」、かつて映画が栄えていたときには純粋に映画館として営業をしていたのだが、その後、映画のみでの経営が苦しくなると、大衆演劇の劇場や、地下にはストリップ劇場まで出来たのだという。それは最近まで続いていたらしく、ドンキ浅草店の斜め向かいにある場外競馬場前の古い観光マップには、まだ「大勝館」という文字が残っている。



ここが現在ドンキ浅草店になったわけだが、現在のドンキにも地下空間がある。といってもそれは現在ただの駐輪場になっていて、当時の面影はない。でも、たしかに昔は、ここに、ストリップ劇場があり、毎晩のようにムンムンとした熱気に満ち溢れていたのである。いま、そこにかつてあったような猥雑な雰囲気はもうすっかりない。でもその雰囲気を思い出しながらこの駐輪場を見つめるだけで、なんだかいつもの駐輪場でないようも思えてくるから不思議なものである。




凌雲閣とエレベーター

さて、駐輪場から出てすぐ左手には、この建物の4階以上、つまりドン・キホーテ以外のテナントが入っているフロアに行くことが出来る。ここで注目したいのは、他でもない上層階へ上がるためのエレベーターだ。エレベーターは二機あって、それぞれの機の上には、こんな写真が貼られている。



右は言わずもがな、東京スカイツリーであるが、左の建物を見たことがあるだろうか?

これが、かつて、明治から大正にかけての時代、浅草六区付近に建っていた凌雲閣という塔である。これもまた東京スカイツリーと同じように、当時の東京におけるランドマークの役割を果たしている塔だった。でもなぜ、この2つの塔がエレベーターに貼られているのだろう。それはこの2つの塔がそれぞれ「エレベーター」というものと強く関係しているからだ。凌雲閣は通称、「浅草十二階」として知られ、東京でのみならず遠く富士山までをも見渡せる高さを誇っていた。

その凌雲閣において、日本における初めてのエレベーターが導入されたのだ。



しかしそんな浅草十二階も1,923年、関東大震災で崩れて去ってしまい、当時の面影は全く見られない。ちなみにドンキ浅草店から歩いて数分の所に、かつて凌雲閣が建っていたと思われる土地があったのだが、その正確な位置は近年になるまでわかっていなかったらしい。それが去年、この浅草十二階の遺構と思われる土台が発見されたという。それを元に、現在のドンキ浅草店から見た風景と、かつての凌雲閣の風景を重ねてみるとこうなる。



本当にドンキ浅草店と凌雲閣は目と鼻の先にあったのだ。さらにドンキ浅草店と凌雲閣の深い関係は、店内の壁紙にまで見られる。



凌雲閣の特徴の一つとしてそのレンガ造りの外壁が挙げられるが、まさにこの壁紙にもぎっしりとレンガのイラストが描かれている。こんなところにも凌雲閣の影が潜んでいるのだ。

凌雲閣の遺構の近くには、それを説明する小さなプレートが置かれているが、地区の場所上、ほとんどそれを見ている人はいなかった。そこにかつて明治の世を騒がせた高塔があったことなど忘れ去られてしまったかのようだ。しかしそんな凌雲閣の記憶を、もっともはっきりと残しているのが、歴史保存ということにもっとも遠い位置にありそうなドンキがやってしまっているというのは何とも興味深い話である(もっともドンキはそこまで意識的にそれをやっているわけではないと思うが)。

エレベーターに話を戻そう。

凌雲閣の倒壊から100年余りが経とうとしている今、日本でもっとも高いところまで人を連れて行ってくれるエレベーターが、他でもないドンキ浅草店のエレベーターに書かれたもう一つの塔、東京スカイツリーの業務用エレベーターなのだ。凌雲閣が、35メートル近くの高さまで人を運んでいたのに対し、このスカイツリーのエレベーターはなんと465メートルもの高さを上下するのだという。

しかしいかに高さが変わろうとも凌雲閣から東京スカイツリーにまで至る日本の代表的なタワーは、人々の高所へのあこがれを今も昔も体現してきた。そしてそこで重要になっていたのがエレベーターであり、日本人にとって初めてとなるエレベーターの記憶、そしてその記憶を受け継ぐかのように果てしない高さまで私たちを運ぶエレベーターの2つがドンキ浅草店のエレベーターにはそっと刻まれているのだ。


チェーンは街を映し出す?

さて、そんなこんなでドン・キホーテ浅草店をゆっくり、歴史の中の浅草と重ね合わせながら散歩してきた。やはりチェーンといえども、そこには浅草という街が持つ、特有の歴史が映し出されていて、そうした特徴は本当にささいなところ――壁のイラストや外観や、あるいはエレベーターの柄――に発見することが出来る。ただし、今日ここで書いてきたことは僕の勝手な妄想であり、ドンキからしてみたら、浅草にドンキを作るということで何となく取り入れたものも多いだろう。でも、たしかに、ドンキ浅草店をこのような視点で見ることはできる。

チェーンというと、なにか地域のローカルな社会に関係ないもの、あるいはほとんどそれを破壊するかのような認識で語られることが多い。でも、それは本当にそうなのだろうか?ひとたび、そうしたチェーンをゆっくりと見つめてみると、そこには案外ローカルな地域と共存している面白みのあるチェーンの姿が発見できるかもしれない。

また、チェーンをめぐる散歩でお会いしましょう。







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谷頭和希

ライター・作家。チェーンストアやテーマパーク、日本の都市文化について、東洋経済オンライン、日刊SPA!などのメディアに寄稿。著書に『ブックオフから考える』『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』。

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