春日を散歩しました
- 更新日: 2017/11/30
家と家の隙間が無い、文京区小石川の住宅街。
ヤスノリです。今日は文京区、春日です。
ここは文京区役所がある文京区の中心エリアで、南に後楽園、東に東大、まあ、そんな感じの位置です。
ちなみに春日の由来は、あの春日局ですって。
三代将軍家光の乳母です。このあたりを将軍から拝領したんだと。
で、春日には何があるのかって言われると、まあ困る。いろいろありすぎて困る。困るわ~。困る。
なので、とりあえず降りますね。
降りましたけど。
春日通りと白山通りの交差点に出ました。
なんか駅前に石が散らかってるなと思ったら、
神田上水の石樋に使われてた石だそうです。散らかってるとか言ってごめん。
どっち行こうか迷ったけど、春日だし春日通り行きます。
文京シビックセンターってのがあって、区役所とかホールとか入ってます。地上28階建て、区役所の中では一番高いしすごいんだけど、
遠くから見るとすっごいお湯が出そう。
ちょっと行くと後楽園駅とドームが見える。ドームはなんとなくアップル・パイの雰囲気がある。シビックセンターのポットと合わせて、このあたり上空から見たらティーパーティーに見えないかしら。
春日通りはここから坂になっておりまして、
富坂です。昔は鳶坂と呼ばれていたんだと。
文京区は、坂に説明看板がいちいち立ててあっていいですね。
「春日」の地名の由来になった春日局像があります。このあたりは春日局の所領だったんですね。
この像は大河ドラマになったのを機に作ったそう。
大原麗子の春日局、小学生だったけど見てたなあ。
たしか、おふく(春日局)、幼少期に天然痘になるんですよね、で、掻くと跡が残るから可哀想ってことで、祖父の稲葉一鉄が寝ずの番をして、おふくが顔を掻こうとするとピシャって手を叩きつづけるシーンがあって。
橋田壽賀子脚本だと、そのあと徳川家光の乳母に抜擢されるときに、天然痘の跡が無く綺麗な体だった、稲葉一鉄の愛ある行動すごい~、みたいな話だった気がするけど、実際には跡は残っていて、天然痘の免疫があることが有利に働いて抜擢されたらしいですね。
良いビルが多い。
富坂の中腹に中央大学の後楽園キャンパスがある。
このあたりは昔、砲兵工科学校があったところ。水道橋でも触れたんですけど、東京ドームとこのあたり一帯は砲兵工場をはじめ、陸軍の施設だったんですね。
小石川大神宮だって。大層な名前なので行ってみる。ゴミゴミした路地のほうを指しているけど、そんな大層な場所あったっけかなあ。
大神宮が予想を裏切ってきました。ビルと一体化していた。
ビル神社。ご神体は送水口とかであってほしいなあ。
とかいって、ビルの中庭にちゃんと社殿があります。ねんのため。
佐佐木さんという方がはじめたそうですよ。
ビルも佐佐木ビルでした。
さて、散歩続けます。
路地路地してきた。このあたりは住所は既に小石川ですね。一軒家や、低階層の賃貸物件もあります。
ここもすごい坂だな。坂の名前の看板あるかな?
読めるやつで頼むぜ!
僕みたいなもんが読めるやつあったけど、3個くらい名前があった。堀坂、とお呼びすれば良いんでしょうか。
堀坂の坂下の風情が最高に良かったので見て。
ちなみにこのあたりで現在わりと大きめのマンションを建てる工事をやっているのですが、どうやら反対運動が起こっているっぽくて、何個か建設反対の看板を見かけました。この景観を守れってことらしいけど、まあ、分からなくは無い。
んでここが建設現場なんですけど、むちゃくちゃ低姿勢。つらそうである。
あとこれは花を壁にくくりつけてるんだけど、なんだろ、花を見て落ちつかせる作戦なのかな。くくりつけ方すごいけど。
それより坂の下の風情ですよ。
東京は土地が狭いので家と家の間に隙間がありません、みたいなのを昔図鑑で読んだので、子供の頃思ってた東京のイメージ、まさにこういうやつ。
あれ、富坂はけっこう遠いけどな。名字が富坂さんだろうか。
こんにゃくえんまで有名な源覚寺がありまして、もうこんにゃくえんまのほうが有名すぎて寺の名前のフォントサイズ小さすぎですし、
お笑い芸人のコンビ名を先に書くやつみたいになってます。
うすーく閻魔がプリントされてる紙、存在に気がつくとめちゃくちゃ怖い。
この紙で感謝状とか作って困惑させたい。
こんにゃくえんま様には、こんにゃくを供えるのがしきたりです。
持参したこんにゃくを供えるところがある。こんにゃく置き場って初めて見るな。
言い伝えによれば、閻魔様が眼病を患う老婆に右目を与え、それから老婆は感謝の印にこんにゃくを供えるようになった。
今では眼病治癒のこんにゃくえんま様としてみんなこんにゃくを持ってお参りに来る、とのこと。
えっと、この文章から「閻魔様はこんにゃく好き」と言う事実が論理的には読み取れなかったんだけど、大丈夫かな。
不安になったので家に帰って調べたら、どうやらこんにゃくは、老婆の好物らしいのです。
やばくない? 閻魔様も「このこんにゃくの流れ……止めたい……」って思ってそう。
ただまあ、その信心深い老婆は「好きなものを絶つ」という意図で、こんにゃくを供えていたそうなんですね。
まあ、まあそういう意味ならちょっと分かる。でも、そしたら、他の人がこんにゃくを供えるのは違うんじゃないか。
あなたたちはそこまでこんにゃく好きじゃないでしょ。自分の好物を絶って供えないとおかしい。ピザポテトとかシャウエッセンとかがここに山になってないとおかしい。閻魔様もピザポテトなどをお望みなのではないでしょうか。
脇にある塩地蔵もすごい。どういうことだよ。
盛り塩は各地でやってると思うけど、これはやりすぎだろ。武田信玄が見たら憤死するんじゃないか。
こことか、雪みたいになってるからね。冬の新潟あたりのお地蔵様とビジュアル的に全く同じ感じになってると思う。こっちは塩だけど。
あと、えんま通り商店街ってのがありまして、賑やかなんですよ。
ほら、電話番号も「野菜一番日光多く」ですよ。
イーグル文京。昭和3年からあるパン屋さん。
これは神保町にあってもおかしくない佇まい。
この通りは何でもあっていいな。
まいばすけっともある。マジで最近どこにでもあるし、え、この並びで入っちゃう? みたいなこういうところにもスッと入り込むんですよ。まいばすけっとって。すごいよ。
ところで、えんま通り商店街って、江戸時代からこんにゃくえんまの門前街として栄えてたそうなんですけど、
今はアーケードちゃんとあって、しかも高層化に成功してるんですね。さっきの八百屋さんも実はマンションの1階にある。
ほら。みんなマンションの1階なの。それだけですけど。
文京区が縛られてるって思った。
この路上園芸すごいな。なんか網張ったり本格的に道路で育て始めている。
あと、左側のしめ縄にお気づきでしょうか。
お賽銭を入れるところがありました。路上で出来ることの範囲をぐんと広げてきたぞ。
足に羽が生えている。
その裏では、手の周りを足がいっぱい飛んでいました。
脇にも商店街がある。えんま通り商店街から白山通りへ抜ける、柳町仲通り。
ビルとビルの間に突然あるんです。
これは、小石川柳町駅に続く道だったんだと思う。小石川柳町駅があった都電白山線は、1967年に営業を終えています。
(大正5-10年 1万分1地形図 )
それよりも、えんま通り商店街に川が流れてますね。これが「小石川」でして、このあたりの地名の由来です。現在は暗渠になっています。
というわけで、柳町仲通り入りますけども、八百屋とか大きめのドラッグストアとかあって、ビルの谷間にしては人ものすごく多い。今も昔も、ここは人の流れがあるんだろうな。
銀行の駐輪場、自転車にまじって何か居るんですけど、
全部動いてなかったので、駐輪スペースをかなり無駄にしている。
そこに薬のカプセルを置いた理由は何だろう。
白山通りに出た。
このあたりの白山通りは高層ビルばっかりなんだけど、たまにこういうお店見かける。
ここもぽっかり。昔ながらのお店がまだやってる。
百点、というお店。
店構え貫禄あるんだけど、ビルにスッポリ入っているのすごくない? 小石川大神宮を彷彿させます。
コンクリと木造の境目はこんな感じです。どうやって入れたんだろ。
白山通りを東へ折れると、そこは本郷です。住所的に既に春日ではないんですけど、まあ春日駅に近いということで行くか。
ちなみに本郷はどこを切り取っても絵になるので注意して撮らないと無限に撮っちゃってあとで写真選定とか時間かかって記事書くのめんどくさいことになるエリアです。
ヒョー。本郷感しかない~。
突如現れるクランク!
整合性をむりやりつけた道の合流点!
ハー。いい。
このあたりは菊坂で、樋口一葉の生家があったり関連するものが多い。
蔵と旧い民家があると思ったら、
樋口一葉ゆかりの質屋だって。ほらー樋口でしょ。
しかし、有名人になると、若い頃苦しい家計をやりくりした、とか看板作られちゃうのやだな。余計なお世話ですよね。
樋口一葉の塗り絵やってた。ぬりえにもされちゃうのか……。やだな。
明治10年創業のゑちご屋さん。大正時代に小倉アイス最中を考案して名物になったんだそう。
さらに坂を登ると、
鳳鳴館があります。登録有形文化財に指定されている宿ですぞ。ですぞって言っちゃった。旅番組で言いそうだったから。
ちなみにわりと登ってきたけど見晴らしはそんなに良くない。高い建物が多くて。
ちょっと菊坂の一段下へ行ってみる。
フォー。ここは住みたい。
バラを入れるのが白眉ですよね。
しかもこの路上園芸無限に続いてんの。家から家へ、街の共同作品です。
そんなこんなで、春日駅に戻ってきました。
白山通り付近のビル群に、坂に、路地、ちょっとずつつまめる。
適当に歩いても看板つきの史跡にたどり着くのがすごいし、歴史ある街の密度がなせる業。散歩にハマるきっかけづくりとして、とりあえずこのあたりをふらふら歩くのはお勧めですよね。何の予備知識を持たずとも楽しめます。
個人的には本郷へのあこがれというか住みたさがすごいので、今回もうっかり春日関係ないのに寄ってしまい、また住みたいポイントを溜めてしまった。いつか閾値を超えてうっかりどこか借りている気がします。
そんなこんなで、春日でした。またねー。
ここは文京区役所がある文京区の中心エリアで、南に後楽園、東に東大、まあ、そんな感じの位置です。
ちなみに春日の由来は、あの春日局ですって。
三代将軍家光の乳母です。このあたりを将軍から拝領したんだと。
で、春日には何があるのかって言われると、まあ困る。いろいろありすぎて困る。困るわ~。困る。
なので、とりあえず降りますね。
春日駅前
降りましたけど。
春日通りと白山通りの交差点に出ました。
なんか駅前に石が散らかってるなと思ったら、
神田上水の石樋に使われてた石だそうです。散らかってるとか言ってごめん。
どっち行こうか迷ったけど、春日だし春日通り行きます。
春日駅の西側
文京シビックセンターってのがあって、区役所とかホールとか入ってます。地上28階建て、区役所の中では一番高いしすごいんだけど、
遠くから見るとすっごいお湯が出そう。
ちょっと行くと後楽園駅とドームが見える。ドームはなんとなくアップル・パイの雰囲気がある。シビックセンターのポットと合わせて、このあたり上空から見たらティーパーティーに見えないかしら。
春日通りはここから坂になっておりまして、
富坂です。昔は鳶坂と呼ばれていたんだと。
文京区は、坂に説明看板がいちいち立ててあっていいですね。
「春日」の地名の由来になった春日局像があります。このあたりは春日局の所領だったんですね。
この像は大河ドラマになったのを機に作ったそう。
大原麗子の春日局、小学生だったけど見てたなあ。
たしか、おふく(春日局)、幼少期に天然痘になるんですよね、で、掻くと跡が残るから可哀想ってことで、祖父の稲葉一鉄が寝ずの番をして、おふくが顔を掻こうとするとピシャって手を叩きつづけるシーンがあって。
橋田壽賀子脚本だと、そのあと徳川家光の乳母に抜擢されるときに、天然痘の跡が無く綺麗な体だった、稲葉一鉄の愛ある行動すごい~、みたいな話だった気がするけど、実際には跡は残っていて、天然痘の免疫があることが有利に働いて抜擢されたらしいですね。
良いビルが多い。
富坂の中腹に中央大学の後楽園キャンパスがある。
このあたりは昔、砲兵工科学校があったところ。水道橋でも触れたんですけど、東京ドームとこのあたり一帯は砲兵工場をはじめ、陸軍の施設だったんですね。
小石川大神宮だって。大層な名前なので行ってみる。ゴミゴミした路地のほうを指しているけど、そんな大層な場所あったっけかなあ。
大神宮が予想を裏切ってきました。ビルと一体化していた。
ビル神社。ご神体は送水口とかであってほしいなあ。
とかいって、ビルの中庭にちゃんと社殿があります。ねんのため。
佐佐木さんという方がはじめたそうですよ。
ビルも佐佐木ビルでした。
さて、散歩続けます。
路地路地してきた。このあたりは住所は既に小石川ですね。一軒家や、低階層の賃貸物件もあります。
ここもすごい坂だな。坂の名前の看板あるかな?
読めるやつで頼むぜ!
僕みたいなもんが読めるやつあったけど、3個くらい名前があった。堀坂、とお呼びすれば良いんでしょうか。
堀坂の坂下の風情が最高に良かったので見て。
ちなみにこのあたりで現在わりと大きめのマンションを建てる工事をやっているのですが、どうやら反対運動が起こっているっぽくて、何個か建設反対の看板を見かけました。この景観を守れってことらしいけど、まあ、分からなくは無い。
んでここが建設現場なんですけど、むちゃくちゃ低姿勢。つらそうである。
あとこれは花を壁にくくりつけてるんだけど、なんだろ、花を見て落ちつかせる作戦なのかな。くくりつけ方すごいけど。
それより坂の下の風情ですよ。
東京は土地が狭いので家と家の間に隙間がありません、みたいなのを昔図鑑で読んだので、子供の頃思ってた東京のイメージ、まさにこういうやつ。
あれ、富坂はけっこう遠いけどな。名字が富坂さんだろうか。
こんにゃくえんま(源覚寺)と小石川
こんにゃくえんまで有名な源覚寺がありまして、もうこんにゃくえんまのほうが有名すぎて寺の名前のフォントサイズ小さすぎですし、
お笑い芸人のコンビ名を先に書くやつみたいになってます。
うすーく閻魔がプリントされてる紙、存在に気がつくとめちゃくちゃ怖い。
この紙で感謝状とか作って困惑させたい。
こんにゃくえんま様には、こんにゃくを供えるのがしきたりです。
持参したこんにゃくを供えるところがある。こんにゃく置き場って初めて見るな。
言い伝えによれば、閻魔様が眼病を患う老婆に右目を与え、それから老婆は感謝の印にこんにゃくを供えるようになった。
今では眼病治癒のこんにゃくえんま様としてみんなこんにゃくを持ってお参りに来る、とのこと。
えっと、この文章から「閻魔様はこんにゃく好き」と言う事実が論理的には読み取れなかったんだけど、大丈夫かな。
不安になったので家に帰って調べたら、どうやらこんにゃくは、老婆の好物らしいのです。
やばくない? 閻魔様も「このこんにゃくの流れ……止めたい……」って思ってそう。
ただまあ、その信心深い老婆は「好きなものを絶つ」という意図で、こんにゃくを供えていたそうなんですね。
まあ、まあそういう意味ならちょっと分かる。でも、そしたら、他の人がこんにゃくを供えるのは違うんじゃないか。
あなたたちはそこまでこんにゃく好きじゃないでしょ。自分の好物を絶って供えないとおかしい。ピザポテトとかシャウエッセンとかがここに山になってないとおかしい。閻魔様もピザポテトなどをお望みなのではないでしょうか。
脇にある塩地蔵もすごい。どういうことだよ。
盛り塩は各地でやってると思うけど、これはやりすぎだろ。武田信玄が見たら憤死するんじゃないか。
こことか、雪みたいになってるからね。冬の新潟あたりのお地蔵様とビジュアル的に全く同じ感じになってると思う。こっちは塩だけど。
あと、えんま通り商店街ってのがありまして、賑やかなんですよ。
ほら、電話番号も「野菜一番日光多く」ですよ。
イーグル文京。昭和3年からあるパン屋さん。
これは神保町にあってもおかしくない佇まい。
この通りは何でもあっていいな。
まいばすけっともある。マジで最近どこにでもあるし、え、この並びで入っちゃう? みたいなこういうところにもスッと入り込むんですよ。まいばすけっとって。すごいよ。
ところで、えんま通り商店街って、江戸時代からこんにゃくえんまの門前街として栄えてたそうなんですけど、
今はアーケードちゃんとあって、しかも高層化に成功してるんですね。さっきの八百屋さんも実はマンションの1階にある。
ほら。みんなマンションの1階なの。それだけですけど。
文京区が縛られてるって思った。
この路上園芸すごいな。なんか網張ったり本格的に道路で育て始めている。
あと、左側のしめ縄にお気づきでしょうか。
お賽銭を入れるところがありました。路上で出来ることの範囲をぐんと広げてきたぞ。
足に羽が生えている。
その裏では、手の周りを足がいっぱい飛んでいました。
脇にも商店街がある。えんま通り商店街から白山通りへ抜ける、柳町仲通り。
ビルとビルの間に突然あるんです。
これは、小石川柳町駅に続く道だったんだと思う。小石川柳町駅があった都電白山線は、1967年に営業を終えています。
(大正5-10年 1万分1地形図 )
それよりも、えんま通り商店街に川が流れてますね。これが「小石川」でして、このあたりの地名の由来です。現在は暗渠になっています。
というわけで、柳町仲通り入りますけども、八百屋とか大きめのドラッグストアとかあって、ビルの谷間にしては人ものすごく多い。今も昔も、ここは人の流れがあるんだろうな。
銀行の駐輪場、自転車にまじって何か居るんですけど、
全部動いてなかったので、駐輪スペースをかなり無駄にしている。
そこに薬のカプセルを置いた理由は何だろう。
春日駅の北側
白山通りに出た。
このあたりの白山通りは高層ビルばっかりなんだけど、たまにこういうお店見かける。
ここもぽっかり。昔ながらのお店がまだやってる。
百点、というお店。
店構え貫禄あるんだけど、ビルにスッポリ入っているのすごくない? 小石川大神宮を彷彿させます。
コンクリと木造の境目はこんな感じです。どうやって入れたんだろ。
春日駅の東側
白山通りを東へ折れると、そこは本郷です。住所的に既に春日ではないんですけど、まあ春日駅に近いということで行くか。
ちなみに本郷はどこを切り取っても絵になるので注意して撮らないと無限に撮っちゃってあとで写真選定とか時間かかって記事書くのめんどくさいことになるエリアです。
ヒョー。本郷感しかない~。
突如現れるクランク!
整合性をむりやりつけた道の合流点!
ハー。いい。
このあたりは菊坂で、樋口一葉の生家があったり関連するものが多い。
蔵と旧い民家があると思ったら、
樋口一葉ゆかりの質屋だって。ほらー樋口でしょ。
しかし、有名人になると、若い頃苦しい家計をやりくりした、とか看板作られちゃうのやだな。余計なお世話ですよね。
樋口一葉の塗り絵やってた。ぬりえにもされちゃうのか……。やだな。
明治10年創業のゑちご屋さん。大正時代に小倉アイス最中を考案して名物になったんだそう。
さらに坂を登ると、
鳳鳴館があります。登録有形文化財に指定されている宿ですぞ。ですぞって言っちゃった。旅番組で言いそうだったから。
ちなみにわりと登ってきたけど見晴らしはそんなに良くない。高い建物が多くて。
ちょっと菊坂の一段下へ行ってみる。
フォー。ここは住みたい。
バラを入れるのが白眉ですよね。
しかもこの路上園芸無限に続いてんの。家から家へ、街の共同作品です。
そんなこんなで、春日駅に戻ってきました。
雑感
春日ね。文京区の中心だけあって、いろんな文京区が楽しめる文京区のおこさまランチみたいなエリアですよね。白山通り付近のビル群に、坂に、路地、ちょっとずつつまめる。
適当に歩いても看板つきの史跡にたどり着くのがすごいし、歴史ある街の密度がなせる業。散歩にハマるきっかけづくりとして、とりあえずこのあたりをふらふら歩くのはお勧めですよね。何の予備知識を持たずとも楽しめます。
個人的には本郷へのあこがれというか住みたさがすごいので、今回もうっかり春日関係ないのに寄ってしまい、また住みたいポイントを溜めてしまった。いつか閾値を超えてうっかりどこか借りている気がします。
そんなこんなで、春日でした。またねー。